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[ 2026/03/15 10:19 | ]
知らなかったことばかり


○○の鍵はどれ?

と母に聞いたら、

タヌキのキーホルダーがついているもの

と云う。

それはドラえもんだった。

ずっとタヌキだと思っていたらしい。



『言葉の煎じ薬」(呉智英)には知らないことがたくさんあった。

「行く」の読みは「いく」ではなく「ゆく」

子どもの行く末、行方不明、行く年来る年、だものね。

「可愛い」の読みも「かわゆい」

古語の「かはゆし」(顔映ゆし)だから。



車の走行距離が10万キロ近くになり、

修理工場でタイミングベルトを交換してもらおうとしたら、

しなくて良い、とのこと。

最近の車は、

エンジン内の金属チェーンで交換不要なんですね、知らなかった。



犬やネコが見る世界はモノクロ、

とは、子どものころに得た知識だったけれど、

そうではないようですね。ちゃんと色を識別している。

人間とはちょっと違うみたいだけれど。

これは獣医さんに教えてもらった。


 ちなみに、

陰性になると色の識別が鈍感になり、

陽性なら敏感になります。

カラーの夢を見るのは陽性症状、ということ。



男女の産み分けを、

食養では夫婦(精子と卵子)の陰陽を調整すれば可能と考えますが、

長野県・村上医博の、体位による産み分けは知らなかった。

卵の附着する場所による、とのこと。

 

「新潟医誌」で見つけた、

静電気と血液についての研究も意外だった。

化学繊維を着たときに発生する静電気で、

血清カルシウムイオンが増加する、

つまり、血液がサラサラ、キレイになるということ。



『三教指帰』はお大師さんの著作ではない、

という発表には驚いた。

三筆のひとりであるお大師さんの文字を、

書家や研究者が追った結果。

論文はこのあたりに⇒
https://otani.repo.nii.ac.jp/?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_detail&item_id=4094&item_no=1&page_id=13&block_id=21


もうひとつ、ビックリかつ興奮したのは、

お大師さんは讃岐の生まれではなく、

畿内の河内あたりの出身である、

ということ。

武内孝善先生はじめ、研究者の間で活発になっている議論だけれど、

何でもできたお大師さんの行状を考えれば、

大阪出身で納得できることが多い。

でも、

空海生誕地を看板にしている善通寺などは困るだろうなあ。



僕は事実を知りたいから、

そうではないかもしれない、

なぜだろうか、

ほんとうにそうだろうか、

という姿勢を常に持ちたいものです。



これからも、

知らないことがたくさん出てくるだろうから、

毎日が楽しみでございます。




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[ 2017/12/18 07:33 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
拒絶は承諾より難しい
 冬は脂味の季節ですが、

旬の大根と白菜もうまい。





大根おろしの辛味で脂肪を、

白菜漬けの酸味でたんぱく質を、

それぞれ溶かせば陽性が消えて、脂味もより滋養になる。


それはさておき、

オリエント急行車中で、

数時間後に殺されるラチェットの護衛依頼を、

エルキュール・ポワロは拒絶します。


難しいですよね、拒絶は。

承諾は比較的簡単で、精神的な苦痛も少ない。

何かを依頼されれば、

はい、どうぞ

僕でよろしければ

おまかせください

迷惑なんてとんでもない

よろこんでお引き受けます

と言える。


でも、

人生には拒絶したいことが多い。

飲みたくない

行きたくない

やりたくない

休みたくない
 
特に食事、

食べたくないときがある。

食欲がない、体調が不良、食べる気分ではない、

食べ物の好き嫌いもある。

食べたいものをご馳走するのは、おもてなしだけれど、

食べたくない人に食べさせるのは気の毒である。


食事はいりません、

と断っても、

まあまあ、そんなこと言わずに

となってしまう。

善意、思いやり、気遣いなのだろうけれど。


今は、

ここでは、

これは、

食べたくない、ということがある。


そして、

なぜ断るのかと聞かれたら、

イヤダカライヤダ

と百鬼園先生みたいに言いたい。

言えないけれど。

僕も、

断られた時の悲しさを知っているから。





※望診法講座のおしらせ

2018年1月14日(日)横浜市「Umiのいえ」
https://coubic.com/wanooteate/264909




※年間祈祷ご案内
http://shintenan.syoyu.net/%E7%9C%9E%E5%A4%A9%E5%BA%B5%E4%BB%8F%E6%95%99%E5%A1%BE%E3%83%BB%E5%AF%86%E6%95%99%E5%A1%BE/%E5%B9%B4%E9%96%93%E7%A5%88%E7%A5%B7%E3%81%AE%E3%81%94%E6%A1%88%E5%86%85




※精進おせちのレシピ ご案内
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※食養相談・健康相談の「穀菜食の舎」ご案内
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[ 2017/12/27 10:32 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
ニャンニャンニャン

