忍者ブログ


[PR]
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。


[ 2024/12/05 11:16 | ]
カニとカニカマ
法務の後には御膳が出ることが多く、お断りすると折に詰めて持たせてくれます。

今は生臭のごちそうが多い。お寿司、テンプラ、焼魚、イセエビのグラタンやカニの甲羅焼き、アワビやホタテのお刺身・・・・・。


妻が

シマちゃんはこれが好きなのよ

と言いながら飼い猫にカニカマを与えている。


僕がもらってきた「本物」のカニをやっても食べない。跨いでどこかへ行ってしまう。


以前、子ども会の幹事をして温泉旅館に引率した朝ごはんに、カニがたっぷりの味噌汁が出た。

そんなカニよりカニカマのほうが好き、という子もいた。カニカマがカニだと思っていた子もいたかもしれない。



豪華な折詰を持ち帰っても、我が子らは興味を示さないことが多い。


オレ、魚は食えないよ。肉なら少しは食えるけど。

友だちも魚が嫌いなヤツが多いよ、

と次男が言う。

だから、最近の陽性過多は大根湯よりシイタケスープのほうがよく効く。ネギも良く効く。


モルトビールより発泡酒が好きな人も多い。

天然醸造のものより添加物入りの醤油味噌が好きな人も少なくない。

カニよりカニカマが好きな人がいてもおかしくない。


あに食べ物のみならんや


カニカマみたいな僧侶、料理人、父親母親・・・。


まあ、カニカマはカニカマでおもしろいから良いのだけれど。

PR

[ 2013/03/19 07:36 | 米ぞうの家 ]
カレーの秘密
子どもと一緒に寝るのは寒い晩に暖かくてとてもいい。

子どもはじっとしていない。寝ている時もだ。子どもは陽性だから当たり前で、じっとしていたら具合が悪いのだろう。

氷点下の晩も寝相が悪い。布団をはねのけてもそのままで犬のように丸くなって寝ている。

頭を並べていたのに、早朝になると僕の頭の隣に息子の足がある。




長男に

何食べたい?

と聞くと必ず、

カレー

と答える。

毎日でもいいよ。

とも言う。



カレーはご飯がたくさん食べられるから子どもには良い、と思っていたのだけれど最近はちょっと違う。

カレーは野菜を食べる、野菜を飲む、の両方ができるから良いのである。

そして、炒り玄米+野菜+香辛料にすれば適度な陰性とアルカリが入るから酸性で陽性な子どもに適している。そういう大人も増えているから同じでいい。

辛味は脂肪を、酸味や野菜はタンパクを溶かすから、考えて作ったカレーはとてもに良い。

何も考えずに作ったカレーは、どうかな?



以前、お参りにいらしたご婦人に食事を出したら、カレー風味のおかずは召し上がらなかった。


あたし、これは食べないんです。


厳格な玄米菜食をなさっていて、カレーは陰性だから食べないとのこと。

見るからに陽性過多なかたでしたが。

脳も陽性なんだな、と感じた。


大森英桜先生が、カレーライスは邪食の筆頭であるというようなことを言っていたけれど、そういう人にはそうなのかもしれない。しかし、そういう人はそうはいない。



20代後半にインドへ行った。

どこでもいつでもカレーだた。カレーのにおいの中で拝んだ。

お腹を壊した。



辛いものは陰性だから発汗させて体温を下げる。

陰性なものが多い人は陰性な額や頭部からたくさん汗をかく。斯様に陰性の排毒は速い。


何よりも、カレーは楽しいから良いのだな。

子どもの寝相が悪いのも、子どもがカレーが好きなのも、子どもは陽性だから当たり前。

乳児はもっと陽性。胎児はさらに陽性。

子宮という極めて陽性な環境で過ごしているから陰性なものが欲しくなる。

だから昔の妊婦さんが陰性な酸っぱいものを食べたくなる、というのは当然のことなんだな。

季節に合わせて陰性にしていれば問題無いのだけれど、陽性な季節にも陽性な生活をするから、生まれてきた子に陽性なアトピーなどの症状が出ることが少なくない。


冬にたまった排毒がうまくいかない春はイライラします。そういう時はちょっと辛味を使うといい。

[ 2013/03/20 13:34 | 米ぞうの家 ]
青春
青春とはラーメンである

と小池さんが言っていたような気がするけれど、麺は穀類であり、スープを野菜ときのこにすればその麺の消化酵素になる。

あのようなものは消化が良くなければならない。噛まないのだから。

だからラーメンこそ精進に限る。


昆布しいたけ出汁で作った味噌汁の残りを5倍に薄め、季節の野菜ときのこ数種類煮る。

麺をゆでる。

どんぶりに醤油、ごま油、こしょうを入れて上記のスープで溶く。

ゆでた麺を湯切りしてどんぶりに入れ、ネギと海苔を盛る。

さあ、召し上がれ。




それはさておき、『青春の影』は僕の好きな曲のひとつ。


君の心へつづく長い一本道は

いつも僕を勇気づけた

とてもとてもけわしく細い道だったけど

今君を迎えにゆこう

自分の大きな夢を追うことが

今までの僕の仕事だったけど

君を幸せにするそれこそが

これからの僕の生きるしるし
         (1974 「青春の影」 チューリップ)
http://www.youtube.com/watch?v=Hzth_yi33e0




僕も、自分の大きな夢を追うことが若者の仕事だと思う。

この曲の副題は「I'll always remember you」

歳をとると、いつの間にかそういう気持ちになる。大きな夢を追った日々があれば、余計にそう思う。


順風満帆な人生だったわけではないけれど、今までで最も充実したと思えるのは大学に落ちて浪人した1年間と、会社を辞めて大学に入りなおした2年間だ。


心ゆくまで勉強できる時間は素晴らしくて、この上なく楽しい。

勉強以外の善悪もいろいろ覚えたけれど、あの時間に僕は未来への憧れと希望をたくさん持つことができた。

その時間が過ぎると新しいステージの幕が開く。それは喜劇かもしれないし、悲劇的なシーンも多いかもしれない。

でも、それは確実に僕の役だ、しかも主役。


僕は50歳を過ぎたけれど、人生の何たるかが分かったとは言えない。

お釈迦さん、お大師さん、恩師が言ったことを真似しているだけだ。

それでも生きていくうちに、若い時に学んだ知識が智慧に変わったり、あの時の不安や迷いが悟りに変わったりすることはある。


青春の蹉跌かもしれない事柄も、人を限りなく大きくしてくれることは確かだ。


[ 2013/03/21 09:51 | 米ぞうの家 ]
春の味
ナバナの類はみなおいしい。

水菜、小松菜、大根、かぶ、チンゲン菜・・・。

みな菜の花になるけれど、それぞれ味が違う。僕は水菜の花が好き。


この時期、菜の花、ブロッコリー、キャベツなどの成長が早い陰性な野菜をたくさん食べるのはとてもいい。

その苦味と辛味が脂肪や古塩を溶かして、心身がきれいになる。心が安定する。

馬に食わせるくらいたくさん食べるといい。


塩番茶で鼻を洗うのも、一回ではダメ。たくさん何回も洗う。

風邪気味の時、外から帰る度にうがいをするように、違和感がある度に、外出から帰る度に何回も洗います。

当然、大根湯もたくさん飲む。

陽性なアレルギーを改善するためなら、一日に大根一本くらいは必要。

大根が無ければ酸っぱい果汁でもいい。


具だくさんの味噌汁は品が無いけれど、今の時期にはとてもよろしい。

陰性な野菜をたくさん入れて、冬の間にたまった陽性を溶かす。

味噌はそれほど陽性ではなく、味噌汁にする程度なら中庸です。

野菜を「飲む」ことで腎臓をきれいにして心を安定させます。




生まれる時と死ぬ時は人生で大切な瞬間です。

始まりは受精。その瞬間は生死の中で最も陽性な時です。それからだんだんと陰性になり、もっとも陰性になった時が死。



最初は陽性なのだから陰性な野菜をたくさん食べるのが良いでしょう。

その時の陽性にしていると、陽性過多の子が生まれます。

生きている間は陽性なエネルギーが必要なので、元気な時は陽性なものも必要ですが、死に近づいたら陰性にしたほうが安らかに死ねます。死に際まで陽性にしていると、うまく死ねない。



