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さだめなきもの
男性用尿漏れパッドのテレビCMを観ていたら、 

それを着けたであろう男性が、

最後に大ジョッキを嬉しそうに傾けていた。

これで安心、

ということだろうか。

尿漏れがあるならビールを飲まなければ良いのに。

身体は枯れてきたのに、欲は枯れていない哀れさを感じる。


モノがあふれて豊かな時代では、

何かを良くするためには、何かをやめるのが云い。

でも、

それでは経済が発展しないかな。

世の中は、

練習しないで試合に勝ちたい、

勉強しないで合格したい、

運動しないでダイエットしたい、

そういうことを解決する特効薬のようなものを作って、

経済は発展してきたともいえるかな。


それはさておき、

ある人から電話があり、

特に用事はない、と云う。

世間話をしてから電話を切る。

その後、ちょっと考えた。

ホントは何かあったのだろうか、と。

少し、心に引っかかるものがある。


このような思いは、いったい何に由来しているのだろうか

そんなことは思わなくてもいいのに。
 
世の中はそういうことばかりで、思わなくても良いことを思うのが毎日である。


そういう時は、その思いがどこから来たのか考えてみる

どんなことを思っても、それは無自性である。

栂尾先生は「さだめなきもの」とか「さがなきもの」とフリガナを振っている。


一切は無自性であると悟れば、

その悟る心も、さだめなきものであるから、総てが平等になる。

これが身体であり、これが心である、という差別も無くなり、

大空の安らいの中に入って、

静けさと究極の智慧に住して、

怠け退く心が無くなる、

というようなことが『菩提心論』にある。

つまり、それらは妄心なのであろう。

無自性だから追随しなくてもいい。

そうわかれば、

これで安心、である。


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[ 2018/12/04 12:01 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]

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