1、体質の改善方法
まず中庸な心身にすると、改善もしやすいでしょう。
食事は旬のものを楽しく、ゆっくり食べる。
内容は
・ご飯(五分つき米、麦飯、雑穀ごはんなど)
・昆布出汁の味噌汁。具はわかめと季節の野菜
・自分で漬けた漬物
・旬の国産果物
・その他、お好きなもの
充分な睡眠、運動、リラックスすることはとても大切です。
目先のことに急がず、遠い目標に向かうようにします。
楽観的なものの見方をして、夢をもつこと。
世の中にはいろいろな方法があるので、自分に合ったものを探すとよろしいでしょう。僕が知る限りでは、最近流布しているマクロビオティックはマイナス面が大きいので、体質改善のためにはお勧めしません。
2、玄米のおいしい食べかた(栄養の効果的な摂りかた)
炒ってから炊き、それを旬の野菜で料理して食べるのが最も効果的です。
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炒り玄米+旬の野菜が基本で、
陰性な時⇒ +味噌、香味野菜、焼くか揚げる料理で。
陽性な時⇒ +塩コショウ、香辛料、香味野菜、煮物や汁もので。
3、朝のメニューに良いもの。
朝は少し陰性なものを摂って交感神経を優位にしたほうが一日が過ごしやすくなります。
4、高血圧の人向けの食事
麦飯やひえ、炒り玄米入りのごはん
しいたけ出汁の味噌汁
ネギなどの香味野菜
大根おろし
浅漬け
大豆昆布
シイタケスープ
☆大根おろし(7センチ)+玉ねぎおろし(1/2個)
5、顔がむくみやすい人の食事
腎臓系(朝、顔がむくみ、午後に足がむくむ)で、
陽性なら第一大根湯、陰性なら小豆スープ
心臓系(朝から足の甲がむくむ)なら
苦味のスープ(柿のへたの煎じ汁)
6、母乳の泌乳過多の改善法
母乳が出過ぎるのは陽性過多です。たんぱく質と脂肪を控え、陰性な野菜を多くします。外用はキャベツパスター。
7、鉄火味噌の作りかた
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機会があれば作りに伺います。
8、冷え、便秘、吹き出物の改善
陽性の冷え・便秘(顔色が良く元気がある。お腹があたたかい)
⇒ 葉野菜、大根、れんこん、きのこ類、ネギ類、イモ類をスープにする&煮物炒めもので食べる。浅漬け、酸っぱい果物たくさん。
玄米餅とネギ、白菜、キャベツの料理
大根葉油いため、ぬかづけ
果汁
陰性の冷え・便秘(顔が青白く、お腹が冷たい)
⇒ ひじきこんにゃく、八宝菜、ほうとう、けんちんそば、
ゴボウのすりおろし料理
炒り玄米と味噌の料理
運動
どちらも旬の野菜をたくさん
吹き出物
顔のどこに出るかで原因の食べ物がわかります。
額 ⇒ 砂糖、フルーツ、アルコール、水分過多
目の周り⇒ 脂肪、肉
鼻の頭 ⇒ 卵
ほお骨 ⇒ 酸化した油
顎 ⇒ 魚
他、『望診法テキスト 宇宙を診る』ご参照ください。
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9、不安恐怖で固まっている人
腎臓にタンパクが溜まっているので、大根湯、りんご、旬の葉野菜、ネギ類などでそれを溶かします。
10、頭・目・神経使いすぎの人
11、怒りっぽい、イライラしやすい人
どちらも陽性過多。リラックスできることを探しましょう。
12、たまに外食すると、ものすごく喉が渇いて、100パーセントの酸っぱい果汁をごくごく飲みたくてたまらなくなるのはなぜ?
外食では動物性の陽性な塩気が多くなりますから、陰性な水分が欲しくなります。また、動物性のたんぱく質が多いと、それを溶かす酸味がおいしく感じます。
たくさん飲みましょう。
13、寒い時に辛いカレーを食べると身体がポカポカして汗も出て、数分は気持ちが良いのだけれど、しばらくたつと身体が冷えて寒くなるのはなぜ?
辛味は脂肪を溶かすくらいに陰性です。陰性なので身体を冷まし、濃い血液を薄めて血行を良くし、発汗して体温を下げます。辛味は身体を冷やしてくれます。
ですから、夏の暑い日や熱い国では辛味がおいしく、かつ必要な味になります。
14、ものすごく暑い日や、ものすごく寒い日が続くと、便がコロコロになるのはなぜ?
暑いと汗で水分が排泄され、寒いと水分を摂らない傾向があります。
体内の水分量を保つために大腸は水分を吸収しますから、便が固くなると考えられます。
水分や繊維の多い野菜をたくさん摂りましょう。
15、生理の時に鼻血が出るのだけれど、なぜ?
陰性で酸化した血が多いと鼻血で出ます。生理で排毒するのは陽性な血です。
16、千キロ南に移動するのは陰陽でみるとどのようなこと?
日本で南へ移動すれば陽性になりますが、移動にストレスがあれば、より陽性になる可能性があります。
17、ウソをつく、隠し事をするのはなぜ?
これは砂糖などの陰性が陽性毒について排毒できないからと考えられます。繊維が少なく脂肪が多い食事をしているとそうなる傾向があります。
また、ストレスも大きな原因です。これを食べなくてはいけない、あれは食べてはいけない、という食生活は大きなストレスになり、心身のバランスを崩します。何しろ楽しくない。
特に子どもは遊びや身体の接触、会話が足りないとストレスが増します。
リラックスすること、安心すること、ホッとすることを工夫しましょう。
食べない人々-1 「1日の摂取量150キロカロリー」
マウンテンゴリラが見ていた。
それは、ひと抱えもある、ぬいぐるみではあったが、ガラスの目が私の裸の背中を凝視していた。
私は治療台にうつぶせになっていた。背中を、Mの手のひらが、すばしこい小動物のように動き回っている。静電気に触れたような感触が指先に伝わると、毛髪のように細い針を打ち込むのだという。
手のひらは皮膚から放熱しているようだ。「手が熱いですね」。ふつうではない温度差を感じたので、そう尋ねた。Mは、か細い声で「気を送ってますから」と答えた。
大阪郊外で鍼灸院を開いているMとは、いったい何者なのか。見極めようと、私は焦っていた。身長一六八センチ、体重五〇キロの体つきを見ても、なんの手がかりもない。
Mは超自然の能力を身につけている、と聞いていた。人の体を取り巻いて陽炎(かげろう)のように揺らめくオーラが見えるという話だ。その人が心身ともに健康であれば白熱した輝きを帯びている。「私のは何色ですか」と聞くとMは口ごもった。「それは、いわないことにしています。気に病む人がいるので」
三十二歳の独身女性であるMは、十年前に小脳失調症を発病した。小脳が縮む難病で、いずれ寝たきりになると宣告された。
Mに会う前、私はMの症例と治療経過を記録した主治医の報告書を読み、困惑させられていた。
四年前から、Mは日に一度、五百グラムの生野菜を搾ったジュースだけを飲んで生きているというのだ。約一五〇キロカロリーの栄養しか取っていない。成人は日常生活を営むのに平均二三〇〇キロカロリーの栄養が必要だとされているから、ほとんど断食しているのと同じではないか。
しかし、Mは衰弱するどころか、小脳失調症を完治させ、働いて自活し、科学では説明のつかない能力まで備わった、と書かれていた。
Mの主治医の内科医、甲田光雄(70)は、断食療法を約六千人の患者に施してきたと語る。その結果、甲田が「仙人」と呼ぶ、Mのような患者が十数人も現れた。
食べない人々-2 「青虫のような「生菜食」療法」
落ちくぼんだ目を見開いて、不意に甲田光雄(70)は声をひそめた。
「エイズで亡くなったロック・ハドソンという俳優はご存じですな」「はい」「彼が死ぬ半年前に、代理人から電話がありましたんや」
去年の夏、エアコンの利いていない甲田の診察室で、私は汗まみれになりながら耳をそばだてた。「エイズが治るかも知れんから入院できないかと打診してきたんですわ。結局断りましたけどな」
大阪郊外にある「甲田医院」は鉄筋三階建てで、十五人まで入院できる。甲田の話では、入院するまでには、三、四カ月は待たされる。