春は深呼吸が気持ちいい。

息を吐くのは陰性な力で、吸うのは陽性な力。

ですから、陰性な力が無いと吐けない。陽性過ぎると吐けない。

息をゆっくり長く吐く、というのはヨーガ坐禅瞑想武道などでよく指導されることですが、陰性な力が無い人はそれができない。

ゆっくり吐くことで、

副交感神経を優位にする

リラックスする

心が安定する

なんて言われる。


だから、そういうことをしようと、そういう心になりたいと思えば、陽性な食事よりは春の野菜をたくさん食べるのがよろしい。

安心や平安、穏やかな心になるチャンスがたくさんあるのが、春。



[ 2013/03/24 08:06 | 米ぞうの家 ]
輪廻する心
昨日は月例の不動明王護摩供。暖かくなりました。



梅も咲き始めました。春になりました。


去る26日、仙台市龍宝寺にて僧侶30数名が参座して土砂加持法会。その後4組に分かれて被災地へ。

山元町、石巻、南三陸、女川で、光明真言で加持した土砂を撒きながらご供養。
 


津波被災地は何台もの重機が動く工事現場のよう。人々の暮らしも続いております。終わったこともあり、始まることもある。



土砂加持法会は『不空羂索毘盧遮那仏大灌頂光明真言経』に説かれる精霊供養には大切な法会で、清浄な土砂を諸仏諸菩薩の総呪である光明真言と樒の葉で加持します。

この土砂は滅罪生善、息災敬愛等の妙用功徳があり、亡者得脱安産成就罪障消滅に使われます。

お加持の際に唱える光明真言は、耳に触れるだけで一切の罪障を消滅させ、読誦すれば無量無辺の功徳があるので、僕らはそれを何百万回も唱えています。




先週、阿字観にいらしたご婦人からいくつか質問がありました。

〇仏教徒ってどういうこと? 


仏教を信仰している人のことですが、信仰と言うのはなかなか難しいものです。身近で大切な人のことさえ、完璧に信じることはできない。

キリスト教徒は聖書の教えを守る者、ということらしいですが、仏教は実践的かつ瞑想の宗教なので、仏教的な生活をする者、というのがよろしいかと。


〇お葬式って必要なの?

これはね、なかなか難しい問題です。

人はひとりで生きているわけではありませんので、社会的な幕を下ろすためにある程度の儀式はあったほうが良いですし、親族家族の心を調えるためにも必要かもしれません。

いずれにしても、自分の死に際、死に方を考えておくことは大切なことでしょう。


〇輪廻ってあるの?

紀元前500年ころのインド・ブラーフマナ文献に初めて輪廻の思想が表れます。バラモン教です。

生き物が死んだ後、生前の行為である業の結果が次の生となって生まれ変わること。

この生死の繰り返しは「苦」であり、そこからの解脱を理想とします。


仏教はちょっと違う考え方を持っています。

輪廻するのは肉体などの物質ではなく、認識という働きである、ということ。

心は脳という物質の「働き」ですが、脳が目や耳や鼻などで認識する力の連続、とも言えます。

そこには「自我」という錯覚が生じます。錯覚ですから常住するものはありません。だから輪廻する主体が無い。

輪廻するのは、認識したものが後日別の認識に影響される、ということにすぎません。その認識は流れとしてはつながっていますが、別物です。

ですから、輪廻とは心がどのように機能するかを説明する概念です。


仏教では、今現在の修行によってのみ「悟り」や「しあわせ」が得られるというものです。生まれる以前の業や血筋によって私が影響されることはありせん。自身の努力精進が結果を生むものであり、努力精進しない人が前世や霊魂のせいにするのでしょう。


そういう意味で人はみな平等です。だれでも悟れるし、しあわせになれます。


心も空(くう)であって固定的なものではありませんから、輪廻する主体も無いのではないか、というのが僕の考えです。

[ 2013/03/29 07:28 | 米ぞうの家 ]
野球が好き
体調管理不調改善のための食事メニューを三日分提供して、作って食べて試してもらう、ということをしているのだけれど、その中に座禅瞑想も取り入れています。

料理教室や講座の前に座禅瞑想をする、という会も増えて、よく聞かれることが

「仏教の本、何を読めばいいですか」

最近の本は何だか目新しい見解を無理やり作ったり、妙に優しく善良で幼稚な、情感に訴えるような表現を多く感じます。実践的な仏教経験が無い戯論。


で、取り敢えず棚からひとつかみで文庫を挙げれば


般若心経の解説なら、

『般若心経講義』(高神覚昇・角川文庫)



お釈迦さまの教えなら、

『法句経』(友松圓諦・講談社学術文庫)



仏教にかかわるインド思想全体なら、

『インド思想史』(J・ゴンダ  中公文庫)



お大師さんのお言葉なら、

『弘法大師聖語撰抄』(中川善教・高野山出版社)



阿字観など密教瞑想についてなら、

『密教瞑想法』(山崎泰廣・永田文昌堂)



曼荼羅の意味を知りたいのなら、

『曼荼羅の講話』(三井英光・高野山出版社)



ついでに僕の好きな聖者の話

『不滅の言葉』(田中嫺玉 訳・中公文庫)




それはさておき、

僕らは野球世代。

子どもの頃、屋外では三角ベースの草野球、部屋や教室では厚紙で作った野球盤ゲーム。

高校野球や六大学野球も教室の話題になることが多かった。


子どもが生まれて成長したら、一緒にキャッチボ-ルをしたいと思って、それができるようになった時は嬉しかった。

今は毎年野球観戦に行くのが我が家の年中行事。

あの年、初めて開幕戦を観に行こうとチケットを用意していたのだけれど、開幕は大きく延期された。当時は開幕するのかどうかさえ分からなかった。暗い気持ちだった。

あの事故で僕らは嫌な気分も味わったけれど、野球が始まって、観戦に行って、楽しくて嬉しくて希望になった。ああ、今年も野球がある、と。



野球が楽しくなる本も棚からひとつかみ。

『大下弘 虹の生涯』( 辺見じゅん・文春文庫)

『サムライ達のプロ野球』(青田昇・文春文庫)

最近のものでは山際淳司の『スローカーブを、もう一球』と『ナックルボールを風に』 (ともに角川文庫)


[ 2013/03/31 16:04 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
一割現象
カツラが欲しいのだけれど、どこで買えばいいかな。

と娘に聞いたら、

似合わないからやめなよ。帽子がいいよ。和服に茶人帽とか。

そうだねえ、そうしようかな。

でも、飛脚みたいな恰好はダメだよ。

そんな恰好はしないけれど、股引パッチが要らない季節になりました。


それはさておき、



兵頭二十六氏が自衛隊の中で発見したという一割現象。

あらゆる人間の集団は、とても優秀なのが一割、平凡な八割、どうしようもない一割に分けられる。そして、どうしようもない一割は集団の正常さの担保になっているという説。

どのような集団組織にも、この人たちのおかげで成り立っているというのが一割くらいの人数いる。

何でこんなヤツがいるんだ、というようなのも一割。

その他の八割はそのどちらでもない、余人をもって代えうる人間。


で、あちらこちらの優秀な人間をあつめて新しい集団を作っても、あら不思議。いつの間にか優秀なのと、ごく普通のヤツ、そして落ちこぼれに分かれる。

落ちこぼれ組だけを集めても同じことが起きる。

とにかく集団・組織とはそういうものである。


衆議院も参議員も、阪神タイガースもそうなのだろうな。

仏教界は確実にそうです。とんでもないことをして、とても宗教者とは思えないのが高野山にはいる。きっと全体の一割くらいなのだろうな。そのくらいでいて欲しい。

スポーツ選手がそこに通い続けると必ず成績が悪くなる、ケガもする、という南方の寺もあるけれど、それはまあいいか。



そして、感じているのは僕だけではないだろうけれど、「組織・集団」には真理や真実は通用しない、ということ。

集団の維持管理に、そして自分の利益のためには、そういうものは邪魔になることが多いのだ。高野山にも、そんな匂いがある。


それはそれとして、ストレス・不安・悩みの大きな原因のひとつが人間関係ですが、その集まりは決して美しいものでも正しいことばかりでもない、そのことこそが正常なのだと知れば、ちょっと安心できるかな。



