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世界のあらゆる場所で好きな人の名前を叫ぶ
車や新幹線の座席の背もたれは、直角になっているのが望ましい。むやみにリクライニングするのはキライ。


そのような座席に深く坐り、好きな人の名前を心中に叫ぶ。

名前の長さによるけれど、およそ1時間に2500回くらいは叫ぶことができる。

あるいは台所で料理しながら、入浴中は湯船に浸りながら、歩きながら、寝床に入っても叫ぶ。

鼻音の時もあり、まったく唇が動かない時もある。

心が脱落していると、知らずに大きな声になっていることもある。



一生の間、僕はこの好きな人の名前を何回叫ぶのだろうか。

ああ、こんなに叫んでいるのだから、僕の想いは必ず届いているに違いない。



一人前になる、あるいは人生の目的を完成させるためには、いくつかの階梯を踏まなければならない。


密教の考え方のひとつにタントラがある。これは、

所作、行、瑜伽、無上瑜伽の四つに経典群を分けるもの。

その顰に倣うような書きかたをすると、

まずは徹底的に所作を心身にしみこませる。淡々と単純な作業を繰り返す。

例えば料理なら、繊切りやかつら剥きを毎日ひたすら続ける。野球なら走り込みやキャッチボールを続ける。

このような繰り返しを数年続けると、それが身体の一部となる。幼児が立って歩けるように。左足の次は無意識に右足が前に出るように。

この段階では首から上でものを考える必要は無い。


そのような基礎ができあがれば、次に心とその動きを連動させる。

思惟を積み重ね、基礎的な動きに理論的バックボーンをつける。

なぜ、そうするのか、どうしてそうなるのかを考えながらの修行。

これを数年続けることで知的バックブラウンドが完成し、自信と平安な心が生まれる。


そのトレニングを数年続けると、対象と一体になるレベルに立てる。目的とするものに溶け込むような感じ。


それを数年続ければ、もう儀式や作法は不要。常に対象と一体化するから。「それ」になり、ただ「在る」ようになるから。



僕は思っている。

ただ好きな人の名前を叫び続けることで、「それ」になり、僕がただ「在る」だけになれると。

それが人生の、ひとつの完成であると。
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[ 2013/03/08 15:56 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]

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