甲田は阪大医学部に在学中、慢性肝炎で二年間、休学している。安静にしていても病状は好転しなかった。ところが、医者の反対を押し切って断食を試したら治ったという。
一九五八年に開業した甲田は、五年後に経営が安定すると、断食療法を取り入れて、現代医学の治療を顧みなくなった。
患者は、診断に応じて断食や「生菜食」という少食療法を続ける。
八六年に入院したMは、断食した後、水とホウレンソウなどの生野菜を搾ったジュース以外は口にしなくなった。すると、平衡感覚を失う小脳失調症の症状がなくなった。栄養失調にもならず、体重も減らなかった、とMはいう。
「まるで青虫のような生活ですね」。私は、眼鏡をかけたMの表情の裏側を探るような目つきをして問いかけていた。つくり話ではないのか。Mはクスリと笑った。「葉っぱに青虫さんがいると、洗い流すのがかわいそうだなって思いますね」
Mのほかに十数人いるという「仙人」の病歴を甲田に聞いた。慢性腎炎、重度の糖尿病、肝臓ガン・・・。いずれも健康になったばかりか、八年前から通院している主婦は、一日約五〇キロカロリーの栄養で生活しているというではないか。
語気を強めて甲田は、いった。
「人が食べなくなれば病気はなくなる。食糧や資源をめぐって争うこともない。ひいては、連鎖して共生する、あらゆる生命を尊重し、差別しなくなる。愛と慈悲の世界を築くことができますのや」
食べない人々-3 「差別の原因は『食べること』」
待ち合わせ場所に指定された大阪市内のドーナツ・チェーンで、私は二時間以上も目の前のドーナツに手を付けられないでいた。
「私は水だけで生きていたいんです」。横に座ったPが切なげに訴える。ピアノの調律師をしている三十二歳の女性だ。「人間は絶対にやめられへん食べることと向き合っているところなんです」
去年十一月から、Pは、慢性疲労性症候群で甲田光雄の病院に一カ月余り入院した後、ほとんど食事らしい食事をしていない。少食療法で一日二回、生野菜を搾ったジュースを飲んでいるが、それすら、口に入れない日が多いという。しかも、十年以内に水だけで生きられる肉体に変われる、と確信している。
Pは病気の治療だけで甲田にすがったのではなかった。「少食が愛と慈悲の恵みをもたらす」と唱える甲田の考えに共鳴して、食欲から解脱する決意をしていたのだ。
在日韓国人三世のPは、三年前から在日外国人の参政権を求める運動にかかわっていた。
「差別は、自分さえよければいいということでしょ。差別されている私も障害者に対しては差別者になる。人間、なぜ差別から逃れられへんのか考えると、食べることに行き着く。ほかの生命を殺すことが前提になっているから。食べることをやめていかんと差別はなくならへん」
説明はともかく、私はPの健康状態が気になって仕方なかった。化粧をしていない顔色は、やつれてはいない。生気がみなぎっているわけでもない。あらゆる執着がそぎ落され、彫像のように穏やかなのだ。
身が軽くなって気持ちがいい、とPはいった。「食べることだけでなく、洋服とか、恋愛とか、自分がとらわれていたものを全部、取り払って自由になりたい。そうすれば、私は何者なのか、何のために生きているのか考えられるようになる」
私はなぜ、食べない人々に会いたいのか、自問自答していた。おそらく、Pの言葉に答えがあるのだろう。人が逃れようのない業(ごう)とも思える食から、解放されるならば、食欲の彼岸に見えるものは何か。それが知りたい。
食べない人々-4 「月の光を求めてジュース2杯」
ついにTには会えなかった。
去年の手帳には、Tと会う約束を取り付けながら、Tの申し出で取り消した跡が何カ所も残っている。
二十六歳の独身女性であるTも、食べない人々の一人だ。離島にある身体障害者施設で働いている。職員の人手不足で、私と会おうにも、この半年、ほとんど休めなかった。
六年前、Tは、大阪市立大で体育実技を教えている羽間鋭雄助教授(52)が雑誌に書いた少食療法の体験記を読んで、甲田光雄を知った。
羽間は一九八七年から一年間、一日一三〇〇キロカロリーの生野菜類だけを食べた。すると、筋肉は減ったが、体力テストの記録は、すべて向上したと書いていた。原因を尋ねると、羽間は「必要な栄養を体内でつくる能力が目覚めると、人間はユーカリの葉だけ食べているコアラのようになれる」と言い切った。
当時、短大生だったTは、記事を読み終わると、真っ先に羽間の研究室に電話して甲田を紹介してもらったという。
Tはいま、一日に生野菜のジュースを朝、晩、コップに一杯ずつしか飲んでいない。約二〇〇キロカロリーの栄養しか口にしていないことになる。やはり、Pと同様、最後はまったく食べなくなりたい、と願っているのだった。
去年の八月、私が初めて施設の寮に電話した時、Tは、まごついていた。食べないという事実を疑われていると思ったのだろう。
食生活を監視していないので証明はできない。だが、この飽食の時代にあって、健康なのに公然と食の楽しみに背を向けるのは、よほど勇気のいることだ。信じるしかない。
小学校三年の時、教科書で『注文の多い料理店』を読んでから、Tは宮沢賢治に夢中になっていた。読みふけると、胸の奥に透明感をたたえた光が差し込んでくる。太陽ではなく月の明るさを感じるのだ。
宮沢賢治は菜食主義者だった。Tは短大に入ってから、食生活を菜食主義に変えようとした。月の光に照らされているように、気持ちよく生きていたい。そのために、自分の生活から、余分に持っている物を無性に省きたくなった。
食べない人々-5 「少食志向の『道場』造りが夢」
グスコーブドリは、恐ろしい冷害に襲われた村の苦難を救うために、火山を噴火させて死んだ。
人が飽食をやめて、ほかの生命を尊重するようになれば、地上の苦痛や憎悪は消え去り、世界は愛と慈悲に包まれるだろう、と甲田光雄(70)は少食の思想を説いている。それを聞いてTは、宮沢賢治の『グスコーブドリの伝説』を思い浮かべた。
自分の生命は、食べることで地上のあらゆる生命とつながってしまっている。お金や物は、とうに欲しいと思っていない。食欲さえも意のままにできれば、グスコーブドリのような自己犠牲すら苦にならなくなるだろう、とTは考えた。
二年前、いま働いている離島の身体障害者施設に就職する決心をしたのは、その考えの通りに生きるためだった。生まれて初めて両親と別れて暮らすことにもなった。
中学校教師の父親は、結婚するよう望んでいた。しかし、Tには結婚する意志もない。最後は甲田の病院に身を寄せるつもりなのだ。
いずれ病院を閉ざすことになるだろう、と甲田は、ある時、私に打ち明けた。MやPやTのような食べない人々が寝起きを共にする「道場」をつくろうというのだ。病院には約三百坪の自然農園があるので、野菜は自給自足できる。少食の思想の聖域にしたい、と甲田は語った。
その時、私は「あの人たちは宗教の聖者のようですね。凡人にはとてもまねできません」と皮肉っぽく聞き返していた。本当に意志の力だけで食べない人になれるのか。
甲田は、穏やかに反論した。「飽食は人類を破滅させる。しかし、人類の進化が神のような完全な存在に近づくことを意味しているのなら、未来には、だれでも彼らと同じ食事をしているはずだ。ただ、早すぎたというに過ぎんのです」
食べない人々が黙示するものは、曇った鏡の中にあるように、いまは、おぼろにしか見えない。ただ、私がむさぼるように聞き続けた彼らの声は、果てしなく安らいでいた。
敬称略=おわり (保科 龍朗)
【以上、1995年2月7日~、朝日新聞朝刊より抜粋】
旬のものを楽しく食べれば健康でしあわせになれる。
なんてことを言うイケメンの坊主がいるけれど、本当なのだろうか。
1、1995年2月、朝日新聞朝刊で5回にわたり掲載された記事が「食べない人々」
採録⇒
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大阪の甲田医院院長・甲田光雄先生とその患者さんの記録。文字通り食べない人の記録と先生の思想を追ったものでした。