[ 2013/04/02 06:34 | 米ぞうの家 ]
フェルデンクライス・メソッドと食養禅
PINO  講座  「心と身体 ~ 自由な動き」

フェルデンクライス・メソッドと食養禅

 寝転んで身体を感じてもらったり、シンプルな心地よい動きを通して身体の声を聞いてもらったり、変化に気づいてもらったり……。
身体や動きが楽になると、心も楽に。そんなメソッドです。

 
○日時  5月3日(金) 

10時~ フェルデンクライス・メソッド
12時  昼食 端午の節供料理
13時~ 講座「心と身体の解放」
14時半 終了

○場所  マクロビオティック salon P I N O
     〒564-0062 吹田市垂水町1-22-1 (豊津駅徒歩6~7分)
     電話 06-6384-8020
 http://salon-pino.com/

○参加費  5000円 

○申込み  PINO(上記)

○講師  佐々木みゆき  国際フェルデンクライス連盟公認講師
     須永 晃仁   眞天庵住職、精進料理穀菜食の舎主宰

※動きやすい服装(スカートは不可)でいらしてください。

○問い合わせ  
・眞天庵
電話:024-955-5370  メール:gbqmk185@ybb.ne.jp

・PINO
電話:06-6384-8020  

どうぞ、お越しください。

[ 2013/04/06 08:50 | 米ぞうの家 ]
ハゲとスケベの関係
老眼鏡を失くしたのだけれど、富士のすそ野で大きな大きな富士山を心ゆくまで見ていたら、無くてもいいような気分になった。

小さなものなんか見えなくてもいいや。


老眼の50歳を過ぎると、

果たしてこれで良かったのだろうか。

あの時、もう少し心を込めて事に接したり、もっと優しく丁寧に対応することができたのではないだろうか。

なんて反省することもある。

ああ、

我昔より造るところの諸々の悪業は

みな無始の貪瞋癡による

身語意より生ずる所

一切我今みな懺悔したてまつる 
             
              『懺悔文(華厳経普賢行願品)』

と、仏者は毎日のように唱えているのに、それに心から気がつくのに何年もかかってしまったようだ。



僕の親世代はモノを捨てない人が多い。何でもとっておく。

冷蔵庫も一杯入っている。隙間があると心配になるらしい。

義父母の遺品整理をしている妻もその量の多さにとまどっているみたいだ。

昨日は30年以上前のスコッチとナポレオンを見つけた。宝探しみたいだ。


僕の両親宅からは、僕が20年以上前に着ていたダブルのスーツを二本、もらってきた。

これからはスーツで仕事に行こう。それが僕の懺悔だ。


特定の分野での交際が広がるけれど、それは長続きせず、いつか孤独を味わうようになる画数というのがあって、最近の女の子には少なくなった「〇〇子」ちゃんという姓名には良く見つかる数字だ。

今もその数字がある人はモノ、もしくは執着懊悩の心を捨てられない。

このような運勢運命境遇環境人間関係を変えるには身体を変えればいい。心身は一如だから。

身体は食事と呼吸と運動で変えることができる。




それはさておき、

6日付朝日新聞社会面に載っていたのが、

『はげの男性、心臓病リスク高い?』

内容は、

頭のはげた男性はふさふさ髪の男性に比べ、心筋梗塞(こうそく)や狭心症など重い心臓病のリスクが高い傾向があることが、東京大の原一雄特任准教授(糖尿病学)らのチームの研究でわかった。将来、自覚症状がない段階でも生活習慣を変え、予防につなげるきっかけにできるかもしれない。

 3日付英医学誌BMJオープンに発表された論文によると、チームは過去の医学論文6本を調査。欧米の30~80代男性約3万7千人を11年以上経過観察したデータから、はげの進み具合とこれらの心臓病の発生率との関係を調べた。

 その結果、頭のてっぺんがはげている男性は、髪のある男性に比べてこれらの心臓病のリスクが32%高く、特に60歳以下ではリスク上昇は44%に達した

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130406-00000007-asahi-sci


ハゲはスケベである、というのは僧・道鏡が原因とも言われているけれど、食養から見てもハゲは助平の可能性が高い。

ちなみに僕の頭は剃っているのであってハゲではない。


頭頂は人体の中で一番上にあるから、一番陰性な場所。

そこには強い陽性なものが引きつけられる。

食べ物中、最も陽性なものの一つが卵。

成分を見ると、

Na:140㎎(100gあたり)

K :150

Ca: 53

Mg: 11

P :220

で、かなり陽性で酸性食品。昆布も同等の比率で陽性だけれど、リンが少なくカルシウム多いのでアルカリ食品であり、繊維が多く脂肪が少ないので効果は逆になる。


卵のほか肉の陽性も同じで、それらには陰性な脂肪も多いから陰性な場所から「抜ける」という陰性な症状になるのが頭頂のハゲ。 特に卵が多いのだろう。卵の毒消しができていない。そして逆の性質の海藻が少ない。


