肉食をしていると呼吸が浅く速くなる傾向があります。動物性食品に多いたんぱく質や脂肪は分子の中の酸素が少ないため、消化吸収のためにより多くの酸素を必要とします。
したがって、深いゆっくりとした呼吸で太陽神経叢に意識を集中する瞑想行にとって、肉食は不向きです。
深い呼吸によって内臓、特に肝臓がマッサージされるので、体内の解毒作用が高まり、汚れた血が脳へ流れないために判断力や記憶力もた高まります。肝臓と関係ある怒りからも離れられます。怒りは修行に障る根本的な煩悩の一つです。
性は、特に若い行者にとって重要なものですが、食よりは制御しやすいものです。特に道場は女人禁制なので異性と接触する機会も無く、異性が調えたものを食べてはいけないとしています。
心の制御を妨げるものが煩悩ですが、性欲は習慣性のある煩悩なので、行法での集中力を欠くことにつながります。
精液を出すと、人間としてのもっとも重要な力が弱まります。精力の無駄遣いになります。精力は瞑想に必要です。
精液を出すと、あらゆることを理解し、思い出し、記憶するメダ神経が無くなります。
夢精などで出た場合は、ある真言を唱えるよう指導されます。
水は体液の陰陽を調節し、循環を良くするために大切ですが、水分が多いと陰性になり、少ないと陽性になります。
行者が断水するのは、長い修法の間にトイレに行かないようにするためですが、水を制限して陽性にすることで、眠気からは解放されます。
断水だけで陽性にすると、代謝がうまくいかず、排毒しずらくなるため、右肩こり、片頭痛などの陽性症状が出やすくなりますが、寒い道場で、静かでという陰性な環境で、瞑想という陰性な修法をしていれば、それほど苦痛ではありません。
また水を飲まないことにより、体重が落ちるので坐法は楽になります。
陽性になれば、陽性なヴィジョンばかりが見えます。
行者が滝行をしたり水を浴びるのは、清めの力があるからだけではなく、健康にも役立つからです。
水を浴びると毛細血管が縮み、血が流れなくなります。
そこで、動脈流から静脈流にバイパスが出来て、そこから血を流すようになります。冷水を浴びることにより、そのバイパスが鍛えられて、血行が良くなり、詰まることが減ります。
最も大切なのは、冷水を浴びると身体がアルカリに傾くことです。酸性体質が一気に変化します。
それにより煩悩が無くなります。もっともっと、という煩悩、怒り、疑い、ねたみという煩悩、食欲と性欲、これらは水を浴びることにより流れ去ります。
呼吸を止めることでも同じ効果があります。
夜1時から3時の丑の刻。この時に肝臓や腎臓が働いて解毒してくれます。だからこの時間には寝るのがよろしい。
3時から5時の寅の刻。この時間に肺がよく働きます。早朝に深い呼吸を伴った坐禅瞑想をすることは、新鮮な空気を取り込め、質の高い有酸素運動になります。
仏教は唱える宗教。真言や念仏を、自分がそれ自体になるくらい唱えます。
朝日は紫外線より赤外線が多いので、陽性なエネルギーも得られます。
朝に拝むことはとても効果的です。
太陽は全てを平等に照らしていのちを育てる力があり、月は円満で光り輝く仏の智慧の象徴です。
真言を唱えながら、心に十太陽や月と同じ力、智慧、働きがあると観想しながら、その光を浴びます。
それは右手から出て、左手から入ります。合掌すると電気・気が通るので心身が安心安定します。
塩水は電気を通し、砂糖水は通さないので、塩気の効いた身体は心身の気のとおりが良く、砂糖が多い身体は鈍くなります。脳神経の電気回路のようなものですから、同じことが言えます。
ぴったりと隙間なく合掌し、その腕を心臓より高くし、合掌した掌が額の前にくるようにします。
姿勢を良くして、そのまま40分。