僕はその記事に関心を持ち、『断食療法の科学』(甲田光雄著・春秋社)を読み、毎月1,11、21日は妻も一緒に断食、スイマグを飲んで便の量を増やし、3歳の娘にもジュースに混ぜて飲ませていました。
2、昭和の終わりから平成の初めまで、何度か長い断食を試みていました。
そば粉を水で練って、もしくは炒り玄米だけをぽりぽり食べて40日ほど拝む、ということもありました。
体調は極めて良好、頭も快調で、坐禅瞑想もはかどったと思っています。
3、30代の時に50日間、40代で3週間、お籠りの行をした時は一日一食。最後の数日は断食断水でしたが、これも心身快調でした。
口伝では、行中の食事として火断ち、塩断ちを勧める記述もあります。先人はそれで効果があったのでしょう。
4、無塩食をすると陽性な症状がほぼ改善され、その後に塩気のあるものを食べると、とてもおいしく感じます。
5、我が家の犬は、畑から採ったばかりの大根や白菜をよく食べます。
以上のことからいくつかの疑問が浮かび上がります。
〇塩は必要なのでしょうか。
古代、人は海岸近くか、岩塩のある所でしか生きられなかったのでしょうか。
イノシシなどを食べていれば、そこに含まれるナトリウムで足りていたのかもしれません。
肉でも野菜でも、塩が無ければおいしく感じません。
そして、塩だけでは飽きて、こしょうなどが必要になります。
その上、醤油は塩コショウの味を凌駕します。
ということは、塩気は習慣的に、嗜好品として欲しているのではないでしょうか。
アル中が酒を欲しがるように、塩中毒で塩が欲しいだけではないでしょうか。
母乳には塩気はありません(ナトリウムはあるけれど)
乳幼児の食事は薄味にしなくてはいけません。そうしないと陽性になりすぎて成長に影響が出ます。
牛や馬が草だけで生きられるのは、たんぱく質や脂肪がおそらく体内で生成されていると考えられます。
塩も同じではないでしょうか。野生の草食動物は塩を食べているのでしょうか。食べていたとしてもほんのわずかではないでしょうか。
緑の植物を食べて赤い血ができます。
草だけを食べていてもたんぱく質や脂肪・筋肉や骨ができます。
クロロフィルのマグネシウムからヘモグロビンの鉄ができます。
(参考:
『原子転換というヒント』久司道夫著・三五館
『生体による原子転換 』L.ケルヴラン)
同じように、草を食べて呼吸をしていれば、体内でナトリウムが作られているかもしれません。
例えば地中にあるリチウムが植物に移行していれば、ナトリウムに転換している可能性を、僕は考えます。
そもそも野菜にもナトリウムは含まれています。『五訂日本食品標準成分表』によれば、
Na,K,Ca,Mgの順に
大根
270,3200,540,170
白菜
6,220,43,10
玉ねぎ
2,150,21,9
ねぎ
0,150,21,9
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塩や醤油を使わなくても、これらに含まれているナトリウムで足りるのではないでしょうか。塩気を摂りたいのは、単なる煩悩なのでは?
現代人の病気はほぼ陽性過多が原因でしょう。
痛み、コリ、腫れ、ガン、うつ、ケガ、暴力、離婚、便秘、冷え・・・。
陽性で締まりすぎ、固くなっているからと考えられます。
この陽性は塩かもしれません。
肉食でなくてもそれらにはなりますから。
陰性なアトピ―、陰性な冷え性、陰性な便秘に出会うことはほとんどありません。
また、減塩で具合が悪くなった人がいるとしたら、それは旬の野菜が足りないからかもしれません。
〇穀物は必要なのでしょうか。
玄米、特に「圧力鍋」で「毎日」のように玄米ご飯を食べると、陽性過多で酸性体質になります。胃腸、肝臓にも負担が大きい。現代人は陽性気味だから、陽性なご飯を食べなくても良いと考えられます。
また、噛めば噛むほど陽性になります。
時々食べる、おかゆにする、炒り玄米にしてから炊き、季節の野菜と一緒に料理するのは、上記の欠点が減り、とても良いでしょう。
白米も身体を酸性にしやすく、中性脂肪にもなります。それを避けるには梅干し、ゴマ塩、漬け物、味噌汁などと一緒に食べますが、そうまでして食べなければならないのでしょうか。
食べたい、という習慣性のためではないでしょうか。
穀物はそば粉以外、火が必要です。火を使うことは人間の特徴ですが、火を使ったから人間になったのではなく、人間になってから火を使うようになったのではないでしょうか。
歯の構造が穀物に適しているという意見もありますが、炊いたご飯やボイルした麺なら、前歯のような歯で充分ではないでしょうか。
個人的には、ガン、アトピー、認知症などは食べ物の影響が大きいと考えています。
もちろん、食べ物だけではありません。
人間の陰陽比は5対1程度
(参考:『無双原理講義録』大森英桜・宇宙法則研究会)
ですが、あらゆるものは最も陽性な誕生から、最も陰性な死に向かいます。日々、陰性になるのが成長であり発展です。
ですから、陽性な塩や火は、それほど必要ではないかもしれません。
僕は個人的に、味の素、漬物の素、~の素の類を使うことが心身に深刻な影響をもたらすと考えていますが、それ以上に問題なのが、現代人は野菜を食べる量がとても少ない、ということだと感じています。
人間は植物より陽性ですが、四足動物より陰性で、大脳がありその特有な生きかたができます。それは野菜の陰性によるものではないかと考えています。
料理は健康とか長寿とかのためではない、というのも最近の僕の考えです。
文学スポーツ絵画音楽香道書道坐禅瞑想などのように、心の平安と日常のしあわあせのため、と思っています。精進料理が「さとり」のためにあるように。
また震災が起きて避難所生活になったら、食べるものがカップ麺くらいしかないかもしれない。その時はどうしたらよいだろうかと悩んでいる。
B君は心に少し不自由があるのだけれど、DSのゲームをしていれば安心していられる。けれど、お母さんや保育園の先生はゲームは良くないものだから、みんなと外で遊びなさい、と言う。
その遊びも、ウルトラマンごっこのような戦いは良くないと言って、それをさせてくれない。B君はウルトラマンが大好きで、ウルトラマンごっこをしていれば明るく楽しく朗らかになれるのに。
Cさんは美人で聡明だけれど、陽性なアトピー症状で悩んでいる。
陽性なのだから、陽性な玄米は食べないほうがいい。陰性な果物やジュースをたくさん飲んだほうが良いとアドバイスを受けても、それを受け入れることが出来ない。
Dさんは法事の席で数珠のひもが切れた。その後、娘さんのボーイフレンドが交通事故に会った。
あの時、数珠のひもが切れたからだ、とずっと悩んでいる。
数珠が切れるのは拝んでいるからなのに。拝んでいない人の数珠は切れないのに。
でも、それらはみな、その人にとっては重要な問題です。
カップめんは食べてはいけない。
ゲームで遊んではいけない。
ヒーローもの、戦闘ものはいけない。
果物はいけない。
数珠が切れるのは良くない。
どうしてそうなのだろうか。
世の中にはしてはいけないことがあります。
日本は法治国家ですから、法的にしてはいけないことはしてはいけません。
人を殺めてはいけないし、贈収賄も賽銭泥棒もいけない。酔っ払い運転も麻薬もだめです。
法律の外でも倫理道徳として、してはいけないことがあります。僕らが社会で平安に暮らすために、それは守ったほうがいい。
宗教、特に仏教では、してはいけないことはありません。この辺は誤解されやすいですが、少なくとも仏教では何でもありです。
戒律は「してはいけないこと」ではなく、目的をもって修行すれば自然とそれから離れる、ということに過ぎません。
宗教は極めてプライベートなことですが、宗教的でなくてもその人の生きかたの中に、個人的に「してはいけないこと」を持つこともあります。
それらは、心身の成長成熟に役立ちます。
若いうちは作法通り、儀式通り、約束通りに練習すれば、その積み重ねが技術智慧になります。
すると、だんだんに作法も儀式も約束も不要になり、自然と制限戒律から離れるようになります。不要だけれど身についているから。