記事にあるように、てっぺんのハゲに心臓病が多いのは、肉卵には陽性なコレステロールが多く、それが心臓に集まって詰まるのだから当然のこと。

陽性だから右脳のトラブルも多いはず。


男性ホルモンの原料は陽性なコレステロールであり、鶏は誰とでも寝るタイプ生き物。


以上、ハゲとスケベは関係アリと見る考察。



[ 2013/04/07 06:01 | 米ぞうの家 ]
仏生会
入学式の季節ですね。

新入生のみなさん、おめでとうございます。


ところで今日は、ブッダの誕生日とされています。

『日本書紀』二十二には、

推古天皇十四年(606)四月八日 寺ごとに斎会を設けしめられた



『続日本紀』九には、

承和七年(840)四月八日清涼殿にて始めて灌仏を行うた

などとあり、

以来、この日にお釈迦さまの誕生を祝う法会が行われ、降誕会、龍華会、花会式、花祭、灌仏会などの名もあります。




人はなぜ苦しむのだろう

なぜ生きるのだろう

なぜ、世界があるのだろう

なぜ、この世界は作られたのだろう

多くの人がいだくこれらの疑問にお釈迦さまが答えました。

その内容は、

「此があれば彼があり、此が無ければ彼が無い、此が生ずれば彼が生じ、此が滅すれば彼が滅す」という縁起の法則

縁起の法則から導かれる中道は、対立するふたつの極端な概念にかたよらない実践と認識。

「苦」とか「楽」、「有る」とか「無い」というそのどちらにも囚われない、偏らない立場。そこに立てば苦しみ迷い不安は無くなります。


人には苦しみがあります。

暑さ寒さ・天災地変・飢饉・疫病・貧困・不仲・不安・老い・死、

生きていく上では

愛する人と分かれなければならない

憎しみのある人と会わなければならない

求めても得られない

物にも心にもこだわりを作る

という苦しみもあります。



これらの苦しみの原因を探り、苦の原因は自分の心の持ち方にあるのだということが分かれば、その心を変えるトレーニングや生活の工夫によってあらゆる苦悩は消滅します。

その、心を変える方法が

正しく物事を見る

正しく考える

正しく語る

正しく行為する

正しく生活する

正しく努力する

正しく念じる

正しく心を決定させる

の八つである、とお釈迦さんは説かれました。

「正しい」とは「バランスのとれた」という意味です。



心は常に移り変わるものです。さあ、今すぐに正しい生活に向かいなさい。そうすればあらゆる苦難から解放されます。

心は永久に不変のもの、などと錯覚していたら、いつまでたっても苦しみ迷い不安のままです。その苦しみは我が子へも続いてしまいます。

子どもらが不安にならないような大人になることが僕らの役割でしょう。


必要なのは「正しい思惟」と「煩悩を諦めること」であり、妄想錯覚から離れなさい、そのために修行しなさい

と僕は理解しています。



[ 2013/04/08 06:50 | 米ぞうの家 ]
僕の人生
おじいさんの奥さんは老人病棟で認知症寝たきり。

僕はおじいさんを車で病院まで送る間、ちょっと話をした。

戦中戦後の話を聞くつもりだったのだけれど。


5人の子を育てただけだ。それも精一杯だった。戦争で焼け出された。工場も潰れた。楽しいことなんて何ひとつ無かった

と言う。

おじいさんの子どもらは立派になっていると僕は思う。孫は13人、ひ孫も10くらいいるらしい。

おじいさんは寝たきりの妻を「菩薩さま」と呼んで丁寧に世話をする。

絵を描いて酒を飲んで、特別なことのない単調な生活を続けている。

今が地獄と思えば地獄になり、極楽と思えば極楽になる

そう親鸞さんに教わった、と言う。



鳴門お不動さんの世話人さんからワカメが届く。

これはいじらないでそのまま食べるのがいい。

洗って切って酢醤油やスダチで食べる。揚げ物焼き物のつけあわせにもいい。





ご飯が残ればおむすびにする。

そのままでも良いけれど、焼いてちょっと焦がせば元気が出るおむすびになる、陰性なもののデトックスおむすびになる。これで冷酒をやるのもいい。
 




野菜をたくさん食べたいときはカレーやシチューやいろいろあるけれど、ごま油で生姜やニンニクを効かせて炒り玄米とともに炒め合わせ、吉野葛でとじればお腹によろしい上に、これも排毒効果が高い。

今回は皿うどんの具をそうして作った。
 



食べればウンコが出る。まるでウンコをするために食べているような気もするが、生きものとはそういうものだ。

エネルギー効率100パーセントなどということはありえないのだから。


健康な人のウンコは1回200~300g。それより多い時は景色が変わるくらい気持ちが良いものだけれど、1回250gとして、20歳から計算しても、

250g×365日×31年 = 2828750g


一日2回以上しているし、20歳前の量も予想すれば、僕は生まれてから5トン近くのウンコをしている。便秘の経験は修行道場での断食中に少しあるだけ。その後たくさん出た。


僕は毎日20時頃寝て朝3時半に起きるから、睡眠時間は7時間半。

51年間で約14万時間。

ウンコを5トン出して、14万時間寝た、というのが今まで積み重ねてきたものだ。

僕の人生はその程度だけれど、極楽に住んでいる。


[ 2013/04/09 10:40 | 米ぞうの家 ]
一時間体験
中学3年の次男は「蛍の光」の歌詞を知らないと言う。

学校で習わないらしい。卒業式でも歌わない、音楽の授業にも無い。

ちょっと驚いた。

野球の応援で「蛍の光」を歌う場面があるのですが、そこではちゃんと歌いたいから覚える、とのこと。


それはさておき、


瞑想やヨーガを習得するには12年程度かかります。

料理でも仏教でも、ひとつの勉強が身につくまでにそれくらいはかかる。

師弟でも夫婦でも、相手を理解できるまでに12年くらいはかかります。

人間はそういう生き物です。とてもゆっくりと生きていくタイプ。


それでも、もうちょっと早めに分かるとありがたいなあ、と思うことがあります。僕の人生も残り時間のほうが短くなってきましたから。


そこでいろいろ試しています。


〇1時間正坐する。

ただ座るだけです。それだけで心身が解放される。大切なのは無言でいること。

また、阿字観を1時間続けると、ある一定の境地に至る可能性が高い。



〇1時間唱える。

般若心経でも真言でも何でも、ただ繰り返し唱え続けます。鼻音で。

数珠を繰り、数を取りながら唱えると集中できます。

これだけで心身寂静になる。


〇1時間梅干しのタネをしゃぶる。

お腹の調子が良くなる。頭がすっきりして記憶力が上がる。排毒が盛んになる。お腹の脂肪が減る。味覚が調う。


〇時間は限定しないけれど、野菜だけでお腹いっぱいにする。一食だけでいい。

ごはんやパンや麺類豆腐などは食べない。全く野菜だけ。


先日は出張先のホテルでやってみました。

ホテルの部屋はとても乾燥した陽性なので、生野菜だけで大丈夫。

近くのスーパーでキュウリ3本、トマト4個、レタス1玉、大根1本を買う。

大根は半分すりおろし、残り半分はスライス。

味は味噌、塩、醤油、梅干しで。

全部食べたら翌朝きれいなウンコが大量に出て、脳もすっきり。煩悩も出たな。

繊維とカルシウムと陰性なアルカリを大量に摂ることで、陽性毒が一気に抜けます。

一年に一回くらいするとよろしい。とにかくたくさん、野菜だけ。

一般の家はそれほど陽性ではないので、煮たり焼いたり炒めたりしたほうが良いでしょう。



[ 2013/04/13 10:17 | 米ぞうの家 ]
心を静める方法
当地は桜が満開です。

大阪は散りはじめ、青森はまだ咲いていなかった。


ドイツ文学の高橋義孝先生が

「女性は断然方言で話すべきだと考える。女性が標準語で話すのは、その本性上不似合だ。・・・」(『言いたい事ばかり』新潮文庫)

と書いているけれど、ここ数週間いくつかの方言と出会って楽しかった。

僕にとって、大阪も神戸も同じ関西もしくは近畿だけれど、あちらの方にとっては違うらしい。もちろん言葉も。

大阪のあるおばちゃんは僕のことを、

セんせい

と最初のセにアクセントをおいて呼ぶ。こちらでは平音。

普段と違う呼ばれかたは、ちょっとくすぐったいような気もするけれど何だか嬉しい。


青森へ行ったら、

この人は南部(八戸方面)のひとだから、言葉が違うでしょ

と津軽(青森方面)の奥さんに言われたけれど、よくわからなかった。


青森 春の料理



それはさておき、

密教瞑想の中でポピュラーなものが月輪観と阿字観。

最近、僕の講座でも行っていますが、瞑想坐禅の類はだれか心安い人を見つけて明師とし、口から口へと教わるのがよろしいでしょう。

もし、自分でもっと勉強したいなら、参考書としては、

『密教の一字禅』(中井龍瑞著 高野山出版社)

『加持祈祷の原理と実修』(三井英光著 高野山出版社)
 ・・・これはプロ向け

『密教瞑想と深層心理』(山崎泰廣著 創元社)

などがいい。

密教は実践と勉強の両方を修めることが大切です。

実践だけだと錯覚になりやすく、勉強だけだと妄想に陥りやすい。

密教に限らずすべてはそうなのですが。


『菩提心論』には、

諸仏が大悲心の上から、たくみな手だての心を持って、このいみじくもたえなる「こころしずめ」の道を説かれた

とあり、日月輪観、阿字観について書かれています。

「こころしずめ」は栂尾祥雲博士が「瑜伽」を訳した言葉です。瑜伽はヨーガ、溶け合うこと。

僕らが元から持っているさとりの心は、水がしずやかにして清浄なるがごとく、また満月の光が虚空に遍満して、恍惚として、あらゆるはからいを離れたようなもの。

それはまったく月輪の如くである。

さとりの心を形で観ると月のようですが、文字で観ると阿(ア)字である。全ての始まりの音声。

自分の心中に、ほんのわずかでも光明が見えたら、ほんの少しだけでも自分の純粋さを見つけたら、それを少しづつ大きくして、清くあきらかにして、全てを包み込むようにする

というのが瞑想のトレーニング。



心静かなら、桜もなお美しい。見とれているうちに、僕も桜になる。



[ 2013/04/17 08:16 | 米ぞうの家 ]
大空三昧
お父さん、1と0.999...は数学では同じなんだよ。

と息子が言う。


分数1/3は小数にすると0.333...

