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信仰
本日、月例の不動明王護摩供修法いたしました。皆様も世界の平安をお祈りください。 


さて、 

Mサンは昨年、教会で洗礼をうけ、キリスト教徒になった。 

6年前、震災原発事故で彼女の住まいも仕事も被害を受け、いろいろ苦労もしたようだけれど、

元々評判の良いお店で、再出発をしてからも人気があった。

明朗快活、聡明で才能ある女性で、

何よりタイガースファンだから信用できる。


何かの時に僕が、震災事故後の生きかたにおいて、宗教を持つことで良かったと感じることがある、というようなことを言ったようで、

それが信仰のきっかけになったらしい。

 

田中千秋先生は、
 

宗教を持つと持たないとでは人間の純度が違う。

持っていればだんだん混じり気がなくなる。

とおっしゃっていた。
 

本来、信仰は見返りを求めない。 

内道を浄化するためのものだからである。 


信仰が無くても道徳や倫理があり、心優しくして他の暮らしを助けることはできる。

でも、宗教は信仰によって人の魂を高めることができる。
 

小さな虫でも鳳凰の羽につかまれば、大空をどこまでも飛べるように、 

非力な自分でも、信仰の力によって、分別を離れ執着と迷いの汚染が無い大きな心に住することができる。 



仏教には、心を開放し、しあわせになるカリキュラムが数多くある。

お寺に来る人にそれらの修行を勧め、ともに拝み、
 

自他共に自覚の境界を味わえるようにしたいものである。

寺院は修行をする場所であり、 

仏教はしあわせになるためのものだから。



修行の基本は、慈愛と自心の
本源に坐ることである。

これは、かたちこそ違へ、どの宗教も同じであろう。

病人が医薬により安心し、
 

貧乏が金銭により安心するのは、
 

医薬金銭が病貧に有効であることを信じているからである。

信仰は、

目的とそこへ至る方法を信じることで、

その目的は転迷開悟、方法は日々の修法である。

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[ 2017/03/28 09:28 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]

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