無駄遣いをしない、という決まりを守ることが難しくても、お金を貯めたいという強い目的があれば、自然と無駄遣いをしなくなります。
練習して基礎的な力がついてくれば、次は応用問題に向かえます。
最初は練習が必要。
その練習が心身に染みこんでくれば、臨機応変に対応できるようになります。
多くの場合、純粋で強い動機があれば目的に達することができます。そこにジャンプする勇気と努力があれば。
個人的に「してはいけなこと」は個人の問題です。それが自己を成長させるものならとてもよろしい。
しかし、それは集団の中では意味がありません。害になることも多い。
そして、失敗するところに共通なのが、練習を重ねないままいつまでも「~してはいけない」という概念があることです。
その内容は道場での座禅、瞑想行、念誦。
巡礼遍路托鉢や、寒垢離という水行もあります。
日の出時が最も寒いのでその前に拝みますが、それでも供えた水は凍り、手は思うように動かなくなります。
でも、白い吐息と香煙が漂う堂内は美しい。この美しさを味わうだけでも、生きていることの素晴らしさを体験できます。
ある一瞬、寒さと自己が一体になり寒さは無くなります。寒さが無ければ暖かさも無いので、心は寂静になります。
横浜で、あるご婦人と座禅瞑想をしています。
海が見える野原で立禅をし、堤防で坐禅。
海風が強ければ、自分も海風になります。そうすれば風に揺れることも無い。
人の声や車の音があれば、自分もその音声になります。そうすれば何も聞こえない。
僕らの感覚は、外から来るものを僕らの感覚器官が受け止めて脳に送るしくみです。
だから、外からの感覚そのものに自分が溶け込んでしまえば感じなくなります。
これは、耳を押さえて騒音を防いだり、目を閉じて嫌なものを見ないという方法より簡単で確実です。それらを感じる心を閉じるのですから。
塩が海に溶けて一体になるように、煙突から出る煙が大気中に消えて混ざるように、溶け込んで一体になることを瑜伽(ヨーガ)と言います。
成仏さとりは、仏(大きな宇宙)と自分(小さな宇宙)が瑜伽することで、それによって迷いが悟りに転じ、心が純化します。生きる自信が育ちます。
僕はモルジアナとお不動さんの真言と理趣経の三段目が好き。
人が亡くなってから七日ごとに七七・四十九日まで追善の法要をするのはインドから伝わった風習と言われ、その間を中有、または旧訳で中陰と言います。
古代インドでは七進法が使われていたから七日おきに拝むという説や、49日目に生まれ変わるという思想があったからとされていますが、長い間に習慣づけられたものでしょう。
生まれ変わりという考え方は妄想か錯覚ですが、それによって安心を得られるのなら一向に構わない。
経験的認識や事実によって判断できない存在は脳の中にあるのみで、それは悟りの障害になることが少なくないため、お釈迦さんは死後の世界や霊魂の有無を説きませんでした。
中有の思想に中国の十王信仰が重なって、四十九日以降の百か日、一周忌、三回忌という法事が出来ました。
初七日、二七日、三七日、四七日、五七日、六七日、七七日、百か日、一周忌、三回忌で計10回。
それぞれに審判員のような10人の王がいて、冥土の番人をしています。その中で5番目、五七・三十五日の担当が閻魔さま。
日本ではこれに七回忌、十三回忌、三十三回忌を足して十三仏という信仰が生まれました。
十王のように、それぞれの日に縁のある仏さまをまつり、故人の追福菩提を祈ります。五七日はお地蔵さん、百か日は観音さま
三十五日を忌明けとしたり、後継者を指名したりと、一つの節目とする地域もあります。
百か日は、悲しみをこの日までにおさめ、相続などを行う頃とされています。
いずれにしても決まりはありません。遺族親族の納得がいくようにすればよろしいでしょう。
・欲望のある世界
・欲望は滅しても肉体などの物質がある世界
・精神のみの世界
の三つが世間です。ここには差別分別があり、三つとも輪廻する迷いの世界です。
その世間を超越し、心身不可得と知ることで迷いから解脱し、さとりやしあわせに到達できます。祈り、坐禅瞑想はそれに近づく方法のひとつです。
供養は「尊敬する」ということですが、よりよく生きること、生を感謝し恩に報いようとする心を持つことが最大の供養になります。
人が生まれると七日目のお七夜には名前をつけ、一か月後くらいにお宮参りをし、百日目にお食い初め。そして一年を経て初めてのお誕生日をむかえ、その後に七五三。
人が死ねば、初七日、三十五日、百か日、一周忌、三回忌と法事を行う。
日が重なるのは、生まれるのも死ぬのも同じことと感じていたからなのでしょうか。
それとも、生まれ変わりたい、生まれ変わってほしいという煩悩があるからでしょうか。
ブタのようなヤツと、ブタに似ている人と、子ブタみたいにかわいい子も違う。
社会的な死と精神の死と医学的な死も違う。
それはさておき、
カレーとコロッケという黄金のメニューなのに、ご飯を一回しかおかわりしないので、
もっと食え。
ともう一度次男におかわりをさせる。
カレーの翌朝は太く切ったキンピラゴボウや、具の多い味噌汁を出します。
コロッケにはレモンやキャベツ白菜カブの塩もみなどを油消しで添えるけれど、翌朝には大根おろし。
外食で油が多かった翌朝には、濃いシイタケ出汁でワカメとネギの味噌汁にして胃腸と肝臓の油を溶かします。
味噌や醤油を使った料理なら、塩気と時間の陽性+大豆の陰性で、陰陽両方の効果があるので至極便利。
その上、油が多い時には辛味、たんぱく質が多いときには酸味を添えればよろしい。だいたいが旬の野菜が解決してくれます。
梅醤番茶も陰陽両方の効果があります。
生の梅は
Na=2
K =240
で、陰性なものと言えますが、塩、時間、圧力力、太陽光の力が加わった梅干しは
Na=8700
K =440
(『五訂食品成分表』による)
で、かなり陽性。また、両方ともCaが多くPが少ないので身体をアルカリにする食品。
梅干にはクエン酸と生梅の陰性もあります。
お母さんが作った梅干入りのおむすびは世の中でいちばんおいしい、
と思う人は少なくないだろうけれど、おいしさは目に見えない。
お母さんは見えるけれど、お母さんが心を込めて作ったという働きは見えない。
そういう見えないところがおいしいのだろうな。
そもそも、大切なものは目に見えない。
思い出の香り、心が震えた音声、あなたの思いやり、優しさ、丁寧な仕事、心遣い、細心の注意、お釈迦さんやお大師さんの教え・・・・・。
そいういう目に見えないものが人生を左右し、行きづまりがあった時に大きな助けになる。
おいしさも目に見えないから大切。
お父さん、元素はおそらく無限に存在すると思うよ。265個なんてことはなくて無量かもしれないよ。
と言う。
これは由々しき問題である。
例えば古代インドでは、世の中のあらゆるものは地水火風の四大でできていると考えていました。
密教では地水火風空識の六大説を採っています。
現代では、あらゆるものは元素でできていると言ってよいでしょう。
その元素は素粒子からできています。
陰陽無双原理では、その辺のことを、
1 無極・無限 があり、
⇓
2 無限がニ極(陰と陽)を造り、
⇓
4 二極がエネルギ― (陰陽四つの組み合わせ)を作り、
⇓
16 4つのエネルギ―が素粒子を作り、
⇓
256 素粒子の固まったモノが元素 (大地)
⇓
65536 その元素の固まったモノが分子(植物・クロロフィル)
⇓
65536の二乗 それから生まれるのが動物(ヘモグロビン)
と説明していますが、果たしてこれは正しいのでしょうか。
2の4乗は16になりますが、陰陽四つのエネルギーからは12通りの組み合わせしかできないはずです。
すると、元素の数は12P12で479,001,600と予想されます。
現在、元素周期表に載っている元素の数は113。そのうち92番目のウランまでが自然界に存在する元素で、それ以降はサイクロトロンなどで人工的に作ったものです。
