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三塗の川
この世とあの世の境には大きな川が流れています。

古代ギリシャでは、五つの川があると考えられていました。

それは、

・スティックス(憎悪の川)
・アケロン(悲嘆の川)
・コキュスト(号泣の川)
・レテ(忘却の川)
・ピュリプレゲトン(火炎の川)

僕は、プログレッシヴ・ロックバンド「Styx」のファンです。


古代インドでは、ヴァイタラニー川が地獄への入り口。


米朝の『地獄八景亡者戯』(じごくばっけいもうじゃのたわむれ)では、

亡者たちが賑やかに三途の川まで歩きます。

河原では、

奪衣婆が亡者の着物をはぎ取る制度は無くなっていた。

奪衣婆は役職名であり、決して婆さんではなく美人な年増、

という話を、美人の鬼から聞く。

そこからは全員が渡し舟に乗ります。船頭は鬼。

渡し舟の船賃は死因によって違う。六文銭ではない。

渡り終えて全員が六道の辻から地獄へ行き、

閻魔さまから、どの地獄へ行くのか、または極楽へ行くか、沙汰がある。

とりあえず、みんないったんは地獄へ行くようです。



極善の人は死後ただちに成仏し、

極悪の人はただちに奈落の底に堕ちる。

だから、中陰は無い。

(十王経、中陰経)

とあるけれど、極善と極悪の人は基本的にはいないのでしょうね。


人は死んでから四十九日間、次の生を受けるまでの期間がある、という信仰があります。

これを中有と言います。中有は三蔵法師・玄奘さん以降の新しい訳で、古い訳では中陰。

中有が訛化したものが「宙」。落ち着き場所の無い状態。


ちなみに、観音さまの本名は観自在が新訳、古い訳は観世音。

玄奘三蔵以前と以後では訳語が違うことがいくつかあります。


それはさておき、

『十王経』などでは、

死後の五週間目、 いわゆる五・七日。

そのときに閻魔大王に会う、とのこと。 

この王は地蔵菩薩の化身とされています。  

だから、

三途の川を渡るのは、死んでからすぐなのでしょうね。



「三途の川」の三途、正しくは三塗。

三つの悪道、三つの悪趣。具体的には、地獄道・餓鬼道・畜生道のこと。  


『金光明経』には、

よく地獄餓鬼畜生の諸河をして焦乾枯渇せしむ

とあります。


これに修羅道、人間道、天上道を加えて六道。

これら六つは欲望に満ちた世界で、その欲望がある故に、六つの世界を行ったり来たり輪廻する。

『四解脱経』によれば、三塗、三悪道、三悪趣味は

畜生は相い喰う世界、血に塗られる。

餓鬼は刀杖の世界、切り刻まれる。

地獄は猛火の世界、火であぶられる


悪いことをした人が行く世界ですね。

もちろん、それはどこか遠くにあるのではなく、

今の悪業によって、その人の心が持つ精神的な境涯です。


日蓮さんのころからか、

三塗が三つの途(道)と解釈されて広まったようです。

三途の川には三つの途があり、

善人の途 橋を渡る。死後の世界へ行く。

悪人の道 流れが急で深い

どちらでもない者の途 流れの緩やかな浅いところ

善人と悪人は、衣領樹の下にいる奪衣婆が判断する。
 

本来、

地獄・餓鬼・畜生は悪いことをした人が、その報いで行くところですから、

三塗の川へは罪人しか行かないはずです。

善人はそんなところへ行かない。 

でも、

人間は全員が何かしらの罪を持っているから、全くの善人なんていないから、

死んだらみな三塗の川まで行くのでしょうね。


死ななくても、

今、悪い思いを持てば、すぐに心の中にある三塗の川を渡って地獄の体験をする。

僕らはいつも、三塗の河原にいるのかもしれない。



地獄絵図は心の図

本堂の荘厳は仏の世界の図

どちらも心の中にあります。

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[ 2016/04/30 19:55 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]

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