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5、三学
仏道修行者が必ず修めなければらないものが、

戒定慧(かいじょうえ)の三つ。三学と言います。



戒は身と口と心の悪を止め、善を修すること。 

定は禅定の定。心の離念をとりはらい、精神統一して仏の心に住すること。

慧は、迷いを破り、すべての真実なる姿を見極めること。


先ず基本は戒律。

これによって心を惑わす悪業から離れ、初めて心静かに修行することができます。

次に禅定。

坐禅瞑想の修行のこと。これによって心をコントロールます。

そうすることで仏の智慧を得て、心に平穏がもたらされます。

仏の智慧は、真実を正しく観察すること。

あらゆるものには実体はなく、縁と条件によって成り立っているに過ぎないものだから、そのようなものに執着しない、ということ。

簡単に言えば、

こだわらない、比べない、とらわれない。

乱暴に言えば、

何でも良い、どうでも良い、まあ、いいか、という境地。


仏教の聖典には、

・律蔵(戒律をまとめたもの)
・経蔵(お釈迦さまの説いた教えをまとめたもの)
・論蔵(教えについての註釈や解釈をまとめたもの)

の三蔵があり、この三つに通じている僧侶を三蔵法師と言いますが、

三学にあてはめると、

戒学は律蔵
定学は経蔵
慧学は論蔵

に相当します。


________________________________

【修行してみる】

○ 授戒

戒律には多くの種類がありますが、基本となるのが菩薩十善戒。

儀式としての授戒会に参加して、お授けを受けると良いですが、十善戒などの聖句をいつも唱えることで、心身にしみこませることができます。


〇懺悔文(さんげもん)

我昔所造諸悪業 (がしゃくしょぞうしょあくごう)
皆由無始貪瞋癡 (かいゆむしとんじんち)
従身語意之所生 (じゅうしんごいししょしょう)
一切我今皆懺悔  (いっさいがこんかいさんげ)

我、昔より造るところの悪業は
みな貪りと怒りと愚癡によっている
身と口と心から生まれるそれらを
一切今、懺悔します。



〇十善戒

弟子某甲 尽未来際 (でしむこう じんみらいさい)
不殺生 (ふせっしょう)
不偸盗 (ふちゅうとう)
不邪淫 (ふじゃいん)
不妄語    (ふもうご)
不綺語 (ふきご)
不悪口 (ふあっく)
不両舌 (ふりょうぜつ)
不慳貪 (ふけんどん)
不瞋恚 (ふしんに)
不邪見 (ふじゃけん)

・次のようにも唱えます。

一つ、不殺生 いのち尊びてあわれみ深く、我はあたたかき人とならむ
一つ、不偸盗 与えられざるものを手にすることなく、我は人の幸をも楽しまむ
一つ、不邪淫 道ならざる愛欲をおかすことなく、我は正しき愛を守らむ
一つ、不妄語 言葉貴びて責任(つとめ)を乱さず、我は実語の人とならむ
一つ、不綺語 綺(かざ)り巧みて、つくろうことなく、我は素朴の人とならむ
一つ、不悪口 ののしりて人をあなどらず、我は愛語の人とならむ
一つ、不両舌 両舌(なかごと)して人の交わりを割かず、我は和合の人とならむ
一つ、不慳貪 ものをおしみて貪ることなく、我は施しを念う人とならむ
一つ、不瞋恚 瞋りにくらみて己を失わず、我は度量(ゆる)す人とならむ
一つ、不邪見 因果の法則を疑うことなく、我は黙々として善きに励まむ 



〇発菩提心
おんぼうじ しった ぼだはだやみ   


〇三昧耶戒
おん さんまや さとばん 

以上ふたつは密教の戒律を表す真言で、

悟りを求める心を起し、
仏と自分が本質的に平等であり、
迷いと煩悩にそまる自分を仏の道へと目覚めさせ
迷いと煩悩を取り除く
という心を忘れないこと。


これらを唱えたなら、

心に慈悲の念を抱き、仏の智慧の象徴である白浄の満月が自心の内で輝いている、

と観想します。



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[ 2015/01/22 16:49 | Comments(0) | 眞天庵仏教塾・密教塾 ]

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