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仏教を発展させるもの
新しい知識や技術を増やすのが学問です。

宗教はどうだろうか。

仏教の場合、
 
真理は総て経典に説かれているから、

それを解読し、書かれていることに従います。

自分の考えを展開することは、ほぼ無い。

大切なのは、

経典を注釈し、内容を実践する。

疑いは挟まない。

多くの苦悩は人間関係から生まれるけれど、

難しいことがあっても、

真理が書かれている経典に立ち返ればよろしい。

そこには、正しい答えが用意されている。

経典に書かれている、

と主張すれば、

それは正しい、ということになります。

だから、

経典の内容を知らなくては、仏教教理は成り立たない。


 
仏教は本来、現実世界の事実を扱ってきました。

悩み苦しみは、そこにあり、原因もそこにあるから。

諸行無常、諸法無我、空、縁起などは、現実の事実の判断です。

僕が生まれて、いつか死ぬように、

現実世界は生じたり滅したりするのが事実です。

人間と云うものは、生まれて死ぬ。

その中に、男とか女とか、

背が高いとか低いとか、いろいろ違いがある。

それも現実世界の事実。

しかし、

生まれるから死ぬ、生じるから滅するということであれば、

その本体(唯一で常住で不変なもの)は無い。

本体が無いから、無常であり無我であり、縁起によっており空である。

その立場から見れば、みな同じで違いはない。

これも事実。

すべてのものに、ふたつの事実があります。


ところで、

総ての心は本来清浄である、とか、

人はみな仏の性質を持っている、

などは、事実判断ではなく、価値判断です。

それは、

インドと日本では異なり、

平安時代と現代では違う。

人によっても違う。

そのあたりはどうなのだろうか。 


さらに、

仏教の目的である、

悟り、菩提、成仏、人格の完成などは、

事実判断できるのか、価値判断の問題なのか、

それを追求することが、仏教の発展につながると考えています。



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[ 2019/06/19 11:37 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]

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