これで鋭敏な感覚を持ち、気が通りやすい掌になります。
悩み、不安、迷いは煩悩であり、心の純化には無駄なものです。
望診では、掌神経系の線によく表れます。悩んでいると短く薄くなります。
考えること、自信を持つことで、煩悩から悟りに転じます。
悩み、不安、迷いを消す方法のうち、簡便なのが止息。
目を閉じ、息を吐いて腹を引っこめ、息を15秒間止めます。その間、縁のある真言を唱えるとより良いです。
心は自由なのでじっとしていません。息を止めることで、その自由を制御します。
これだけやったのだから、大事に至るはずはない、という自信がつくまで、何かに取り組んでいれば、もっと根本的な心の制御が出来るようになります。
姿勢を良くして坐ります。天上・頭頂~肛門・地下の線がまっすぐになるように。
肛門を締め、過多の力を抜きます。
両手は法界定印か合掌。
笛を吹くようにゆっくり息を吐きます。胸の中にあるモヤモヤとしたものが吐息と一緒に宇宙へ出て行くように観想しながら。
吐ききったら息を吸います。
またゆっくりと吐きます。お腹の中にあるモヤモヤとしたものが出て行くように。
息を吸い、また吐きます。身体全体にあるモヤモヤとしたもの、傷み、疲れ、不浄などが出て行くように。
鼻から吸って口から吐きますが、身体全体で呼吸すると観想します。体中の毛穴から息が出入りするように。
正座は畳が普及してからですから、最近の坐り方ですが、腹と腰を調えるには良い坐法です。
また、左手は腰、右手は腹につながっているので、正座して両手を使うことで体のバランスが調います。
ヨーガには優れた坐法が多くありますが、日本の仏教が取り入れたのは蓮華坐(結跏趺坐)と英雄坐(半跏坐)。
蓮華坐は腹部内臓脊椎疾患やストレスを解消し、英雄坐は関節の疾患を和らげます。
正座はもっとも美しく、ストレス解消に役立ち、この坐法が確固たるものになって楽な気分にいられるようになれば心身が安定します。
いずれの坐法でも、永く坐って安定して体が揺れず、肩の力が抜けるようにします。
仏教作法のための訓練としては、ヨーガの倒立坐(逆立ち)で足の合掌、片足を伸ばしてもう片方の足を折って肛門に当て、伸ばした足と同じ側の手で伸ばした足先をつかみ、もう片方の手を背に回して体をねじる坐法、清浄体操をすれば良いでしょう。
修法の前段階(坐る前)には禁戒(むやみに殺さない、盗まない、邪淫しない、貪らない、真実でないことを言わない)を守り、次に勧戒(心身を清浄にする・これは沐浴をし、食事を調え、粉炭の頓服などで排毒させる、知足、耐え忍ぶ・怒らないこと、善知識や聖典に接する、信仰を忘れない)が必要です。
その後、坐法により体を調え、呼吸を調えて、心を調えます。
まず、心の制御を練習し、本尊などに集中する訓練をし、心の波を鎮めて静かな心を保ち、一切から離れ、一茶と一つになる三昧を目指します。、
「粥の十徳」
旦粥渇(タンシュクゲ)
持戒清浄人所奉(ジカイショウジョウニンショウブ)
恭敬随時以粥施(クギョウズイジイシュクセ)
十利 益於行者(ジュウリニョウヤクオギョウジャ)
色力寿楽詞清弁(シキリキジュラクシショウベン)
宿食風除飢渇消(シュクジキフウジョキカッショウ)
是名為薬仏所説(ゼミョウイヤクブッショセツ)
欲生人天常受楽(ヨクショウニンテンジョウジュラク)
応当以粥施衆僧(オウトウイシュクセシュソウ)
お粥は古くから「十徳」があるとされてきた食べ物。
「僧祇律」などにあります。
1、「色」顔色、肌つやをよくする。
2、「力」体力をつける。
3、「寿」寿命を延ばす。
4、「楽」胃にやさしく体が楽になる。
5、「詩清弁」頭の働きが良くなって、弁舌も流暢になる。
6、「宿便を除く」胸につかえない。
