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[ 2024/11/30 13:29 | ]
人生の誇り
縁者が来て

自分を良く評価して、自分の人生に誇りを持つべきだ。

と言う。


どうなんでしょうかね。

自我の強調であり、煩悩苦しみの根源だと思うのだけれど。

そんなものは無いほうが穏やかに暮らせるような気がするのだけれど。

何でも、 

無理に良い方向へ解釈するのは、無知や怠惰を正当化することにつながりかねない。


プライドは煩悩であり、苦しみを生む原因になるけれど、

それを自分の誇りではなく、人類全体の、あらゆるいのちにつながる大きな誇りにすればいい、
と密教では考えます。


僕みたいな田舎のおっさんは、金も名誉も力も無いけれど、

ある程度の年季というものがある。

それが誇りという障害になることもある。

そういうものとは別なものもある。

どんな子でも親にとっては宝物であり、その成長が人生の安らぎになります。

その子を産んでくれた妻と一緒になれたことは、

人生の誇りかもしれない。


誰もがそう思うだろうから、

すべての子が朗らかに楽しく笑顔で暮らせるように何かができれば、

大きな誇りになるだろうな。



______________________________

※不調を悟りに変える
「密教ヨーガとストレッチ大全」

http://shintenan.syoyu.net/%E7%A9%80%E8%8F%9C%E9%A3%9F%E3%81%AE%E8%88%8E%E4%BC%9A%E5%93%A1%E7%94%A8%E3%83%9A%E3%83%BC%E3%82%B8/%E5%AF%86%E6%95%99%E3%83%A8%E3%83%BC%E3%82%AC%E3%81%A8%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AC%E3%83%83%E3%83%81%E5%A4%A7%E5%85%A8

 

PR

[ 2016/02/18 17:42 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
幽霊よりも恐ろしい人間
歌丸師匠の落語を聴きたいけれど、なかなか機会が無くて、

ブックオフで中古CDを買って聴きました。

『牡丹灯籠-栗橋宿』

 
この噺の前に「お露と新三郎」「お札はがし」があり、

後には「関口屋のゆすり」があるという長編で難しい噺ですが、

歌丸師匠の鬼気迫る力強い話芸に身震いしました。


牡丹灯籠は怪談ですから幽霊が出てきますけれど、

幽霊以上に恐ろしいのが人間の業。

色と金、疑いと裏切り、殺しと仇討ち、それらが複雑に絡み合う噺です。


現実でも、

何を想い、何をしたか

それが人生を作る。


あの世とか霊魂は脳の中にあるものですが、

怖いのは死んだ人の霊ではなくて、生きている人の想い。

そういうことは、普段にもよく感じられることです。




『菩提心論』には

人が財宝を貪り欲するとせば、まずその財宝を志求する心を発起し、

その財物を経営するに足る行いをなさねばならぬごとくに、

すべて善にもせよ、悪にもせよ、

人がこれをなさんと欲せば、まずこれをなさんとする志をかかげ示し、

しかして後、その志を成し遂げうる行いをなさねばならぬでである

とあります。

悟りを求めるにしても同じ。


悟りには、

みんなが楽しく生きる行為=慈悲心

存在とは何かを知る智慧=向上心

有るがままの世界・絶対自由の心を得る修行法

が必要で、

それによって今の肉体そのままに仏を実現する

というのが密教の立場。


恐ろしい人間になるか、仏になるか

心と行為によるだけ。



[ 2016/02/19 10:00 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
いやいや

台所に入ったらカレーばかり。

野菜のカレーが少し残っていたので、芽キャベツをごま油で炒め、塩蒸しして加える。



娘が作ったグリーンカレーはものすごく辛いので、

レンコンをソテーし、甘味を出して載せる。





ぬか床が空席状態なので、ヤマトイモを漬けた。



 
それはさておき、

S家のご法事で、元刑事の喪主さんから伺った話が興味深いものでした。

昔と違って、悪いことをするヤツは絶対に謝らない、

と。

そして、

昔の書類は縦書きなので、文章を読みながら首を縦に動かしたけれど、

最近は横書きなので、みな首を横に振るようになった

とも言う。

だから、

ごめんなさい、と首を縦に下げられないのだろうか。


縦と横では

タテは陰性、ヨコは陽性。

今は、陽性過多の人が多いのだろうな。

陽性な子はイヤイヤをする。










[ 2016/02/24 07:40 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
お焼香は何回?
豆腐を冷凍し、自然解凍して炊く。



完全に解凍せず、絞らずに炊いたほうが滑らかに仕上がります。


同じ鍋で、

残りご飯にレンコン・ゴボウを混ぜてお揚げに詰め、一緒に炊きました。



昨夜は寒かったから、こんなメニュー。

 

それはさておき

お焼香は何回すれば良いの?