つまり

1/3=0.333...

両辺に3をかけると、

3×1/3=3×0.333...

1=0.999...



これは代数を使うとすっきりする。

c=0.999...

10c=9.999...

10c-C=9.999...-0.999...

9C=9

C=1


つまり 1=0.99999…

ともあれ、数学は美しい。



それはさておき、

『菩提心論』は真言密教にとって重要な書物で、作者は龍猛菩薩(りゅうみょうぼさつ)。

漢訳したのは不空三蔵。

龍猛さんは1800年くらい昔に南インドにいらした偉いお坊さん。大乗仏教の哲学的基礎を作った人。

不空さんは西域の出身でインドから中国へ多くの経典を伝えた、お大師さんの師僧の師僧。



『菩提心論』の正式な名は『金剛頂瑜伽中発阿耨多羅三藐三菩提心論』

読みかたは

こんごうちょう ゆがきょう の中において あのくたら さんみゃくさんぼだいしん を発する論。

訳せば、

無上の正しく完全なるさとりを志求する心がいかなるものかを論じたもの。



以下、栂尾祥雲先生の『現代語の十巻章と解説』を参考に書きます。



仏教との目的は

心の眼を開くこと

真実に目覚めること

すなわち無上の覚りをひらくこと


人が名誉ある役職に就きたいのなら、まずその名誉ある役職を志求する心を起こし、その役職を修めるに足りる「つとめ」を果たさなければならない。

人がお金を求めるなら、同じようにそのお金を求める心を起こし、お金を手に入れるに足りる努力をしなければならない。

善にしても悪にしても、志を掲げ、それを成し遂げる努力が必要である。


菩提(さとり)を求むるにも同じ。まずは菩提心を発してから始まる。

無上のさとりを求めて、その心を失わない、というのが菩提心。


菩提心の内容は

道を求めること

自他を救うこと

心をコントロールしてまとめること

の三つ。


世の中の人は名誉、利益、暮らしの物に執着して、自分の営みにのみ安住し、ほしいままに貪りと怒りと愚かさと、目・耳・鼻・舌・身の感覚の欲望に行じている。

また、少し程度の良い心になっても、健康や長寿や良き来世を求めて、それが極りだと思っている。

善業によって健康や長寿を得ても、まだこの世の迷いは消えず、善業が尽きれば悪業の結果が訪れることを知らない。人には善と悪の両方があることに気がつかない。


また、宗教的な心を持ったとしても、自分の執着からは離れて煩悩を滅しても、その執着や煩悩を起こす自分は存在していると錯覚している。

意識は浄化できても、その意識を生み出す自我を浄化できず、自我を生み出す根本的な種子を知らない。

だから、いつも一瞬の安らぎしか得られずに、また苦しみに戻る。

そして他を救うことが出来ない。


快楽も不快も、心の上に現れた一時の幻に過ぎない。

例えば、何かの音がするのは音がするだけのこと。

それをうるさいと感じ、うるさいと言うのは心の問題である。

同じく、その音声を良い声だ、素敵な音だ、心安らぐと感じるのも心である。

そのどちらもが煩悩と執着の結果、どちらも心は乱れている。

好ましいとか不快とか、そのどちらでもない状態、ただ音がある、というだけが寂静でやすらいの心、覚りである。


大日経には

あらゆるものは姿の無いものである。虚空の姿である

と説かれている。



自他を救うことは、

あらゆるものを利益し安楽ならしめること。

それには、あらゆるものに対して自分自身を観るのと同じくすることである。

利益とは、あらゆる人を勧めて、静かな心に安住させること。

安楽とは、すべての人は仏なのだから、いかなるものもさげすんだり侮ったりしてはならないということ。


これが身体であり、これが心であるというような差別をせず、大空の三昧(やすらい)の中に入り、静けさの智慧に住して、怠け退く心が無くなるのが覚りである。

勉強修行中に心が乱れる時は、その乱れた心はどこから来たのかを観察し、その原因と条件を見極めれば、それはかりそめのもので性無きものであり、つまりは空であるとの観かたに住して、妄心に追随してはならない。

そうして妄心がやむとき、心の源が安らかになる。



執着や妄想から離れても、なお衆生と仏の間には無始の間隔がある。これはごく微細な間隔。

この一惑を取り除くために、心を統一させる行を修すのである。



最も大切なのはこの心の統一法で、これは単に無念無想になるということではなく、事理不二、物心一如の立場から月輪、蓮華、香、灯明などの事物の中に正念を統一してそこを流れる生命に触れ、一事一物の中に生きた本尊としての仏を発見し、それに融合し合一すること。



『大日経疏第三』には、

所作あるにしたがってみな三摩地と相応し、花を献ずるときのごとき、花と三摩地と相応し、その中の本尊、明了に現前す。乃至、核の如くにして、一一の縁の中に、みなこれ法門界に入る

とある。


[ 2013/04/23 17:02 | 米ぞうの家 ]
なぜ、お米を食べるのか
6月6日(木)鳴門市木津・金比羅前の不動院で護摩供を修法いたします。

どうぞお参りください。

ここは山の頂上で、自動車は入れず徒歩のみ。

水は雨水を貯めて使っています。



都会の水道水はおいしくない。

長女長男の住まいは古いマンションの5階で水がとてもまずかった。

浄水器をつけたのだけれど、それを探している時に、

これはマイナスイオンが出るからとても良いですよ

と勧める人がいた。

聞けば扱う製品いろいろマイナスイオンが出るらしい。


ちょっと変ですよね。だって、

マイナスイオンは身体に良い、ってどういうこと?

イオンが出る、ってどういうこと?

そもそもマイナスイオンとは何?

陰イオンだとするなら塩素だってマイナスだよね。

マイナスイオンがあるならプラスの電荷が残るのではないかな?

そうしたら同じ電子価だけプラスイオンも発生しそうだけれど。

そもそもイオンって空気中に存在するのかな?

水溶液やプラズマの中でしか存在しないのではないかな?