言葉が無ければ何も表現できず伝わらないけれど、

言葉は限定的で偏ってるから、

真理とか実相というような本質を表すことは難しい。

世間では、

言霊などと、その中に不思議な力を妄想したり、

言わなくても伝わる、

言わないと分からない、

などいろいろな捉えかたがあります。


仏教でも、

存在の真実、人生の本質、悟りなどは言葉で表せない、というグループと、

如来はあらゆる言葉でそれを表現している

という立場があります。

凡人から悟りの世界を目指すのと、

悟りの境界から振り返るのとでは景色が違うけれど、

言葉も同じ。

例えば、


僕を言葉によって説明すると、

中肉中背で剃髪、顔に特徴は無く、

性格はひねくれており、友人はいない。

何を考えているのか分からず、自分中心で、

極めてイヤなやつである。


これらは僕のすべて、本質を説明できているのかどうかはわからない。

でも、

僕からの言葉で理解する という方法では、

僕はニャンニャンニャンである、

と云えばよい。

 ニャンニャンニャンは、

僕の本体、色、形、動き、働きを表す言葉。

これなら、

僕を表す言葉として間違いは無い。

ニャンニャンニャンは僕そのものであるから。

このような言葉を秘密語、真実語と云います。

言葉は耳で聴くものだけれど、

それ以外の香りや色や味などでも、秘密と真実は表されています。

言葉に出さなくても、

微笑むだけで、

手をつなぐだけで、

じっと瞑想するだけで、

食べるだけで、

真意が伝わり、心が開放されるように。

これらの「感じること」も言葉のひとつ。


このような立場なら、

言葉を持たない真理は存在せず、

あらゆるものは、言葉を通してその真実本質を現している。

存在は言葉である、

と云えるでしょう。


このように、

悟りの境界を、

如来は言葉によって開示しています。

この言葉によって、修行が進む。

当然のことながら、

悟りからの言葉を受け取れるかどうかは、

その人の資量によります。

医者は雑草の中から薬草を見つけ、

達人は石ころから宝石を探すように、

勉強とトレーニングを重ねている人には、

無駄なものは見当たらないから。




世の中では、

恵めれた境遇の人だけが成功して幸せになるわけではありません。

めぐまれず、悩まされ、だから求め、祈り、ようやく向上し、悟りを開くことで、

好ましくないと思っていたところに、

仏の言葉があることを知ります。


そして、

喜び、自由、幸いが訪れ、

キライなモノにもすべてに価値を認められるようになる。

だから、

ニャンニャンニャン。



[ 2017/12/28 08:00 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
感得


あけましておめでとうございます。

    本年もよろしくお願いいたします。


『ビッグイシュー』第276号(2015年12月1日発行)に、

ダライ・ラマのインタヴューが載っています。

「平和は祈っても訪れません。平和は私たちの行動によって訪れるのです」

「現実の変化は行動によって起きます。望みや祈りによってではなく。

神にもし会えたら、神はこういうでしょう。

『困ったことが起きている?お前たちが始めたのだろう。自分で解決しなければならない!

私は思いやりのある人間をつくったのだから!』


そして、

「基本的な人間性は思いやりです。子どもたちの素直な反応を見ればわかります。

親が子どもに否定的な顔を見せると、彼らは脅えるでしょう。

ほほ笑みこそ、子どもたちが大好きなもの!」

「子どもは人の宗教や国籍、家柄なんて気にかけません。

今の私たちは子どもたちの心に、お金のほうが大事、力のほうが大事、宗教の違いや信仰のほう

が大事だと植えつけています。」


「感情について学ぶことです。心は宗教的な問題ではなく、幼稚園から大学までアカデミックな

テーマとしてとらえるべきなのです。

私たちが今試みれば、21世紀の世代は今とは違う世界を目にできるかもしれません」



弘法大師の願文を読むと、

自分も拝むけれど、あなたがた自身も威儀を正して生活しなさい。

そして、一緒に成就のために拝もう

というもので、

これが祈祷で、基本は思いやりです。


何か困った時、悩んだ時に、

神仏の声が聞こえ、

そして、

進むべき道を指南してくれるかもしれない。

その時、

神仏は対象化され、自分の向こう側にいます。

しかし、

いよいよという場面、どうしようもない状況になると、

神仏の声は聞こえず、何もしてくれないでしょう。

自らの中に、神仏を感得しない限り。


お大師さんは、

奈良の久米寺で『大日経』を感得した、

とされています。

見つけた、のではなく感得という言葉を使います。

出会うこと。

これは行動しなければ経験できない。

例えば、

本を読むだけではなく、何か行動実践を積み重ねながら読む、

すると、文章の中にある肝心要のものに対面する。



思いやりと、それに基づく行動によって、

大切なものを感得する、

祈りはその入り口になるかもしれない。








[ 2018/01/04 14:38 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
特別な日
正月は食後に餅を食べる。