はよく聞かれる質問です。 

心を込めて一回がよいでしょうね。

僕らが修法する際には、焼香のタイミングや作法が『秘蔵記』などに書かれていますが、

一般のかたに決まりはありません。


もちろん、3回でも10回でも100回でもダメというわけではありませんが、

お葬儀や法事などでは、他の人に迷惑をかけないよう、
 
姿勢よく上品に、一回でいい。

回数を気にするより、

名香を持参して、懐中から香包を出して焼香すると、とてもよろしい。


緊張して焼香ではなく火種をつまんでしまう方もいらっしゃいますが、

あまり周囲を気にせず、

故人の菩提やご遺族の平安をお祈りしてください。

 
お線香の場合、

参列者全員で立てる必要はないのですが、

立てるなら、次の人が立てやすいように香炉の奥から順に。


そもそも焼香とは何かといいますと、

『僧史略』には、

香を信心の使いとする

とあり、

『大日経疏』十一には、

花や香は、心を持ってこれを加持せよ。

と書かれています。

また、

淡々と燃え進む焼香は「精進」の象徴であり、 焼香する行為と精進の生活は同じ功徳、

というよりも、

普段、努力精進していない人が、いくら焼香しても意味は無い。


焼香の功徳について、

『観自在大悲成就瑜伽』には、 

礼しおわって・・・すなわち香を焼け、この香気をもって諸悪鬼神などを逐い除う。

とあります。

もちろん、

諸悪鬼神は心の中にいます。



インドでは、

死んでから来世を迎えるまでのあいだ、つまり肉体が無い時の食べ物が「香り」と考えられていました。

ガンダルバ(食香)と言います。


ですから、

ご本尊さんやご先祖さんは、お供えしたご飯や果物の香りを食べているんですね。


人には徳の香りがあります。

その香りは世界のすみずみまで行きわたり、

その人が死んでも、香しく残る。

せめて良い香りの人間になりたいものです。



[ 2016/02/25 07:36 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
シンボル
お塔婆は立てたほうが良いのですか?

と時々聞かれますが、

どちらでも良いです。

僕は、

頼まれれば書いて開眼供養しますが、

こちらから催促することはありません。


お塔婆は卒塔婆(そとば)ともいいますが、そもそも何かというと、仏塔のこと。

仏塔にはストゥーパとチャイトヤのふたつがあり、

前者は仏舎利(お釈迦さんの遺骨)を納めたもの、後者には仏舎利を入れない。

でも、ずいぶん昔からこの区別が曖昧になり、今では同一のように使われています。

僕らが拝むお次第にも、チャイトヤのことをストゥーパ(卒塔婆)と書いてあります。

ストゥーパの音写語が卒塔婆、お塔婆。


で、

塔には五重塔や多宝塔などがありますが、それの略式形が木の卒塔婆。

墓石も塔ですから、お墓があるのなら改めて卒塔婆は要らないかもしれない。

仏舎利を収めた塔はお釈迦さまを供養するものですが、

それを立てることが広大の果を得る(『異部宗輸論 法蔵部』)と考える人たちと、

そんな形式的なことではなく、修行することが真の供養である(『異部宗輸論 制多山部』)

という立場の人がいます。

いずれにしても、

塔を立てることが仏法の護持であり大きな功徳になるとして、

その功徳を故人にめぐらすために、板の塔婆を立てる習慣が一般化しました。



密教では、

塔は大日如来のシンボルで、その内部はマンダラ世界を表す

という立場です。

大きな塔も卒塔婆も、

塔は大日如来であり、自分自身であり、一切衆生。 



大日如来は宇宙の中心で、宇宙そのものですが、

会社でいえば社長さん

重役には阿閦如来や阿弥陀如来

管理職には観音さまやお地蔵さん 

その他平社員、パート、アルバイト

働く人たちを支える家族や友人

みんなで協調して、調和しているのがマンダラ世界


また、

僕の身体でいえば、

僕の本質が大日如来

大脳が阿閦如来や阿弥陀如来

五臓六腑が観音さんやお地蔵さん

その他すべての細胞がいろいろな仏さま。

それらが調和して僕が成り立っているマンダラ。


マンダラとは、悟りの世界を全と個の関係で表現したもの。

僕と宇宙のハーモニー、ということかな。

 
塔の中には大日如来と諸尊がいて、マンダラ世界を象徴しています。もちろん僕もそこにいる。

僕の中にも塔があり、それがマンダラ世界。


つまり、

塔内は大日如来の内容であり、諸尊が集会している。 

それが現在の世界に映る宇宙の姿。

塔内は法界宮殿であり、大日のさとりを示すのが塔


『舎利礼文』には

如来発心の法界塔婆 根本の法のみほとけの性そのままの塔婆なり

とあり、

『真俗佛事編』には、

如法に開眼し、三密加持するとき、塔婆はすなわち大日になる

ひとたびみても悪趣を離れ、業障を滅する


お大師さんの『秘蔵記』には、

卒塔婆は大日如来であり、自性清浄心とも、真如とも仏性とも如来蔵とも法性とも観ずべき

とあります。


胎蔵マンダラの塔


金剛界マンダラの塔





[ 2016/02/26 09:18 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
白い
今日はお不動さんの縁日。

みなさまの平安とご健勝をご祈祷いたしました。



さて、

最初は何もかけずに豆腐だけを食べてみてください

と店主が言う。

濃くておいしい豆腐でした。



豆腐は水分が多いから陰性。

野菜でも、葉物や夏野菜などは水分が多くて比較的陰性。

こういうものは鮮度がものをいう。水が変化するから。

食べ物以外でも、陰性なものほど鮮度が命。

下野豆富 あらた家
http://arataya.com/



昨年の5月 雨の羽田で真っ白の飛行機。たぶん譲渡前のJAL・B767



今年も同じころ、鳴門不動院へ護摩供に行きます。







今年の元日。 何があったのだろうか

これ、弁償するともらえるんですよね。






顛倒座

自己中心的な錯覚を反省する坐法。

『望診法講義録 人相編』に「密教ヨーガ・瞑想法・食時作法」を付録するために撮っています。今春発売予定。





[ 2016/02/28 07:38 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
変わり者
宅急便を配達してくれるのは同級生のKクンで、

