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矛盾
これをやったら

もしくは

これをやらなければ、ここにはいられない

ということがある。

これはやりたくない、

自分の生きかたに反する

理不尽でおかしい
 
しかし、やらなければこの組織にとどまれない 。

やめてしまえばよいのだけれど、それができない。

これは苦しいですね。

こういうことは、会社でも学校でも部活でも町内会でも政治の世界でもあるでしょう。

もちろん、宗教にも。

 

オウムという団体は何を拝んでいたのだろうか。

本尊はあるのだろうか。

wikiにいくつか書かれていた。


最終地点まで導くグル(霊的指導者)の存在

というのはお笑いだけれど、

教義に無常観があり、輪廻転生も信じられているよう。

これは矛盾である。


無常は仏教の基本。あやゆるモノは変化している、ということ。
 
コップでも「私」でも変化しているから、

一瞬前のコップや私ではない。

川の水が流れて、常に新しい水が「そこ」にあるようなもの。


とうことは、コップとか私には、絶対に変化しない自性実体が無い、ということ。

宇宙でも時間でも、

「これが”宇宙”だ」

「これが”今”だ」

というものを取り出すことはできないのは、無常だからである。


輪廻転生は生まれ変わり。

教祖にはいろいろ前世があったらしい。


無常ならば輪廻転生しない。輪廻する主体が無いのだから。

そもそも、

存在苦しみなどの、

やらなければならない、などの、

無常無我を悟ることが、迷いからの解脱悟りである。
 
迷っているから、

怒り貪り嫉妬無知の世界を輪廻する。 

それに、

もし「私」という主体が存在するなら、

それは不変なものか変化するものか、どちらかである。

不変であるなら「私」は決して生滅せず、永久に輪廻を続けるから解脱できない。

変化するなら「私」はいずれ滅びてなくなるので輪廻は成立しない。


輪廻転生はあったら面白いけれど、

それと無常とは絶対に矛盾する。


無常であるからこそ、大切なのは心のあるようである。

勇気、忍耐、落ち着き、

同情慈悲、他人を理解しようとすること、
 

ところで、

三密行によって速疾に成仏するのが、密教の目的である。

三密行には次第があり、それに随って修法するのだけれど、

続けていくうちに、なぜこうするのだろうか、と疑問がわく。

そうすると原典を調べる。 なるほど、元々はそういう意味なのか、と理解する。


仏教の作法には如来菩薩明王などの仏さまが登場する。

次第の文章だけではイメージがつかめないけれど、仏像や仏画で表現されているので、

それらを文献や、各地の寺にまつられているものを観る。

ああ、こういうことだったのか、と理解する。
 
言葉ではわからなくても、モノを観ればわかる。

つまり、

やることが決まっていても、自分で疑問を解決しながら前進する。

こういう工夫が無く、妄信するだけでは何も解決できない。


これはカルトに限らず、

原発賛成もしくは反対運動でも、

部活動でも政治でも何でも、

同じである。


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[ 2018/07/14 06:14 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]

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