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あらゆるものの根源
 

仏教に「能生のうしょう)」「所生(しょしょう)」という言葉があります。

能生は生み出すもの、主体、根源。

所生は生み出されるもの、客体。

基本的に能生は目に見えず、

所生が見える形。

で、

この能生、つまり生まれてきた根源、

これを仏教は求めてきました。これ以外のものは関心無い、といっても過言ではない。


苦しみとは何か、幸せとは何か。

迷いとは、悟りとは。

心とは何か、自分とは何か。

宇宙とは何か、どうなっているのか。

なぜ生まれ、なぜ生きているのか。

なぜ死ぬのか、死んだらどうなるのか。

これらの問題は、

宇宙、人間、心などの根源が分かれば解決します。

すべての問題の根底に、

つまり、所生のものの奥に能生の何かがあるはずです。

仏教に限らず、

人生の諸問題にとっても同じでしょう。


この能生が何であるか、

元素とか素粒子である

空や縁起や阿頼耶識である

阿弥陀如来や法華経である

というように、いろいろな考えかたがあります。


密教ではそれを五大(地水火風空)とか六大(五大と識)であると捉えます。

そのものだけではなく、

その姿とその性質働きを含めてです。

この五大・六大は大日如来のこと。

ですから、

すべては大日如来から生まれる、

という云いかたになります。


これが展開して現れたのが所生の世間や身体で、

つまり、根源なモノのシンボルということ。

現れた僕らや周囲の現象宇宙は、基本的にヨーガ(相応)しているので、

単独ではありません。

お父さんとお母さんと子らで家族であり、

おとうさん単独では「お父さん」になれないようなもの。


心身や周囲の現象は六大大日なのですから、

それが能生なら、

すべては事実であり真実、ということになります。

ですから、

僕らの働きはそのまま大日如来の働き、ということになる。


仏教では、

あらゆるものには実体がなく、関係性においてのみ存在している、

という縁起・空の考えかたがありますが、

これでは、個別の存在に価値を認めにくい。

すると、

この身このままで今すぐに悟れること(即身成仏)はあり得ない。

ここが密教の特徴なのですが、

事実は縁起を越えたものと捉えています。


僕らは大日如来、悟りの当体と同じですが、

そのまま何もしなくても悟りが現れるわけではなく、

修行努力工夫が必要。

何もしない現実肯定は危険であり、戒めるべきです。


心を開発して悟るための修行(生きかた)には多くの方法がありますが、

混じり気の無い心をもち

喜びをもち

他を尊重し、いつくしむ

ことと、田中千秋先生の『即身成佛義講話』にあります。

これは難しいことだけれど、できないことではない。


 

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[ 2017/12/20 10:51 | Comments(0) | 眞天庵仏教塾・密教塾 ]

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