先月の飲み会には誰それが来たよ、

次は○○日にあるからおいでよ、

と玄関でハンコを押すときに伝達してくれる。


都合がつかず、なかな参加できないので、会いたい筆頭にメール。

明日、一杯やろうよ、

と。


安心してください、空いてますよ。

と返信が来て、

長男を連れて行ったら、

昔の行状を息子に全部話すよ、

と脅される。

で、30年ぶりの話をたくさんしました。


今も元気なヤツ、そうでもないヤツ、既に鬼籍に入っている人など、いろいろ教えてもらう。

話をしながら、今と違うなあ、と感じたのは、

あの頃、

変わり者は変わり者としてみんなと共存していた。

集中力が無い、人の指示に従えない、人の話を聞かない、集団行動がとれない、忘れ物が多い、落ち着きがない、協調性が無い、人にちょっかいを出す、順番を待てない・・・。

僕もそんな生徒だったし、それは性質特徴なのに、

ただそういうヤツだったのに、

今はそれらに病名がついて、みんなと共存しない。

人と違う、変わっている、という長所が摘み取られてしまう。


それから、

学校には、不良と、まじめなヤツと、そのどちらとも付き合うやつがいて、

話が教室のみんなに届いたから、不良が孤立することはなかった。

だから、大事に至る可能性が低かった。

タバコも酒もシンナーも万引きも犯罪だけれど、そこで止まった。


先生によく殴られたけれど、僕らも先生に反抗した。そこの風通しが良かったから、ケンカで止まった。



まあ、歳をとると、昔は良かったと思いがちなのだろうな。


[ 2016/02/29 11:21 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
迷いが多いから悟りも多い
毎月、陰陽検定問題集の回答を送ってもらい、何人かの添削をしていますが、

陰陽と酸アルカリが混同する場合が多いようですね。

酸アルカリと陰陽では動きが違います。

酸性はアルカリ性のもので中和されますが、陰性と陽性はバランスをとろうと動くだけです。  

それによって、手当てのメニューを作れば問題が解決します。


※「春のイライラと花粉症を改善するメニュー」
https://groups.google.com/forum/?hl=ja#!topic/shintenan/g3Wf8TqjKYo

※「ご飯を食べ過ぎると」
https://groups.google.com/forum/?hl=ja#!topic/shintenan/BlPcLb3ulNg 


陰陽どちらかが過多の時、煩悩が生じます。

陽性過多なら怒り、陰性過多なら怨み

のように。

どちらも腎臓の機能が低下して、身体が固くなる。

つまり、

原因は陰陽両方ありますが、結果はみな陽性症状になります。



それはさておき、

『聖☆おにいさん』No.11によると、

私の手はゴッドハンドだから、

触れるものすべて清くなる手だから、

たとえ うんこをつかんだとしても。私の手は清潔なんだ

とイエス様が言う。


煩悩、汚れた心も同じように考えて良いかもしれない。


心を不安定にして波立たせる煩悩は、

貪り・怒り・無知・慢心・疑い・邪見を基本として、

それに随う迷いがたくさんあり、60とか80とか108とか数えられます。

根本は無知。

物事の道理を知らないこと、勉強しないこと、じっくり観察しないことです。

これらは

自己中心の考え、それにもとづく事物への執着から生じます。



『沙門果経』などには、仏・菩薩が持っている六つの神通力が説かれていますが、

その中でもっとも重要な力が「漏尽通(ろじんつう)」 

煩悩が尽きて、心が完全に開放されていると知る力。

 
煩悩も、それに随って起こる心の動きもみな、

心によって作られます。

それらは、

幻や揺れる焔のようなもの

蜃気楼のようなもの

火縄をぐるぐる回すと、火の輪にように見えるもの。実際に輪は無い。

深い谷に響くコダマのようなもの

心静かに、無知から離れれば、それは消えてなくなります。



実際の生活では、

心はシングルタスクなので、ふたつのことを同時にできない。

それさえ知っていれば煩悩も簡単です。

食欲は食べれば無くなる。

お酒が飲みたくてしょうがない時に、おいしいご飯を食べれば満足してお酒への渇愛は消えます。

性欲も怒りも疑いも、

他の感動や笑いの満足で消える。

それは瞬間的で、また起こります。 

だから、

そのたびにひとつひとつ消してみます。

そのうち、消す手間と時間がバカバカしくなって、消すものも生じなくなります。

スポーツや芸術や勉強で、練習すれば上達するのと同じです。

要は生活の工夫と思いようである。

汚れた陽性を消せば良い。

迷いが悟りに転換するのだから、悟りはそれほど難しくことではないかもしれない。





[ 2016/03/03 10:43 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
福島県の妊産婦と子どもの甲状腺検査について
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[ 2016/03/08 08:21 | Comments(0) | 穀菜食の舎 ]
美肌の裏にあるもの
本文を読むにはこちらからパスワードを入力してください。