今日も、

食後に母がストーブの上で餅を焼くので、

大根おろしにからめて食べる。


年末年始の仕事を減らすために、

もちを大量に搗くのだけれど、

もちを食べれば正月気分になるのだけれど、

こんなに食べても大丈夫だろうか、

と毎年思いながら食べて、

毎年大丈夫だから大丈夫なのだろう。

とにかく、

少なくとも松の内は特別な日々、正月は特別な月である。


記念日誕生日、お節供お祭り、入学式卒業式、冠婚葬祭、

初めての日、最後の日、

特別な日は少なくない。

そうして特別な日が増えれば、

毎日が特別になる。

これらの日は、

旬を味わい、衣食住を改め、

心をあらたにして、襟を正して生きよう、

という節目になるから大切である。

しかし、

 特別な日でも、苦しいことや悩むことがあるかもしれない。

それは、

自分が至らなく、努力が足らない、勉強不足が原因であるのだけれど、

それを社会や環境や誰かのせいにすることもできる。

こんなことになるなんて、

神も仏もあったものか、と思うこともできるし、

これが神意仏意であるとも云える。


僕が坊主になった時に、

お蔭の無いのがお蔭である

と教わった。

それは戒めであり、仏のサインである、と。



ちゃんと受けているのに本人が気がつかないことがあるだけで、

おかげは必ずある

疑いを持ってはいけない

自分が至らないだけのことなんだ

と覚鑁さんの『末代真言行者用心』にもある。



仏の世界をマンダラと云う。

道範上人 は、

苦しみは胎蔵マンダラ(慈悲の世界)と云う。



苦しみや悩み、人生の荷物は、

それを経験してきたという実績になり、

それがあるから今の自分がある。



僕にとって、

今日は特別な日だった。


[ 2018/01/05 17:43 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
子どもの将来予測・心、姓、頭脳
本文を読むにはこちらからパスワードを入力してください。

[ 2018/01/09 11:51 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
とは言ふもののお前ではなし
近くにスケートセンターがあることに気がつき、

過日午後、時間が出来たので2時間ほどひたすら滑ってきた。

滑走料750円、貸靴310円也。


仕事の合間に時間ができて、

近くにバッティングセンターがあれば、

左右両打席でひたすら打つ。約100球くらいで、1000円から1500円程度。


2時間、確実に余裕があればボウリング場もいい。

50歳以上はシニア料金もあるけれど、

投げ放題で2000円以内、午前中ならもっと安い。

6ゲームくらいひたすら投げると気分転換にすこぶるよろしい。

1ゲームは約15分くらいである。



ところで、

いっぱいやりましょう

とか

飲みに行きましょう

と言われると、以前は嬉しくて小躍りしたものですが、

最近は何だか面倒くさくて行きたくないことが多い。

それよりも

ボーリングやバッティングセンター やスケートに行きましょう、

と誘われれば、なるべく行きたい。

お酒を飲むより、

一緒に身体を動かして交流するほうが楽しくて気分が良い。

バレーボールでもキャッチボールでもいい。


酒はなるべく、ひとりでこっそりと飲みたい。

飲みたいペースが出来上がっているから、

酌をされると酒がまずくなるような気がする。

それに、

酒を飲むと、普段隠している僕の内面が出てきてしまう。

つまり、

酒を一緒に飲むというのは、裸を見せ合うようなもので、

僕は他人に裸を見せる趣味は無い。


いずれにしても、

ひたすら投げたり打ったり滑ったり、

同じことを淡々と続けることは、

心を調えるにも役立つ。




[ 2018/01/20 10:13 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
白黒つけない

白米3:もち米1の割合で、

洗ったらざるにあげて充分に水を切り、

お米を計ったカップで、正しく同じ分量の水を入れ、

炊飯器なら早炊きモードで炊くと、

おこわのように仕上がります。

もち米は消化が良くないので、

けんちん汁など野菜の多いものを添えます。




それはさておき、

世の中は僕の思いとは関係なく淡々と進んでいるから、

いろいろ思い悩まなくても、


身体の健康に留意し、

心に智慧と慈悲を持つようにすれば、

何があっても適切に対応できます。

そうして初めて、

なるようになる。だから大丈夫。


でも、

世の中には白黒決着がつかない中途半端なことが多くあります。

白黒つけたほうがすっきりするのだけれど、

あいまいでグレーなことや気持ちになることがあり、

それが続いていく状況は耐えきれないことがある。

だから、

子どもなどは、えいやー、と思い切ったことをしてしまう。

我慢できずに攻撃することもある。


グレーな状態を耐え忍ぶことは、心の鍛錬に最もよろしい。

はっきりしない社会や自分の心に耐えられるのが

大人。



[ 2018/01/21 07:59 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
江戸っ子
冷蔵庫に豆板醤が残っていたので、

昨年仕込んだ味噌を混ぜ、

ゆでた野菜に添える。



それはさておき、

過日、池袋演芸場の中席へ。

落語に出てくる江戸っ子は気が短くてちゃきちゃき。

火事とケンカが好きで、おっちょこちょい。

ということはかなり陽性。

江戸前の小さな魚を食べているだから陽性になるのは当然。

「時そば」では、

割り箸、どんぶりをほめた後、

つゆにカツオブシをいっぱい使ってるね。大したもんだ。

とほめる。

江戸では昆布出汁と割らないようで、

魚の出汁は食べ物の中で最も陽性なもののひとつ。

さらに、

麺は細くなくちゃだめだ。うどんのように太いそばは嫌だね

と。

細いのも陽性。

さらに、

金勘定の途中で

今、なんどきだい?

