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[ 2026/03/15 06:37 | ]
望診の練習
著名人の望診なんて酔狂なことですが、

アベさんの顔は特徴が多いので望診しやすい。
http://shintenan.syoyu.net/%E9%99%B0%E9%99%BD%E7%A0%94%E7%A9%B6%E5%A1%BE/%E5%AE%89%E5%80%8D%E9%A6%96%E7%9B%B8%E3%82%92%E6%9C%9B%E8%A8%BA%E3%81%97%E3%81%A6%E3%81%BF%E3%82%8B

女性はお化粧しているから難しいですね。

ホクロやシミも隠れるので情報が少ない。

眉は書いているのでしょうが、

眉毛がどのように生えているかを観たいので、書いたものでは生理的なことはわからない。

眉と目の間はそれほど広くない 、ここは財産運を観ます。
 
目は左右の大きさが違う、これは陰陽のバランスが調っていないのですね、

眼球が上がっているのは歳のせいでしょうが、色は陽性ですね

鼻梁の勢いは強くないですが、女性ならこんなものでしょう。

姿勢を正しくするともっと良くなる。

小鼻は張っていますが、

鼻の下が狭いので、子どもの縁は薄いかな。

上唇が薄く 、下唇が厚いところで胃腸の状態がわかります。

歯並びで子どものころの食生活がわかるのだけれど、矯正しているかな。

あごは陽性な形す。

耳は形も位置も良いですね。 


全体でみると、首相は米と魚で育った顔ですが、知事さんは肉食かな、たんぱく質が多い。



望診でわかりにくい時は画数を観る。

小池は10画(あ)

池と百で13画(い)

百合子で15画(う)

小と合子で12画

(い)と(あ)の流れは、アクシデントに会うことが多い

(い)と(う)の流れは吉。

全体的にチャレンジタイプで、人間関係は理解されにくいところがある。

根性はあるけれど、本当は引っ込み思案なのかな。
 

ちなみに首相は、

身内に頭痛の種があるとか、

行動的だけれどリスクも伴うとか、
 
ちょっと特殊な画数なのだけれど、

宗教や芸術に進むと良いだろうな。


手相も観てみたいものです。




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[ 2017/06/21 07:50 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
心の探求 5
山に入ってタケノコを伐らないとなあ、

面倒くさいなあ

と思っていたら、

近所のおじさんが収穫してくれ、

さらに、

ウラに積んであった鉄材を、お金になるからと持って帰ってくれた。

おじさんのおかげでずいぶんと気持ちが楽になった。


10年ほど前、

育成会(子ども会)の会長職が輪番で回ってきた。

さらに町内会長の順番も重なって、

大変だねえ、と皆に言われた。

よくよく考えてみれば、大変だと思えば大変だけれど、おもしろいと思えばおもしろい。

事実、その一年は殊の外楽しかった。


 
鉄のフライパンは重いから、軽いものに変えたら料理が楽になったけれど、

料理の味がイマイチである。

鉄の思いフライパンを使いこなせるように自分を鍛えれば良いのである。


心は自分の内側からも、外からの事情でも、ころころと変わる。

なぜなら、

心は本来清浄で無垢だから、その上にはいろいろ清濁が刷り込まれ、

知らず知らずのうちに、それらが湧き起こるから。


心には八乃至十のレベルがあり、

最初の六つが表層意識(眼耳鼻舌身の識と意識)、

次の二つが深層心理。

その一番深いところにある心が本来清浄なのだけれど、

ここに今までにいろいろ録画録音されたものが、

または種子が蒔かれて芽を出すように、

自我として再生される。

ここは、生死を越えて存続し、生を支えているので、

生きている間、常に録画録音され続け、種子は蒔かれている。

意識的に再生されることもあるけれど、無意識のことが多い。

この無意識を超えると、穏やかで静かな仏の心になる。

そうでなくても、録画録音されるものが清浄なものだけならさして問題はない。

けれど、そんなことはありえない。


そんな中から心はいろいろ動く。

つらいことを知らなければ、つらいという心は無いけれど、

つらいことを忘れればつらくない。

つらいことも、つらいだけだと思えばつらさは消える。


心の発動には、

楽天的な悲観的か

自信があるか無いか

知識が豊富かどうか

論理的か感情的か

でずいぶんと違いがある。

心身が陽性か陰性かで、全く違う。



いずれにしても心は大きく広い

過去も未来も、いくら遠方でも自由自在である。

そこに戯論ではなく、真理を。

迷いではなく悟りを

求めるのが修行である。





[ 2017/06/22 09:51 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
心の探求 6:虹と水晶
虹を観ると得した気分になる。

それは見えるけれど、実体は無い。

虹の色は連続しているから七色ではなく、七色と見ているだけ。

僕も同じように実体はなく、自分だ、と見ているだけ。

僕は虹のようなもの。

 



水晶に映るものは、水晶の中にあるように見えるけれど、実際には無い。

世の中のものも同じように、僕の心に映っているだけ。

それは、世の中のものに働きがあるのではなく、

僕そのものの性質の働きで映る。それが心。

心の力によって知覚している、内的なイメージ。

それを、あるがままのもの(仏性)と云い、

本来あるべきもの。

ところが、実際にあるものが、あるべきものになっていないだけ。


その、本来あるべきものは、さまざまな形をとって心に映る。

虹や水晶に写るもののように、そのまま現れるもの。

自分の楽しみのため、他を楽しませるために現れるもの。

何か教えてくれるものに化身してあらわれるもの。

自分の周囲にあるすべてのものに伴って現れるもの。

心には仏性があり、如来蔵なのだから、

すべてものは心の発現であり、仏である、ということになる。

そう考えると、

僕らの心は本来仏であるとともに、身体も仏身である。




[ 2017/06/23 07:53 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
彼は嘘をついている。
前事務次官M氏と官房副長官H氏を望診してみると、

