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法力と懺悔
お客さんと話をしていたら

あんたは法力があるのか?

と聞かれました。

法とは仏教の中心となる概念で、サンスクリット語 ダルマ(dharma)の訳語。

法則、存在、教理、真如という意味があります。

ですから、
 
法力は、教えの力、真如の力、自然の力、存在の力

おそらく、先の人は神通力とか超能力のようなものを期待していたのでしょうが、

そういうものではない。

もし、あるとすれば神通力のひとつである漏尽通(ろじんつう āsavakkhaya-ñāṇa)

煩悩が尽きて、自分の心を知る力。


恩師からは、

相手は優しくあたたかく、穏やかであるにもかかわらず、

頭が上がらない心持ちになってしまうのが法力で、

それによって、人は円満になり、物も豊かになる。それで安心して覚りに向かうことができる。

と教わりました。



家族、両親、祖父母、その他の先祖をひとりひとり思い出し、想い浮かべながら礼拝懺悔する。

次に、

昨日会った人、話をした人、手紙をもらった人を想いながら、そのひとりひとりに懺悔礼拝する。

さらに、

昔会った人、心に残っている人、気になる人をひとりづつ思い浮かべて懺悔礼拝する。

そうしていくうちに、

自分の中に責められてい良いものを見つける。

その中で仏の声が聞こえるようになり、いわゆる法力のお蔭を受ける。

健康な人に医者が不要なように、

罪悪感や後ろめたさが無いと仏の声は聞こえない。


「衆生痴暗にして自ら悟るに由なし。如来加持してその帰趣を示したもう」

と『声字実相義』にあります。

この加持は、自分の中にある慈悲と心のトレーニングが合致すること。


やむを得ずしてしまったことに心をおき、

この世の総てのものに生かされていると実感することが法力であり、

それを感じるために懺悔礼拝します。



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[ 2017/04/09 09:01 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]

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