なんて聞くのはかなり陽性な躁状態である。


数年前、

習志野文化会館で小三治の時そばを聴いた。

うなるほどの高座だった。

特にソバをすする音がすばらしい。 

ひと口目の音、

どんぶりが半分になった頃の音

最後の音

みな違って目に浮かぶ。

今回は、

花緑が時そばを演じた 。


トリは小三治

さすが人間国宝で、舞台にいてくれるだけで感動する雰囲気がある。

いつもどおり長いマクラの後、

演目は「粗忽長屋」

粗忽も陽性ですね。


充分に満足して、

妻とソバを食べてから帰宅。



[ 2018/01/21 10:40 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
転迷開悟の一方法
次男が福島の中学から栃木の高専へ受験する前日、

関東地方に大雪の警報が出ていた。

僕らは日常だけれど、関東ではたいへんだろうなあ、

念のため一日早く行こう、

と学校に近い祖父母の家に泊まる。

翌々日の試験中、

妻と僕は墓参りに行き、

広い墓地から雪景色を眺めた。

昨夜はその日以来の大雪。



みなさま、気をつけてお過ごしください。



それはさておき、


欲望煩悩はエネルギーだから

それを上手にコントロールできる人は、

成功し健康で大往生できるけれど、

制御できないと暴走し、人に迷惑をかけることがある。

でも、

そのような煩悩から如来は発生している、

と密教では考えています。

それが煩悩即菩提なのだけれど、

貪りや怒りや無知を取り除けば仏になる、

ということではなく、

そのままで努力精進工夫することで、

煩悩を原動力として仏になる、悟り、しあわせになる、

ということ。

好き勝手にすればよいものではない。



さて、

かような迷い、悩み、苦しみ、煩悩の中にいる時、

そこに居続けるとわからないことばかりなので、

一旦外へ出てみる。

すると、

冷静かつ客観的になり、解決策が見つかる。

笑い飛ばすことも、

まあ、いいか、

と思うこともできる。


そのような工夫があります。



[ 2018/01/23 11:50 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
ある日突然
寒行の季節。

日国には、

寒の三十日間、寒さを耐えしのんで行う修行。寒垢離、寒念仏、寒参りなど。

とある。

節分までの行ですね、翌日立春が寒明け。


僕は毎年、この時期に寒行のお札が届くので、寒行ということにしていますが、

やっていることは普段と同じ、ただ寒いだけ。

寒いとロウソクに火がつきにくく、

手がかじかみ、耳が痛い。

でも、

身体のことはすぐに忘れる。

問題は心で、

いつまでも波立っている。


吐息が白く、それが香煙と交わる。

そうして、

息が空気に相応するように、

心が仏に溶けてゆく。



物事の理解や体得には種類があり、

勉強などは、

積み重ねることで少しづつ分かる。

瞑想などの実践的なものは、

長い時間をかけてもほとんど前進せず、

しかし、ある日突然、ポンと分かる。


先日、

あるプロ野球投手にその話をしたら、

僕もそうですよ、

ある日スッと指に感じようになる。

練習を続けていると、急にそういう時がくる、

と云う。


何かがある日突然 現れた時、

ちょっと感動する。




※寒行の祈祷札あります。


※身病心病の望診法、食養法、瞑想法(心のコントロール)については、

ご本人が直接ご連絡ください。

個別にご返事します。





[ 2018/01/26 10:18 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
小鍋だて
「この夜、はじめて私は小鍋だてを見たのだった。

底の浅い小鍋へ出汁を張り、浅蜊と白菜をざっと煮ては、小皿へ取り、柚子をかけて食べる。

小鍋ゆえ、火の通りも早く、つぎ足す出汁もたちまちに熱くなる。

これが小鍋だてのよいところだ。

「小鍋だてはねえ、二種類か、せいぜい三種類。あんまり、ごたごた入れたらどうしようもない」

と、三井さんはいった。

・・・・・

三井さんのは、平たい笊の上へ好きなだけ魚介や野菜を盛り、それを煮ては食べ、食べては煮る。

(いいものだな・・・・・)

つくづく、そうおもった。

・・・・

「こんなものは、若い人がするものじゃあない」

苦笑して、強いてすすめようとはしなかった。

ところが、四十前後になると、私は冬の小鍋だてが、何よりたのしみになってきた。

五十をこえたいまでは、あのころの三井さんのたのしみが、ほんとうにわかるおもいがしている。」

(池波正太郎  『江戸の味を食べたくなって』)



