・カテゴリ「仏教医学研究」は、個別の行為・作法・環境が、身体と心にどのように作用するか、を書いています。
平成二年、高野山でのカリキュラムが一段落して、、結婚の話が出てきました。。その時、恩師に相談しました。
私は栃木の農村で育ち、高校卒業後東京の大学に進みました。父親はサラリーマン、母は専業主婦、現在地元で教員をしている妹が一人います。
目が覚めて、拝む時には最高のコンディッションにしなくては瞑想行になりません。スポーツ選手が試合には絶好調の体調で臨みたいのと同じです。だから、夜遊び夜更かしはせず、食べ物を正しくします。無秩序に食べながら拝むことはできせん。体調が悪ければ呼吸も心も調いませんし、食べたものが血になって脳へ流れてモノを考えますから、食べ物の質によって脳がかわります。瞑想や祈りに適した脳、食べ物というものがあります。砂糖で薄くなった血や、血のしたたるステーキでコレステロールたっぷりのどろどろと流れにくい血は不向きです。
だから、食事を丁寧にすることにより、心身のトラブルを解決することができます。祈りと戒律による効果は大きいですが、食べ物の効果もとても大きいです。お釈迦さんの仏教も、祈りと生活法で人々を癒したはずです。そのためには自分も祈りや正しい生活を実践して、健やかで幸せな家庭を持っていなければウソつきかもしれません。
これらは毎日一生の間、淡々と続けるものです。特別な時に特別に時間を作って修法するというのもではありません。食事や仕事と同じように生活の一部にするべきものです。
例えば虚空蔵菩薩求聞持法は五十日乃至百日間、虚空蔵菩薩の真言を百万遍唱え続ける行法、不動明王八千枚護摩供は二十一日の間、一日三回護摩を焚きながら真言を二十万遍唱え、最後の日に六時間ほどかけて八千本の護摩木を焼く行です。これらは毎日はできない。
特別な行法というのは行じている時は意味があります。学校で勉強することは意味がありますが、昔勉強していても今はダラダラしていたらあまり意味はない。。昔、会社で要職にあったとしても、その時は貴重で素晴らしい人生ですが、辞めた後につまらぬ人生ならつまらないだけです。
食と心の関係 1 終り
後夜念誦、不動法、理趣経法、阿弥陀法、加持祈祷作法、大師求聞持大事、八千枚大事・・・日によって作法が変わりますが、家にいる限り同じ毎日の繰り返しです。
自分に起こるあらゆることは自分に原因があります。怒りたくなるのは自分が怒りたいからで、相手の言動は関係ありません。聞こえないふりもできるのに、笑って済ませることもできるのに、怒ってしまう自分のせいです。病気も貧乏も不幸もみな同じです。
2 終り
応に苦練木を以て両はしを酥にさして焼け。八千枚を限りとす」
仏像図典を取り出し、五大明王の御姿確認。
初夜行千遍。段木が細すぎて火が消えるので、助木を入れる。
百八支の乳木の束を十束づつにまとめるための紐を妻に作ってもらう。
混沌供用容器準備。
堂内に照明をつける。外用の明かりを利用。千葉のNさん逝去のはがき届く。初夜行で菩提を祈る。坂村真民さんも鳩寿になり、もう字が書けないので休刊という。
八千枚結願参拝のハガキ書く。
私のは修行ではなく修法である。修行には一寸違和感あり。
修行は毎日の生活のことで、楽しく安楽なのもである。早起きし、水を浴び、行法し、料理し、働き、唱え、話す、歩く、掃除する。それをしなければ気が済まないものが修行である。それで法悦を感じるものが修行である。
今日の炎はことのほかきれいである。金色に輝いている。
時間をかけて念誦する。痔の気あり、出血。水分過多か。
日中は加行結願の坐なので飯(大佛供、小佛供)汁・餅・果(りんご)を用意し、護摩札を正面左にまつる。
急いで正行開曰の準備
乳木八千枚は右側にブロックを置き、柱を二本渡してその上に並べる。
正行開曰十三時十分 念誦五千遍十三時五十分から十五時十五分
護摩札申込者、勧進帳記載すべての名前を神分で唱える。
眠くならないために食べない。
スパッと良い排便。玄米粥食す。
T家地鎮祭を修す。
