蓋をしないことがポイント。陰性なえぐみが抜ける。
朝に陰性な野菜のカレーを食べれば、交感神経が刺激されて、日中の動きがよくなります。
それはさておき、
仏教の目指すものは「さとり」であって、これは仏教の何から何まですべてを覆うものです。
日々の生活も「さとり」を伴うものであるはず。
この目的である「さとり」は自分の心を知ることですが、
大乗仏教や密教では、その心が本来(生まれつき)清浄である、
という前提があります。
僕らが唱える『理趣経』の本文も、
「一切法の清浄句の門を説きたもう」
で始まります。
一切の現象だから、心も清浄。
心の本性が清浄であるかどうかについては、仏教内部でもいろいろ意見があるのですが、
本性清浄である、という立場で考えます。
自性清浄はサンスクリット語で、prakŗti-prabhāsvara(プラクリティ プラバースワラ)
英訳ではoriginally pure
このプラバースワラには、光り輝くもの、という意味があります。
心の中を探っていくと、
世の中の存在をどんどん否定してゆくと、
最終的に出てくるものがある。それが根源的な光。
これは、
自分のために心をコントロールして、他人のために必要なことをする。
それは、柔らかい、軽い、適用に堪える、壊れない心です。
「比丘たちよ、この心は光り輝いている。ただ、外来のもろもろの煩悩によって汚れている」(パーリ増支部)
にも当てはまります。
これは、
自分のために心をコントロールして、他人のために必要なことをする。
それは、柔らかい、軽い、適用に堪える、壊れない心です。
大乗仏教になると、
心も空であるから、染まることも執著することも無く、不生不滅である。
だから、自性清浄であり、
すべての存在は仏の性質を有していて(仏性)
仏が住む居が心である(如来蔵)
そして、
修行して仏になる(悟りを得る)のではなく、
もともと生まれつき仏(悟っている)である、という本覚思想になります。
僕らは仏なのだから、清浄に決まっている。
この、清浄がゆえに自他を救い、
それに気がつくための修行方法が、密教にはいくつか伝えられています。
なので、魔法のスープ夏味。
えのき、トマト、いんげん、ピーマン、なす、玉ねぎ、ジャガイモ、人参、油揚げ、とうもろこしに月桂樹の葉を入れて煮込み、塩、コショウで調える。
ポイントは小さく切ること(これで陰性な野菜から陽性な味が出る)
そして、順番に加えること。
それはさておき、
密教では「さとり」を「即身成仏」という言葉で表します。
ずっと先ではなく、
如来の真実を知れば、今すぐに自分の身体のままで成仏(迷いを悟りに)できる、
ということ。
そのためのカリキュラムはいくつかありますが、
覚鑁上人の『秘釈』には、
「真言宗の即身成仏、その証、いずくにかある。
謹惶して弟子、五臓の三摩地観に入る。忽然として出家の頭上において五智の宝冠を現じ、肉身の五体において、五智の光明を放つ。その時に当たって一人席を起ち、万民、礼を作す。諸宗、旗を靡かし衣を送る。故に五臓の三摩地は秘が中の秘なり。座を立たずして三摩地現前の説、唯弥々仰信すべし」
とあります。(『興教大師 撰述集』上196頁)
これによれば、
お大師さんが即身成仏の証をみせたのは、五臓三摩地観という修法。
この観法は、
『大日経』巻第七持誦法則品第四にある、
「五字を布して、自身に曼荼羅を観ずる」に、
中国古来の五行説を加えたもの。
これをスマートにしたものが、
現代の真言僧が日々修法する字輪観。
色と形と梵字を瞑想し、自身が法界(宇宙)大日如来であると知り、
迷いを覚りに転換します。
一般のかた向けには、
阿字観もしくは五字厳身観という瞑想法があります。
静かで穏やかで、
思いやりとやさしさに満ち、
散らばった悩みが、ひとつの智慧にまとまり、
執著から開放され、希望にあふれた心になります。
健康にもよろしい。
栂尾祥雲先生は、
「あらゆるものの中で最も正確にその実際を知ることができるのは「われ」である。
「われ」以外は客観的にしか知ることはできない。
その「われ」を如実に知ることが悟りである。
悟りといっても、それは肉身に対する見かたであり、考えかたであって、
つまり、それを考える心の問題に他ならない」
とあります。(『密教教理概説』 )
ところが、
即身成仏は「即心」ではなく「即身」。
この即は不離のことですが、