句読点や「てのをは」の使いかた、改行、漢字とひらがなの使い分け、

さすがだなあ、と感じながら読んでいたのだけれど、

何よりも、小鍋だてがうまそうで、

僕はここ数日、ひとりの夜を楽しんでいる。



[ 2018/01/27 10:27 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
どこからどこへ


二階ベランダ上のつらら


それはさておき、

ある寺の境内にあるトイレを掃除したら、

和式トイレの便器後方に汚れが多かった。

ポジションがまちがっている。

最近は和式が少ないから、

予想できないのかもしれない。


小学校6年の修学旅行で、

鎌倉の旅館に泊まり、

生まれて初めて洋式トイレに入った。

うまく出なかったような、すっきりしないような気がした覚えがある。


糞土研究会から機関紙『ノブソフィア』が届いた。
http://nogusophia.com/

人が自然に返せるのはウンコだけ

という思想に共感しているのだけれど、

野糞はあまりしていない。

小さいほうは裏の山ですませるけれど。


いずれにしても、

トイレでした後は水で流して終わり。その先は気にしていない。

ウンコは他の汚水や雨水と一緒に下水を通って処理場へ。

いろいろ処理されて高度処理水として川や海へ。

汚泥は埋立や肥料やコンクリート製剤になる。

野糞をしたほうが、はるかに有意義であることは確かである。


普段、食べているものも、

それがどこからどのようにやってきたのかを、

気にしていない人も多いだろうな。

時々、

山で採り、畑で抜き、海で釣るくらいである。


何処から来て、何処へ行くのかを気にすることは、

いろいろな面で重要である。


20数年前、

人間は(僕は)どこから来て、どこへいくのだろうか、

つまり、

なぜ生まれて、なぜ死ぬのだろうか、

と、埼玉県S寺の住職にたずねたら、

そんなこともわからないのか、

と一喝された。

そして僕に、

「死にかた」を教えてくれた。

震災の前年、

その住職が遷化された。教えてくれた「死にかた」通りで感動した。


『秘蔵宝鑰巻上 』にあるのは、

「心驕れる者は己の総てが正しいと思い、

聖智無き者は正しくものを見ることができない

何度も生まれ変わりながら、何処より生まれ来た自分かを知らず

生まれては必ず死んでいながら、死の意味を知ることができない

おろかなる者は、悪の誘いは気持ちよく心に響いて日毎夜毎に犯し

心を浄め高める道は耳に逆ろうて受け入れようとせず

人を謗り真理を謗って

仏と成る種を焼き切っていることに気がつかない

迷いを断ち切って、別の世界が開けてくるのではない、

心の本質に立ち帰るだけである

霧を透かして光を見たら

そこには七宝ともまがう無尽の光彩があるではないか

(それに気がつかない)人間というものは、

何処より来たかを見ることが出来ず、さてその行く先を知ることのできないものである」







[ 2018/01/28 15:02 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
うれしい たのしい
昆布出汁と生湯葉を煮立て、

豆腐、ちくわぶ、えのき、白しめじ、ネギを加えて鍋にする。

セリがよく合う。




白いものは比較的陰性で、

それを火と時間と塩気でお腹が冷えない陽性にすると、

寒くて排毒しにくい陽性が溶ける。


食事では、

繊維が多く脂肪が少ない

カルシウムがリンの1/4以上、

カリウムがナトリウムの5倍以上

であれば、排毒がスムーズで快適。

しかも、

この割合で料理すれば、素材の味がよく引き出されます。


それはさておき、

人に会い、欲しいものが手に入る時、
 
ああ、うれしい

と思う。


思う存分遊んで、

ああ、楽しかった

と感じる。


下心も裏表もなく、

ただ単純に、たのしい、うれしい

と無邪気に思うことは、

身心の健康に、とてもよろしい。


信心とはこの無邪気さであり、

菩提心とか白浄信心とも云います。

これは、
 
人間苦から解脱する心。




[ 2018/01/31 07:46 | Comments(1) | 米ぞうの家 ]
目録
江戸時代からのボロボロになった過去帳を、

頁毎プロカメラマンに撮影してもらい、

それを見ながらデータ化する作業をしています。

面白いけれども手間がかかる。


過去帳はデータベースですが、

目録もそう。

その作製には、

幅広い学識と大きな労力が必要ですが、

「大学においてすら、尻拭きにもならない論文は業績にカウントされるのに、

書籍目録は機械的作業だから学問業績とは認められないとぬかすバカがいるのである」

と高島俊男が『寝言も本のはなし』に書いています。



お大師さんは、唐から帰国後、

『御請来目録』を朝廷に献上します。


それは、

「入唐学法の沙門空海言す。空海去んし延暦二三年をもつて、命を留学の末に銜(ふく)んで、津を万里の外に問う」

と始まり、

・新訳旧訳の経典計142部247巻
・梵字真言讃など計42部44巻
・論疏章など計32部170巻
・仏菩薩金剛天等の像、曼荼羅、伝法阿闍梨等の影など計10舗
・恵果から付嘱された道具9種
・恵果からの阿闍梨伝法の印信13種