7、「風除」風邪をひかない。
8、「飢消」空腹を癒す。
9、「渇消」のどの渇きを癒す。
病気は身体を構成しているものの不調ですが、その構成しているものとは、
地・・・大地のように固いもの。
水・・・流れるもの
火・・・熱のあるもの、温度、体温
風・・・流れるもの
空・・・上の四つをまとめているもの
識・・・感覚、自我、深層心理
の六つです。
これ以外の霊魂、前世、生れ変りなどは仏教では関心を持っていませんから、病気の原因にもなりません。
原因は全てその人の中にあります。
脳で知るもの、知りたいと思うものによって精神や体調が不調になる場合、脳を制御するのが解決方法です。
脳細胞を作る血液、その血液を作る食べ物と生活環境を改善することです。
死んだらどうなるのか、という不安がある場合、それを考えている脳は死んだら機能しなくなり、火葬されてしまえば、どうなるのかという結果を知ることはできません。脳が知ることが出来ないことで悩むのは意味がありません。
修行により強い精神力、的確な判断力、自己洞察力を体得し、悩みを思考に替え、不安迷いを諦観に替えます。
あらゆる苦しみには原因があり、その原因をたどれば苦しみは滅することができ、その方法は正しい生活です。これが諦観です。
大脳は火を使った穀物で作られた血液で育ちます。そして適度な塩気がある体液内で脳内の電流が流れて思考記憶します。
火を使わない生のもの、塩気を消す陰性で酸性なもので脳、神経、心のトラブルが生まれます。それらは陽性で酸性な肉食の反動で身体が欲するものなので、心を制御する修行には不向きと言えます。
心はまるで飼いならされていない動物のように自由で、どこへでも飛んでいこうとします。そして、同時に二つのことはできません。
安楽なもの、欲しいものには獲物を見つけた獣のように向かって走ります。
よくよく観察して、心の行きたい方向を示せば、強い精神力が生まれます。
心身の病を癒して安心を与え、それから悟りへ導こうとします。
仏教医学の中でもっとも有効なのは栄養学(食時作法と食事療法)ですが、そのほかにもさまざまな方便があります。
たとえば懺悔は、
病因は自己の悪業の報いだから、懺悔によって病根が断たれる。
と考えます。少なくとも、心の安定(思いかたを変える)には役立つ。
また、
『準提経』には、
加持の手を以って二十一回頭をなでれば、たちまちに頭痛は快くなる
という触手療法が書かれており、
これは西式健康法の合掌行に似ています。
ちなみに、準提観音は高野山では得度の本尊ですが、
安産や延命の祈祷でも本尊として拝まれます。
成熟した密教では、呪文は転迷開悟・離苦得楽、
つまり、心を調え静かにし、悟りのために唱えるものですが、
元々は現世利益を目的としていました。
病気を治す呪文はさまざまな経典にありますが、
特に、不空羂索観音と十一面観音 の真言は、その効果が詳しく説かれています。
『十一面観世音神呪経』には、
十一面観音の神呪(心真言、高野山では根本呪とか大呪と云う)を、
早朝に百八遍唱えることで、
病気にかからない、毒薬や虫の毒に当たらず、悪寒や発熱等の病状がひどく出ない、
金銀財宝や食物などに不自由しない、などの十種の勝利が説かれています。
また、
この観音と聖天を一緒に、この心真言によって作法しながら拝むことで、
すべての身中障難が消滅するともあります。
この心真言は梵字で65文字あり、
唱えるには修練が必要ですが、十一面信仰が広まった背景には、その功徳が期待されたからと考えられます。
真言は、すべての人を悟りに導こうとする菩提心(悟りを求める心、迷う前の自分を知る心)を呪文化したものですが、
これを唱えることがなぜ、治病や健康に効果があるのかは、次回に書きます。