[ 2016/03/08 09:13 | Comments(0) | 穀菜食の舎 ]
早春の椀
冬の間、身体にたまった脂肪は陰性ですが、身体に取り入れた脂肪には塩気があるので陽性。

それを春の陰性な苦みで溶かします。

育つのが早いからとても陰性



ふきのとう素揚げ

レモンで油を消します。




ふきのとう精進揚げとセリ焼き

これは大根おろしで油消し




湯葉とわかめと菜の花





鍋にカレーの残りがこびりついていたので、

トマトジュースを入れて煮込み、

お揚げ、しらたき 、玉ねぎ、にんじん

古い麦みそを切って煮込めばアインシュタインシチュー。

 



普段は燗酒をつぐ大盃に、作りたてのみそ汁を注いで飲むとうまい。





※「福島県の妊産婦と子どもの甲状腺検査について」
http://shintenan.syoyu.net/Entry/856/


※「 美肌の裏にあるもの」
http://shintenan.syoyu.net/Entry/857/






[ 2016/03/08 10:08 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
希望と勇気
もう5年なのかまだ5年なのかはわかりませんが、とにかく5年。

3月9日、10日。

郡山で何人かと会ってお話。 

郡山は除染と復興作業で景気が良いところもあるけれど、

除染は何のためにやっているのかわからない。線量が上がることもあるし。

庭はきれいになるけれど。

原発周辺からの避難者と、地元の人との間ではなかなかうまくいかないこともある。

地震で家が壊れた。

津波で流された。

原発で避難した。

人が亡くなった。

それぞれ事情も保証も賠償金も違う。

住めないという点では同じなのに、家の壊れかたでも違う。

でも、

福島の農産物と酒はうまい。

安全基準や検査が厳しいから、都会のものより安心。何より鮮度が違うし安い。

今や、放射性物質についてはデータや情報が整理され、冷静に判断できる環境ですが、

事実と違う間違いを認められない、情報の確認も出来ない人は少なくない。


11日、

福島第二原発がある富岡町へ。 第一原発までは6~7キロ。  

ここは居住制限区域ですが、今の線量は0.2μ㏜/hくらい。 

震災後、我が家が住んでいた郡山と同じくらい。


国道6号線は通れるけれど、

これより北は帰宅困難地域で線量も上がります。

道路から離れるとバリケードがあり、防護服を来た人たちが作業をしている。

富岡町・双葉警察署北の公園に慰霊碑があるのでそこで読経


線量計が並ぶ常磐自動車道を走って、宮城県名取市・閖上に。

11日なので、慰霊碑には大勢の人がお参りし、テレビやマスコミも多い。



空が青い。


若林区荒浜の深沼観音で読経。

周囲はあの日のまま。ここは人が住めない地域。

海には防波堤ができて、砂浜に出られるようになっていた。

海に向かって読経。

風が冷たい。


翌日は津波被災地から仙台市に避難しているかたがたと写経の会。

家族を亡くし、家や仕事を無くし、

ようやく5年、まだ5年。

立ち直る人、そうでない人。

家族が死んでも、その分思いっきり生きようと思える人。

5年たって、ようやく泣けるようになった人。

生きているから泣ける、考えなおして生きてゆく、と思う人。

人によって心の恢復は異なるけれど、

ほとんどの人の心にある故郷の空は美しい 。


その後、

東松島市宮戸地区、長音寺跡、野蒜小学校跡、東名慰霊碑を巡拝。




旧野蒜駅は保存され、ここで売っている「海苔うどん」がうまい。



津波の跡には多くの重機が入り、大規模な圃場整備や土地のかさ上げ工事が進んでいますが、
今後どう使うのか決まっていないところも多い。

移転する費用が無い人も少なくない。

原発の影響が強い福島と、津波で多くのかたが亡くなった宮城とでは、

いろいろなことが違っています。

そして、どちらも、

負の遺産が残りそうな復興事業が多い。




それにしても、

人が住まなくなったところには泥棒が多い。

エアコンの室外機なんかも売れるからね。


宗教は懺悔(自分自身に対する)と感謝(自分以外に対する) が基本です。

生きていれば悟りや幸せを目指して、懺悔感謝の修行ができる。

亡くなったかたはそれができないから、生きている人が功徳を積んで回向する。

生きることには、そういう役割もある。


生きてゆくためには、希望と勇気が必要です。家や食べ物より重要かもしれない。

何かあったとき、

自分で希望と勇気を持てないことがある。

そういう時、

誰かが応援したり、手伝ったり、手をつないだり、拝んだりすれば、

希望と勇気を持つきっかけになります。

生きることには、そういう役割もある。



[ 2016/03/14 07:59 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
おいしい温度
気分が良い、