M氏の胃腸(不安)と、H氏の肝臓(不耐)

に特徴があり、

耳と鼻の違いがよく現れている。

全体的には、前者は比較的陰性で、後者は陽性。


名前を観ると、

M氏
天格12
人格15
地格17
外格14
総画29

H氏
天格23
人格11
地格7
外格19
総画30 

いろいろ大変なのだろうなあ。

対人関係を現す外格は両者とも凶数。



もし、手相を観ることができれば、

掌の皮膚が柔らかい、つまり陰性な人は、権力より名誉が好きで、

手の硬い人は陽性なので、保守的で金に執著する傾向がある。

そして、
 
ウソをついている時には手の指が動いている。

さらに、

掌を下に向けていると緊張がある。


人には様々な境遇があるけれど、

画数が良い、身体が丈夫である、財産がある、人相手相が良いなどは、
 
親からもらったものであり、自分で努力して得たものではない。


病弱で貧乏で画数も凶なら、
 
さあ、やってやろうじゃないか、と自分で人生を善くするために努力工夫できるから、

毎日が楽しくなる。
 
未完成で不運と不便があるから、人生の感動やありがたさや真実が見えるはず。


これは嘘ではない。







[ 2017/06/25 15:01 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
優等生
塔婆を頼まれた時に、

おいくらですか?

と聞かれたので、

一基(一本) 3000円です。

と答えて不思議な気持ちになった。


先日、菩提寺の塔婆も3000円だった。

東京や埼玉や徳島の縁あるお寺も3000円。

いろいろサイトを見ると、やはり3000円程度。

30年前、東京の寺で働いていたときも3000円だった。

もちろん、

あの板の仕入れ価格は毎年上昇しています。 

長さによっても値段は違う。


なぜ、3千円なのだろうか。

開眼供養料はどうなっているのだろうか。


まあ、いいか。



下記の本、差し上げます。 

ご希望のかたは、送り先ご住所とお名前を、メールまたはFAXでご連絡ください。
 


『瞑想のヨーガ』 前田行貴 著



『自由への道』 クリシュナムーティ 著



『あるヨギの自叙伝』 パラマハンサ・ヨガナンダ 著



『アーユルヴェーダ』 V.B.アタヴァレー 著



『チャクラ』 C.W.リードピーター 著



メール:gbqmk185@ybb.ne.jp

FAX:0285-35-4901




[ 2017/06/27 13:29 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
意識とは何だろうか 1
2011年10月、

高野山大学でのシンポジウムで、脳科学者の茂木健一郎氏が、

科学者は意識を全く解明できていない、

と話した。

光や音を感じ、だるい疲れた、などと感じる現象を科学的に解釈すると、

脳内にある神経細胞やニューロンが外部刺激に反応していることである。

そこには、

いわゆる意識というものは存在していない。

脳のシステムのどこにも意識は見当たらない。

神経細胞の分子は意識ではない。

意識を持つとはどういうことか、意識は存在しているのか、

これをどう調べていいのか、検討すらつかない。

でも、

私たちは「意識はある」と認識している。



それに対してダライ・ラマ猊下は、

たえず意識と向き合い、検証し、研究史、修行する。

そうして少しづつわかる。

固定観念を持たず、現実に起こっていることをつぶさに観察すること。

そして、部分をつなぎ合わせて全体像を把握する。

意識は、

現実にそう思われるものと、もっと究極的なものがあり、
 
それは何かから生み出されたのでも、消えるものでもない。

始まりも終わりもなく、引き継がれてゆくもの

と云う。



仏教では

心(citta チッタ)
意(mano マノ)
識(vijñāna,ヴィジュニャーナ)

を区別し、

識は対象を認識する心の作用。

たとえば、

眼が対象を認識して「見る」ことが眼識

意識は、

その見たものの色や形を、好き嫌いなどに認識区別する精神作用。
 
見たことを思うこと。


ところで、

因果の法則では、

原因が無いところには結果は生じない。

だから、神の創造とか自然に生まれる、ということは無い。思いも意識も同じ。


不変から結果は生じない。

永遠のものは変化しないから、原因にも結果にもならない。

だから、すべては無常で変化する。思いも意識も同じ。


原因には結果を生み出す素質がある。

だから、無関係のものからは生じない。思いも意識も同じ。


そして、

意識が行為に関係する。

困っている人を見た時に、

その人を救いたいと思う心の働き(意識)が起これば、助けるという行為になり、

その人が嫌いという心の働きがあれば、冷たい態度という行為になるかもしれない。

心によって異なる意識にもとづく行為が、何かの因果になる。




[ 2017/06/29 10:45 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
意識とは何だろうか 2

右利きだった中学生が右足を悪くした後、

キックを左足で蹴るようになったらサッカーがうまくなった。

さらに、それまで苦手だった英語もできるようになった。


右利きだった小学生が、

コーチの指導で左バッターに変えたら、野球が上手くなり、

勉強もできるようになり、テストで学年一番になった。


右利きの高校生が左手でご飯を食べるようになったら、

成績が伸びて学年で一番になった。


これらの事象を、

左を使うことで右脳が刺激された結果である、

という感想を持つのは自由だけれど、あまり意味はない。

なぜなら、

右利きのままでいた場合と比較できないし、

ひとりの結果だけでは、他の理由によるものかもしれない。


そもそも、

右脳と左脳を比べることは不可能に近い。

それを、どのように計測するのか。

右脳と左脳の機能は違うが、有意な個人差はない

というのが現実。


目、耳、鼻、手足、肺、腎臓、生殖器など、左右にあるものの違いは陰陽のみ。

脳も同じ。右脳と左脳の機能には違う部分があるけれど、

どちらが発達しているから、この人はこうだ

というような分類はしても意味がない。


意識は右脳と左脳で異なる動きをしているだろうけれど、

それよりも、

何かを見たり聞いたり感じた時に、

その原因や、そこから起こる結果が事実であるか、妄想であるか、

ウソかホントか、

論理的か感情的か、

科学的知見か通俗か、

それらを意識は了別することができる。

どのようにでもなる、

というのが意識。




 


