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死の事実
田舎で、昔の風習が比較的残っている地域の葬儀が続きました。

都会のそれよりは、時間も手間もかけますが、

それでも、ずいぶんと簡略化しています。

僕が、

それは省略しましょう、

と促すこともあった。

お金と時間の関係で。


でも、

葬儀は簡略化しても、悲しみは簡略化できない。


死は事実です。

でも、

死んだらどうなるのか、

はいろいろな意見があるけれど、どれも事実ではない。

故人が火葬されて骨になるのは、事実だけれど、

故人は骨になった、という事実だけでは済まない心がある。

葬儀の簡略化は、

生と死のイメージが希薄になることにつながり、

悲しみや喪失感という、

正常な反応に向き合うきっかけが減ってしまうかもしれない。


仏性を持ったまま亡くなった人は、

成仏の可能性を残しています。

故人の成仏を願うということは、

残された人が感謝し、反省し、仲良く健康で生きること。

子がそうなることを親が喜ぶのと同じです。

葬儀は、

公に悲歎してかまわない場所ですが、

悲しみが故人の成仏を願い、自分がよりよく生きることに気がつく機会でもある。


故人が自分のことをどう思っていたかは、

残された人の気になることですが、

それを確認できるのも葬儀や法事です。

それは、

死を受け入れるということ。

墓や仏壇ではなく、

心の中にいる、

と分かること。

そして、

故人と自分は、生前とは違う新しい関係になり、

死によって、生者は成長します。



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[ 2018/03/21 08:24 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]

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