原子量が大きくなる(陽性になる)から、陰性な放射線を出して崩壊(陰性)します。原子量が大きくなればなるほど存在する時間が短い(陽性)
ものの存在という根本的な原理が間違っているとしたら、陰陽・無双原理は正しい理論とは言えないでしょう。
陰陽には、
1、陽と陰は、磁石のプラスマイナスのようにお互いに引き合う
2、陽と陽、陰と陰の同性は反発し合う
3、大きな陽は小さな陽を、大きな陰は小さな陰を引きつける
4、陰極まれば陽、陽極まれば陰に転じる
という四つの働きがあり、構造と働きの陰陽は逆になる、としています。
しかし、これが常にどんなものにも当てはまるかどうかも、元素の数が無限であるとすれば疑問です。
まあ、寒いと言っても寒いだけのことなんですが、人によっては寒いのはキライ、いえいえ寒いのが大スキ、なんていろいろございます。
昨日も寒うございました。
我が家は水道もボイラーも凍結し、お湯が出たのはお昼過ぎ。
次男の中学校も水道が凍りトイレが流せない。
業者さんが来て保健室だけ水道が出るようにしてくれたので、息子はそこから水をトイレまで運んでウンコをしたらしい。
ところで、
僕はウンコをしているととても幸せな気持ちになります。
便座に座ってさえいれば、平安、安穏、安心、希望、寛容、忍耐、勇気といった気持ちが身体中に満ちてくる。
とは言ってもあれ以来、なるべく早く済ませるようにはしています。
心は全く自由であり無常であるがゆえに、つねに何かを感じています。
ある対象について目や鼻などの感覚器官が感受して脳へ刺激を伝へ、きれいとか汚いとか、良い香りとか臭いとかを感じます。
そこには好悪倶異があり、自分にとって好ましいものとそうでないもの、そしてどちらでもないものがあります。
これらは全て縁起に依っており無自性です。その実体はなく、自分でその概念を作っているだけ。
「私」も「心」も「時間」もそうです。固定的な実体はなく、仮に概念を作っているだけです。
誰かの様子を見て、
ざまあみろ、と思うのと、気の毒だなあ、と思うのでは心の動きが全く違います。気の毒だなあ、と思ったほうが自他ともに救われるでしょう。
子どもが失敗をしたときに、反射的に怒ってしまう時と、寛容に受け止められる時があります。
相手への不満がいつまでも忘れられない時と、すぐに許せる場合もあります。
それらはどのような違いなのでしょうか。
不安や怒りや疑いなどを誘発せず、忍耐と理解と安心の心でいるための方法はいくつもあります。
最も効果が高いのは坐禅瞑想などの宗教的なプログラムで心をトレーニングする方法ですが、これはちと難しい。
食事や呼吸や姿勢が悪いと心も病気不純になるので、日々の積み重ねで改善できるのはそのあたりでしょう。
きれいな花を前にしては怒らないように、素敵な曲を聴きながらは欺瞞と慢心に浸らないように、五感に響くものを美しくする工夫もに立ちます。
あらゆる勉強によって知識を増やすことも、安心と平安に役立ちます。何かが起こっても、知識があれば冷静に分析することができますから。
というようなことをウンコをしながら考えているのでございます。
鶏も平飼いの地鶏とケージで飼われているものは違うのでしょうね。
牛も豚も同じでしょう。
僕の得意なお米や野菜も、採れる場所や栽培方法によって味が違います。
これらは食物としての味だけではなく姿形性質も違う。化学肥料を使えば速く大きく育ち、そうでないものはゆっくりで固く、葉は地面を覆う。
それらの何が違うのかといえば食い物が違います。食っているもの、食わせているものが違う。
どちらが良いとか悪いとかは無いけれど、違うものは違う。
人間も同じでしょうね。食べ物が違えば姿形性質はもちろん、脳のはたらきや、その人の味わい、人生も違うでしょう。
先日は、いろいろ不如意のかたがいらしたので梅醤シイタケを飲んでもらいましたらそれでOK。
これの作りかたは簡単ですが、飲みかたが難しい。
三辺回ってワンと言いながら飲まなくては効果がありません。
かように何を食べるかより、どのように食べるか飲むかのほうが大切です。
ちょっと小難しいことを言いますと、
陰性でも陽性でも、繊維が多く脂肪の少ないものは摂りすぎても排毒されます。
カルシウムが多くリンの少ないものなら酸毒になりにくい。
そうでない陰性を摂りすぎても、運動や入浴などで排毒されますが、陽性にくっついている陰性なものは、固く締まって体に染みついて排毒されにくい。これがいろいろトラブルの原因。
そう考えると解決する食べ物は何かがわかります。
仏教では、食事を作るのも食べるのも「道業を成ぜんが為なり(五観の偈)」と言って、さとり・しあわせになるために食事をする、としています。
古ウパニシャッドでは、
一切の有情は食より生じ、生じた彼等はまた食によって生命を保ち、死後に再び食に帰入する
と説かれ、
『ミリンダ王問経』では食の五徳として、
1、一切有情の寿を維持す。
2、力を増大す。
3、容色を生ぜしむ。
4、憂悩をしずめしむ。
5、飢えや衰弱を除く。
をあげています。 食事は生命を保つために必要なものであるということですが、その生命はさとり・しあわせを希求するものという前提があります。
密教では、心内に三十七尊を観想し、食を無量の福と化す
とし、精神的な栄養を食としています。
簡単に言えば、
比べない
こだわらない、とらわれない。
そうでないと坐禅瞑想などの禅定ができません。怒りや貪り、無知からくる不安不満が、差別や執着があると離れないから。心がコントロールできないから。
悟りとは、だんだんどうでもよくなることです。どうでもよくなるにつれて悟りが近づきます。
多くの問題は普段積み重ねてきたことで十分解決できます。そのために真面目な修行をしてきたのだから。
日々の精進は大切です。それをしていないのに悟った気になるのは悪平等になり、錯覚や妄想につながります。できないのにできる、わからないのにわかると錯覚する可能性が大きい。
積み重ねた知識や経験が多いほど、様々なパターンに対応できます。
人は知らないこと、経験したことがないことはなかなか理解できません。
でも、知る、体験することが増えれば、こういう時にはこういうものだ、ということがわかります。
そうなれば何があっても、まっ、いいか、と無執着でいられます。
【魔法のハンバーグ 作りかた】
木綿豆腐を塩湯に15分通してから水切り
炒り玄米を3倍の水で炊く。http://
玉ねぎをみじん切り
以上をよく混ぜて塩こしょうし、まとまる程度の地粉を混ぜて一晩寝かせてからお加持します。
大きめに丸めてごま油で両面をきれいに焼きます。
陽性毒を出したい人は塩を入れない。そして、ごまペースト+リンゴ酢のドレッシングで食べます。
陰性気味の人は玄米の炒りを深くし、塩を入れて焼き、味噌だれなどで食べます。焦がすとなおよろしい。
暖かい昨日は各地で卒業式がありました。
僕も息子の卒業式をちょっとだけ覗きに行きました。大きな高校で、品格ある厳粛な昔ながらの式でなかなか良かった。
はじけるような若々しさがまぶしかった。
あの日、子らを安全に家に帰してくれた教職員の方々には深く頭が下がります。ご自分の家や子どもの心配もあっただろうに。
この日を迎えられなかった子も大勢います。
この日の我が子を見られない親も大勢います。
それを思うととてもつらい。
あの日も雪が舞った。
来月になれば入学式や入社式。新しい日々が始まる。
輝く希望の春がくる。
今月は震災3回忌で、当庵他各所で拝みます。そしてお彼岸が過ぎて、少し慌ただしい4月がきます。
その慌ただしさが嬉しくもあり、楽しみ。
そのような座席に深く坐り、好きな人の名前を心中に叫ぶ。
名前の長さによるけれど、およそ1時間に2500回くらいは叫ぶことができる。
あるいは台所で料理しながら、入浴中は湯船に浸りながら、歩きながら、寝床に入っても叫ぶ。
鼻音の時もあり、まったく唇が動かない時もある。
心が脱落していると、知らずに大きな声になっていることもある。
一生の間、僕はこの好きな人の名前を何回叫ぶのだろうか。