 


[ 2017/06/29 11:34 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
意識とは何だろうか 3
大乗仏教では、

個々の現象を分析して認識する「識」よりも、

存在全体を把握する「智慧」を重視します。

あの子は可愛い、

と認識するよりも(煩悩)、

あの子も仏性があり、

仏と僕とあの子は平等である(悟り)

と直観することが大切。



眼が色を見る、という眼識や、

耳識・鼻識・舌識・身識を、

意識が判断し、

自我(無意識)が構成され、

阿頼耶識に記録されます。

阿頼耶識に記録されたものは、

常に刺激されて何かの拍子に自我に表れ、意識に上る。

そして、

眼識などの表層にまた現れ、

意識は深層心理と表層心理をつなぎます。

意識は、見る(視覚)聞く(聴覚)と同じく知覚の作用。


これらの識は分別差別迷いの世界であり、

煩悩と煩悩の残りかすなので、

修行によって智慧に変えるのが仏教の立場。


意識は、よくよく分析して見極める智慧になります。


識が智になるのは陰陽五行説にある通り。


識は脳の働き、と考えれば、

神経反射で、身体の各部とつながります。




右脳の異変は右の便秘や左ひざの不調に、
 
右ひざの不調は左側の便秘や左脳に影響します。

ですから、

体調と心理は無関係では無い。


肉体をはじめ、

世の中のモノは心を表現するものです。

その心は識大と云い、一切の智慧を持つ、

というのが密教の考えかたです。


それは、

一切の所依であり、清涼なので悩みの熱を去り、

無知の薪を焼き、煩悩の塵を吹き飛ばす。

すべての分別を離れ、汚れに染まらない。


識が智慧に替わるとは、そういうことです。





※六大陰陽五行色体表の詳細は

拙著『望診法講義録 手相編』


神経反射については

拙著『望診法講義録 宇宙を診る』

をご参照ください。




[ 2017/06/30 10:15 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
富士額
トイレ休憩で立ち寄った店に、懐かしいものがあった。


こういう類の、

確実にまずいものを時々食べたくなるのは、

郷愁とか懐古なのだろうか。



それはさておき、

髪がある頃、

僕は富士額だった。

額は大脳の状態が現れるから、そこを観察すれば、その人の知的レベルがわかる。

狭くて富士額の僕のアタマは弱かった。落ち着きがなく、おしゃべりで協調性もなく、自分中心。


流年法では、

生え際を0歳、眉毛の線を二十歳と観るので、

生まれるときに陽性の力があったことが、富士額の原因かもしれない。

あの形は陽性である。


その後、

剃髪して富士額は見られなくなり、

最近はだんだん禿げ上がってきたから、毛髪が生えても富士額は消え、
 
おでこが広々してきた。

だからと言ってアタマが良くなったわけではない。


ちなみに、右が禿げ上がるのは肝臓、左は胃の疲れ。

身体に表れる症状では、右が陽性な肝臓、左が陰性な胃に関係していると観て良い。




アタマの良し悪しは、額よりも耳に良く現れる。

耳の位置、大きさ、硬さ柔らかさで観る。

日本人は魚を多く食べる民族で、

魚のたんぱくは腎臓に影響し、

腎臓の様子が現れる耳に特徴が出やすい。

魚の陽性を何で消しているかで、体調と脳の状態が変わる。


ある国の指導者が、

富士額で狭いオデコだったことに気がついて、

なるほどなあ、と感じた次第。







[ 2017/07/01 07:07 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
断食と食べすぎは同じことである。
ご飯にはお米と同量の水分があり、