初夜行ゆっくりと丁寧にと心がけ念誦。一時間二十分をかけて四千遍唱える。護摩は四十分
近所から差し入れららたイチジクの砂糖漬けを食べたら、頭痛と出血。護摩の火とブラックジンガーの陽性で治す。
YさんからFAxで質問あり。
昨夜の残りもののお好み焼きを食べ、母が持ってきたウコン、朝鮮ニンジン飲む。
日中行七時半から十時四千五百遍。
A先生が参坐。来年四月に得度したい、とのこと。
10月10日 くもり
二時起床。各坐五千遍。初夜行終わって神供。
檀用小箒買ってもらう。
念誦はいつもうまくいっているわけではないが、気分がよければ良い念誦か。
右足が痛い。組むととても痛い。
Kさんから手紙。息子さんは余命一年の診断とのこと。息災を祈る。各坐五千遍。
杉はおとなしく燃える。松はよくはねる。
足が痛いほかは快調。
子どもはけんかをする。親は子をしかる。
丁寧に念誦二千五百遍。あと三日。この時間が至福の時であると思えてきてありがたくも尊い。
体重五十四キロ。排便二回。少ししか出ない。
お不動さんと二人っきり。もったいないような時間。時間そのものがいとおしい。
パキスタンで大地震らしい。被災者を祈る。
釜(炉)を点検。はずして掃除する。
10月13日
仏器磨きする。午後、I氏来。初夜行終わって神供。
十六時、M師来。打ち合わせをして妻がホテルへ送る。
明日は無言行のため、今日のうちにI・Y両氏と綿密に打ち合わせ。
体重五十三キロ。今日は断食断水。排便二回。
背中と右足痛い。断水のための陽性の排毒か。頭は非常に軽い。
一九時半就寝。窓越しに美しい月を見る。
肉食をしていると呼吸が浅く速くなる傾向があります。動物性食品に多いたんぱく質や脂肪は分子の中の酸素が少ないため、消化吸収のためにより多くの酸素を必要とします。
したがって、深いゆっくりとした呼吸で太陽神経叢に意識を集中する瞑想行にとって、肉食は不向きです。
深い呼吸によって内臓、特に肝臓がマッサージされるので、体内の解毒作用が高まり、汚れた血が脳へ流れないために判断力や記憶力もた高まります。肝臓と関係ある怒りからも離れられます。怒りは修行に障る根本的な煩悩の一つです。
性は、特に若い行者にとって重要なものですが、食よりは制御しやすいものです。特に道場は女人禁制なので異性と接触する機会も無く、異性が調えたものを食べてはいけないとしています。
心の制御を妨げるものが煩悩ですが、性欲は習慣性のある煩悩なので、行法での集中力を欠くことにつながります。
精液を出すと、人間としてのもっとも重要な力が弱まります。精力の無駄遣いになります。精力は瞑想に必要です。
精液を出すと、あらゆることを理解し、思い出し、記憶するメダ神経が無くなります。
夢精などで出た場合は、ある真言を唱えるよう指導されます。
そば粉を行者が使うのは、熱を加えなくても水溶きで消化できるから。とても陽性である。ただし粘りのない陽性、Naが多いので熱がいらない。
でも酸化しやすいので注意。行者で頭痛がしたり、背が張るのは酸化。果汁か野菜スープ、シイタケスープ、大根湯で治る。
きのこは山中での見つけ方(毒の有無)もあるが、極めて陰性なで心身が阤緩するためによくないとされたのだろう。海藻は入手しにくいからか。
そばのNa、木の実(タネ)でカロリーは補える。
行をするのだから、拝むのだから、お堂を作るのは当たり前。みんながお金のことで心配 している間、心を静め、いのちの平安の為にまじめに拝んでいるんだから、協力して当然。妻子も僕が拝むのに協力して当たり前、と思っていた。これは大変な間違い。僕の問題だ。ひっそり、こっそり拝んでいればいい。料理も庭仕事も、掃除も遊びも修行なのだから、精進と供養の心さえあればいいだけ。
夕方から雨。
水は体液の陰陽を調節し、循環を良くするために大切ですが、水分が多いと陰性になり、少ないと陽性になります。
行者が断水するのは、長い修法の間にトイレに行かないようにするためですが、水を制限して陽性にすることで、眠気からは解放されます。
