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回向とは何だろうか ~ お経本雑感 6
多くのお経本で最後にあるのが「回向文(えこうもん)」

願以此功徳 (がんにしくどく)
普及於一切 (ふぎゅうおいっさい)
我等与衆生 (がとうよしゅじょう)
皆共成仏道 (かいぐじょうぶつどう)


願わくは、私の善行の功徳が、

この世のありとあらゆる存在に行きわたり、
 
すべての人々と全てのいのちが、

皆、仏道を完成しますように。


ここで大切なのは功徳、良い行いの結果。

それは、お経本の最初から、回向文の前までに書いてあること、

つまり、

自分の普段の行いを反省して懺悔し、

戒を保ち、

襟を正して生きていこうと誓い、

お経に書いてあることを理解して実践し智慧を重ね、

真言の意味を理解して心を調えること。

それらが良い行い。

ただ唱えるだけ、お経を聞いているだけでは、功徳になりません。


もうひとつ重要なのは、

その功徳を他のために回向できるのか、ということ。

つまり、

自分が修めた善行の結果が、他に向かって回されるのだろうか。

それは、自業自得の原則に反しているのではないだろうか。

良いことをすれば良い結果がある、たとえば極楽へ行く、褒められる。

悪いことをすれば悪い結果がある、たとえば地獄へ堕ちる、罰を受ける。

これは、その行為の報いですから、自分以外に及ぶことはありません。

あなたが勉強して、僕が合格するとか、

僕が薬を飲んで、あなたが治る、

ということはない。

僕は何もしないけれど、

誰かが自分の善行を回向してくれれば、

僕は悟れるのだろうか。

成仏するかどうかは、その人の行為と思いによるもので、

他人が影響することは、あるのだろうか。




『華厳経』には、

但衆生をして真実の法をさとらしめんと欲してのみ回向するなり

とあります。

衆生は空であり、回向も空であると、理解させるために回向するので、

回向が実在するのではない

ということですが、

空である、つまり自我への執著がなければ、自然と回向される、と考えます。

また、

『倶舎論』には、

業のほとんどが不定業であり、それは自分自身の意思的行為により転じることができる

とあります。

自分の行いの報いは、

時間と善悪を離れて生じる、

そして、それは他へ回向できるらしい。


もうひとつ、

助縁という考えかたがあります。

他から助けられることで、

自分から功徳を積むようになる。

その功徳によって救われる。

自分は皆に心安く思われ、応援されている。

だから、自分で修行して自分で助かる、

そういう仕組み。


 密教では、

自分の身業(行い)、口業(言葉)、意業(思い)の三業は、

仏の三密になる、と考えます。

また、

悟りの境界は我即法界(自分と宇宙のあらゆるものは不二)

ですから、

自分の三業が仏の三密と相応すれば、

回向していることになるかもしれない。

自己の中に一切があるのだから、
 
私の行いは宇宙の行いであり、

その中にあなたもいるから回向される。


いづれにしても、

懺悔と感謝が基本であり、

それを実践すれば仏道修行になり、

心の平安を得られるでしょう。

 
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[ 2019/04/26 09:23 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]

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