味噌汁・野菜スープと漬物には、水分と陰性なカリウムが多い。

漬物は、

キュウリの塩もみや、トマトに塩とレモンを振ったもので良いのだけれど、

それらは夏の味である酸味。もちろんかんきつ類も。

カリウムも水分も酸味も陰性なので、

余分な塩気を溶かして血液を適度に薄める。

つまり、身体を冷まして血行を良くするので、たくさん食べましょう。

魚の陽性はきゅうりで、卵鶏肉のそれはトマトでよく溶ける。


カンピョウ、高野豆腐、糸昆布、大根、人参の煮物。


乾物と野菜を炊けば、野菜の陰性なカリウムを含んだ水分がたくさん摂れ、

塩気と火の陽性があるのでお腹が冷えない。

夏のお惣菜です。



それはさておき、

摂食、性行動、身を守る攻撃、平衡感覚、呼吸、安定な姿勢を保って歩く、

などは本能的な行動で、心は関係していないように思われます。


また、

見たもの、聞いたこと、肌で感じたものは、

目や耳や皮膚の感覚器が受け止め、大脳へ信号を送る。

そこでも、

「私の心」は何もしていないように見える。


血中のブドウ糖濃度が低下して、その情報が脳へ送られ、摂食中枢がキャッチして、

食べ物を食べるという本能的な行動も同じ。

しかも、

石ころやウンコは食べずに、食べ物であるべきものだけを食べる。


でも、

空腹なのに断食する

満腹なのに食べる

食べるべきではないものを、わざわざ食べる

などは心が行うレベルで、

心が運動神経に電気的信号を送っている。

そして、

心はそれらの行動を記憶する。


心が関わらない本能的な行動に善悪は無いけれど、

心の行動には善悪や 自他の区別がある。


認知、思考、感情、意志、創造なども心の働きで、

それによって脳と身体が反応するのだけれど、

本能的行動と心が関わるものとは、何が違うのだろうか。


前者は自然の制約があり、後者はそれがないから自由。

だから、

心は自由の根本、ということで、

自由があるために自我が起こり、自他を区別する。

迷いと煩悩の始まりである。


もうひとつ大きな問題は、

人間は自己・自我を実体があり不変なものであると自覚していること。

肉体も脳も心も、宇宙も自然も、常に変化する無常なものなのに、

不変で無限な自我を考える。

無常なものが不変なものを考えるとは、おかしなことで、

自我も心も脳が作ったもの。

諸法は無我である。




[ 2017/07/03 16:30 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
生命線
政治家は発言を撤回できるようですが、

学校では先生が、会社では上司が、家庭では親が言ったから、

著名な人や評判の良い人や信用している人の発言だから、

という理由で信じ、場合によっては信じた人の将来を決めることになる。

撤回できるということは、信用するに足りない人たち、ということなのだろうな。

庶民の間では、

一度発言したことが一生ついてまわり、人格を決められてしまうこともある。

あの時、言ったじゃないの!、と。


二世三世でも、政治には素人でも、選挙という関門を通り抜けるのだから、

努力もしないで世襲するよりはマシかもしれないけれど、

政治家の生命線は、洞察して話をする能力だと思うなあ。



それはさておき、 

手相の生命線は消化器の状態が現れます。

短くなるのは陽性

陰性にすれば長くなる。


消化器が不調になれば、生命線に向かって横線が増える。これを障碍線と云う。

縦線は陽性で、横線は陰性の結果です。

だから、

きれいな陰性にすれば生命線は伸び、

お腹の調子がよくなれば横線は消えます。


手相の線で大切なのは、長さや太さよりも色艶。

桜色なら体調が良く、

陽性過多なら黒っぽくなり、

陰性過多なら白くなる。


それから、

親指根本の丘は大腸の状態、

小指舌の丘は小腸の状態、

ここも色艶がよければ、体調がよろしい。


いずれも、

陽性過多なら水分、夏野菜、酸味、辛味をたくさん摂り、運動して発汗し、

陰性過多ならご飯、味噌汁、漬物、おこげをゆっくり食べて、お腹と足を温める。


発言を撤回するようなセンセの生命線は、

どのようになっているのだろうか。




[ 2017/07/04 15:15 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
言葉を唱えることで真実を体得する。
以前に書きましたが、

http://shintenan.syoyu.net/%E7%B1%B3%E3%81%9E%E3%81%86%E3%81%AE%E5%AE%B6/%E6%96%AD%E9%A3%9F%E3%81%A8%E9%A3%9F%E3%81%B9%E3%81%99%E3%81%8E%E3%81%AF%E5%90%8C%E3%81%98%E3%81%93%E3%81%A8%E3%81%A7%E3%81%82%E3%82%8B%E3%80%82