ああ、こんなに叫んでいるのだから、僕の想いは必ず届いているに違いない。
一人前になる、あるいは人生の目的を完成させるためには、いくつかの階梯を踏まなければならない。
密教の考え方のひとつにタントラがある。これは、
所作、行、瑜伽、無上瑜伽の四つに経典群を分けるもの。
その顰に倣うような書きかたをすると、
まずは徹底的に所作を心身にしみこませる。淡々と単純な作業を繰り返す。
例えば料理なら、繊切りやかつら剥きを毎日ひたすら続ける。野球なら走り込みやキャッチボールを続ける。
このような繰り返しを数年続けると、それが身体の一部となる。幼児が立って歩けるように。左足の次は無意識に右足が前に出るように。
この段階では首から上でものを考える必要は無い。
そのような基礎ができあがれば、次に心とその動きを連動させる。
思惟を積み重ね、基礎的な動きに理論的バックボーンをつける。
なぜ、そうするのか、どうしてそうなるのかを考えながらの修行。
これを数年続けることで知的バックブラウンドが完成し、自信と平安な心が生まれる。
そのトレニングを数年続けると、対象と一体になるレベルに立てる。目的とするものに溶け込むような感じ。
それを数年続ければ、もう儀式や作法は不要。常に対象と一体化するから。「それ」になり、ただ「在る」ようになるから。
僕は思っている。
ただ好きな人の名前を叫び続けることで、「それ」になり、僕がただ「在る」だけになれると。
それが人生の、ひとつの完成であると。
症状はくしゃみ、鼻水、鼻詰まり、目のかゆみなどで、発作性反復性があるから陽性の症状。
ということは陰性の手当てをすればいい。
アレルギーは食養的に考えると、腎臓で処理できないたんぱく質がおしっこ以外で排毒される、ということです。花粉の成分も35パーセントくらいがたんぱく質。
だから、陰性でアルカリでタンパクを溶かす野菜を多くすればいい。陽性過多にならないようにすればいい。
魚のダシやチーズなど乳製品の塩気が強い陽性の他、玄米、ごま、ナッツなどの「小さい」「固い」陽性も要らない。
最近の人は野菜の摂取量がとても少ない。特に自然食系の人は味が濃すぎるから野菜がたくさん食べられない。
大根湯を飲んで塩番茶で鼻や目を洗う程度で改善するはずですが、野菜は食べることと、スープや汁などで飲むことの両方が大切。たくさん食べて、たくさん飲みましょう。
花粉症も陽性毒の排泄と考えられます。
ついでにPM2.5などの大気汚染物質を陰陽で考察してみると、
日本まで飛んでくるのは二次生成粒子と考えられ、水溶性、吸湿性が高い、つまり陰性な水に溶けるから陽性な性質を持つと考えられます。
水素化合物や有機化合物は陽性な水素、炭素を含みます。
基本的には陰性な呼吸器系のトラブルにつながるので、この点から見ても陽性な可能性が高い。
とすれば、陰性な手当てになります。
もちろん、外出を控える、マスクをするなどは当然。
ごはん、味噌汁、漬け物、旬の野菜、リラックスする、という免疫力を下げない「普通の」生活をするのも当然。
陽性なものは陰性な働きをするので、陽性な働きのあるコーレン、ブラックジンガー、昆布粉末などに効果が期待できますが、陰性な肺に効果を及ぼすためには、ネギや生姜などの陰性なスープにそれらを入れるのが良いと考えられます。
でも、春はそこまで来ています。
1982年、僕が二十歳の時に東北新幹線大宮・盛岡間が暫定開業しました。
その10年ほど前の1972年に工事が着工し、中学生の頃には夜になると幼馴染のマリオ君を誘い、まだ線路が敷かれていない高架線に上って宝探しをしました。
1978年、僕が高校生の時に試験電車が走り始めました。栃木県小山試験線管理所は家から近く、実験線を走る961形電車を見てドキドキしていました。
このボディマウント方式の車両が後の新幹線200系。今月で引退。
混雑するビュッフェで瓶ビールをラッパ飲みした学生時代からも30年。
あの震災でも人身事故を起こさなかった新幹線。
その新幹線が再び開通したときは嬉しかった。
明日はその三回忌。卒塔婆を書き、次第を作っています。
甚大な被災地にも、内外ともに春が来ることを祈念しております。
人が亡くなり通夜葬儀など慌ただしいことが過ぎ、行政や相続などの手続きを済ませ、一段落して報恩と感謝の気持ちが持て、または悲しみと悔やみの気持ちが癒えるのに二年くらい、つまり三回忌くらいまでかかります。
災害など特別なことで亡くなる場合には、もっと時間がかかることでしょう。
お手伝いにもなりませんが、ご回向とご祈祷を続けております。
あれから2年がたちましたので、今までのご質問等をまとめようとしていますが、とても量が多いのでちょっと手間がかかりそう。
詳しいことをお聞きになりたい方は、どうぞ当庵にお越しください。
震災・事故当初から思っていましたが、普段から免疫力を下げないような生活、例えばガンにならないような食事をしていれば、特に慌てることはありません。
何より日々毎日を真剣に、これが最後だと思って事に望み、最高の日にしようと精進の生活をしていればなおのことよろしい、というのが僕の考えです。
放射線も、他のリスクがあるもの、例えば発がん性のある添加物、残留農薬、合成洗剤、電磁波、トリハロメタン、ダイオキシン、薬剤、砂糖、アルコール、ニコチン、古い脂肪などと同じで、量が少なければ問題ありません。代謝排毒されます。
では、どれくらいの量なら大丈夫なのか、は人によって違います。
自分にとってどれくらいなのかは自分で判断しなければなりません。
そのために必要なのは普段の勉強と実践です。
知っている事は「おかしい」とわかりますが、知らないことはわからないので勉強は必要です。
また、体験したことはわかりますが、未体験のことはやってみなくてはわかりません。
そして、自身を救うものは自分の判断力です。
今回、多く悩まされたのが外からの情報です。特に「専門家」が言うこと。 これが判断の邪魔をする場合もある。
全てのお坊さんは立派な人である、というのが正しくないように、全ての専門家は正しいことを言う、というもの間違いです。
事実とうわさを一緒にする、自分で検証しないで予想で言う、という専門家、治療家、僧侶、食事指導者は少なくなかった、と感じています。
また、正しいかどうか、事実かどうかを確認していない情報をリンク、シェア、コピーして、むやみに拡散する人が多いのにも閉口しました。普段の生活では潤滑油になるような話題でも、非常時には慎重にするべきです。
発信する人は、言葉使いにも細心の注意を払うのが大人の常識です。
また、わからないことを、何か得体のしれない不思議な力によるものだ、と不安な人に説明するのも避けるべきです。理論的バックボーンや、体験的な事象が無いものは、自分の中にしまっておきましょう。
論理的思惟はあらゆる可能性を広げます。
例えば、
ナトリウムやカリウムは金属元素ですが、より重い金属元素は、たとえ陰性な性質があるとしても、「重い」陽性な構造のために排毒しづらいことが考えられます。
その時は陰性な手当てを選ぶか、葛などの排毒効果が期待できるものを薄く陰性に調理して使うか、汗をたくさんかいて(脱塩して陰性になる)などの方法を選ぶか、等を考え実践してみます。
おそらく、その中から答えを見つけることができるでしょう。考えて実践して見つけた答は大きな自信につながり、その自信は困難に立ち向かう時にとても役に立つはずです。
僕は18歳で、パチンコとタバコと喫茶店通いを覚え、ミスター梅助とでんでんが好きだった。
篠山紀信がジャケットを撮影した、ジョンの「Double Fantasy」を聞きながら迎えたその年末、僕は風邪で調子が悪かった。
何かの用事で家に来た叔父が、
風邪、治してやるよ。
僕は叔父が経営する鉄工所に連れて行かれ、フラフラになるまで土方仕事をさせられた。
そして、煮出した番茶のような濃いおしっこが出て、すっかり治った。
病気は排毒なので、病気をしないと特に陽性毒は身体にたまったままになる。
たいていは陽性な濃いおしっこが出れば治る。