ということが、食事と酒がうまいことの条件ですが、

そのほかに大切なのが温度。

お茶の温度 、ご飯の温度、みそ汁の温度。

ビールの温度 、燗の温度。


初めに出すお茶の温度で、その後の食事の味と気分が変わります。


ご飯の温度はとても重要。

陰性なおかずにはアツアツのご飯が合うけれど、

てんぷらなどの陽性な料理には、お櫃で冷ましたご飯がうまい。


みそ汁は、具と気温によって温度を変えます。

そうしないと、具の味が台無し。

みそ汁は腎臓の滋養になるものだから、油とタンパク質の量に応じて温度を変えればおいしくなります。


冷たい天つゆでは、揚げたてのてんぷらの味が台無しになるから、

てんぷらを天つゆで食べてもらう時には、温かい天つゆで、時間を置いて差し替えないともったいない。


時々、

天然塩や抹茶塩で食べてください、

なんて言う店があるけれど、

そう言うなら、油消しできるお菜と汁を添えなければ、後味や淡味が悪くなります。


ビールもうまい温度がある。もちろん、気温とおつまみによって変わります。

燗酒は最も温度に対して繊細です。

酒の種類、肴の種類、気温によって変えなければ台無し。

数値としての温度はもちろんだけれど、

夏でもないのに、ガラスの銚子と猪口で酒を出したら、どんなに良い酒でも見ただけで味が濁る。

多くの店では、

燗にする酒と冷やで飲む酒を分けているけれど、あれは間違い。

寒い日のおでんには、純米吟醸の日向燗が合う。



人間にも温度があります。健康的な体温のほかに、

心の温かさ、徳の温度がある。

それも、時と場所によっての適温があります。

自分の言動は冷たかったな、

と思ったら、

次は温かい言葉と行動にしよう

と常に考えていれば、自他ともに平安になります。

熱くなりすぎたな、

と思った時も同じ。







揚げむすび 玉ねぎソース


これは揚げたてに冷えたソースをかけます。



コーフーえごま揚げ

これは油を切って熱いうちに。



ゆばクリーム煮

これは沸騰させずに作り、器に盛って少し冷ましたほうが甘味が引き立つ。



[ 2016/03/15 16:16 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
そうだ、笑おう!
春山淡冶にして笑うが如く(『臥遊録』)

と申しまして、春は山も笑う季節でございます。


故郷や どちらを見ても 山笑う(正岡子規)


春の野菜 をたっぷり食べると、思わず笑ってしまう。



ゴボウは炊き込み、ニンジンとお揚げは別に炊いて合わせ、菜の花は塩ゆでにして春のおこわ。




間引きの大根

カリフラワー

大根葉煮びたし。これは炊きたてがうまい。


冬の陽性が排毒できていないと春はイライライしますが、

そういう時は肝臓が疲れています。

肝臓が疲れている時は、陰性の野菜と酸味をたくさん食べれば良いのですが、

笑うのも、とても良い。



どこかで乳幼児と目が合うと、思わずニコリと笑ってしまう。

かわいいねえ、なんて言いながら。

そうするとなんだか安心して幸せな気持ちになる。

イライラ怒りや憂いは無くなり、なんだか不思議な力が湧いてくる。


笑うだけで力が湧くんだ。

だから、

さあ、笑おう。





[ 2016/03/16 16:17 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
喪中とは何だろうか。
当地はウグイスが鳴き、暖かなお彼岸でございます。


彼岸供養を依頼してきた縁者から、

喪中なのだけれど、知人の結婚式に出て良いのでしょうか

 と聞かれる。

問題ありません。

そういえば、

同級生のMは在学中、毎年12月8日は学校に来なかった。

ジョン・レノンの命日だから喪に服す、と言っていた。


喪には忌と服があります。

忌は近親者のみで、強制的に隔離状態に置かれる。

家に籠って一切外出せず断食。

服は忌が終わった後、自発的に社会から遠ざかること。


これは、

明治7年太政官布告の「服忌令(ぶっきれい)」で、

父母の場合は忌中50日、服は13ヶ月

などと決められていましたが、戦後廃止。

その後、

神社本庁が「神職服忌心得」というものを作り、

父母夫婦間なら10日、祖父母孫兄弟姉妹で5日

などとしました。


『貞観政要格式』には、

喪服の者の火(これは食事のこと)、男女の血の穢れなどを忌む

とありますが、

死を穢れと考えるのなら、

忌中であれば欠礼は当然

喪に服するのは自分の勝手

他人には関係ありません。




仏教では、あらゆるものをその性質から見るので、事象に浄不浄はありません。すべては本来清浄 。生も死も清浄です。

これは、清浄という性質があるのではなく、穢れていないまっさらな状態、ということ。

当然、死人も穢れとは見ません。


『行事性鈔』には、

比丘は服を変えるべからず

俗を出て如来の子となるが故に、常に如来の衣を纏い、もとより無垢清浄である

だから、僧に忌中の穢れはない、と書かれています。



しかし、

神さまの一部は、あらゆるものをその姿で判断するので浄不浄があります。

だから、死を穢れとする思想もある。


つまり、

喪中かどうかは個人的なものです。

神社のお祭りに葬儀を出した家は参加しない、などの地域の風習があれば、それに従えばよいでしょう。


仏教は死を避けません。避けられませんから。

そして、死は汚らわしいものではない。

なので、
 
通夜葬儀でお清めの塩はやめてほしい。


密教では、

因果共に不可得なるがゆえに生死涅槃無別なり

その故に本尊と自身と隔て無し (『不動次第』)

とあるように、生死を同じものと見ます。


モノや心が生じた原因をずーと探っていくと、最後にたどり着くのは本不生。

つまり、

それは原因結果を離れた虚空のようなもの。

虚空は何から起こるかといえば、本来自爾なり、仏天人の所作にあらず、因もなく縁もない(『別行次第秘記』)