本能的情動的に生きていれば、自然の制約を受けているので心は何もしなくてOK。

心が動くと、それは自由なので、自我が生じます。

自己を認識して、

私、私のもの

などが生まれ、  

自己があれば他者ができます。

そこから愛も憎しみも生まれる。

自己と他者があれば、 

そこにコミュニケーションが生まれ、言葉が発生します。

自由があり言葉がある、という人間の特徴ですね。

本能的な行動でも、

食事や生きるための攻撃、生殖行動などのコミュニーケーションはありますが、

自由意志がある場合、

もっと複雑な関係が生まれます。そこで言葉が必要になる。


言葉によって抽象的概念的なものを持ち、

論理的思考を持ちます。

それが心の内容を伝える。


その言葉は、

すべて如来の説法である、

というのが密教の立場です。

人の言葉はもちろん、

風の音、カエルの鳴き声、みな仏の説法。

耳に届くものだけではなく、

匂いも味も景色もそう。


密教では、

悟りの境涯は言葉で説明することができ、

仏は自ら説法しているな

という立場です。



ドイツ語やフランス語を知らなければ、話されてもわからないけれど、

勉強して慣れれば理解できます。

同じように、

仏の言葉も修練すれば理解できる。


嫌いな人の言葉も、悟りへ導く言葉である。

というようなことは知識では理解できますが、

そのレベルではあまり意味がない。


『声字実相義』には、
 
それ如来の説法は必ず文字による。

文字の所在は六塵(色・声・香・味・触・法)その体なり。

六塵の本は法仏の三密これなり。

いわゆる声字実相とはすなわちこれ法仏平等の三密、衆生本有の曼荼なり

とあり、

さらに、

五大(存在)にみな響あり 十界に言語を具す

六塵ことごとく文字なり 法身はこれ実相なり


つまり、

知らなければただの石ころが、知っていれば宝石であるようなもので、

知っていれば、感じるものが如来の説法として受け止められます。


それを知識だけではなく、心身にしみこませる方法のひとつが、

念誦。

真言を念誦することで、

一切の事物、意識の対象がマンダラや一大経典であり、

仏(真如)の本質と姿と働きである、

と体得できます。



身近に大切でありがたい存在がある。それがなければ生きていけないような存在。

でも、大切でありがたいという知識ではあまり意味はない。

その人の名を呼ぶことで、

その人の真実が身体にしみこむように。




[ 2017/07/09 15:54 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
ネバ信仰


長いもをスライスして酢で洗い、

塩と粉ワサビを振って和え、

お皿に盛ってオクラを載せる。


混ぜればネバネバ。

納豆もよく練ってネバネバになるほどうまい、豆の香りが立つ。

こういう類はネバがうまいので、

それだけあれば、イモやオクラや豆は無くてもいい。

ネバだけでいい。

ネバと醤油で、ご飯を何杯でも食べることができる。
 

このネバは無から生じたのではない。

ネバになる要素から、ちょっとしたきっかけで生じたもの。

僕らの中から仏が出てくるのと同じである。

これを食べてもネバの本性がなくなるわけではなく、

体内で変化して何かになる。

つまり、

ネバに始まりや終わりは無く、

本来不生不滅である。

不生不滅なものはあらゆるものを超越し、

存在そのものが真実である、

という証拠。


東海林さだおが「納豆 ネバこそ命」で、

ネバー ギブ アップ

と云っているのは正しい。



____________________________________

※陰陽研究塾の過去トピックは下記の通りです。


https://groups.google.com/forum/?hl=ja#!forum/inyoukenkyu


 ・カルシウムサプリメントの問題点


・リチウム製剤と躁鬱病


・高血圧の降圧剤を代替する食べ物


・ディスカッション コレステロール降下剤を代替する食べ物


・元気な日中と安らかな夜のための食事


・安倍首相を望診してみる


・痔の治しかた


PM2.5と黄砂について


・夏のお餅


・心臓が左ではなく正中にある理由


・脳と食事


・タバコと甲状腺の関係


・心臓の違和感


・ひじきに含まれる砒素について


・遺伝と病気について


・タバコの陰陽


・病気になる食卓


・心病の治しかた


・極度の貧血、精神病について


・五本指ソックスと認知症の関係


・アトピー、うつ、ガン、認知症の関係


・冬の症状


・インフルエンザに罹るか罹らないかの違い


・睡眠の陰陽


・牛乳がどのように身体に影響するか陰陽で考える


・果物とスィーツ


・病気・健康という妄想


・現代医学が治せる範囲


・結石とピロリ菌の関係


・頭が良い、悪いの違い:脳に関する陰陽的考察


・水素、その他栄養素の陰陽


・発生学から考える内蔵と心の関係


・陰性なものの排毒について


・陰陽の比率を5:1としているのは正しいのだろうか。


・野菜をどれくらい食べれば良いのだろうか


・ビール、発泡酒、ノンアルコールビールの陰陽


・身病の治しかた


・心病の治しかた


・家族友人の様子を手相から知る


・柔らかい食べ物と固い食べ物の違い


・玄米の陰陽


・動物性たんぱく質と植物性たんぱく質の陰陽


・ガンになる組み合わせ


・仲直りの料理 初夏版


・乾燥野菜の陰陽について


・スムージーとスーパードライに共通する問題点


・死相について


・精神を安定させる食事メニュー


・漢字の話


・大事に至らない子育てのコツ


・ガンについて:食養から見た原因と手当てのメニュー

 

[ 2017/07/10 17:30 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
都会の人は肌が汚い
長野、東京、栃木と移動しながら用事をしていますが、

東京が最も暑く、東京の人が最も肌が汚い。

シミや吹き出物が多いですね、老若男女みんな。

田舎では長袖長ズボンでマスクもして、

日焼けや虫を避けるために、肌を隠して仕事をするけれど、

都会は電車でもビルの中でも、みんな薄着で肌が見えるから、汚いのがよくわかる。


皮膚が汚いのは一般的に腎臓の機能低下で、タンパク質の摂りすぎか、怖れが強い 。

望診法では肌のシミや吹き出物の色と形態で陰陽を判断し、

それがある場所の臓器を手当てします。

陰陽に間違いがなければ治すことも簡単。


例えば、


婦人科系に何かあれば人中や頬骨にニキビができ、

便秘なら眉周辺

糖尿なら後頭部

もっとも多いのは、

額や頬に肝斑が出ている。

肝臓が悪いのは、脂肪と薬物と化学物質の過剰 & 運動と発汗の不足です。

そして、イライラしているうちは汚いままでしょう。


それから、


都会の若者は足が長いですね。

足より胴が短いなら、腸も短いはずです。

僕らおっさんのように胴長短足は腸が長いけれど、

彼らは短い。

ということは食べ物、生活法も僕らと違うべきである。

腸に合った生活をしてる人が健康幸運で、そうでない人がそうでないのだろうな。



[ 2017/07/12 07:30 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
温故知新の場所
場所のお陰というものがあります。

自宅より図書館のほうが勉強しやすいし、

喧騒の中より静かな道場のほうが修行に向いている。

話しやすい場所、食べてうまい場所、

心が平安になる場所もある。

達人はどこでも関係なくその力を発揮できるけれど、

凡人には場所の力が大きい。


今月8日は長野県飯田市立石寺で、

地元の長石寺・岩堀秀明住職、中津川の仏師・木村光秀僧正にお手伝いいだき施餓鬼の法会。

立石寺については以前書きましたが、
 http://shintenan.syoyu.net/%E7%9C%9E%E5%A4%A9%E5%BA%B5%E4%BB%8F%E6%95%99%E5%A1%BE%E3%83%BB%E5%AF%86%E6%95%99%E5%A1%BE/%E7%AB%8B%E7%9F%B3%E5%AF%BA%E6%9C%AC%E5%A0%82%E8%AB%B8%E5%B0%8A%E6%84%9A%E8%A6%8B