そのためには発汗利尿させるような努力は必要だ。
お大師さんは承和2年(835年)3月21日寅の刻、高野山奥の院に入定した。
御歳61
入定は入滅と違い、奥の院で衆生済度のため禅定に入っている、という信仰。僕らを救うために修行をしているんだ。
そのお大師さんが一緒に修行している、と信じられているのが弥勒菩薩。
弥勒は釈迦入滅後56億7000万年後に現れて衆生を救う仏。
『彌勒菩薩所問本願経』には、
彌勒菩薩は、ブッダ(釈尊)が産まれる以前に産まれた存在であり、彌勒とブッダの違いは、ブッダは人々が煩悩に苦しむ世界で正覚を得たが、彌勒は人々が煩悩を昇華した世界で正覚を得ること・・・。
とある。
そして、人間たちの努力によって、この地上から罪や傷や汚れや悪行が一掃されたときに、初めて大衆とともに成仏したい、という願いを立てた。
僕もこの努力を重視する考え方が好きだ。安穏と怠惰な生活でも仏になれるという思想には興味が無い。
努力とともに大切なのが自然の法則をなるべく守ること。せめて75パーセントくらいは守ったほうがいい。
身近な自然の法則のひとつが「旬」。
テレビの料理番組を観ていたら、どこかのホテル料理長がカツオとナスを使ったおしゃれな料理を作っていた。
カツオはまだしも、この時期にナスを紹介するなんてねえ、この料理人に味覚はあるのだろうか。
そんなもの無くても営業上は困らないのだろうな。
ところで、ナスはかなり陰性なものと思っている人も多いだろうな。
暑い陽性な夏に採れるから、
紫色だから、
アクがあるから
などが陰性と判断する材料だけれど、ナスは陰性な油をとてもよく吸う。
陰性を引きつけるのだから陽性な性質もあるのではないだろうか。
強い陰性があるものには、強い陽性も含まれているはず。ゴボウがそう。
ナスの茎はとても固い。生け花の股木に使えるくらいの陽性。
ごぼうは陰性なアクがとても強いので、陽性な肉の毒を出すのには生で使う。
そして、陰性なアクを火で調理することにより、身体を温める陽性な甘味に変わる。
ナスも生では強い陰性があるけれど、油で炒めることにより、トマトやキュウリより陽性になるだろう。
味噌漬けにしても同じ効果が考えられる。
一時、陰性な放射能には陽性な味噌と玄米が良いという噂が広がり、それを確認する質問も多かった。
陰陽から見れば一見正しいようだけれど、夏の暑い最中に陽性な玄米と味噌を摂ったらトラブルになる可能性が高い。元々陽性体質の人も同じ。陽性毒がたまっている人は、玄米や味噌を摂ることがつらいかもしれない。
ナスの味噌漬けや、ナス味噌炒めで少し焦がしたものの方がより効果的だ。
この時期のデトックス料理
高野豆腐と大根時雨煮
ネギ醤油
カブ浅漬け
大根おろし
同じく子ども版
雑穀ご飯
野菜バーグ(キャベツ、玉ねぎ、にんじん、炒り玄米、グルテン粉)
鉄火味噌(ごぼう、れんこん、炒り玄米)
果物
ネギスープ(しいたけ出汁)
ここは300名近いかたが亡くなり、今も行方不明のかたが多い。
全て流されたからとても広い大地になり、処理業者の重機が働いています。
以前は仙台近郊の賑やかな海水浴場だった深沼海岸には、津波被災者供養の大きな観音様が建立されています。そこで読経。
堤防を越えて波打ち際まで歩き、皆さんからお預かりしていた供養のお札を海に流して読経。風が強くて砂が耳に目に入る。
16日付朝日新聞文化欄に、キリスト教碩学の宮城学院名誉教授・山形孝夫先生が書いています。
「・・・・・
被災地には人には明かしえない無念の思いが黒い海の記憶とひとつになって
忘却の時を待っている。生者も死者も待っている。言いたいことが山ほどある。
ごめんね、ママが助けてあげられなくてごめんね
母親達の声にならない声である。
その呼びかけに答えられるのは誰か。
大丈夫だよママ、ごめんね、ずっとママを見守っていくからね
こうした生者と死者の「語り」が「花は咲く」にはおおらかに歌いあげられている。それが涙をさそうのだ。
だがそれは悲しみの涙ではない。死者と未来へ向かう優しい希望の声のようなのだ。
・・・・・。」
荒浜・深沼には土曜日と言うこともあってか、多くの人がお参りに、ボランティアに来ていました。若い人が多い。
彼らを含め世界の若者の未来と希望がすばらしいものであるよう心から祈念し、人類が今までと同じように発展進歩することを一心祈願いたします。
省エネ作戦で、食事をした同じ部屋でそのまま布団を並べて寝る。
長女は数年前に上京、こうしてひとりづつ旅立つのは喜ばしいことだけれども、一人っ子のご家庭はこれとは違う感慨があるのだろうな。
それはさておき、
手相の感情線は循環器系の様子を診る線です。
消化器系の様子を診る生命線は体調を判断するのに役立ちますが、体質を観るのは感情線のほうがわかりやすい。
感情線は小指の下から始まって人さし指の下に伸びている線。
この線の始まりと小指の間に結婚線があります。
ここは生殖器の成熟度が表れます。つまり、子どもを産める状態になった時に線が現われる。
感情線のところが1歳、小指の下の線のあたりが70歳。真ん中に結婚線があれば35歳くらい。
この線がまっすぐ横に伸びていれば中庸。線の先が上に向いていれば陽性過多、下なら陰性過多。子どもが欲しいならこの線がまっすぐになるように体調を調えれば授かります。
子宝に限らず、体質の陰陽がここでわかります。
この線と小指の間が狭ければ物質的な世界に向いている。広ければ精神的な世界に適合しやすい感情を持つ。
感情線が延びる先は、緩やかなカーブを描いて人さし指方面へ上がっている相が多いですが、陽性なほど急なカーブを描き、陰性なら緩やになります。
感情がもっと陰性ならあまり曲がらずに、人差し指と親指の間方向に延びます。
線の先が上がれば陽性で感情的な傾向があり、下がっていれば陰性で感情を出さないタイプ、まっすぐは冷静さを表します。
腎臓や心臓の状態が陰性が陽性か、でこうなります。心臓が陽性なら興奮しやすい、あるいは肉食系。陰性ならその逆。中庸なら落ち着いて優しい。
腎臓が陽性なら落ち着きがない怖がり屋さん。陰性ならおとなしいけれど憂鬱気味。中庸なら自信と勇気がある。
そのように感情線で自己中心的か、献身的か、その中間か。
肉欲的かプラトニックか、その中間か
感情的か陰湿か、その中間か。
実業家タイプか研究者タイプか
親子の縁はどうか
を観ることができます。そして、他の相と同じく、食生活などによって手相は変えることもできます。
僕はそこら辺りがおもしろいと思う。
今は生臭のごちそうが多い。お寿司、テンプラ、焼魚、イセエビのグラタンやカニの甲羅焼き、アワビやホタテのお刺身・・・・・。
妻が
シマちゃんはこれが好きなのよ
と言いながら飼い猫にカニカマを与えている。
僕がもらってきた「本物」のカニをやっても食べない。跨いでどこかへ行ってしまう。
以前、子ども会の幹事をして温泉旅館に引率した朝ごはんに、カニがたっぷりの味噌汁が出た。
そんなカニよりカニカマのほうが好き、という子もいた。カニカマがカニだと思っていた子もいたかもしれない。
豪華な折詰を持ち帰っても、我が子らは興味を示さないことが多い。
オレ、魚は食えないよ。肉なら少しは食えるけど。
友だちも魚が嫌いなヤツが多いよ、
と次男が言う。
だから、最近の陽性過多は大根湯よりシイタケスープのほうがよく効く。ネギも良く効く。
モルトビールより発泡酒が好きな人も多い。
天然醸造のものより添加物入りの醤油味噌が好きな人も少なくない。
カニよりカニカマが好きな人がいてもおかしくない。
あに食べ物のみならんや
カニカマみたいな僧侶、料理人、父親母親・・・。
まあ、カニカマはカニカマでおもしろいから良いのだけれど。
子どもはじっとしていない。寝ている時もだ。子どもは陽性だから当たり前で、じっとしていたら具合が悪いのだろう。
氷点下の晩も寝相が悪い。布団をはねのけてもそのままで犬のように丸くなって寝ている。
頭を並べていたのに、早朝になると僕の頭の隣に息子の足がある。
長男に
何食べたい?