とあるように、生も死も、まったく障りの無い虚空のようなものです。きれいとか汚いとか、好き嫌いの区別をつけるものではない。



ちなみに、

喪服は喪に服するものが着るもの。喪に服するのは二親等まで。

だから、

他人が喪服を着てきたら、愛人と思われるかもしれない。




[ 2016/03/18 14:41 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
菜の花は見ても食べても楽しい。
今朝は花の雨、

菜の花を摘んでお浸しに、フキノトウはみそにして。



摘んでいるときも食べる時も、何だか嬉しい、楽しい気分になる。

それと反対なのが怒りと怨み。

毎日、身体の活動は乳酸と二酸化炭素を作りだし、

食べ物に含まれるリンとイオウからリン酸と硫酸が作りだされます。

これらが血液を酸性にする。

で、

ナトリウム、カリウム、マグネシウム、カルシウムなどのアルカリ金属が食べ物から取り入れられ、

血液の酸度はアルカリ性の胆汁がやわらげ、アルカリを作る野菜の摂取で血液をアルカリ性にします。

おそらく、

怒りや怨みを持つときは、その酸度が高い。

怨みも怒りも副交感神経を刺激して、腎臓の働きを弱め、血液中の酸をアルカリに帰る働きが弱まります。

副交感神経は陽性なものに刺激されます。

で、

怒りは肝臓の疲れで、陽性な成分を含む油が原因のひとつ

怨みは胃の疲れで、白米魚砂糖などの陰性が原因のひとつ

だから、

怒りには陰性の菜の花が良いかな。

怨みには陽性に料理した野菜が良いかな。

例えば、


豆腐、ごはん、にら、白菜の餃子


花を見て楽しい時、

交感神経が刺激されて、腎臓が良く働きます。

これは陰性なものに刺激されます。


春はだんだん陽性になる時期なので、陰性な冬にたまった陽性を、春の陰性な野菜で排泄させればバランスがとれます。



菜の花を食べてから、近所に住む同級生の編集者・M氏に会って、

『望診法講義録 人相編』の原稿を渡しました。

目次は、

1、序
2、陰陽で見る、ということ
3、陰陽は比較の問題
4、五臓、五色、五感、五味
5、口
6、まばたきの陰陽
7、脳
8、肝臓
9、髪
10、頭部
11、眼
12、眼球
13、目頭と目尻
14、耳
15、腎臓と怖れ
16、鼻
17、人中
18、歯
19、吹き出物
20、田宅
付録・密教ヨーガ、初心者用瞑想修行法、心身を調える食事

近日出版予定。その際はどうぞ、お求めください。






[ 2016/03/19 11:01 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
おひたし
高野山金剛峰寺や比叡山延暦寺など、寺の名前には山号があります。

昔々の中国、寺は山中に建てられ、その所在地の山名が山号の始り。

その後、平地に建てられた寺にも山号がつけられるようになりました。


高野山や比叡山は本当の山だけれど、京都五山、鎌倉五山はじめ、町のお寺は平地。

成田山新勝寺も、少々の高台にあるけれど町中のお寺。


所用があったので、

ちょっと成田山へ行ってくる、

と言ったら、普段着の僕を見て、

そんな恰好で良いの。山に登るんでしょ。

と娘が言う。

山号の説明をしたら、

じゃあ、成田山じゃなくて、成田サンね。

と山田さんや鈴木さんのように言う。



おそらく日本でいちばん良質でうまい天ぷら屋に息子と行き、

何でも好きなもの頼んで良いぞ

と言ったら、

松竹梅のコースから、竹を選ぶ。

松にしないのか?」

と聞くと、


目の前でひとつづつ揚げてくれる天ぷら、

2~3個でご飯1杯を食べるから、「竹」なら2回お替りしてちょうどいい 。

でも、「松」だと天ぷらの数が多いから、ご飯を5回くらいお替りしないといけない、

そんなには食べられないから「竹」にする、と言う。



僕はバブルの時代に大手メーカーのエンジニアを辞めて、高野山に上って坊さんになりました。

先日、30年ぶりに会った同級生が、

なんでまた、そんなに落ちぶれたの?

と言う。

最先端極楽のエンジニアから、最後尾地獄の坊さん世界に堕ちたように言われる。

あのね、

今や宇宙の最先端・量子物理学の解答は、密教の本不生にあるのだよ、

と返事をしたのだけれど、聞いてはもらえない。


その同級生は地元の進学校を出てから東京の著名大学に進学し、

在学中から家業の食堂を手伝い、味と価格で成功して大繁盛

それを辞めて、今は株の取引で生計を立てている。

僕の人生をとやかく言えるヤツとは思えないのだけれど。



それはさておき、

昨日は、少し仕事をした菜の花。



ゆでて笊に上げ、

たまり醤油と和辛子を溶いた昆布出汁にしばらく浸してから器に盛ります。




[ 2016/03/20 07:50 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
三平等
今の暦とは違うのですが、