日本むかし話に出てくるような美しい山村にあります。

 



古い本堂と育ちすぎたくらいの古木。

長い時間が作った何かがたくさんある。

 

自分が幸せになることと、他人の苦しみを抜いて救うことは、

自分の心を知ることで同時に達成できます。

具体的には、

自我への執着と、「もの」への執着を断絶すること。

これによって、

不安と悩みが無くなり、知るべきものを知ることができます。

普段の生活では、とても難しいけれど、

場所の力を借りて体得できるでしょう。


諸行は無常なので、

古いお堂はいつか壊れたり建て直され、

大きな木も枯れたり切られたりするかもしれない。

それによって場所のお蔭も変るだろうな。





[ 2017/07/13 09:04 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
停電時に役立つもの
当地では昔から、この時期に雷が多い。

一昨日は15時半過ぎから雷と豪雨が1時間以上続いて、

尺玉が近くで上がっているようだった。


変電所に落雷して、

16時過ぎから21時まで停電。

九州の被災地に比べれば、たいしたことは無いけれど、蒸し暑かった。

夕飯時だから、みなさん工夫したみたい。


雨が上がり、暑いので外へ出ると、

親戚の家にお風呂を借りに行く高校生や、

ロウソク貸して、というおばさんと会う。

 

さて、

停電時には、

机仕事ならローソクで良いけれど、

動いたり料理するにはヘッドランプ。

両手が使えるので便利。角度を変えられるから、手元を照らせる。

玄関や階段の下には、電池式のセンサーライト。



特に、子どもや年寄りがいるなら必須にしよう。

今回失敗したのは、

携帯電話の充電器に余裕が無かったこと。普段から満タンにしておこう。


停電時、パソコンで仕事中だったので、

いきなり電源が落ちてびっくりした。

普段、定期的にバックアップをとることも大事。




福島で被災して以来、

運転したら帰宅前にガソリンを満タンにする習慣になっている。

あの時、

ガソリンが無くて、とても困ったから。


その他、普段とおなじだけれど、

蚊取り線香、貯め置きの水、地方局のラジオ放送は役に立ちます。


いざという時は、

田舎なので立ちションや薪で火をおこすことができるけれど、

都会はもっと工夫がいるのだろうな。





[ 2017/07/14 07:56 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
ヌルヌル信仰
朝に味噌汁が効果的な理由は、

温かさと塩気とたんぱく質の陽性が胃の蠕動を促すから。

何でも具になる味噌汁だけれど、

なめこ、シメジ、エノキ、ネギ、サトイモ、豆腐など、

ヌルヌルしたり、ヌルヌルにできるものがうまい。

それらは陰性なので、陽性な味噌に合う、ということ。

ヌルヌルはアクの一種であり、成分はマグネシウム。

マグネシウムは身体に必要な元素だけれど、

陰陽で見れば中間の元素。


そして、

マグネシウムとカルシウムは、

陽性なナトリウムと陰性なカリウムの関係と同じ働きをする。

でも、その陰陽差は小さいから、判断が難しいかな。


マグネシウムは体内でアルカリを作る元素で、カルシウムとリンとに深く関わる。

また、

マグネシウムは色欲と関係がありそうで、

精子を放出させるためにはマグネシウムが必要。要するに強精剤ですな。

だから、

助平はヌルヌルを好むかもしれない。

体内では、

マグネシウムが増えるとリンも増加する。

リンとカルシウムは逆相関関係なので、

リンが増えればカルシウムが減り、身体は酸性化する。
(カルシウムと比べて、リンの比率が高いほど身体を酸性にするけれど、
もちろん、酸アルカリで酸性になるということではない)

このリンとカルシムは両方とも陰性なので、これだけでは健康につながらない。

陽性なナトリウム、炭素、水素が必要(つまり、塩気、カロリー(火)、水)

なので、

ヌルヌルが多いと身体が酸化して力が出るけれど、

カルシウムと一緒に摂らなければ細胞が老化する。

玄米菜食者に肌が汚れて身体が硬い(つまり老化している)傾向があるのは、
 
玄米にはマグネシウムが多く、

副食にカルシウムが少ないからだろうな。


いずれにしても、

マグネシウムの多いもの(アクのあるもの)はうまいのである。




[ 2017/07/15 07:27 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
あの国は大丈夫なのだろうか
学問は国の柱になるものです。

自然科学はもちろん、

政治や経済も、文学や芸術も。

それを体制側の都合で、

何年もの間、学者を葬り続けてきた国に未来はない。

かの国でも日本でもどこでも、

学問をする学生、学者を僕は心から応援しています。 


身体も心も、

何もかもが

なぜ存在しているのかを分析してみると、 

すべてが本来不生不滅であることがわかります。

例えば、

モノが何で構成されているかと探してみれば、

元素である。

その元素は素粒子からできており、

その素粒子は、と探ると何か大本が見つかる、ということにはならない。

 密教では、

真空妙有と云い、

万法の根源は本来有るものである、

とします。


もし、


何か根本的な大本になる存在があるとしたら、

それが縁から生じたと云えないし、

神が創造したなどの、自然に生まれた、とも言えない。

それらの意見は遍計所執(へんげしょしゅう)と云って、

概念的に実体があるように妄想されたものです。


このように、

存在を肯定して、生まれたものでも滅するものでもない、

という思惟は、

自分の心を知ろうと勉強修行し、

自分以外の心にも寄り添うようにして、

自他の心の平安を求めようと実生活で工夫することで得られる智慧です。

これは、 実のごとく自分の心を知ることになる。

それを、仏教では悟りと云います。


どんな思想も宗教も、

過去の歴史も、

すべて本来有るものです。

抹殺してはいけない。




_____________________________


僕もあなたも、草も石ころも、

存在は真如です。

宇宙法界は地水火風空識の入れ物で、

地水火風空は識を表現するもの

というのが密教の考えかた。


『大日経』具縁品には、

我覚本不生 出過語言道 諸過得解脱 遠離於因縁 知空等虚空

とある。



[ 2017/07/16 06:58 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
檀家とファンクラブ
東京の7月盆が過ぎましたが、お天気続きでした。