『即身成仏義』では、相応、つまり瑜伽の意味で使っているように読めます。
自分と仏が瑜伽(ヨーガ:溶け合う)する、と。
『十住心論』第十には、
成仏を規定して、
「徹底的に自心の源底を覚知し、また実の如くに自身の数量をさとること」
とあります。
さらに、
成仏(さとり)にいたる方法である五相成身観では、自身は仏身になります。仏心ではない。
宇宙法界にあるものは(僕らが見るもの聞くもの感じるもの、あるいは感じないものも)
すべて仏のシンボルです。
宇宙法界が仏の象徴とも云える。
それを感じるのは自分の心ですから、
心の中に仏が遍満する宇宙法界があります。
その心も一切の仏のシンボルですから、
自心中の仏と、宇宙全体の仏が相即(ヨーガ)します。
彼此無別になる。
瞑想修行によって、
自心が、本来あるべき仏の身体として展開される。
ようするに、
悟りは心の問題ではなく、具体的な経験として存在することになります。
そして、
当然、それは自分だけのことではありませんから、
自分以外のすべてが、仏の顕在ということになります。
これを心のトレーニングで証明する。
栂尾先生は、成仏することで、
「しきりに不平不満を訴え、あらゆる罪悪感におののいていたものが、
いかにもすがすがしい平和な喜悦に輝く。
疑惑や混乱に悶えていたものが、忽ちにして安らかな生き生きとした心の持ち主となる」
と云います。
悩みを去り、疲れを癒し、無限の力と喜びを得て、再出発する。
そうして、他の苦を抜き、楽を与えることが、平常心でできるようになる。
金剛界次第には、
成菩提の後に五相成身観がありますが、
どの修法でも、
入我我入観で、五相を瞑想するのが良いだろうと考えています。
広観斂観が入我我入であり、
五相成身観の修金剛心から証金剛身は広観と斂観ですから。
一般のかた向けには、
月輪観という瞑想法があります。
簡単に言えば、
自分の心をよく観察して、静かにまとめるものですが、
上記栂尾先生の言葉のように、
衒(てら)わず、光を和らげて塵に同ずる、
平安な生きかたができるようになります。
厚労省が週毎にとりまとめている ,
農産物に含まれる放射性セシウム濃度の検査結果をみると、
セシウムが残留しているものに、ある特徴があります。
今週7月24日に公表した「食品中の放射性物質検査結果について」を見ると、
食品中の放射性物質の検査結果について(第1043報)(厚労省)
http://
福島県の検査結果
http://
牛肉、大麦、小麦、魚介類、ブルーベリー、原木しいたけ等のキノコ類、
ごぼう、カブ、ニンジン、大根などから微量が検出されています。
これらには決定的に少ない(全く含まれていない)成分があります。
それが含まれているものからは放射性物質が検出されない。
それは比較的陽性ですが、同時に陰性なカルシウムが多いのでバランスが取れています。
穀物にも含まれていないのですが、
検出されないのは生産者や農協や行政の努力で改善しているのでしょう。
基本的に農協はチェルノブイリから検査体制を敷いているので、厳格で信用できます。
さて、それは何でしょうか。
まあ、無視して良いくらいの量なので、
何の問題もないと、僕は考えていますが。
この人は、僕が話すことにたいして常に、
そうではないかもしれない、
と考えるように誘導してくれる。
これが何よりありがたい。
いつも自分を正当化してしまうので。
そして、意味の無い勝手な想像や感想は言わない。
きっと、あれだよ、そうにちがいないよ
なんていう類の戯論が無いから気持ちいい。
例えば、
相手の言動が気に入らなくて怒りがこみあげる。
あんなことを言う、ああいう態度をとるのは、
オレを馬鹿にしているに違いないと思って怒る。
でも、そうではないかもしれない、
と思えば、確認して真実を知る可能性が高くなる。
テロ事件が起きた。
あの男もあやしい、おかしなことをしていそうだ、風体も変だ。
でも、そうではないかもしれない。
原発事故が起きた。
すべては汚染され、政治家と企業はウソばかりで、マスコミもそれに同調し、
国民はだまされ、病気が増えている。
これは大変だ。
事実か噂話かなんて確認なんてしなくていいから、どんどん情報を垂れ流さなくてはいけない。
そうではないかもしれないのに。
また失敗した。思えば人生ほとんどは失敗ばかりで、良いことなど何もなかった。
だから、もう生きるのは止めたい。
