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知性と感性
カレー味のみそ汁はうまい、
 
具はジャガイモに限る、

と誰かが言っていたのだけれど、それが誰なのか思い出せない。


みそ汁の残りにきのこ、白菜、カレー粉とご飯。


箸休めに、冬大根をサッと塩もみ。


洋ナシをリンゴジュースと赤ワインで煮て、

バニラアイスを添える。


それはさておき、

仏教に三法印という思想があり、

諸行無常
諸法無我
涅槃寂静

の三つ。

あらゆるものは変化して実体性が無いと知れば、

執著が無くなり、心は静かで安らぎを得る。

僕も僕のモノも変化しているから、「これだ」と特定できないですからね。

無いものに執着できないから、煩悩も迷いも無い。


ここから、空・縁起・無自性という思想につながります。

無常で無我ですから、

存在としての原理が無い。

何かと何かの関連性でのみ存在している。

「僕」が在るためには「僕以外」のものが必要です。

「僕」とそれ以外の間に仕切り、枠、境目があります。


外野席と内野席には境目があるから

外野席と内野席が存在します。

もし、

その境目を無くしたら、外野席という枠をなくしたら、

内外野が一緒になって、区別が無くなります。

すべてはそのように存在しているので、

すべての枠をはずせば、何もなくなってしまいます。

これが「無」になる、ということに近い。

で、

自分とは何か、

宇宙の根源とは何か、

心とは何かを

分析しても同じことになります。

そういうものは無い。

でも、

ありますね。

ここで、

知性と感性が必要になります。

それぞれ、

智慧と慈悲、とも云います。


なぜここで慈悲という感性が必要になるかと言えば、

僕と僕以外のものは同時に存在し関係性を持っているからです。

僕以外のものを大切にしなければ、僕の存在が危うい。

僕は個別に生まれてきたのではなく、他のすべてのものと同時に全体的に生まれています。

つまり、

ひとつの原因によって一つの結果があるのではなく、

すべてのものが絡まって、すべてのものが存在します。

また、

ひとつのものを分析して、その大元が何であるかを探しても見つかりません。

なぜなら、

その大元がどうやtって発生したのかが分からないからです。

そうなると、

それは元から在る、と考えざるを得ません。そこに時間と空間という概念は無い、と。

宇宙の根源も、

宇宙の外側も、

同じことでしょう。

一度「僕」とか「外野席」という存在を解体してみる。

それから、もう一度元に戻す。

こういう知的作業と、

そこでは他を大切にする思いやりが無ければ存在できないだろうという感性が、

仏教の基本にあります。




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[ 2017/11/11 07:24 | Comments(0) | 眞天庵仏教塾・密教塾 ]

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