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前世と輪廻
最近太ったねえ。

気のせいだよ。


最近、女の子にモテるんだよねえ。

気のせいでしょ。


今日のごはん、ちょっと味が濃いよ。

気のせいだろ。



イケメンのお不動さんが来て僕に言った。


キミ、ちょっと最近、心に動揺があるね。

うん、そうなんだけれど、気にしないようにしているよ。

それはいいことだ。一瞬のことにとらわれていると、それは成長して立派な執着になる。放っておくのが一番良いのだ。

少しでも正気でいたかったら、こだわらないことだ。

少しでも冷静でいたかったら、ひとりで何もしゃべらずに、目をとじ、外側を見ることをやめることだ。

海に飛び込むように、自分の心の中だけに飛び込むんだ。


イケメン不動は、炎の中に消え、伽羅の馥郁たる香りだけが残った。

人はいなくなっても、その香りはいつまでも残る。

これも気のせいかな。



前世とか輪廻はあったらおもしろいだろうけれど、ウルトラマンや仮面ライダーがいたら、と思うのと一緒だな、と僕は思っています。


自分はなぜ生まれてきたのか、なぜこの両親のもとに生まれてきたのか、なぜ人によって性格、資質、好き嫌い、能力の差があるのか、を考えてみると・・・・、

仏教の基本のひとつ、縁起、因果の法則によれば、

それらにも原因があるはず。生まれてきた原因が。


それは生まれる前に原因があるのではないか、だから前世はあるのだ。

という考えがある。


もうひとつの基本は無我。

無我であれば生まれ変わる=輪廻する主体は無いはずである。

また、あらゆるものは空であるから自我はもちろんなく、心も前世もその実体は無い。

実体の無いものが輪廻することはできない。


これではちょっと、ということだろうか、初期の仏教では業という思想を使って、輪廻を説明しようとした。

業は行為のこと。

それは行われた後になんらかの結果を及ぼす

努力という行為なしで目的は達せられない。

でも、努力はいつも報われるわけではない。なぜ報われないことがあるのか。


業の理論は、それを「前世における行為」のせいだとする。

だから、業は輪廻の原因である、と。


どうもね、カースト制度維持のために作られた思想であるように感じざるを得ない。



お釈迦さまは

意思が業である(『中部経典』)

と言っており、本来は未来へ向かっての努力を強調したものであるはず。



良い行為が良い結果を生み出す、と考えることは、心のありようとして正しい。

前世や先祖の悪い行為が、今の自分に悪い結果をもたらしている、というのは努力精進しない言い訳になる可能性がある。

輪廻は苦であり、それからの解脱がさとりだけれど、苦は前世からの業を引き継いだからではなく、今の自分に起こることの原因は今の自分にあるのだ、ということを反省懺悔して、より良い人生になるように精進するべきである、というようにも考えられる。



前世でお医者さんをいじめたから、今の僕は身体が弱い、と言う立場と、

今の僕は生活を正しくして、健康になる努力をするべき、という立場がある。

はたまた、気のせいにする、ということもできる。



前世や輪廻の思想で救われるなら、それはそれで結構なことだけれど、妄想であることには変わりない。

人生がいろいろなのは、生活が違うからである。違う血が流れ、その血が脳へ行くから。

親の生活が違うから、みな違う子が産まれる。

同じだったら気味が悪い。

生まれてきたのは両親がいるからだけのことであり、生まれてきた子の性質能力は、両親のそれに影響されている。

また、生まれてからの工夫でも、人は大いに変化する。


宗教の本質は懺悔と報恩感謝にある。だから、輪廻も前世も無いけれど、先祖供養はしたほうがいいな。
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[ 2012/10/02 20:03 | 米ぞうの家 ]



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