8月のお盆は長野と徳島で拝みます。

暑いですが、暑いだけのことですから、毎日楽しく過ごしましょう。


さて、

田舎の小さな寺とご縁ができて、関係者といろいろ話をしています。

山村で檀家は少ない。

少し前に、

檀家のお子さん夫婦が創価学会に入信して、

お父さんたちもそれに従ったので檀家を離れた、

とのこと。

まあ、信仰は自由ですからかまわないけれど、この寺は檀家になるのも辞めるのも、出入り自由。

ああ、そうですか、という感じ。


僕は今までのご縁で、御祈祷ご回向を続けている人がいますが、

何人かがその寺の檀家に入れてくれ、と云ってくれます。

はいはい、どうぞ、

という感じ。


檀家とは檀那(旦那)の家で

旦那とはサンスクリット語・ダーナ(dāna)で、意味は施しをする人。

布施ですね。

旦那さんとは施しをする人。




現代日本は資本主義で、何でも値段と質を自由に選べます。

安いところから買う、

とか、

クオリティが高いから使う

など、自分で選ぶ。

 
檀家制度もそのようにすれば良いのですが、そうもいかない事情がいろいろあるようです。


お釈迦さんもお大師さんも、

その人柄が素晴らしいからファンが集まり、応援してくれました。

お寺やお坊さんも、

制度的なものではなく、心の交流でお付き合いする関係があります。

人が集まり、みんなで勉強修行して、

悟りを求めて楽しく暮らせるようなファンクラブ的関係。


でも、

ファンクラブなら、

会員限定サイン入りグッズとか、

握手会とか、

外に何が必要になるのかな。

 

[ 2017/07/17 06:43 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
Is this the life we really want?
73歳のロジャー・ウォータースが25年ぶりに出したアルバムを聴いています。



ピンク・フロイド時代から、ロジャーはいつも怒っている。

怒りは救いようのない煩悩なのだけれど、

大欲があれば、それは悟りの手段に変わります。

怒りという識が、救済の方便になる。


それは個人的な煩悩ではなく、大きな怒り。

ロジャーは、

戦争や社会の不平等や政治の腐敗や、そういうものに対して怒っている。

その怒りは荘厳で美しい。 


きわめて密教的な尊格である十一面観音には、暴悪大咲面があります。

怒りながら笑う顔。

怒りがあっても、それにとらわれない、余裕がある怒り。


『理趣経』には、

微笑而怒頻眉猛視 

金剛忿怒大咲心

など、

微笑しながら怒る、という表現があります。

この怒りは善悪を超越しているから、

困った心を怒りによって悟りへ引きづりこむ力がある。

真っ暗な怒りではなく、光明のある怒り。

自分の好き嫌いではなく、

苦しんでいる人を救いたいと願う怒り。


でもねえ、

毎日暑いから、

怒るのは面倒くさい。


それに、

怒るのは陽性過多です。

それを消せばいい。


陽性な夏に、陽性な症状が出るなら、

それは、ずいぶんバランスが悪いのだろうな。








[ 2017/07/18 05:59 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
願いをかなえる
揚げ油が余ったので、

高野とゴボウを素揚げして残り油を無くし、生姜と煮込む。



ビシソワーズを作りすぎたので、カレーに変身させる。




このようなリサイクル料理は 、

迷いを智慧に、

煩悩を覚りに変えることと似ている。

心をリサイクルするのが転迷開悟のひとつ。


それはさておき、

昔の戦争は領土領地を広げるためだったのに、最近はただの人殺しになっていますね。 

そんな戦争を、たぶん儲かるからか、やりたい人がいて、

平和な世の中を願う人もいる。


これは、

商売繁盛や合格祈願などと似ています。

こちらが儲かれば、どこかで儲からない人がいて、

僕が合格すれば、誰かが不合格になる。

ということは、

 他人の失敗や損失を願うことになります。

全員がお金持ちにはなれず、

全員が合格できないように、

戦争を無くして平和になることは難しい。

なぜなら、

これらは両立不可能、且つ二者択一不可避だから。

これは津田真一博士が、

『大日経』と『金剛頂経』の関係について使う言葉です。

こういう類の願いは、

そのためにうーんと努力して、

かなわなければそれまでのこと、

と思うべきかもしれない。


でも、

自分の心身に関する願いは、努力工夫すれば必ずかないます。

宗教、特に仏教は身病と心病を治すもので、

初期仏教では、

「身心の一切について無常の事実を知り、自分の心身を厭う思いを起こし、心身のうえに起こす喜や貪の心を価値のないものと斥ける」

などの修行によって病を治すとしています。


身病については、律蔵の経典や『金光明最勝王経』に見られ、

心病の治しかたは、

『三昧耶戒序』や『十住心論』に詳しい。

仏教が得意とするのは、

栄養学、薬物学、断食を含む食事療法、精神身体医学などと、

ヨーガ経典にもとづく坐法、調息、保息、凝念、静慮、自律訓練法

ですが、

特に、心病の根本原因は根源的な無知なので、

それを消せば、心の平和を得ることができます。


具体的には、

自分にとって最良の道を求める瞑想

やさしさと思いやりを育てる慈悲の瞑想

自分の心を実の如く知る瞑想

の三つ。


心の平和がかなえば、苦しみ、迷い、悩みといった心の病気は改善し、

常に楽観的積極的で明るい思考になり、

もし、ひとりでも多くの人がそうなれば、

戦争がなくなり、世界が平和になる可能性はあります。




[ 2017/07/19 10:02 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
裏の山でオニムシ捕りをしていたら、らいさまが来た。
夏は舌の働きが良くなります。 

