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あの日あの時
中学の卒業文集に「ひとことコーナー」があり、

男子はウケ狙いのくだらないことばかり書いていたけれど、

女子の「ひとこと」は良いものがあったように覚えている。

そのなかで、

好きだった子のそれは、
 
「あの日に帰りたい」

そういう歌が流行っていました。

歳をとると、そんな気持ちになることが時々あります。


こだわっていることをあきらめるのが一つの悟りですが、

あきらめられないとか許せないというのは、記憶力が無くなっているからではないだろうか。

なぜなら、

昔のことを思い出してみれば、あきらめられるし、何でも許せる。


子どもが生まれた時の喜びや

成長するにつれての、あの日あの時のかわいかった姿と言葉を思い出す。

そうすると、

今がどんなに生意気でずるがしこくてもかまわない。

本性はかわいいのだから。

それは事実であり、過去にそうだったのだから。

今が本性で過去は繕ったもの、

とは考えにくい。

だから、

思い出したものに真実があるかもしれない。

夫婦恋人友人、誰に対しても同じであるし、

世界で著名なあの人もこの人も、かわいかったに違いなく、

それが本性である可能性が高い。


相手の悪いところしか見えないのは愚か者であり、

昔のかわいさを思い出せないのはバカ者である 。

そう考えれば、平和は案外近いかもしれない。


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[ 2017/09/03 07:33 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]

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