承和2年(835年)3月21日寅の刻、

お大師さんは高野山奥の院にご入定なされました。享年62。

そして、今も衆生済度のために拝んでいる、

というのが大師信仰。


拝むのに大切なのが「三平等」

仏と衆生と自分が平等である、

と観想して拝みます。

または、

仏の行為と言葉と想いが、自分のそれと同じであるように、と拝みます。

そうでなければ、ただの妄想になってしまう。

護摩では、

護摩の爐と本尊さんと行者が平等と観じて修法します。

そうでなければ、ただの焚き火になってしまう。



本来清浄な心と、そうは言ってもなかなかそうはいかない今の自分と、すべての人の心と、

本来平等平等、同じなんだ、と。

本来平等である間の、ちょっとした隙間が無くなれば、平安と安心の毎日になります。



ところで、

昨日のお昼は、東松島の海苔うどん
http://okumatsushima-kanko.jp/food/



冷たく締めて、熱い出汁を張りました。

これ、とてもうまい。被災地の食堂でも人気です。



夜は、

鍋に大根繊切りとエノキを敷いて、がんもどきを上に置き、大根とエノキの水分で炊いた煮合わせ。


乾燥した毎日の、

陽性なものの排毒によろしい。 












[ 2016/03/21 06:18 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
神さまと仏さま 1
お彼岸の連休に、我が家もお墓参りに行きました。

お墓にはお骨が埋葬されていますが、よくよく考えると不思議。

本来、

遺骨を残すのが土葬で 、残さないのが火葬。

火葬とは、遺骨を全部焼き、灰にして撒くか川に流すもの。

なのに、火葬でわざわざ遺骨を残して納骨する、

という特殊な文化が日本にはあります。


お墓があって仏壇があって菩提寺がある。

お参りするところがたくさんある。

さてさて、故人はどこにいるのでしょうか。


どこにでもいますね。

故人の本体は満月のようなもの。

その月は、地上にあるいくつもの水たまりに映ります。

月はひとつだけれど、それが映る水鏡はたくさんある。

同じように、

故人の本質はひとつだけれど、
 
お墓や位牌や残された人の心に映ります。


供養とはサンスクリット語・プージャの訳語で、本来の意味は「尊敬する」こと。

お釈迦さまを供養するとは、お釈迦さまを尊敬すること。

ご先祖さまを供養するとは、ご先祖さまを尊敬すること。


尊敬する人がいれば、

その人には礼儀をもって丁寧に接し、

その人を見習い、その人のようになりたいと思い、その人の真似をする。

その人の良いところを見習って、襟を正して生きる。

それが供養です。その気持ちが無ければ、お墓参りをしても供養にはならない。


もう少しブラッシュアップすれば、

本当の供養とは、菩提心をおこすこと。

悟りを求めようと強く思う。そのために努力精進する。
 
「菩提心を起こすはすなわち諸の如来において広大の供養するになる」

と『理趣経』にあります。



富士霊園の駐車場脇に、なんだか不思議な「瞑想室」があった。




[ 2016/03/22 10:34 | Comments(0) | 眞天庵仏教塾・密教塾 ]
ツクシ
僕が着替えている間に、

庫裏の花壇に生えていたツクシを息子が摘んできた。

僕はこれが好き。

毎年春にこれをたっぷり食べるのが年中行事だったのだけれど、ちょっとご無沙汰していた。

ツクシについてはいろいろと人には言えない思い出があります。


ハサミで袴を脱がせ、洗ってザルに揚げひと晩。

ごま油で炒め、醤油で調えて、雪豆腐でとじます。






ツクシは胞子茎で、その成長後にスギナという栄養茎を伸ばす。

これには葉緑素があるので、ツクシよりかなりアルカリが強い。

スギナのカルシウムの量はツクシの38倍くらいある。

なので、

食養では、あらゆる骨のトラブルにスギナを使います。






[ 2016/03/30 11:40 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
ホテルであんなことやこんなことをする。
T-fal や湯沸かしポットでウドンをゆでたり、粥を作ったりは、

本来の使いかたとは違うので、ホテルの部屋でやってはいけません。


出張が続いて胃がちょっと不調になり、

ホテル近くのファミリーマートでエノキを買い、 とろとろに炊く。

エノキの陰性が胃を固くする陽性を溶かし、少量のゲルマニウムが胃痛によろしい。

この時、

ゲップが出なくて苦しいなら、塩気を多くすれば出ます。
 
エノキの成分は水溶性なので、煮汁ごと飲むとよい。

それから、キャベツと納豆も買ってきて、たっぷり食べる。

キャベツのビタミンUと納豆の消化酵素が胃の滋養になる。


3泊して疲れたので、息子を呼びだし運転手として採用。 

仕事を終えて、ふたりで食事に出かけ、

部屋に戻ってテレビをつけたら「ぶっちゃけ寺」

初めて観たけれど、お坊さんみたいな人、お坊さんっぽい人が出ている番組

という印象。 

人柄が良くて心が広く楽しいかたがた

なんでしょうね。


帰宅したら、

冷蔵庫のニラが古くなってしまったから、どうにかして、

と言われたので、

醤油に細切りの昆布を入れ、菜箸でとろみが出るまでかき混ぜて松前醤油。

さっとゆでたニラを和えます。







[ 2016/03/30 12:38 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
神さまと仏さま 2
仏さまとは何でしょうか。