断水だけで陽性にすると、代謝がうまくいかず、排毒しずらくなるため、右肩こり、片頭痛などの陽性症状が出やすくなりますが、寒い道場で、静かでという陰性な環境で、瞑想という陰性な修法をしていれば、それほど苦痛ではありません。
また水を飲まないことにより、体重が落ちるので坐法は楽になります。
陽性になれば、陽性なヴィジョンばかりが見えます。
行者が滝行をしたり水を浴びるのは、清めの力があるからだけではなく、健康にも役立つからです。
水を浴びると毛細血管が縮み、血が流れなくなります。
そこで、動脈流から静脈流にバイパスが出来て、そこから血を流すようになります。冷水を浴びることにより、そのバイパスが鍛えられて、血行が良くなり、詰まることが減ります。
最も大切なのは、冷水を浴びると身体がアルカリに傾くことです。酸性体質が一気に変化します。
それにより煩悩が無くなります。もっともっと、という煩悩、怒り、疑い、ねたみという煩悩、食欲と性欲、これらは水を浴びることにより流れ去ります。
呼吸を止めることでも同じ効果があります。
夜1時から3時の丑の刻。この時に肝臓や腎臓が働いて解毒してくれます。だからこの時間には寝るのがよろしい。
3時から5時の寅の刻。この時間に肺がよく働きます。早朝に深い呼吸を伴った坐禅瞑想をすることは、新鮮な空気を取り込め、質の高い有酸素運動になります。
仏教は唱える宗教。真言や念仏を、自分がそれ自体になるくらい唱えます。
朝日は紫外線より赤外線が多いので、陽性なエネルギーも得られます。
朝に拝むことはとても効果的です。
太陽は全てを平等に照らしていのちを育てる力があり、月は円満で光り輝く仏の智慧の象徴です。
真言を唱えながら、心に十太陽や月と同じ力、智慧、働きがあると観想しながら、その光を浴びます。
それは右手から出て、左手から入ります。合掌すると電気・気が通るので心身が安心安定します。
塩水は電気を通し、砂糖水は通さないので、塩気の効いた身体は心身の気のとおりが良く、砂糖が多い身体は鈍くなります。脳神経の電気回路のようなものですから、同じことが言えます。
ぴったりと隙間なく合掌し、その腕を心臓より高くし、合掌した掌が額の前にくるようにします。
姿勢を良くして、そのまま40分。
これで鋭敏な感覚を持ち、気が通りやすい掌になります。
悩み、不安、迷いは煩悩であり、心の純化には無駄なものです。
望診では、掌神経系の線によく表れます。悩んでいると短く薄くなります。
考えること、自信を持つことで、煩悩から悟りに転じます。
悩み、不安、迷いを消す方法のうち、簡便なのが止息。
目を閉じ、息を吐いて腹を引っこめ、息を15秒間止めます。その間、縁のある真言を唱えるとより良いです。
心は自由なのでじっとしていません。息を止めることで、その自由を制御します。
これだけやったのだから、大事に至るはずはない、という自信がつくまで、何かに取り組んでいれば、もっと根本的な心の制御が出来るようになります。
姿勢を良くして坐ります。天上・頭頂~肛門・地下の線がまっすぐになるように。
肛門を締め、過多の力を抜きます。
両手は法界定印か合掌。
笛を吹くようにゆっくり息を吐きます。胸の中にあるモヤモヤとしたものが吐息と一緒に宇宙へ出て行くように観想しながら。
吐ききったら息を吸います。
またゆっくりと吐きます。お腹の中にあるモヤモヤとしたものが出て行くように。
息を吸い、また吐きます。身体全体にあるモヤモヤとしたもの、傷み、疲れ、不浄などが出て行くように。
鼻から吸って口から吐きますが、身体全体で呼吸すると観想します。体中の毛穴から息が出入りするように。
正座は畳が普及してからですから、最近の坐り方ですが、腹と腰を調えるには良い坐法です。
また、左手は腰、右手は腹につながっているので、正座して両手を使うことで体のバランスが調います。
ヨーガには優れた坐法が多くありますが、日本の仏教が取り入れたのは蓮華坐(結跏趺坐)と英雄坐(半跏坐)。
蓮華坐は腹部内臓脊椎疾患やストレスを解消し、英雄坐は関節の疾患を和らげます。
正座はもっとも美しく、ストレス解消に役立ち、この坐法が確固たるものになって楽な気分にいられるようになれば心身が安定します。