あらゆるものには良否両面があるのだけれど、自分の主張に合う面だけを主張して、都合の悪い片側は無視する傾向は、よく見聞きします。

小魚には体液をアルカリにするカルシウムが多いけれど、酸を作るリンはもっと多い、というようなこともある。



まあ、いいか。



それはさておき、

人間が二本足で歩くのは陰性になったからです。陰性になったので大脳もできました。

なぜ陰性になったのかは陰性な環境と陰性な食べ物の影響でしょう。


あなたと手をつないで歩きたいから二本足になったのではありません。 

ですから、もし人間が陽性な環境や陽性な食べ物を好めば、ケモノに逆戻りできる可能性もある。


動物は植物を食べて生きるけれど、基本的には葉っぱだけで大丈夫だと考えています。


人は陰性だから陽性な火を使うことを覚えたのかもしれない。火を使うから陰性になれたのかもしれない。

氷河期などの寒い陰性や、陰性な草を食べたから陰性になったのかもしれない。

草食動物が草食だけで身体を維持し子孫を残せるように、人間も同じ仕組みで、葉緑素のマグネシウムからヘモグロビンの鉄を作ったりしているかもしれない。


例えば

木綿豆腐
Na 1
K 1900
Ca 240
Mg 220

凍み豆腐は
Na 380
K 30
Ca 660
Mg 120


大根は
Na 19
K 230
Ca 24
Mg 10

切干大根は
Na 270
K 3200
Ca 540
Mg 170

干すだけでカルシウムは増えている。

こうしたことが他の元素でも起きているのかもしれない。



いずれにしても、植物を食べるだけで大丈夫だけれども、それではカロリーが足りないのだろう。

大脳はとても多くのカロリーを消費するから。

つまり、大脳があるから草だけでは足りない。

草だけで生きるためには一日中食べていなければならないのだろう。


そこで、収量が多く連作ができて高カロリーな穀物を栽培して食べるようになったのではないだろうか。


炊いた白いご飯を舎利と言うこともある。

尊い礼拝の対象。


[ 2013/04/24 20:14 | 米ぞうの家 ]
5月になれば彼女は
真面目そうな学生で満員の教室も、新入生でごったがえしていた学食も、

5月の連休明けにはずいぶんと隙間の多い空間になるものだったけれど、

今は5月でも混んでいるよ。授業には出なくても、みんな学校へは來るんだ。

と息子が言う。



4月、新しい生活が始まって、彼女は僕と出会う


春先は冬にたまった陽性毒で肝臓が疲れて、大人はイライラする。

春の若者は不安や迷いがまだまだあるものだ。

若者が経験することは、年上の人間から見れば自分たちが体験したことばかりだから、

ああ、あの時は僕らもそうだったなあ

と思って暖かく見守ることができる。


若者よ、心配しなくていい。

同じような悩み苦しみを味わったおっさんたちは、こうしてそこそこ幸せな人生を送っている。

もっともっと悩んで、精神の基礎を強くすればいい。悩んだ特は、その悩みがどこから来たものかを考えれば、君の頭脳は発展する。



5月、彼女は僕の腕のなかで眠るだろう

少し落ち着きが出て、新しい愛が芽生える。それが安らぎのひとつだと知るようになる。



健康な人に医者が不要なように、心の強い人は自分だけを信じて進むことができるだろう。

しかし、人生には必ず行き詰まりがある。

その時、1冊の本、ひとりの師、ひとつの実践哲学があれば、人は問題を解決し、困難を克服することができる。


お参りに来るおじいさんが、重い病気から生還した時に言った。

いやあ、あの世の入り口まで行ってきたよ。

でもさあ、あの世に向かって歩いていくとさ、いくつか分かれ道があるんだ。

オレはその時にすべて左側の道を選んだ。

そうしてここに帰ってきた。


だからさあ、和尚さんも、分かれ道があったら必ず左側を選んだ方がいいよ。



これもキルケゴールやナーガルジュナに匹敵する実践哲学かもしれないけれど、理論的バックボーンがあればもっと良い。



6月、彼女の態度が変わり始める

落ち着きをなくして、夜をさまよい出す

そして7月、彼女は何も告げずに旅立つ


と、アート・ガーファンクルは歌っているけれど、


愛とはそういうものさ、と諦観できるようになれば、人生の味が深まる。




[ 2013/04/30 07:17 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
何を食べたらいい?
小学校4年生の時、

何を読んだらいいですか?

と担任の先生に聞いたら

ジュール・ベルヌと新田次郎を勧められた。

早速『海底二万マイル』と『聖職の碑』を買って読みふけり、

それからたくさん本を読むようになった。

一日のうち、ちょっとだけでも本を開く時間は、渇いた喉にビールが染み入るくらいの嬉しさがある。



それはさておき、

『倶舎論』には

「有情の身命を養うものを食と名づけ、食物に四種あってこれを四食と言う」

とあり、

お米や野菜などの日常の食物

演劇や音楽など、身に触れて楽しむもの

希望や夢などの意識を体とするもの

阿頼耶識(自我などを生み出す根本的な種子)

の四つが身命を保つ「食」であるとしています。


この四つ以外に『法華経 四』や『八十華厳 浄行品』には、精神的養素として五つをあげています。

その中でも重要なのが


禅悦食・・・

坐禅瞑想など心の統一法によって得た静かな精神は、智慧のいのちを養う食である。


法喜食・・・

法(真理や悟りへの道、世の中のすべての存在)を受け入れることは喜びであり、心に歓喜を生ずる食である

のふたつ。



で、何を食べたらいい?

と聞かれたら、ぜひともお出ししたいものがあります。


大根おろしに梅干しを載せた小皿。



これはあらゆる面で最高の食であります。

まず、陰陽のバランスがいい。

梅干しの塩気、時間、圧力という陽性と、クエン酸の陰性

大根のカリウムなどの陰性

生のすりおろしには酵素が生きている。

繊維が多く脂肪は少ないから、良い便を作る。

カルシウムが多く、リンが少ないから体液をアルカリにする。



同じく

ご飯に、昆布出汁で伸ばし海苔を混ぜたとろろをかける。

しいたけ出汁の味噌汁に少しの豆腐とたくさんのニラを入れる。
 




[ 2013/05/01 08:07 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
食と祈り
連休でお疲れのかたもいらっしゃるでしょうが、体調が陰性気味なら深めに作った炒り玄米をそのまま噛んで。

陽性過多なら魔法のスープを無塩でたくさん飲む。

どちらかわからない時は炒り玄米入り魔法のスープ。

陰陽の観かたや作りかたは当庵ホームページをご覧ください。
http://shintenan.hanagasumi.net/



先日の料理教室であるかたが、

最近の世の中はどうもおかしいですよね。

と、言ったらしいのですが、

最近のモナカはどうもおかしいですよね。

と僕には聞こえたので、

そうですねえ、ここのところ食べてはいないのですが、風変わりなものも出てきているようですね。

と答えたら、変な顔をされました。


子どもの頃、蝙蝠男を子守男と、こぶとり爺さんを小太り爺さんと間違えていたことがあるから、僕はまだ少年の心を失っていないのだろうな。



最近の料理教室では端午の節供料理を作りましたが、来月は夏越の料理を作ります。

メニューは、

・梅御飯
・夏越巻き
・大原木そば
・ごま煮 
・その他  

どうぞ、お越しください。



それはさておき、


仏教の食時作法はお釈迦さん以来の律によっていますが、作法としての原形式を作ったのは中国4世紀の釈道安とされています。(飲食唱時法)

また、7世紀の道宣が著した『行事鈔』が、律式食作法の大元と考えられています。


17世紀、江戸時代に浄厳和尚が『真言行者二時食法』を編し、また等空撰の『作持門詞句要集』末に収められた『食時作法私記』が作法の主流になり、
現在では、中川善教先生の『真言宗常用諸経要集』にある「食事略作法」が真言行者に伝授されています。

その中から、食時作法の中心であり、普段の生活で所作できるものを抜き出し『極略作法』としてホームページに載せましたのでご覧ください。


作法では、食事を前にして以下のような瞑想・観想をします。

一 この食べ物は、自然や多くの人の手によってこの食卓に上ったことを思う。

二 自分はこの食事を食べる資格があるかどうかを思う。

三 善心を妨げ過ちを起こすのは、貪りと瞋りと愚痴であることを思う。

四 食べ物はいのちを養う為であり、正しい食物を必要の限度にとることを思う。

五 正しき生活を目標にして、徒に世の栄達を願わざることを思う。

そして、

一切の悪を断つために      ご飯をひと口
一切の善を修すために      ご飯をひと口
一切のいのちを助けるために  ご飯をひと口
仏道に回向するために      お菜をひと口

と観想しながら食べます。


美味しいからといって貪らず、

まずいからといって怒らず

並のものだからと愚痴をこぼさない。


食事をするのは菩提のため、つまりは「しあわせになる」ためであって、その他の名利のためではない。

つねに心の喜びを持ち、他の幸せを願い、なお一層努力精進するために食事をする。

そのような心で食事をすれば、健康はおまけでついてくる。



感謝して楽しく食べましょう。

[ 2013/05/05 17:22 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
仏壇とラーメン
連休中ずっと仕事の僕と、ずっと部活の息子。