の目録と、それぞれの入手経緯、内容解説、今後の活用方法などが

以下のように書かれています。


「真理の世界は仕切りが無く輝き、いつでも何処でも妥当なものだけれど、

それを受け入れる者によって、さまざまに区別され、浅深が生じる」



「真理は本来的に存在しているけれど、それはみずからモノを言うことは無い。

しかし、私たちはこれを言葉によって知り学ぶ。

真理は常に現象の奥にあって、姿形が無いけれど、

現象世界の姿によって、私たちはそれを悟る」



「ただ願うだけでは悟りは得られない。

力も無いのに他の苦しみを救おうとしてもできない。

 自ら悟り、他の苦しみを除こうとするならば、

正しい智慧を磨き、功徳を積み、存在の真の姿を分別し、

心を静に落ち着ける修行に励まなければならない」


[ 2018/02/02 11:23 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
特効薬
柳沢文正博士は『新健康読本』の中で、

ビタミンKは万病の薬

と書いています。

これは、ビタミンKが血清カルシウムイオンを増加させる、

つまり、

アルカリ体質サラサラ血液になるからですが、

これは体内で自然に合成されるものなので、

お腹の健康が万病の薬、ということ。

血がサラサラと流れていれば健康で、脳の働きも良い。

青い葉から、そのような赤い血が作られる、

と僕は考えています。



それはさておき、

お釈迦さまは、

生老病死の苦しみから解脱する方法を探すために出家しました。

そして、

四諦八正道などの真理の法を悟ります。


お大師さんは、

世の中の不条理や人間社会の腐敗、人々の不満不安悩みを前にして、

24歳の時に出家宣言書といえる『聾瞽指帰』を著します。

そこには、

「真理への道とても、何も特別なことではない。

 要するに、心がその総てをきめるのである」


「学ばずして生まれながらに知り、

 教えにしたがわずして自ら悟るものあるを未だ聞かぬ

 なぜ自分の欠点を正そうとせずに

 無責任に他人の欠点をあばこうとするのか

 自分の知見が総てであるような偏見を懐いてはならぬ」


「四角な箱に丸い蓋をしようとしたり

 氷に依って火を得ようとするような、おろかなことばかりしている」


「度を過ぎた悦び怒り悲しみは

 皆甚だ身を損ずるところである」


「いやしくも道の大本を失わねば、目前の些細なことにこだわる必要なない」


「心のあり方が善であれば、

 忽ちこの世の幸いを得、正しい法まで得て、いよいよ平和である

 その心のありかたを難しいだけである」

などと書かれています。


身体の病気は、

食事や睡眠、運動など生活の工夫や薬で、

祟りのようなものは、腎臓肝臓を治せば改善します。

過去の悪業の報いによるものは、

懺悔の修法で消えるでしょう。


思い通りにならない煩悩迷いなど心の問題は、

その原因は根本的な無智であり、

軽い病気は経、律、論、般若の教えで、

重病は、陀羅尼によって根源的な無智を抜き取れば治る、

と『十住心論』や『三昧耶戒序』にあります。


では、

具体的に何をすれば、万病の薬になるのか。


それは、

僕や宇宙はなぜ存在しているのか、

悩みや苦しみがなぜあるのか、

などの存在の根源理由を知り、


その上で、

自他を平等と考える慈悲と

知的研究によって実の如く自心を覚知すること。


つまり、

存在についての勉強と

心の制限(執著と差別)を越えるトレーニングが、

一切の特効薬になる、

と考えています。




[ 2018/02/03 07:45 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
恋文
中学生のころ、

母の影響で藤村を読んだ。

小諸なる古城のほとり
雲白く遊子悲しむ

なんて今でも覚えている。

そして、

暮れ行けば浅間も見えず
歌哀し佐久の草笛

と思い出しながら、

旧中仙道を走って飯田の寺まで通っている。


もうひとつ覚えているのが『初恋』

まだあげ初めし前髪の
林檎のもとに見えしとき
前にさしたる花櫛の
花ある君と思ひけり

そんな少女に出会いたいと思っていた。



芥川の『恋文』は、

文ちゃん。

僕は、まだこの海岸で、本を読んだり原稿を書いたりして 暮らしてゐます。
何時頃 うちへかへるか それはまだ はっきりわかりません。
が、うちへ帰ってからは 文ちゃんに かう云う手紙を書く機会が
なくなると思ひますから 奮発して 一つ長いのを書きます 

以下、文ちゃん、文ちゃんと続く。

全文はこちら
http://www.ichinomiyakan.com/akutagawa/000.html


結婚後は、

「文ちゃん」ではなく、「お前」と呼ぶようになる。


僕も、

ちゃんづけで女の子を呼びたいと思っていたけれど、

その希望は叶ったかな。


学生時代、

今の渋谷109北側にあった恋文横丁へ通った。

先輩に連れられ、

「恋文」というカウンターしかない狭く汚い焼き鳥屋で、

人生の多くを学んだ。


今日は恩師の祥月命日。

今も蓮台の上で修行と説法をしている師へ、

恋文を書くようなつもりで十一面観音の修法。


 


