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心の旅
極悪非道な人や、

迷惑だなあ、イヤだなあ、と感じている相手に対して、

オマエなんかいなくなれば良い、どっか行ってしまえ

と思うのと、

良い人に変身してくれたらいいなあ、そしたら、仲良く楽しくやろうよ

と願うのでは、ずいぶんと違います。


人生で行き詰まりを感じたときに、

過剰な期待をしたり絶望するのと、

何が起きても冷静に対処すれば良いのだ、なるようになるさ、

という心持ちでいるのとでもだいぶ違う。


心ある人は、努力してもそれを表さず自慢しない。

他のお蔭と感謝する。 

努力した人の願いはかない、努力しなければ叶わないけれど、

真摯な人は他をたたえ 自分を語らないことが多い。

人一倍努力しても、それを忘れて他の力に感謝合掌する。

そうではなくて、

自分の功績道程を話し、

努力しないから願いが叶わないのに、自分流の言い訳を正当化する。

どちらになるかで、自他の心の動きはずいぶんと変わる。




僕らは修行して初めて仏になるのではなく、始めも終わりも仏である。

それを信じている人もいない人も同じ。

この考えかたは、自分に対する厳しさが無いと危険な場合があるのだけれど、

気をつけていても、

心には高い状態と低い状態があって、順次向上するかと思えば油断して下がることもある。



うまくいかない時は、固定的な観念で固まり、臨機応変に考えていないことが多い。

他と自分を比べて、優れたところと見劣りする点を探してしまう。

自他も変化するのだから、固定的に考えても意味がないし、比べることはなおさら無意味である。

そうして心が変われば、周りの環境も変わる。何でも無い風景が美しくなる。

自分の心が柔らかくクッションがあれば、移り変わる事態に対処できる。


ことあるごとに自分の心を冷静に観察して、
 
絶え間ない反省を繰り返しながら、向上につとめる。

その最終的な目的は自他の救済であり、

周囲宇宙自然からは慈悲の光が降り注いでいる

と知る。


これが人生の意味である、と考えれば希望に満ちた世界になる

というのが宗教の立場、と考えています。



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[ 2017/02/20 11:57 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]

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