舌は先端が心臓、小腸とつながっている。手の小指と同じですね。

その奥が胃、だからそこで甘味を感じる。

そのまた奥が腎臓で、咽喉に近いところが食道

両側が肝臓。

内臓が陰性になれば舌は白く、陽性なら赤くなります。

さらに、

夏は自我が刺激される時期です。

自我は自他を差別する煩悩ですが、

あらゆるものを隔てなく平等に観るトレーニングによって、智慧に転換されます。



それはさておき、

昨日も裏の山で竹刈りをしましたが、

都会の人に話すと、実際とは違うイメージを持つみたい。

裏(うら)は隣(となり)のことです。

裏の家と云えば、隣の家。


山は森のこと。

mountain ではなく、 forest またはwoods

これって、栃木弁なのかしら。


「オニムシ」はクワガタ虫のことで、

「らいさま」が雷なのは、当地の方言だろうけれど。


こちらで雷が多いことは以前に書きましたが、

神さまのひとつと思われているのかもしれない。


暑くなると、特にお年寄りは、

あぁー、こわい、こわい。

とよく言います。

これは、

疲れた

という意味。


若い人も使うのが「だいじ」

何か具合が悪そうな友達や、トラブルに遭ったときに、

だいじ?

と聞きます。

大丈夫?

ということです。「大事」ではない。


棚経でご自宅へ伺うと、

「こわい」と「だいじ」をよく聞きます。

 

[ 2017/07/20 14:12 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
心を涼しくする
夏は暑くて発汗しますから、大いに排毒します。

大小便や呼吸でも排毒されますが、

汗は陽性(新しい塩気)を排泄します、古いものはお小水で。

さらに、

汗は便で出にくい化学的な物質も排泄します。


そして、

陰性なカリウムの多い夏野菜や麦、果物を「たくさん」摂ることで、

排毒は促されます。

だから、汗やおしっこを制限してはいけないし、

陽性なものが多いと、それが阻害されてしまいます。

陰性なものが多くて、陽性が少ないほど、涼しい夏になる。


食べ物で陰陽のバランスをとるなら、

ゆで卵1個でトマト(大)1個

焼肉100グラムなら、玉ねぎ1個+ジャガイモ1個

マグロ赤身100gに大根100gくらい。

もちろん、水分、香辛料、フルーツなどの陰性と合わせれば、もっと少なくてもいい。


それはさておき、

早起きして涼しいうちに用事をすれば気分が良い。

真如(仏)は、

自然界のすべてで表現されているから、

鳥の声も風の音も仏の説法。

涼しい朝なら、

それをゆっくり聞く余裕が生まれます。

自分自身も、等流法身(とうるほっしん)という仏です。

仏にともなる身、ということ。


それを認識する方法のひとつは、

昨日のこと、昨夜みた夢のこと、今日の予定などを、

よくよく考えること。

いろいろなことを考え思う心の集合体が自分です。

そして、

自分の心で思い感じることを、それぞれの段階において確認します。

ああ、あれでよかった、

または、

次はもっと良くしよう、ちょっと改善しよう

などと。

都合の悪いことや嫌なことも、無かったことにしないで、全部の心をチェックします。

すると、

現在与えられている人生が、必須のものとわかります。

できるならば、

その人生を完全に生きようと、

または、

人生の目的が自他の平安のためにある

などと、自分の存在を自覚できるようになれば、

心はずいぶんと清々しくなります。




[ 2017/07/22 06:31 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
月に坐る
大暑の今日は旧六月朔、新月ですね。


『菩提心論』に「月の十六分」段があります。

「すべての生物無生物の心の中には、

一分(ごくわずか)の清らかな性質がある。

この一分がだんだん発展すれば円満な月の形になる。

だから、

その初めの一分の中に、既に自分の悟りと他人を救う道が備わっている。

月のように、もし太陽と出会った晦日には、その日光のために明るさが現れないけれど、

新しい月の一日から日々に光を加え、十五日に至って円満で迷いの無いものとなる」

 

月が雲に隠れることがあるように、

光り輝く心も、迷い悩み怒り貪り慢心などで隠れています。

これは、

心は本来生まれつき清浄である、

という自性清浄の立場(仏教すべてがそうでは無い)ですが、

それは、現実には汚れている、ということです。

で、

その汚れを取り除こうとするのか、雲を払って月を見ようとするのか。

煩悩を取り除くのはとてもむずかしい。

それよりも、

煩悩の向こう側にある光を見ることは比較的簡単です。煩悩迷いはどうでもいい。

だから、

雲(煩悩)に関心を持つのではなく、

その向こうにある月(光り輝く心)に興味を持てばよい。

 
恩師・田中先生は、
 
密教は月を見るより、月に坐る教えである、

と云っていました。

 

月(僕らが本来持っている仏の性質)に坐る

そうすれば雲(煩悩)は邪魔にならない。



そのために、

僕らには仏性があるという希望を持つ、

それが現れなくても投げ出さない。

そして、

相手の仏性をも信じる。


 


[ 2017/07/23 16:11 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]



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