今日はふたりともお休み。


で、妻と3人で仏壇を買いに正雲堂へ。http://www.syoundo.co.jp/instanthp/page01.html 


仏壇は小さなお寺です。だから主役はご本尊さん。

そのご宝前で瞑想などの修行、供養、回向、懺悔、祈願、祈祷などをします。

仏教に対して信仰があるなら、仏壇があったほうがいろいろ便利。


 
仏壇内には、ご本尊さんの供養と一緒にご先祖さんの回向もできるように位牌を置きます。

お寺ですから誰が誰を拝んでもよろしい。拝めば拝むほど功徳になります。

有縁無縁どなたの位牌をおまつりしても構いません。拝んであげれば良いのです。

家庭の仏壇は大きさが限られていますから、何でもかんでもというわけにはいきませんが、ご本尊さんやお位牌の邪魔にならないようにすれば、他は気にしなくて大丈夫。


香炉で線香を焚きます。

香が淡々と燃えるように精進し、香りが身に沁みつくように戒律をしみこませて徳を積む。


灯明をともします。ローソクでよろしい。

その火で明るくなるように、心に智慧の火をともせば、悩み迷いの闇は消えます。


花瓶にお花を。

花を見れば自然と微笑んで、嫌なことも耐え忍ぶようになります。

香、ローソク、お花というモノを供えることにも意味がありますが、精進・智慧・耐え忍ぶというような心が最大の供養になる。

そのほかご飯、湯茶、お菓子など、何でも美しくお供えするとよろしい。

自分が食べる飲む前に、お先にどうぞ、と供えれば、心は純化します。



仏壇屋さんからの帰り道、息子とラーメン祭りへ。



著名なラーメンって油が多いのですね。想像以上でした。

ちなみにトンコツはモヤシを煮込んだスープで、牛はネギ類とキノコと香辛料のスープで、魚の出汁は大根とネギとかんきつ類で。酸毒を溶かすことができます。

たんぱく質は酸味で、脂肪は辛味で、と覚えれば便利。お肉魚卵は、たくさんの香辛料と野菜で、のほうが簡単かな。

いずれにしても「量」の問題ですが。


ともあれ、楽しかった。

[ 2013/05/06 17:15 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
心のもちかた
しあわせを願えばしあわせが来る。

などということはないだろうな。それは子どもの考え方だ。

悟りを願うなら修行しなければ届かないように、

努力工夫しなければ、しあわせにはなれない。怠惰と妄想では迷いの繰り返しがあるだけ。

お釈迦さんや孔子さまがそのように言っても、気がつかないまま生きてきている。



経験を積んだ大人は、昔と今を比較検討して、現在を客観的に見ることができます。

勉強して知識のある人も、過去の歴史や世界の様子と比べることができるので、より客観的に見ることができる。

それに対して子どもは今しか知らない。

より幼い子なら親とその周辺しか知らないから、「今」と「親」のマインドコントロール下にある。
 
というようなことを、高島俊男サンがどこかに書いていたけれど、

だから、子どもの様子は今の家庭や社会の状態を表していることが多い。

大人が冷静になっていれば良いのだけれど、そうでない場合はそうでなくなるのが子どもである。そして、その子の脳は硬直してゆく。



「怪力乱神を語らず」というのは孔子さまの言葉。(『論語』述而篇)

神妙不可思議な、理性では説明できないことがらについては語らなかった、ということ。

論理的建設的な思考で、自分の考えが及ぶ範囲で考える、そうでないものは理性的でなくなり、心が振り回されるだけ。


お釈迦さまは「無記」という立場をとっていました。

「この世界は、どうなっているのか? 霊魂は存在するのか? 死んだらどうなるのか?」

このような問いにお釈迦さまは答えませんでした。


有名なのが阿含経典にある「毒矢の喩え」

毒を塗った矢が飛んできて刺された。

まずはその矢を抜くことが先決。

矢を調べたり、誰が矢を射ったのか調べたりするのは、後からでも出来る。

困難な事態の時には、今すべきことを判断できなければならない。


まずは、矢が刺さった人の苦しみを取り除くことが大切なんだ。

「霊魂があるか」「死後どうなるのか」などということは、心が振り回されるだけなんだ。

そのようなことを考えるのは、それはそれでおもしろいのだけれど。

無用な論争の弊害からのがれ、苦しみからの解放という本来の目的を見失なわないためにとられたのが「無記」

霊魂が、前世が、来世がどうであろうと、まずは現在の苦を滅するための修行が大切ではないのかな、というのが仏教の立場です。




僕らは普段、善悪好き嫌いなどの思考によって、煩悩に振り回されて生活しています。

でも、坐禅瞑想するときには、無差別無執着の心でなければうまくいきません。


隣りに寝ている人のいびきが聞こえても、いびきが聞えているだけのこと。

それが素敵だとか、うるさいとか思う必要はない。

ただ、聞こえている。


心を統一する、コントロールするには、それが瞑想の目的なのだけれど、求める心を捨てることが大切。


心身は一如ですから、身体を中庸にするのは心の安定にとても良いことです。

陽性になれば陰性が欲しくなり、陰性なら陽性を強烈に期待します。


そういう両極端なものを少なくすることで、だんだんと心は安定します。

求めることをやめれば、心のなかにある自我という、もっとも手ごわい煩悩の垢が自然と取れます。穢れも無くなる。


もし、そのような心を毎日の生活の中で持つことができれば、ありとあらゆるものが仏に見えてくる、と僕らは教わりました。


一日のうち、ほんの数分でもそういう心になれば、それが積み重なって、苦しみや不安や迷いが少ない心になり、心身が中庸ならガンや認知症にもならず、死に際も美しくなるだろうな。


[ 2013/05/07 05:47 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
定印の弥陀
『日本の聖域』第六巻「宇佐と国東」(佼成出版社)で、阿弥陀さんの磨崖仏を見ていたら、息子が写真を持ってきた。

修学旅行で撮った写真ですが、なかなかいい。
 



鎌倉高徳院の大仏は阿弥陀如来。

阿弥陀さんにはいくつか種類があって、これは密教の阿弥陀。手が定印という形で瞑想している姿です。

対して浄土系の阿弥陀さんは立像で掌をこちらに向け、来迎や説法を表しています。


定印の、つまり深い瞑想をしているお姿の阿弥陀さんは美しいものが多い。

京都では、

宇治の平等院、日野の法界寺、鳥羽の安楽寿院、伏見の即成院

花園の宝金剛院は十一面観音も美しい。

加茂の浄瑠璃寺。ここの阿弥陀さんは九体並んで圧巻。弁財天がこの上なく美しい。


阿弥陀さんは「妙なる見極めの智慧」の瞑想状態にあり、その智慧によって疑いや悩みが断たれるので所願が成就します。


僕らが唱える阿弥陀さんの陀羅尼には、

一切の希望を成就するために、一切の業と煩悩を滅することに、阿弥陀さん(の智慧)が力添えしてくれる

ということが書かれています。

阿弥陀さんの智慧は意識が転化したもので、肺と鼻と親指に関係し、悲しみを取り除きます。

僕とあなたは平等だけれど違う。その辺をよく観察して、物事を見誤ることが無い智慧。



密教像ではないけれど、兵庫県小野市・浄土寺の阿弥陀三尊は、そのお堂ごと美しい。これが浄土か、と思うほどだった。
 




[ 2013/05/13 08:08 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
夏越の料理
6月晦日。

夏越しの祓いに供えるおせち料理です。

お菓子は水無月。
 




材料表載せます。(5人分量)