でも、
そうでもないかもしれない。
子どもが親の望みどおりには育たいない(ように思える)
そうではないかもしれない。
そもそも、
親子は別の人間だから、親子という特別な関係を維持しようとする親はおかしい。
と思っても、そうではないかもしれない。
生きていれば毎日初めての経験をする。その時どうしたらよいのだろうか。
進学、就職などで、希望より不安や戸惑いが多くなる。
その時さらに「親」という重荷を背負わせていないだろうか。
単身生活をしていると、
いいですねえ、自由ですね、やりたい放題だね、
という人がいる。
そうではないかもしれない。
寂しいでしょ、大変でしょう、と同情(心からそう思っているわけではないだろうけれど)
する人がいる。
そうではないかもしれない、と考えないのだろうか。
一緒にサケを酌み交わせば、心が打ち解けて仕事もうまく行くから、
飲みにいこうと誘われる。
そうではないかもしれない。
仏教はすばらしい教えである。
そうではないかもしれないから、
勉強し実践して確かめる。
そうして、ある境地を知る。
いずれにしても、
相手を裁く前に自分を裁くことで、
事実が見えてくるのだろうな。
中野翠『へなへな日記』の引用で、
「ブスという言葉は、うまい。たった二文字なのによく感じが出ていると思う。感心してしまう。」
とあり、中島先生は、鋭敏な言語感覚と書いています。
デブも同じですね、聞いただけでよくわかる。
耳で聞いてよくわかる、というのが大切。
家庭と過程と仮定など、聞いただけでは分からない言葉は良い言葉ではない。
ブスでデブも、
しっかりと伝わる言葉で、何より短いのがいい。
それに比べると、
あなたは良い人だ
キミは優しい人
なんていうのは胡散臭い。
本当はそうでもなく、裏では何か悪いことをしていたり、
心の中は違う印象がある。
ちなみに、
「○○にやさしい」というのは、
「害はある。しかし今までの製品よりその悪さの程度はやや低い」ということ。
(お言葉ですが4 広辞苑の神話』高島俊男)
優しい人、と聞くとそれを思い出す。
この夏,
長男は海外の学会(複雑系物理化学というモノらしい)に出席し、
次男は化学工場の研究所でインターンシップに入り、
どちらも初めての経験。
僕もこの夏、
人生で初めて、
「おじいさん、どうぞ」
と、宇都宮線蓮田駅を発車してすぐに席を譲られた。
僕はおじいさんなんだ
と知り、
これからは何をしても、老いぼれだからという理由で許してもらえるかもしれない、
と思ったら、ずいぶんと気持ちが楽になった。
ラーメンを食べ歩いている息子の鼻に吹き出物があった。
牛ブタ鶏のうち、
鶏がいちばん小さい、
よく動き回る
だから、もっとも陽性。
その卵の成分をみると、
Na140、K130
と非常に陽性です。
https://fooddb.mext.go.jp/details/details.pl?ITEM_NO=12_12004_7
だから、
食べ過ぎたり、代謝がうまくいっていないと、
身体の陽性な場所(鼻、背中の中央、肘膝の裏)に陽性(赤いなど)な症状が現れます。
これは、陰性なトマトや香辛料、キノコ、発汗で消える。
消さないと、濃くて流れにくい血で、トラブルの原因になります。
暑い(陽性)な夏は陰性なものを多くとりますが、
カロリーの無い陰性が多いと、出血(陰性症状)しやすくなります。
夏は血が出やすい、ということ。
そういう時は陽性でアルカリ(カルシウムが多くリンが少ないもの)をとれば止血になります。
陽性な夏には排毒が進みますが、
陰性なアルコールや砂糖はお腹側に、
陽性な肉や魚は背中から、吹き出物などによって排毒します。
暑いからといって涼んでばかりいないで、
よく動いて陰性な野菜や果物や水分を摂り、
(陰性は広がるから排毒され、肉魚卵などの陽性は縮むから排毒されにくい)
腹巻、腹這い、朝に醤番、少しのおこげなどでお腹を温め、
快適で楽しい夏にしましょう。
先月はカッコウの声が聞こえていた。
出張先の宿でもどこでも、
場所によっていろいろな音声を聞きながら拝めます。
蝉しぐれの中では、セミになりきる、
なんていうことを禅の本で読んだことがありますが、
音そのものや、それが何の音かを認識する心は、
迷い煩悩の元になりがちです。
異性の悩ましい声や乾杯の音頭のように。
でも、
一切の存在を肯定する立場になれば、
どんな音も声も仏さま。