お釈迦さまはじめ、如来菩薩明王などの尊格

仏像や仏画

ご遺体、死んだ人

という意味でも使われます。


仏さまの本体は

地・水・火・風・空・識の六大 

仏さまという存在を分析してみると、その本体が現れてきます。

あれやこれやと細かく調べてみると、

最終的な本体につきあたるはずです。

でも、

諸行無常と言って、すべては変化していますから、その本体も無常が本質で、

その変化をいくらたどっても固定な実体はありません。

仏さまが出現する、という結果も、

どうやって、どうして現れたかの原因をいくらたどっても、

次ら次へ原因が現れ、永遠に本源は不明。

あらゆるものは六大でできているのですが、それは動いている、生きて変化して、互いに影響して分割されない全体性を持っています。



仏さまの姿かたちは、

曼荼羅 に現れています。

絵図や立体(堂内の仏像)の曼荼羅には多くの仏さまがいらっしゃいます。

大日如来、阿弥陀さん、お薬師さん、お地蔵さん、観音さん、お不動さん

毘沙門さんや弁天さんもいます。

そのほかに、

夜叉や死人、その死体人を食らう人、何でもありです。

つまり、

世の中の優しい人、恐い人、どちらでも無い人

殺人鬼や放火魔も仏さまです。

もちろん、

あなたも僕も。

みんなで曼荼羅世界を構成しています。

みんないるのが仏の世界。



仏さまの働きは

行動、言葉、思い

この三つに、いろいろな働きがあります。

他の苦しみを抜き、楽を与える行動・言葉・思いもあれば、

そうでないものもある。 

慈愛を基本に思惟し、行動し、発言すれば、

仏と私は同じになる。

ともかく、

世の中のすべての行動、音声、思考は仏の現れです。




[ 2016/03/31 07:57 | Comments(0) | 眞天庵仏教塾・密教塾 ]
神さまと仏さま 3
神さまとは何でしょうか。

これはいろいろでしょうね。

各宗教宗派によって理解が違う。

一神教と多神教では違うでしょうし、

神さまが創造主で絶対神なのと、

あらゆるものが神であるという八百万の信仰とでもずいぶんと違う。


もし、神さまがすべてを創り支配しているなら、

神がいないと思考停止になる可能性がある。

でも、

何かをしたり考えるとき、

論理的に矛盾が生じた時には、神が解決してくれます。

そういうものがいたら助かる 、という神。

もし、

宗教としての理論的バックボーンがなければ、

神は実在ではないので、誰もが神を自由に解釈できてしまう。

そうすると、

戦争することに都合の良い神さまも創造できてしまう。



仏教とそれ以外との違いは、「我」があるか無いかです。

仏教は無我をすわりとする。

仏教は因果の法則を疑うことがありませんが、

絶対神創造神は因果を越えているのでしょう。


仏は自分の中にいますが、

神さまはどうなのだろうか。


『十住心論』では、

 ただ性と食に対する欲望をもって生きているだけにすぎない迷いの心では、

殺、盗、邪淫等々の不善をつくり、触愛、財欲・色欲・飲食欲・名誉欲・睡眠欲などにふけっています。その結果は地獄のような世界。

これは、自己のみを知って他のことが眼中にない。

でも、

その心に、優れた師の導きなどの、少しの光が当たれば、

愚かな少年が、節食して困っている人に自分の食物を施したり、

倫理道徳を知って、自他共存の工夫が積まれます。

さらに、

道徳、倫理を超え、宗教的な理想の世界に生まれることを願う心が現れます。

たとえば、

天界に生まれることを願う。  


これらみっつの心も、曼荼羅部に位置するものだけれど、個別的な心で「我」がある。


それらの心の次に、

無我をすわりとする仏教があります。


曼荼羅的思考、世の中は調和している

と考えれば、

神さまは仏さま、仏さまは神さまです。




[ 2016/03/31 08:17 | Comments(0) | 眞天庵仏教塾・密教塾 ]
出会いと別れ
ラジオから、

「文春」をブンシュウと読む声が聞こえて耳障りな今日このごろ、

皆さまにおかれましては、いかがお過ごしでしょうか。

最近は、

「もしもし、お母さんだけど、お金送ってちょうだいね」

というお母さん詐欺も出始め、頭が春のかたもいらっしゃるようです。


我が家の息子らは、

カレーは別腹、などと言い、

食後にカレーライスを食べていますが、

僕は、ご飯ではなく野菜にカレーをかけて食べるのが好みでございます。



それはさておき、 

新しい出会いと別れ、新生活が始まる季節。

生活が新しくなると、陰陽が変わります。

そうすると、

環境、生活スタイルが変わり、食べ物の好みや人間関係も変わります。

なぜなら、陰陽が変わるから。
 
名前が変わることでも陰陽が変わります。

○○大学××学部から

△△株式会社□□課になれば、

その名前だけでも陰陽が変わります。すると、食事、体調、人間関係が変わる。


陰陽が引き付けあって恋人になり夫婦になっても、

結婚して姓が同じになれば名前の陰陽が変わり、ふたりの仲も変化します。

そう考えると、夫婦別姓は良いことかもしれない。


いずれにしても、

陰性と陽性なら引き付けあい、陰性どうし陽性どうしなら反発します。

新生活で環境と食生活が変わると、心身の陰陽は大きく変化しますから、

何を食べるかは自分で決めて、

素敵な毎日にしましょう。


陰陽のバランスが良ければ適切なものと出会い、

陰陽どちらかに過多があれば、分かれます。

それが人生。






[ 2016/03/31 09:52 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]



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