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[ 2024/04/19 21:47 | ]
僕と僕以外のもの
迷い・悩み・苦しみ・執著・貪り・怒り・愚痴などの煩悩は、

酸性体質で交感神経優位の時に生じるので、

それを改善すれば消えます。

そうなると仏教など必要無いのですが、

多くの人は健康を維持することができないから、迷い煩悩が生じてしまう。

そして、

仏教の修行は、身体をアルカリ体質にして、副交感神経を優位にするから有効。


それはさておき、

近代仏教学の確立に貢献した木村泰賢博士が

「アビダルマを研究した人が玄人の仏教学者で、

 そうしない人が素人である」

と言っていたことが、『佛教哲理の発達』に書いてあります。

アビダルマとは、

「ブッダの教えに対する考察と研究」

ブッダ(お釈迦さま)の教えを勉強することで、

心が静まり、苦しみから解放される、と考えたものです。

具体的な内容は、「存在の分析」。

私は何者か、
 
あなたは、宇宙は、心は、迷いは、悟りは、苦しみは、

一体何なのか。

なぜ在るのか、どこから来て、どこへ行くのか

それらを分析して源が分かれば、解決法も見つかります。

 その秘密をお釈迦様は

諸行無常、諸法無我、涅槃寂静などの言葉で説明しました。


密教では、それを「本不生(ほんぷしょう)」としています。

『大日経』に、

「私は、万物が本来的に不生であること、言語表現を超越していること、罪科を解脱していること、原因と条件とに束縛されないこと、空の智慧が大空に等しいことを悟った」

とあり、

『吽字義』には、

「始めの始めというように、展開してこれを極めれば、いずれも果てしのない因縁に従うゆえ 
 に、どれを取っても、その本とすべき固定したものはないのである。
 果てしの無い因縁の理を観察するに、その因縁の事相に即して、本初不生なる際限を知る。
 それがありとあらゆるものの根本である」

「もし本不生際を見るものは、これ実の如く自心を知るなり、実の如く自心を知るは、これ一切
 智々なり」
 
 (一切智々は大日如来の本体)

『十住心論』第九には、

「本不生はすなわちこれ心の実際なり。心の実際もまたまた不可得なり」

『秘蔵記』には、

「本不生際というは、心は虚空のごとくにして不生不滅なり。この本不生は不可得なり。
あびらうんけん(大日如来)なり」

とあります。


要するに、

存在の根本は大日如来であり、それは自心であり、宇宙であり、総てである、

ということなのですが、

その際、

大日如来とそれ以外、

自分と自分以外、

という区別が無いのです。

宇宙と宇宙以外の区別が無いのは、

全部が宇宙と考えれば分かるかもしれない。

僕は、僕以外のものがあるから僕が限定されて「在る」のですが、

その境目を無くす。

その上で、

大日如来は本不生を象徴しているのだから、

大日と自分は不二である、という瞑想修行によって本不生を悟る、

という仕組みです。

何でもかんでも、境目区切り仕切り塀を無くす、はずす。

すると何も無くなるのですが、そこが分割できない全体性という本不生際。



ひとこと

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阿吽・精進料理散策

※鉄道のブログ  

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[ 2018/12/11 09:50 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]

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