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聖俗の立場
日光唐辛子の辛さは上品で、料理に少し混ぜるとさわやかでうまい。



この時期たくさん採れるので、

純米酒と純正醤油同量のみで佃煮にすると、酒にも飯にも合う。


それはさておき、

何か目的のために、初心者初級のトレーニングから始め、

段階を踏んで少しづつ上昇し、ついには目的地に至る。

勉強なら試験に合格し、スポーツなら一等賞になる、というようなこと。

その間、少しづつ練習を積み重ねていくのが年季になり、

一足飛びに栄光はつかめないものである。

このように、

出発点から努力工夫トレーニングによりゴールを目指すことは、何事においても普通のことで、

途中で投げ出してしまうことも少なくない。

でも、

ゴール地点から見れば、スタートからの様子がよくわかる。 


ゴール未経験の場合、

スタート地点ではゴールの様子はよくわからないけれど、

そして、スタートよりゴールのほうが価値あるものだけれど、 

ゴールに到達した目で見れば、

スタートはゴールの一部であり、価値は同じである。


多くの場合、

凡人は出発点で遠いゴールに憧れ、

覚者は到達点にいるから、スタートからの様子がすべて理解できる。

人は皆、心のレベルにおいてはすでにゴールしているのに、

それを忘れてスタート地点であたふたしている。


だから、

もう少し心のことを知れば、すべてのことが解決します。

心は車輪が回転するように、

マグロが泳ぎ続けるように、

とどまることなく動きながら変化しています。

無始から無終、人生の続く限り続いている。

その過程で、

仏のような優しい心になったり、地獄みたいな残忍な気持ちを抱いたり、

クルクル変わりながら続いています。

これを心続生と云い(心は連続して生じるから、固定した実体は無い)

聖俗の立場は、その中の違いに過ぎない。







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[ 2017/09/04 11:12 | Comments(0) | 眞天庵仏教塾・密教塾 ]

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