[ 2018/02/04 07:43 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
子どものころ


いただきます。

と言ってから味噌汁をすすると、

胃が動き始める。

特にアクのある野菜が具にあると、

それは陰性なので陽性な味噌と合い、

胃の蠕動が高まる。


それはさておき、

毎日寒いけれど、

夏を思い出せば、人生寒い日ばかりでなく暑い日もあることを、

身体が知っている。


今は不幸でつらく苦しいとしても、

子ども時分の写真を見れば、

にこやかに笑い、幸せそうな自分を見つけることができる。

僕の中に、

全く幸せが無いわけではない。


幼い頃の我が子の写真を見ても、

そこには幸せがある。

それは、

仏性のように本質的なものかもしれない。


家の子はもうすでに大人になっている。 

幸せになってほしいと願う気持ちが、

我が子だけではなく、よその子も皆そうあってほしいと広げることで、

幸せは大きくなる。

しかし、

大人の世界が充実していなければ

子どもの不幸を生む可能性は高い。

親が落ち着いて暮らし、

健康でいることは、

子が幼いほど大切である。



子どものころ、

いじわるをして、ウソもついた。 

あのころ、

悪いことをしてはいけないと教わっても、

それがなぜなのかは聞いたことが無い。

ダメなものはダメなのだ、

と感じていたから。

そして、

ウソでもホントでも、

相手の最も痛いところを突く、ということはできなかった。

それは最も卑怯なことで、それをやれば、すべてを失うから、

と感じていたから。

大人になると、

その気持ちが薄くなるのだろうか。


子どものころ、

名誉やお金持ちにあこがれた。

欲しいものがたくさんあり、

手に入らないから工夫したり、

興味を移動させ、

身の程で暮らしていた。

大人になると、

その分際分限がわからなくなる。

自分が積み重ねてきたものに重きがあり、

自然、社会など、

他からの助けを軽く見るからだろうか。


味噌汁をすすって、

お腹を温めると、

そういう反省もできるようになる気がする。











[ 2018/02/05 07:10 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
ピチャピチャ クチャクチャ
豆苗を食べた後の根を水に活けると、数日でうっそうと繁る。



ミツバやセリも根があれば、同じように何度も収穫できます。


それはさておき、

40数年前のある日、

廊下を歩いていたら、女子が3人近づいてきた。

目の前に来ると僕は腕をつかまれ、

宿直室に連行の上、畳に正坐させられた。

そして、

K子があんたのことを好きだって言っている。お前はどうなんだ。事と次第によってはタダではすまないよ。

と脅された。

3人のうちひとりは、

僕をにらみつけながら貧乏ゆすりをしていた。

イスの脚がカタカタと鳴って怖かった。

あれ以来、貧乏ゆすりを見ると、お腹が痛くなる。



最近は、

寺の鐘や保育園の子どもの声をうるさいと感じる人がいるようだけれど、


僕は、ピチャピチャクチャクチャ音を立てながら食べているあの音が嫌。

すべてのものが一瞬でまずくなる。

ソバをすする音や、

ネコがエサを食べる音は何とも思わないのだけれど。


先日、ある店で、

貧乏ゆすりをしながら音を立てて食べている人がいたので、

いろいろ思い出した。

どちらも陽性な特徴ですね。







[ 2018/02/07 09:03 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
あなたの影が僕に届く
旧知の縁者から、

「ちょっと早いですが」

と高級そうなチョコレートをいただいた。


チョコレートには思い出がある。

僕の恩師は

チョコレートを手でつまみ、コーヒーにつけ入れてかき回す。

そうして、少し柔らかくなると口に入れる。

タネ、じゃなくてアーモンドは食べない。

「先生、それ、おいしいですか」

 と聞くと、

「なかなかじゃよ」

と言って微笑んでいた。

再び会えるなら、

チョコレートをたくさん持って伺いたい。


バレンタインデーは次男の誕生日である。

寮生活で、ここ数年は試験期間中だけれど、

誰かからチョコレートをもらうのだろうか。



飯田・立石寺の山門から集落を見渡すと、

「めをと杉」と呼ばれ、樹齢千年を超える雌杉・雄杉が東西に立っている。


(飯田市文化財保護情報サイト https://www.city.iida.lg.jp/site/bunkazai/osugimesugi.html
から)


春秋の彼岸中日、

朝日が差し始めると雌杉の陰は、雄杉を慕ってその根本に達し、

夕日が輝くと雄杉の陰は雌杉の根本を訪れる。

一年に二度、

互いの影を差し合って逢瀬を楽しむ。


寺の本尊は十一面観音で、

『十一面観自在菩薩心密言念誦儀軌経』には、

一切の如来に受け入れられる

臨終の際に如来とまみえる

という利益が書かれている。


これは、

あなたが僕の中に、

僕はあなたの中に、

あることを如実に知ること。


チョコレートを渡したり、

互いの影が伸びたり、

いつでも会える、

ということ。



[ 2018/02/08 09:03 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
成功の秘訣
おでんのチクワブが残ったので、

