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うまい豆腐があったので
最近、法話をするたびに心配になることがありまして、

僕らは本来仏である、生まれながらに仏の性質を持っている(それを仏性とか如来蔵といいます)けれど、煩悩によって覆われているから見えないだけ。

という立場で話をするのだけれど、

諸法は無我であるのに、どうして仏性があるのだろうか。

そんなものはないのではないだろうか。

『勝鬘経』には、

我々は如来蔵を自分が所有しているとは自覚していないけれど、

それが無ければ、さとりたい、という願いさえおきはしないだろう。
 
だから、いかなるものも如来になることは可能である。

とあるけれど、如来蔵は縁起しないのだろうか。


さらには、

『大日経』では、

方便を究竟として、他人への慈悲の働きかけと、自分の心の分析を積み重ねて、初めて覚りを得る

とあるのに、

『金剛頂経』では、

智慧と慈悲の方便は、真言にとってかわり、三密行によって、すぐさまに即身成仏できる

とあるのは、大いなる矛盾ではないだろうか。


とまあ、僕もいろいろ悩んでいるのですが、

そういう悩みがあるときによろしいのがマーボー豆腐

酸味+辛味+炒り玄米+豆腐=脳の安定によろしい。




ニンニクをごま油で温め、

玉ねぎ、カボチャ、高野豆腐、しめじを唐辛子粉をまぶしながら炒め、

炊いた炒り玄米とトマトピューレを加えて煮込み、

醤油か味噌で調えます。

うまい豆腐を使うのが一番大切


僕が食べ終わった後、

妻と息子はこれでラーメンを作って食べていた。

すごくうまそうだった。



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[ 2015/12/22 07:48 | Comments(2) | 米ぞうの家 ]
1. posted by 坪井  2015/12/22 17:47
矛盾がない状態は理想です
しかし、矛盾がない というのは何か危ういモノを感じます。

これという固定はこれじゃないモノを作るからでしょうか

どんなに考えても想像しても現実はそれを超えて流れて行きます。

私の頭では全てを知ることはできないのでしょう。  たぶん...。
2. posted by 春風 米ぞう  2015/12/22 18:11
真言密教では、その内容的に矛盾する『大日経』と『金剛頂経』を教義の基本としているんです。

なのに、その内容がまったく反対なので、僕は困っているのです。

慈悲心によってその両立は可能なのかもしれない。

行によって可能なのかもしれない。

「私」と「私のモノ」の二つの執着から離れれば可能なのかもしれない。


お大師さんがどう考えたのか、ということがなかなか分からないのです。

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