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8-1、供養
供養はサンスクリット語の「プージャ」の訳語で「尊敬する」という意味です。

お釈迦さまを供養する、

というのはお釈迦さまを尊敬する、ということ。

尊敬する人には、おもてなしをしたい、身辺のお手伝いをしたい、いろいろ教えてほしい、などと思います。


故人を供養する、

というのは、故人を尊敬の念をもって思い、習うべきところは習い、反省するべところは反省し、襟を正して生きていこうとすることです。

その姿勢が供養になります。

ですから、何をお供えしても、尊敬の気持ちが無ければ供養にはなりません。


ご本尊さんの供養は修法であり、瞑想修行のひとつです。

その供物をそろえるところから修行が始まります。

仏教には六種供養というものがあり、

六種の供養は、以前に書いた六波羅蜜の行になります。

1、お水やお茶を供える。

これは布施の心。水はすべてのいのちを育み、どんなところにも平等に流れる、思いやりの心を養うことになる。そう思い行動することが供養になります。


2、塗香

手や身体に塗る香は、持戒の心をあらわします。
 
香りが身体にしみこむように、戒律も身体にしみこむことで価値があります。

清らかにした手では悪いことができません。

同じように、清らかな心、清らかなことをしようと思えば、悪いことから自然と離れる、

というのが戒律です。

お金持ちになろうと思ったら無駄遣いをしないようになる。

ということと同じです。


3、花。

花を見ると心がなごみ、自然と微笑みます。これは忍辱の心。

耐え忍ぶことは、花を見て心が和むようなもの。

この和む心が供養となります。



4、線香を立てる。

これは精進の心。

線香に火をつけると、一直線に淡々と燃えます。急に燃えすぎたり、途中で止まったり横道にそれたりしない。それが精進です。

そうような心が供養になり、功徳になります。




5、ご飯を供える。

これは禅定の心。心を静かにすること。
 
お腹が空いてイライラしている時に、ご飯を食べるとホッとするように、冷静になって心に波が立たないようにする心が供養になります。


6、灯明(ローソク)を点じる。

これは智慧の心。

迷い苦しみ煩悩によって正しくものが見えないほど暗くなっている時に、

智慧があれば明るくなります。

灯明をつけて暗闇を照らすように、智慧を得て心に灯りをつけることが供養になります。

 
供物をそろえて心を豊かにし、心を調えることが供養になり、それを擦ることが修行です。

供物は心のシンボルです。

 
『宗秘論』には

供養は総てその報いを求めてはならない。

とあり、

密教では、仏と我と衆生とが平等である、と観想しながら拝むことが、最大の供養になるとします。

そして、

それが悟りへの道になります。



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[ 2015/03/01 07:47 | Comments(0) | 眞天庵仏教塾・密教塾 ]

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