1、梅御飯

五分搗き米  3カップ
炒り玄米   大3(炊いたもの)
梅干し    大2個


2、夏越巻き

ごぼう  80g  5ミリ拍子木
人参   80g    〃
湯葉(または油揚げ)5枚  
ごま油、醤油、塩
山椒   少々


3、大原木そば

乾そば  1束
ふき   20センチ×5本
かんぴょう 少々
塩、昆布出汁、醤油


4、車麩吉野煮

車麩   3枚  素揚げ
大根  250g
人参  100g
醤油、吉野葛


5、はるさめ酸味和え

春雨   30g
高野豆腐 3枚
ねぎ  1/2本
シイタケ出汁 3カップ
塩、醤油、こしょう
吉野葛 大1
梅酢  大1
ラー油少々
白ごま 大1
(ほか、季節の彩り野菜 適量)

[ 2013/05/13 14:10 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
懺悔が足りない
草刈りの季節になりました。

田舎はこの作業が家の、地域の中心と言ってもいい。
 


今年は念願の機械化。この刈払機、欲しかったんだ。



それはさておき、

昨今の人類は懺悔が足りていない。

もちろん僕も足りていないのですが。


あらゆるトラブル不幸苦しみは三毒に起因します。それは、

もっともっとという「貪り」

耐え忍ぶことをしない「怒り」
(仏教では「瞋り」を使います。お不動さんのように目をむいて怒ること)

あらゆるものには原因があり、縁と条件によって変化するということを知らない「無知」

の三つ。

このうち「怒り・瞋り」に対しては怒りで応じても無駄なのだけれど、それがなかなかできなくて、人類は戦争と略奪の歴史を繰り返してきました。

怒りに対しては忍耐と許容でしか解決できない、とお釈迦さんもキリストさんもさんざん言ってきたのに。

はい、僕もなかなかできません。


修行の最初は懺悔から始まります。

五体を地に投げ出して、何日もかけて徹底的に懺悔礼拝します。これでもか、というくらいに懺悔する。あれもこれも懺悔する。


法事法会でも最初に唱えるのは懺悔文

我れ昔より造る所のもろもろの悪業は
皆無始の貪瞋癡に由る
身口意より生ずる所
一切我今みな懺悔したてまつる



懺悔なくして滅罪なく、生善も無く、成仏悟りも無い。


例えば、

家族の誰かが悪いことをして他人に迷惑をかけたなら、

ああ、オレも悪かったな。

オレのせいであいつはイライラしていたんだ。

もっと早く気がつけばよかったな。

ひとこと足りなかったな。

親であるオレの責任だよな。

などと、いろいろ反省懺悔するでしょう。


同じように会社でも、学校でも、クラブやサークルでも、

自分は全く関係無いなんて思う人はいないでしょう。何らかの関係があり、そう思わないのなら、もはや人間ではない。


地球全体ではどうなのだろうか。

誰かが悪いことをした。

同じ地球人として、僕にも責任があるのではないだろうか。

すまないね、ごめんね、悪かったね、ゆるしておくれ

懺悔がもう少しあれば、人類はもっと平和でしあわせになれるだろうな。

そして、人類は怒りを捨てられないくらい陽性過多なんだろうな。




[ 2013/05/14 07:15 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
おまじない
明治天皇の御製に、

うるはしく かきもかゝずも 文字はただ 読みやすくこそ あらまほしけれ


というのがありますが、横山和雄『編集出版用語誤用集』(出版ニュース社刊)を読んでいたら、


文字は下手でもよい。だが、どのような場合でも、丁寧に書いてほしい。

とあり、

筆順が違うと判読に苦しむ文字になる


とも言っています。

漢字やカタカナの書き順がおかしいと、文字の形が不穏になって、


はて? この文字はなんという字だろうか?

ということになりがち。


ツとシ、ンとソ、イとリ、ヌとスの間違いはよくある。


僕らの世代、書き順は口うるさく教わったものだけれど、最近はそうでもないのですかね。



もっとも、「手で文字を書く」ということをしないのかもしれない。

文字と暦は文化の基礎なのに。



そんなことを考えていたら、息子から電話があり、

言葉づかいを勉強したいのだけれど

と言う。


これは親の責任だな。僕の言葉が悪かったのだろう。


取りあえず、言葉に厳格な漱石、鷗外、阿川弘之、高島俊男、藤原正彦、江國滋などを読むように言った。




それはさておき、

きり絵作家の冗快さんから大随求菩薩についての質問があって調べていたのだけれど、言語のお名前は


Mahapratisara(マハー プラティシャーラ)

義訳すると

法術・護符


この菩薩さまにも真言があり、それを唱えることによる息災・滅罪・求子の功能が平安時代から喜ばれていました。


僕らはいろいろな真言・陀羅尼・呪を唱えますが、それらの違いは大学の授業でも取り上げる問題で、なかなか難しいものです。



真言陀羅尼は仏の言葉であり、観想し唱えれば迷いを取り除き、一字に千の理を含み、この身のままで真理を体得できる、とお大師さんは言っています。


単なる現世利益のおまじないとは違う修行の言葉ですが、布教の手段としてはその利益が拡げられています。



世の男性諸氏が一生の間に呼ぶ名の第一はおそらく「お母さん」でしょうが、それ故お母さんと呼べば安心と平安が訪れ、呼ばれたお母さんはいつも慈愛と生きる智慧を注いでくれます。


その「お母さん」くらいたくさん唱えれば、諸仏諸菩薩も同じく転迷開悟と人格の完成をもたらしてくれるでしょう。





僕は真言陀羅尼呪文以外に、いくつかのおまじないを知っています。


例えば、好きな人を振り向かせるおまじない。


ご飯を炊いて、それが熱いうちに「アチッ!アチッ!」と言いながら両手で塩むすびを作り、食べてもらいます。


そのうえ、有縁の仏菩薩明王に関わる真言を唱えて、諸行の無常と諸法の無我を瞑想すればご利益万倍。

以下同じように、



・好きな人が優しくなるおまじないは、

右手で左の耳を、左手で観後の耳を、お互いに24回揉む。



・仲直りのおまじないは、

オン ニコニコ ハラタテマイゾ ソワカ

と21辺唱える。




・友だちが大勢できるのは

中指の真ん中を21回揉む。



・心願が叶うのは、


満月の朝3時から5時の間に、月の真言を唱えて心に月を観想する。

または、


橋を渡る時には丁寧に上品に音を立てずに歩く。



・成績がアップするのは、


護摩の灰(炭)をお守りにする。


・試合に勝つには、

仰向けになっておへそのまわりを9か所押す。




・集中力をアップさせるには

片足で交互に1分立ちながら深呼吸。




・怒りを静めたい時は、

酸っぱいものを飲んで、お不動さんを想う。



・恐怖感を無くしたい時は、

野菜スープを飲んで、以下同上。


・悲しみから逃れたい時は


暖かい根菜スープを飲んで、


・不安から解放されたい時は、

暖かい大根と葱と葛のスープを飲んで、



・興奮を冷ましたい時は、

レモネードを飲んで、


・毒蛇や毒虫に遇わないためには、


有精卵と醤油を混ぜて飲み、孔雀明王の真言を唱える。


・悩み事は

紙にそれを書いてゴミ箱に捨てる。



・仕事運アップには

道の水たまりをジャンプする。ただし人に見られないように。そして、少食節食。



・金運アップには、

赤富士の絵を飾り、十一面観音をおまつりする。


・良縁・子宝・結婚成就には


野菜スープを飲んで准胝観音にお参りする。

または、結婚線をまっすぐにすれば確実。




いずれにしても、

志が低いと何をやっても成功する可能性は低い。


生活習慣が正しくないのが最大の悪業であり、それが良ければ願いは叶う。



おまじないをするくらいの余裕と、おまじないを信じられるくらいの努力精進と、おまじないで諦められるくらい心に余力があれば、大事に至ることはないでしょう。



[ 2013/05/15 08:06 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]



<< 前のページ  |  ホーム  |  次のページ >>