黒ごまをまぶして揚げる。


 
残った煮物を揚げ、

余った揚げ物を煮るのは、

黄檗料理のようでうまい。


それはさておき、


自分が何であるか、

存在とは何か、

を理解したうえで、

慈悲と智慧の瞑想を修すれば、

そこにあるのが悟り。

この時、

慈悲と智慧と瞑想によって、

人は善を修し、悪から離れるようになる。

だから、それが

戒となります。

この戒によって清らかにした心中に道場を建立し、

座を設け、供物を供え、

客を迎えて、心ゆくまで交流するのが、

密教の修法です。


もし、

正絹の衣に金襴の袈裟をつけ、

豪華な建物で修法するならば、

それらは本来心の中に用意するもののシンボル。

そうでないのなら、

恥ずかしい。

まあ、

外見と中身が違うのは人間の特徴ですが。


杉山其日庵が星一に説いた内容が『百魔』にあり、

とても興味深い。それは、


粗食を十分に食べ 十二分に食べない

どんなものでも飲み込む前に噛む
 
食べたら十分に働き、十二分には働かない

くたびれたらよく眠る

十分に寝て、十二分に寝ない

健康の平均が保てたら、脳髄の健康を平均せしめて、決して空想に耽らない 

脳髄の平均が保てて、空想に耽らないようになったら、

ひとつづつ精細に深く考慮する

考慮が円熟したら 強度の忍耐と実行の力とを挙げて、善悪となく屹度遂行する

その結果が善なれば取り、悪なれば取らざることを自分に査定して決める

その経過した経験だけは、決して忘れない

[ 2018/02/11 07:44 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
お先にどうぞ
言問橋近く、

都城の看板を掲げる八百屋で買ったレモンがうまかった。



カブを塩もみして、そのレモンを和える。


さて、

自分が食べる前に、仏前へご飯を供える。

お土産も、あける前にお供えする。

こういう気持ちが供養ですが、
 
好きな人大切な人尊敬する人には、

自分よりも、お先にどうぞ、とさし上げる。

自分は空腹でも、

子どもにたくさん食べさせる、

そのように、

自分より他を助けることを、多くの人が大切にしています。


『三昧耶戒序』の大悲心の説明には、

「善人の用心は他を先とし、己を後とす」

とあり、

さらに、

「一切衆生を観ることなおし己身のごとし」

 という文が何遍も現れます。

そういう気持ちなら、

殺も盗も邪も怒も愚も嘘もなくなり、

「われにあらざれば誰かよく抜済せん」

という気持ちにつながる。


電車でもエレベータでも、

お先にどうぞ

は無相の修行になる。

その最大の恩恵は、

自分が安らかな心になること。



[ 2018/02/15 12:44 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
舌の使いかた
気分転換にハーモニカとケーナの練習をしています。



ほとんど舌は動かないのだけれど、

ちょっと震えている。

子どもが熱心に絵を描いたり玩具で遊んでいる時、

舌が動いています。


舌は、

奥で腎臓、中央で脾臓、前で心臓小腸の望診をしますが、

白苔は陰性の、

黒苔は陽性の排毒です。

舌を自在に動かすことは、

唾液の分泌を促し、口内の健康によろしい。


ところで、


居眠りや脱力状態、妄想の時、

つまり、

ただのリラックス状態では、舌が下顎にさがります。

しかし、

宗教的な瞑想修行の場合、

舌は上顎につく。

心の状態によって舌の位置が変わるのです。


ちなみに、

舌を上顎につければ、

あくびも止まる。



[ 2018/02/16 10:53 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
自律訓練法と密教瞑想
舌の話の続き、

『密教の一字禅』(中井龍瑞 著)の「すわりかた」に

あごをひいて前の方へ出さないようにすること。

舌は上あごに軽くつけ、唇と歯は上下あわせること。

とあります。

これは、

『大日経』成就悉地品七、『大日経疏』十二、『阿字観用心口決』

などに説かれていること。



酒井敬淳僧正の『密教観法』や

山崎泰広先生の『阿字観と自律訓練法の比較研究』には、

心理療法である自律訓練法と、密教の観想法の比較が書かれています。

前者は

身心をリラックスさせることで心の平静をもたらし

それが心身症の改善につながる。

呼吸は深い複式呼吸

自由な黙想、イメージで感情を優先

身体的、催眠的で

自己が「有る」ことを認識する。



密教瞑想は、

目的が悟りであり、自分の中にある本性清浄心を観ること。

安定、リラックスとともに生気を充実させる。

リラックスと緊張が拮抗しているから催眠は無い。

呼気が長い

心的で、

思索しない、自我が無い。


瞑想は、

健康や治病目的ではないけれど、

健康なほうが解脱しやすいのは確かです。


山崎先生は、

リラックスすると舌は下あごに沈む。

舌の位置が催眠と三昧を分ける。

舌を上あごにつけるのは、観の威儀を正すこと。

と書いています。


上あごにつけるということは口を閉じるということで、

自然と鼻呼吸になる。






[ 2018/02/18 09:21 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]



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