一切のものは大日如来(真理)の顕現であり、
どれもが、
本来不生不滅で言説を越え、塵垢を離れ、原因を超越し、大空のように広く大きく障害が無い、
という仏の属性を持っています。
宇宙も僕も、
カッコウもヒグラシも、
悟りの表現に過ぎない。
象徴ですね。
そういうもので世界はあふれている、
ということを、涼しい早朝に感じると、
素敵な一日になります。
「五大は五字五仏および海会の諸尊これなり」
と『声字義』にある。
すべての存在は真理の標識である
ということ。
時には早起きして、
ゆっくり何かをしてみましょう。
夏休みも家庭より部活、
という生活で、家での躾がまったくできていないまま結婚して親になったら、
いろいろ不自由なことが多い、
という話を近所で聞いて、甲子園球児はどうなのだろうか、と思う。
それはさておき、
きゅうり、トマト、ピーマンなどのタネは小さく柔らかいので、
そのまま食べても問題無い。
それどころか、面白い効果がある。
植物では、根が最も陽性な部分で、種子が一番陰性。
陰性だから拡がる力があるので、発芽して成長する。
陰性な働きがあるから、構造は小さくて固い陽性になります。
根を食べれば陽性になり、種子を食べれば陰性になるだろうから、
排毒の力は強いと考えられる。
米などと同じで種子は、花や茎や根になる成分の元(脂肪やたんぱく質)があるので、
食べ物としてのバランスはよろしい。
ところで、
ぶどう、スイカ、桃などの種は、小さいけれど硬いから消化吸収できない。
固い皮を取ればおもしろい効果はあるだろうけれど、
消化できないものが大量にあると、胃腸はストレスをうけて免疫力が低下するかもしれない。
それほど大量に食べることはないだろうけれど、
石ころと同じで、
食べられないものは食べない、というのが生き物の特徴。
味噌汁が残っていたので、トマトと厚揚げを加えて煮込み、
ローリエとこしょうで調え、
それでは物足りないのでカレーに仕立てる。
夏によくあることですが、
夏野菜の焼き物炒め物が残っていたので、
出汁と醤油と高野豆腐の粉を加えてひと煮たち。
それはさておき、
近くまで来たのでちょっと寄ります、
と縁者に連絡したら、
なるべくゆっくり来てください、
妻が化粧をするから、と云う。
他人に会うとき、女性が化粧をするのは身だしなみのひとつだろうし、
こちらとしても、会う限りは衣体と足元を調えて向かう。
まあ、よそゆきですね。
化粧をする必要があるかないかは、人により場合によるでしょうが、
したほうが良いときはしたほうが良い。
それが、
適度なものであるかどうかで、人も相手もずいぶんと変わる。
表面が変われば、内面にも影響する。
でも、
それが真実でないことは誰でも知っている。
僕らの業界は儀式が多い。
儀式でごまかしている、という面もある。
人を相手にする場合、儀式が必要なときがあり、
必要なときにはしたほうがいい。
それによって、人の内面も変わる。
けれど、
それが真実でないことを知らない人が少なくない。
しかも、
その儀式も内容が適当でなく、なぜそうするかを調べることもない。
化粧が下手で、かえって醜くなるように、
下手な儀式で台無しになることもある。
やるなら、ちゃんとやる。
化粧も儀式も無くても良いものだけれど、
役に立つことも多いから、
丁寧にするのがいい。
そして、
それが完成ではなく、
そこから内面の真実を探る生きかたが始まる。
10年くらい前、
これを使うストレッチを六本木コンディショニングの橋本先生から教わり、
塩ビ管に毛布を巻いたもので代用していたのだけれど、
お金がたまったのでようやく買えた。
塩ビ管よりぜんぜんいい。
背骨と肩甲骨とその周辺を柔らかくして、
神経反射の確認もできる。
夏は繁忙期の上、僕は「休憩」が嫌いなので、だいぶ疲れがたまっていたみたい。
背中は陽性な場所なので、夏の暑さなどの、少しの陽性で硬くなり、
陰性な胃や六腑に影響します。
食べ物で調整するのが良いのだけれど、
こういう方法も簡便で良い。
ストレッチの後はよく眠れる。
リンドバーグ社で送料込み4.374円。
ちなみに、
ネット購入だけれど、送料無料のものは買わないようにしている。
20年くらい前に医工のガラス製を買い、重宝しています。
ポンプは2代目。
最近はプラスティック製のものが多いようですね。
吸い玉は、ショウガシップと里芋パスターの代替になり、
