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慈悲、智慧、瞑想
仏教とは何か、

という質問に対して、しばしば引用されるのが『七仏通誡偈(しちぶつつうかいげ)』

「悪いことをしない
 良いことをする
 自らの心を清くする
 これが諸仏の教えである」

というもの。

大乗仏教以降、

総ての人、いのちは、如来蔵を具している

と考えるようになりました。

みんな、仏さまである、ということ。

大きく深く広く、多くの命を育んでいる海があり、

そこには波が立つ。

その波のひとつが僕であり、

他の波が僕以外のいのち、

本質は同一の海。

波は生滅しても海に変わりはない。


でも、多くの場合、

海を見ない、海に気がつかない、

自分のみに目がくらんでいる。


でも、

誰もが本来は清浄で、真実の海から盛り上がっているもの。

そして、

自分も他人も、

本来自然のあるがまま、各々自性を守り、互いを供養尊敬している。

それが楽しく生きる方法だと、心の奥では知っているはず。

つまり、

人みな仏なのだけれど、
時には悩み苦しみ不安になり、悪いこともしてしまう、
けれど、本来は清浄で美しくもっと大きい
そして、みな平等である

ということ。

平等というのは、

それぞれ違いがある、ということです。


宗教の基本は

自分の内側を懺悔し、

外側に感謝することですが、

それなら倫理道徳と変わりは無い。

特に、

懺悔はしすぎると、逆効果になることがあります。


仏法は自分の内側を観るものだけれど、

そこには、根底に思いやりと優しさがあります。

親が子に対するように、

可憐な蝶をいとおしく感じるように。

なぜなら、

その気持ちは、自分の心を平安にするから、気持ちがいいから。

これが慈悲の始まりなのだけれど、

自分で無ければ誰がやるのか、

というくらいに、他を観ているかどうかを、密教では重要視しています。

そして、

慈悲は智慧があればより効果的になります。

たとえば、

自我という智慧があり、

神を信じる智慧、差別や平等も智慧。

そこから、無我という智慧、因果や空という智慧と発展し、

存在の根本、心の本性を知る智慧になれば、

すべてが無差別無執著であることが分かるからです。

これらの慈悲と智慧は、

瞑想修行によって確固たるものになります。

机上の理論が、実験や観測によって証明されるようなもの。

瞑想とは心を静かにし、まとめることです。

それによって、心も身体も仏になる。


心が騒いで散乱していたら、慈悲も智慧も乱れてしまう。





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[ 2018/10/25 08:17 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]

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