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神さまと仏さま 3
神さまとは何でしょうか。

これはいろいろでしょうね。

各宗教宗派によって理解が違う。

一神教と多神教では違うでしょうし、

神さまが創造主で絶対神なのと、

あらゆるものが神であるという八百万の信仰とでもずいぶんと違う。


もし、神さまがすべてを創り支配しているなら、

神がいないと思考停止になる可能性がある。

でも、

何かをしたり考えるとき、

論理的に矛盾が生じた時には、神が解決してくれます。

そういうものがいたら助かる 、という神。

もし、

宗教としての理論的バックボーンがなければ、

神は実在ではないので、誰もが神を自由に解釈できてしまう。

そうすると、

戦争することに都合の良い神さまも創造できてしまう。



仏教とそれ以外との違いは、「我」があるか無いかです。

仏教は無我をすわりとする。

仏教は因果の法則を疑うことがありませんが、

絶対神創造神は因果を越えているのでしょう。


仏は自分の中にいますが、

神さまはどうなのだろうか。


『十住心論』では、

 ただ性と食に対する欲望をもって生きているだけにすぎない迷いの心では、

殺、盗、邪淫等々の不善をつくり、触愛、財欲・色欲・飲食欲・名誉欲・睡眠欲などにふけっています。その結果は地獄のような世界。

これは、自己のみを知って他のことが眼中にない。

でも、

その心に、優れた師の導きなどの、少しの光が当たれば、

愚かな少年が、節食して困っている人に自分の食物を施したり、

倫理道徳を知って、自他共存の工夫が積まれます。

さらに、

道徳、倫理を超え、宗教的な理想の世界に生まれることを願う心が現れます。

たとえば、

天界に生まれることを願う。  


これらみっつの心も、曼荼羅部に位置するものだけれど、個別的な心で「我」がある。


それらの心の次に、

無我をすわりとする仏教があります。


曼荼羅的思考、世の中は調和している

と考えれば、

神さまは仏さま、仏さまは神さまです。



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[ 2016/03/31 08:17 | Comments(0) | 眞天庵仏教塾・密教塾 ]

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