方法が強引なので結果が早いのが特徴。強制的に血行を促す。
体力がある時に使うと効果的ですが、もっぱら食養が面倒な時にこれで対応します。
例外として、
スズメバチに刺されたときも使った。
ところで、
胸に手を当てると、そこに意識が集中して落ち着きます。
落ち着かないというのは散乱している、ということ。
吸い玉を当てたところも同じ。
腰、臍、心(胸)、額、頭頂の五ヶ所に意識を集中し、
それぞれの場所の働きを仏の働きに転換する観想によって、
仏の智慧と仏身を得ることができます。
広々としてさわやかで風通しの良い心になる。
もちろん、
吸い玉を当てなくても良い。
お気持ちがありましたら、どうぞお越しください。
●野菜で優しく
さわやかな心身を作りましょう。
~ 精進料理講座 附 食養と陰陽望診法の話 ~
講師 : 須永晃仁 日時 : 2017年9月17日~18日
場所 : 日立システムズホール仙台
(地下鉄 南北線 旭ヶ丘駅下車)
●17日(日)
14時~16時 精進料理講話 3階 クッキングルーム
16時半~19時 料理教室 3階 クッキングルーム
炊き込みご飯。利休汁、いもねぎ、煮浸し、餃子、小皿
●18日(月)
10時~12時 陰陽望診法 講話
13時~15時 食養手当て法講話
受講料:2日間 8000円
1 日のみ5000円
(※ テキスト希望の方は、1500円別途)
定員 15名
●申し込みは、下記までショートメールでお願い致します。
高橋 090 9427 5623
國永 090 9630 1372
タイヤはパンク、スポークとチェーンは錆び、ブレーキも効きが悪い。
だって、乗る機会が無いから、
と貸出人は云う。
乗らなくても、点検整備はすれば良いのに。
そうしないと傷んだり壊れたり、いざと言うときに困るから。
自動車もガソリンを入れるだけでは動かない。
オイル交換やタイヤの空気圧チェック、法定点検以外の整備や洗車をしないと、
長持ちしないし、トラブル防止にならない。
年賀状は出さず、
葬儀は家族で済ませて、お世話になった縁者に知らせず、法事もしない。
PTAや町内会では、うつむいてじっと黙って何もしない。
社会人として整備不良だろうな。
早寝早起きをせず、
暴飲暴食、 不自然なものを食べ散らかし、
心を平安にせず貪り怒り愚痴を言い、
いざという時に
病気やケガで苦しみ、他人の世話になる。
これも整備不良の結果。
一日は24時間もあり、人間は長生きだから、
点検整備して、ゆっくり安全運転する時間は充分にある。
男子はウケ狙いのくだらないことばかり書いていたけれど、
女子の「ひとこと」は良いものがあったように覚えている。
そのなかで、
好きだった子のそれは、
「あの日に帰りたい」
そういう歌が流行っていました。
歳をとると、そんな気持ちになることが時々あります。
こだわっていることをあきらめるのが一つの悟りですが、
あきらめられないとか許せないというのは、記憶力が無くなっているからではないだろうか。
なぜなら、
昔のことを思い出してみれば、あきらめられるし、何でも許せる。
子どもが生まれた時の喜びや
成長するにつれての、あの日あの時のかわいかった姿と言葉を思い出す。
そうすると、
今がどんなに生意気でずるがしこくてもかまわない。
本性はかわいいのだから。
それは事実であり、過去にそうだったのだから。
今が本性で過去は繕ったもの、
とは考えにくい。
だから、
思い出したものに真実があるかもしれない。
夫婦恋人友人、誰に対しても同じであるし、
世界で著名なあの人もこの人も、かわいかったに違いなく、
それが本性である可能性が高い。
相手の悪いところしか見えないのは愚か者であり、
昔のかわいさを思い出せないのはバカ者である 。
そう考えれば、平和は案外近いかもしれない。
塩コショウして冷ましてから、
地粉を混ぜてしばらく寝かす。
多めのごま油でカリッと焼いて、
キノコと油揚げの葛煮を餡にする。
ちょっと涼しくなった晩ご飯にうまい。
それはさておき、
質問や疑問に対して、
私はこう思う、そう感じた
では答えになっていない。
文献や儀軌を調べる、
過去の事実を調べる、
自分なりの意見を言いたい場合は、
長年にわたって観察実践してみた結果を、
なぜ、そうなったのかと考える。
そうして、ある程度の答が出ます。
死んだおばあちゃんは、あの世でしあわせでしょうか?
