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代受苦
自分たちの主張が唯一正しい 

という人を無知といいます。

世の中には、自分たちとは違う考えかたや主張がある 

とか

今はそうだけれど、過去には現在とは違う考えかたがあった

と考えることを知性とか智慧といいます。

そして

自分と違う意見に対して反論し、主張し討論することは互いに有益ですが、

それを言う相手(人)には敬意を払うべきです。


それはさておき、


震災の翌年

東北大学を会場とした宗教者のシンポジウムで、キリスト教の先生から聞いたのが、 

神は人を見捨てる

ということ。

イエスさまが十字架にかけられた時、

神はどうしてわたしをお見捨てになったのですか

と叫び、

しかし、それが神の御心なら受け入れます

という話が聖書にあるらしい。


津波で大勢の人が亡くなりました。

それは神が見捨てたのだろうか

どうして、こういうことが起きて、大切な人が死んだのか

そのことにキリスト教の聖職者たちはずいぶん悩んだ、と話していました。

善が勝つ思想は、必ず悪を作ります。

しかし、

震災や津波に、勝利する善や神はいない。

だから、

泣いている人とともに泣き

苦しむ人とともに苦しむのが、宗教者の立場かもしれない。


仏教に代受苦という言葉があります。

菩薩が衆生の苦しみを取り除くために、

衆生の代わりに進んでその苦を引き受ける

衆生はこれによって助かる

その菩薩は実際に苦しむ、という。

これは大悲、慈悲ですね。

他者の苦しみを見て悲しむこと。

同情に似ているけれど、その同情に純度の違いがあります。

テレビや新聞で見たり聞いたりしたことと、

実際に自分の家族に起こった不幸では、悲しみの度合いが違う。

それを菩薩は、どんなことも自分のことのように悲しむという。

子を失った母親の如くに心を痛める。


『三昧耶戒序』や『菩提心論』には、

まずこの大悲心を起こすことを修行の第一歩としています。

他を自己とも自分の恩人とも思う。

そうすれば他を傷めいじめることはしない。

自他平等ならば、

殺人も盗みも悪口も無い。

悪が滅び、心は清涼寂静となる。


一緒に悲しんでくれる人がいれば、

いつか心に変化が起き、

いつか活力が出てくるかもしれない。

他の悲しみを分かろうとする姿勢を持って、

悲しむ人の苦悩を軽くしてあげる。

というのが代受苦から学ぶことです。






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[ 2016/11/12 16:51 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]

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