と聞くと必ず、
カレー
と答える。
毎日でもいいよ。
とも言う。
カレーはご飯がたくさん食べられるから子どもには良い、と思っていたのだけれど最近はちょっと違う。
カレーは野菜を食べる、野菜を飲む、の両方ができるから良いのである。
そして、炒り玄米+野菜+香辛料にすれば適度な陰性とアルカリが入るから酸性で陽性な子どもに適している。そういう大人も増えているから同じでいい。
辛味は脂肪を、酸味や野菜はタンパクを溶かすから、考えて作ったカレーはとてもに良い。
何も考えずに作ったカレーは、どうかな?
以前、お参りにいらしたご婦人に食事を出したら、カレー風味のおかずは召し上がらなかった。
あたし、これは食べないんです。
厳格な玄米菜食をなさっていて、カレーは陰性だから食べないとのこと。
見るからに陽性過多なかたでしたが。
脳も陽性なんだな、と感じた。
大森英桜先生が、カレーライスは邪食の筆頭であるというようなことを言っていたけれど、そういう人にはそうなのかもしれない。しかし、そういう人はそうはいない。
20代後半にインドへ行った。
どこでもいつでもカレーだた。カレーのにおいの中で拝んだ。
お腹を壊した。
辛いものは陰性だから発汗させて体温を下げる。
陰性なものが多い人は陰性な額や頭部からたくさん汗をかく。斯様に陰性の排毒は速い。
何よりも、カレーは楽しいから良いのだな。
子どもの寝相が悪いのも、子どもがカレーが好きなのも、子どもは陽性だから当たり前。
乳児はもっと陽性。胎児はさらに陽性。
子宮という極めて陽性な環境で過ごしているから陰性なものが欲しくなる。
だから昔の妊婦さんが陰性な酸っぱいものを食べたくなる、というのは当然のことなんだな。
季節に合わせて陰性にしていれば問題無いのだけれど、陽性な季節にも陽性な生活をするから、生まれてきた子に陽性なアトピーなどの症状が出ることが少なくない。
冬にたまった排毒がうまくいかない春はイライラします。そういう時はちょっと辛味を使うといい。
と小池さんが言っていたような気がするけれど、麺は穀類であり、スープを野菜ときのこにすればその麺の消化酵素になる。
あのようなものは消化が良くなければならない。噛まないのだから。
だからラーメンこそ精進に限る。
昆布しいたけ出汁で作った味噌汁の残りを5倍に薄め、季節の野菜ときのこ数種類煮る。
麺をゆでる。
どんぶりに醤油、ごま油、こしょうを入れて上記のスープで溶く。
ゆでた麺を湯切りしてどんぶりに入れ、ネギと海苔を盛る。
さあ、召し上がれ。
それはさておき、『青春の影』は僕の好きな曲のひとつ。
君の心へつづく長い一本道は
いつも僕を勇気づけた
とてもとてもけわしく細い道だったけど
今君を迎えにゆこう
自分の大きな夢を追うことが
今までの僕の仕事だったけど
君を幸せにするそれこそが
これからの僕の生きるしるし
(1974 「青春の影」 チューリップ)
http://
僕も、自分の大きな夢を追うことが若者の仕事だと思う。
この曲の副題は「I'll always remember you」
歳をとると、いつの間にかそういう気持ちになる。大きな夢を追った日々があれば、余計にそう思う。
順風満帆な人生だったわけではないけれど、今までで最も充実したと思えるのは大学に落ちて浪人した1年間と、会社を辞めて大学に入りなおした2年間だ。
心ゆくまで勉強できる時間は素晴らしくて、この上なく楽しい。
勉強以外の善悪もいろいろ覚えたけれど、あの時間に僕は未来への憧れと希望をたくさん持つことができた。
その時間が過ぎると新しいステージの幕が開く。それは喜劇かもしれないし、悲劇的なシーンも多いかもしれない。
でも、それは確実に僕の役だ、しかも主役。
僕は50歳を過ぎたけれど、人生の何たるかが分かったとは言えない。
お釈迦さん、お大師さん、恩師が言ったことを真似しているだけだ。
それでも生きていくうちに、若い時に学んだ知識が智慧に変わったり、あの時の不安や迷いが悟りに変わったりすることはある。
青春の蹉跌かもしれない事柄も、人を限りなく大きくしてくれることは確かだ。
水菜、小松菜、大根、かぶ、チンゲン菜・・・。
みな菜の花になるけれど、それぞれ味が違う。僕は水菜の花が好き。
この時期、菜の花、ブロッコリー、キャベツなどの成長が早い陰性な野菜をたくさん食べるのはとてもいい。
その苦味と辛味が脂肪や古塩を溶かして、心身がきれいになる。心が安定する。
馬に食わせるくらいたくさん食べるといい。
塩番茶で鼻を洗うのも、一回ではダメ。たくさん何回も洗う。
風邪気味の時、外から帰る度にうがいをするように、違和感がある度に、外出から帰る度に何回も洗います。
当然、大根湯もたくさん飲む。
陽性なアレルギーを改善するためなら、一日に大根一本くらいは必要。
大根が無ければ酸っぱい果汁でもいい。
具だくさんの味噌汁は品が無いけれど、今の時期にはとてもよろしい。
陰性な野菜をたくさん入れて、冬の間にたまった陽性を溶かす。
味噌はそれほど陽性ではなく、味噌汁にする程度なら中庸です。
野菜を「飲む」ことで腎臓をきれいにして心を安定させます。
生まれる時と死ぬ時は人生で大切な瞬間です。
始まりは受精。その瞬間は生死の中で最も陽性な時です。それからだんだんと陰性になり、もっとも陰性になった時が死。
最初は陽性なのだから陰性な野菜をたくさん食べるのが良いでしょう。
その時の陽性にしていると、陽性過多の子が生まれます。
生きている間は陽性なエネルギーが必要なので、元気な時は陽性なものも必要ですが、死に近づいたら陰性にしたほうが安らかに死ねます。死に際まで陽性にしていると、うまく死ねない。
春は深呼吸が気持ちいい。
息を吐くのは陰性な力で、吸うのは陽性な力。
ですから、陰性な力が無いと吐けない。陽性過ぎると吐けない。
息をゆっくり長く吐く、というのはヨーガ坐禅瞑想武道などでよく指導されることですが、陰性な力が無い人はそれができない。
ゆっくり吐くことで、
副交感神経を優位にする
リラックスする
心が安定する
なんて言われる。
だから、そういうことをしようと、そういう心になりたいと思えば、陽性な食事よりは春の野菜をたくさん食べるのがよろしい。
安心や平安、穏やかな心になるチャンスがたくさんあるのが、春。