という質問には、どんな答えがあるだろう。
(サザエさんをさがして) デンキ仏教 「全自動化」の日は来るか
http://
という記事があります。
ここに登場するのが「ペッパー導師」
https:/
各宗派の読経ができるらしい。法話もOK。
メーカー側は、
人手不足の寺の副住職として開発した、
とのこと。
記事内に、
「ロボットが人に引導をわたせるのか、などと反発もあるようですが」
とあるけれど、
引導を渡せるレベルに達した人間のお坊さんは、現実にはどれくらいいるのでしょうか。
人間のお坊さんの法話も、
修行の実体験より、聞いたり読んだりした引用が多いなら、
ロボットでもいい。
ロボットのほうが無欲無執着で、差別意識もないだろうから。
ロボットやAIが人間にとって代わる、
という論文(というより研究室のレポートに近いけれど)
で著名なのが、
Frey and Osborne (2013) “The Future of Employment: How Susceptible are Jobs to Computerisation?“
『雇用の未来—コンピューター化によって仕事は失われるのか』
http://
それから、
「わたしの仕事、ロボットに奪われますか?」
Can a robot do your job?(日本経済新聞)
https:/
これらの中で、
自動化ができない職業として、
歴史家 、鉱山の屋根用ボルト締め作業員、聖職者
が挙げられています。
僕は、
ビッグデータとディープラーニングによって、
人を癒やし、安心させることはできるから、
ある程度、僧侶の活動に代わることはできると考えます。
知らないことが、怖れや不安、迷いになるからです。
むしろ、良い結果があるかもしれない。膨大な知識があるから。
問題は、仏教の本質的な部分、「悟り」です。
これは、
自分とは何か、
存在とは何か、
心とは何か、
を理解しなければなりません。
人間がそれを知らなければ、AIに教えることはできないから、
人間が悟らなければ、ロボットも悟れない。
この世の中のすべてのものは存在論的には因果の法則の範囲内ですが、
これはロボットでも理解できます。
しかし、その存在の本性は因果の法則を超えているので、
迷いを離れ静寂な心に至る、
ということがロボットにできるだろうか。
でも、
煩悩によって心が波立つ、
ということがロボットには無いのかな。
いずれにしても、
悟りや心や真理など、
人間がそれを把握できれば、ロボットに応用できるかもしれない。
ところで、
アイザック・アシモフの『アイ・ロボット』に、
「証拠」という章があります。
ここに登場する市長選挙の候補者で凄腕弁護士のスティーヴン・バイアリイは、
ものを食べたり飲んだりしているところを、誰からも見られたことがありません。
なので、
彼はロボットではないか、と
対立候補から疑われます。
人間なのか、ロボットなのか?
緊迫した描写が続く。ドキドキです。
高島俊男著『お言葉ですが』9巻の「文ちゃん文ちゃん」
更に詳しくは『お言葉ですが』10巻の「祇園のお多佳さん」と「漱石祇園に病む」
を読んでから。
そして、この文中に、
うなるほどの名文 と書かれている『磯田多佳女のこと』(谷崎潤一郎 著)を読んで、
完全に心を奪われてしまった。
彼女は明治十二年(1879年)生まれ。祇園甲部の芸妓で、お茶屋『大友』の女将。
姉は祇園一力亭の女将おさだ。
場所柄、当時の著名な文人墨客に接し、通人粋人と交わる。
谷崎潤一郎、吉井勇など交流し、
平塚らいてうや鳩山春子と並んで 、著名な女性だった。
中でも有名なのは漱石との関係。
どうも漱石は本気で惚れたらしい。
「春の川を隔てて男女哉」
なんていう句を残している。
歌は池辺義象、俳句は水落露石、画は浅井忠に学び、
地唄端唄が上手なのは当たり前だけれど、
舞よりも三味線が得意だった、とのこと。
お多佳さんは、お姉さんが亡くなった時に、
「紫陽花や 見るみる変わる爪の色」
という句を残しているけれど、アジサイが好きだったらしい。
そして、
お多佳さんに贈られた手向けの歌には、
あじさいの 花に心を 残しけん 人のゆくへも しら川の水 (谷崎潤一郎)