いずれの坐法でも、永く坐って安定して体が揺れず、肩の力が抜けるようにします。
仏教作法のための訓練としては、ヨーガの倒立坐(逆立ち)で足の合掌、片足を伸ばしてもう片方の足を折って肛門に当て、伸ばした足と同じ側の手で伸ばした足先をつかみ、もう片方の手を背に回して体をねじる坐法、清浄体操をすれば良いでしょう。
修法の前段階(坐る前)には禁戒(むやみに殺さない、盗まない、邪淫しない、貪らない、真実でないことを言わない)を守り、次に勧戒(心身を清浄にする・これは沐浴をし、食事を調え、粉炭の頓服などで排毒させる、知足、耐え忍ぶ・怒らないこと、善知識や聖典に接する、信仰を忘れない)が必要です。
その後、坐法により体を調え、呼吸を調えて、心を調えます。
まず、心の制御を練習し、本尊などに集中する訓練をし、心の波を鎮めて静かな心を保ち、一切から離れ、一茶と一つになる三昧を目指します。、
「粥の十徳」
旦粥渇(タンシュクゲ)
持戒清浄人所奉(ジカイショウジョウニンショウブ)
恭敬随時以粥施(クギョウズイジイシュクセ)
十利 益於行者(ジュウリニョウヤクオギョウジャ)
色力寿楽詞清弁(シキリキジュラクシショウベン)
宿食風除飢渇消(シュクジキフウジョキカッショウ)
是名為薬仏所説(ゼミョウイヤクブッショセツ)
欲生人天常受楽(ヨクショウニンテンジョウジュラク)
応当以粥施衆僧(オウトウイシュクセシュソウ)
お粥は古くから「十徳」があるとされてきた食べ物。
「僧祇律」などにあります。
1、「色」顔色、肌つやをよくする。
2、「力」体力をつける。
3、「寿」寿命を延ばす。
4、「楽」胃にやさしく体が楽になる。
5、「詩清弁」頭の働きが良くなって、弁舌も流暢になる。
6、「宿便を除く」胸につかえない。
7、「風除」風邪をひかない。
8、「飢消」空腹を癒す。
9、「渇消」のどの渇きを癒す。
病気は身体を構成しているものの不調ですが、その構成しているものとは、
地・・・大地のように固いもの。
水・・・流れるもの
火・・・熱のあるもの、温度、体温
風・・・流れるもの
空・・・上の四つをまとめているもの
識・・・感覚、自我、深層心理
の六つです。
これ以外の霊魂、前世、生れ変りなどは仏教では関心を持っていませんから、病気の原因にもなりません。
原因は全てその人の中にあります。
脳で知るもの、知りたいと思うものによって精神や体調が不調になる場合、脳を制御するのが解決方法です。
脳細胞を作る血液、その血液を作る食べ物と生活環境を改善することです。
死んだらどうなるのか、という不安がある場合、それを考えている脳は死んだら機能しなくなり、火葬されてしまえば、どうなるのかという結果を知ることはできません。脳が知ることが出来ないことで悩むのは意味がありません。
修行により強い精神力、的確な判断力、自己洞察力を体得し、悩みを思考に替え、不安迷いを諦観に替えます。
あらゆる苦しみには原因があり、その原因をたどれば苦しみは滅することができ、その方法は正しい生活です。これが諦観です。
大脳は火を使った穀物で作られた血液で育ちます。そして適度な塩気がある体液内で脳内の電流が流れて思考記憶します。
火を使わない生のもの、塩気を消す陰性で酸性なもので脳、神経、心のトラブルが生まれます。それらは陽性で酸性な肉食の反動で身体が欲するものなので、心を制御する修行には不向きと言えます。
心はまるで飼いならされていない動物のように自由で、どこへでも飛んでいこうとします。そして、同時に二つのことはできません。
安楽なもの、欲しいものには獲物を見つけた獣のように向かって走ります。
よくよく観察して、心の行きたい方向を示せば、強い精神力が生まれます。
昨夜のご飯を温めてからむすび、グリルで焦げ目がつくように焼きます。
昨夜のおそばの出汁(昆布しいたけダシ)を温め、醤油味を強くしておきます。
お椀に焼きおむすび、わかめ、塩蒸したキャベツ、ぶぶあられを入れて出汁を注ぎ、青海苔をふっていただきます。
おこげの陽性があるから元気になる。