年ごとに 君がこのめる 紫陽花の 花は咲けども 多佳女世になし (吉井 勇)
などがある。
容姿は、
谷崎も画家の津田青楓も、
お多佳さんは色黒で白粉気のない、特に美人というものではない。
と云っているけれど、
女の魅力は十分に聡明であれば、美人不美人にはかかわらぬようである
と高島は書いている。
谷崎の本を片手に、
お多佳さんを偲んで、祇園を歩きたい
というのが今の僕の夢。
思う世界を広げて、全世界全宇宙を想像することもできる。
その中には、
すべてのものが含まれていて、勿論自分もその中にいる。
そして、
その世界を縮めて自分の心の中に、全世界全宇宙がある、
と想像してみる。
すると、
当然のことながら、自分もその中にいる。
つまり、
心が作った中に、自分の肉体が存在しているということになる。
この心は本来、菩提心という清らかで美しいものなのだけれど、
それが自己の心身を形成していると考えて良い。
菩提心が宇宙いっぱいに広がり
宇宙全体がその中にある。
だから、
肉体も菩提心の表現である。
このように、
ものは思いようだから、
心はどのようにでもなるのだけれど、それが難しい時もある。
そういう時は、笑うのもひとつの方法。
言葉は、
少し寝かせてから、書いたり発言するほうがいい。
書く前、しゃべる前に笑う。
かつては笑いあっていたのに、最近はそれを忘れているなら、
笑ってみる。
コンビニのレジでも笑ってみる。
ひとりの時も、
空や海を見ても笑ってみる。無理やりにでも。
それを続けていると、笑うのが普通になる。
すると、
笑顔が、希望や自信や楽観的な思考に結びつき、
いくつかの困難に打ち勝つことができるかもしれない。
https:/
という医学論文を読んで思い出したのが柳沢文正博士の言葉。
唾液に含まれるパロチンなどのホルモンは、血清カルシウムイオンが骨、歯牙に沈着することに影響する。
このカルシウムイオンの多少が、酸性体質とアルカリ体質を分ける、
というのが柳沢博士の主張ですが、
著書『むぎ健康法』のなかで、
「毎日キスをしていると、酸、アルカリ性はキスの方法によっても、また強烈さでも、よくわかるはずである」
と書いています。
唾液がたくさん出ていれば、胃や肌の調子が良くなるけれど、
他人のでも良いのかな。
唾液をたくさん出すには、
昆布や梅干の種をしゃぶるのが効果的。
食事会話以外では、口を閉じる。
また、普段の食事では、
最初のひとくちだけ、30回噛むのがいい。
口に入れる量は少なく。
噛むと
食べ物はより陽性になりますから、
最初のひと口だけでいい。噛みすぎると陽性過多になります。
さて、
望診法では上唇で胃の状態
下唇で大腸の様子を観ます。
上唇が荒れているなら胃が荒れている、
下唇が腫れているなら、大腸が便秘などで腫れている、
など。
健康なら上下の唇は各1センチ程度で同じ厚さ、
色はうすいピンク(桜色)。
陰性過多なら紫に、陽性過多なら赤黒くなります。
下唇が上唇の倍以上厚いのは、お腹の不調が考えられます。
口の幅は、陰性なたんぱく質が多いと広くなり、
胃下垂なら上唇が薄くなります。
大食なら胃腸が大きくなるので、唇も大きい。
胃腸が疲れていると、
つまり唇が汚いと、
不安や悲しみに弱くなり、
丈夫(唇がきれい)なら、
安心感と理解力が高まります。
そして、
心身が陽性なら口は閉じ、
陰性なら口が開きます。
さらに、
婦人科系や肛門の様子は口の周辺に現れます。
座禅瞑想のとき、
呼吸は口でするのか鼻でするのか、
と聞かれることがありますが、以上のことがその答に関係しています。
経済評論家の上念 司が、
あの人は、ロケットマンというより、エリンギに似ている
と言うのを聞いて笑った。
彼の画数をみると、
自分が一番偉いと思っているのだろうな。
まあ、そういう人は多いけれど。
医者と僧侶の名前に多い画数が9と0。
9は心が無く、
0は破滅分裂の香りがする。
アベ・コイケの人相、画数については以前書きました。
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女史は最近、三白が強くなりましたね。あまり良いことではない。
希望の党は39画、民進党は40画。
文屋先生の『姓名判断』(ナツメ社)によると、
39は大物運 。
逆境に陥っても必ずそこから抜け出し、みごと挽回できる力を持った強運の持ち主。
権力や財力を得て、家庭運も良く、健康にも恵まれるでしょう。
ただ、女性には凶運数となります。結婚運が悪く、離婚や死別などを経験するかもしれません。
40は強烈運。
自己主張が強いので、芸術などの特殊な世界では芽を出します。
また、異性間のトラブルが絶えない暗示があります。
虚栄心が強すぎて身動きがとれなくなり、自滅する危険があります。
病弱、短命、孤独の凶運。
運勢に最も関係しているのは食生活です。
それによって健康が作られ、
食べたもので作られた血が脳に流れますから。
次が環境と人間関係。
食べ物が良くても、それが不安定なら効果は出ない。
そして、
楽しいかどうか、笑っているかどうか、
自信と希望があるかどうか、
で変わります。
画数はその次くらいだから、
食が不自然で、
環境と人間関係が不良で、
心が乱れている人には、
大いに関係があるでしょう。
かいーみょう [戒名]
(1)三帰戒を受けて仏門に入った者が授けられる名。
インドでは剃髪出家すれば、もとの姓を棄てて総て<沙門><釈子>を称した。
中国・日本では、出家すると俗称を棄て俗名を改めて法名(法号)を用い、
在家では受戒した者に戒名を授ける。
密教では授菩薩戒法則があって三帰十善戒のほかに菩薩戒を授けるのが特色で、
前行には7日間を要する。
更に、結縁灌頂の際に、投華得仏で選ばれた有縁の尊号に因んで2字の戒名を授けるのが密教での本義である。
とあり、
次に(2)として、
現在の死者につける法号について書かれています。
上の三帰戒は、
仏法僧の三宝に帰依することを誓う戒。
ただし、
これは風習のひとつで、戒名の典拠となる仏典は無い。
僕は在家出身で、生まれた時に親から「祐介」という名をつけられ、
高野山で出家得度の時に師僧から「晃仁」という僧名(戒名、法号)を貰いました。
その後、菩薩戒ほか、262の戒律を授かります。
お葬式は出家授戒作法のひとつなので、
死者を剃髪、授戒し、戒名を授けて仏道修行者とします。
仏教の基本のひとつが戒・定・慧の三学。
戒律が土台となり、心を静かにまとめる座禅瞑想修行をして、仏の智慧を得ます。
だから、
大切なのは戒律と修行。
それが必須で、戒名をもらうだけでは成仏しない。
僕らは生きているので、
精進工夫して成仏する可能性がありますが、
死者はどうでしょうか。
肉体を使う修行はできないけれど、
何か他の方法があるかもしれない。
成仏(悟り)を得る可能性(仏性)は残されているはずだから、
それを祈願する、
というのがお葬式や法事なのでしょう。
日本では昔から実名(名乗り)と通称があります。
実名は訓読みで、めでたい字を使う。
信長(のぶなが)や秀吉(ひでよし)など。
尾張守や太閤殿下が通称になるのかな。
他人がその人を実名で呼ぶことは無い。
名前は大切なのもだから、当人が公文書に署名するときなどに使うのみ。
今の天皇は明仁という名だけれど、他人がその名で呼ぶことはしない。
陛下や殿下と呼ぶ。
武田晴信が実名で、信玄は法名。
上杉景虎が実名で、謙信が戒名。
のように、
戒名(法名)で呼ぶことはあります。
そして、
人の名前を音読するのは敬意を表し、
本人は訓読して音読はしない。
菊池寛は「ひろし」が本名だけれど、「かん」と敬意をもって呼ぶ。
松本清張も「きよはる」さんではなく「せいちょう」。
お寺の子は、
親からもらった名をそのままにして、得度したら音読みすることは多い。
孝雄(たかお)が孝雄(こうゆう)になるなど。
僧名は敬称ということなのだろうか。
そもそも、
戸籍には読みがなは無いから、音でも訓でもどちらでも良いのだけれど。
僧名(戒名)は源氏名である、
と云ったお坊さんがいたけれど、
ニックネームでもハンドルネームでも、
名前を変えると気持ちが変わります。
戒名によって、
修行しようという気持ちになれば、とてもよろしい。
持戒しないのに戒名は不要であり、
戒名があるのは修行すべき人です。
それが成仏への方法。