シイタケ出汁の陰性があるから交感神経を刺激して、さあ、やるぞ、という気分になる。
何より、朝からこういうご飯は楽しい。
お酒が飲みたくなる。
スーパーのくじ引きに並ぶと、お米10キロなんて当ててくる。
運が良いと安心する。
ちなみにくじや懸賞に当たるのは陽性の時です。陰性の時には当たらない。
電気は送電に一番ロスがあるから、使うところで発電するのが最も効率的。
だから車も自分で発電するのがいい。
エンジン、モーターは走っていれば発電できるし、車に風洞をつけてプロペラを回せばそれでも発電機を回せる。
停まっているときは屋根やボンネットもソーラーパネルだらけにしておけばいい。
なんて長男と話をしていたら、
でもさあ、やっぱりチャリが一番だよ。
だって、もっとも信用できるのは自分の体力だからさ。
という。
信用できるものがあると安心する。
安心は元々仏教語で「あんじん」と読みます。
疑いなき不動の信心のこと。翻って心の工夫、内心の心配り、そして、心が安らかであること。
禅の世界では安心立命(あんじんりゅうめい)⇒心を安んじて天命を立てる、というような使いかたもありますが、幼子が母親に抱かれているような、仏に包まれた気持ちが安心。
僕らは両親から生まれてきたけれど、それだけの縁ではない。その前のご先祖さんはもちろん、地球宇宙のすべての力が縁となり条件となって生まれ育ってきた。
父は大地のようであり、母は大海のようだ。僕らは大地大海大空とも直接間接につながっている。その中の元素が僕とあなたと自然とを行き来している。
だからね、僕はいつでも何かに包まれて、抱かれているから、いつも安心していられる。
僕らは今、過酷な労働に従事している原発作業員と、その環境を支えている高度なスキルを持った技術者、研究者によって安心して当地で暮らすことができている。
だから、ご本尊さんと同じように彼らに包まれて安心を得ているから、額を床につけて心から礼拝する。
人は慾のために「我」がおこる。
そして「我」のために苦しむ。
だから、苦しい時は「我」を捨てればいい。
というのが諸法無我という仏教の立場。
私の、私の物、私の子、私のお金・・・・という「我」。
我があるといつまでたっても安心できない。もっともっとと欲が出るから。
なんで僕には、何で僕だけ、なんて思ってしまうから。
我を肯定したり否定しているうちは改善しない。我は大きく利用すればよろしい。私のもの、ではなくてみんなのもの、とか。
これは私のお金、ではなくて世界中のお金はみんな私のお金、でも、みんなに貸してあげる。管理が面倒だから。
こいつはオレの女、ではなくて、世界中の女は全部オレのもの、でも、みんなに貸してあげる。相手するのが大変だから。
もっとも良いのは、「私」「私のモノ」なんていう実体は無い、と気がつくこと。相互依存で成り立っているにすぎないと知ること。
仏教には安心を得るための様々なカリキュラムがあります。
第一は、ひとり山林で閑静に坐し、瞑想修行する方法。
第二は、行住坐臥をすべて規律正しく作法し、折り目正しく生活すること。
第三は、内側と外側を区別すること。本質と姿を分別すること。
第四は、執着を離れること
第五は、自己の内部に仏がいますことに気が付くこと。
安心できない状態にも陰性と陽性があります。
肩こり頭痛腰痛イライラなどの陽性症状を伴う時は陽性の「我」があるから安心できない。
これはあまり強いと離婚や自殺の原因になる。
右足の小指が固く小さく曲がっている人は陽性な毒が溜まっている。
これは、腎臓が疲れているから怖れに敏感で安心できない。
親指が腫れている人は、肝臓に陽性毒があるから怒りに敏感で安心できない。
これらは温かいもので塩抜きすれば改善します。今の時期ならトウモロコシやかぼちゃの蒸したもの、ミカンジュースなど。
陰性な「我」はお腹が冷えて顔色が悪い。
これらは固い陽性な塩気をよく噛めば改善します。例えば炒り玄米や醤油せんべい。
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