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妄信止む時
若い頃は、

何でもたくさんあるのがいいと思っていた。

大盛り無料、おかわり自由大歓迎。

でも今は、

何でも少しがいい。


コンビニでコーヒーを買う。

機械にカップを置き、間違えてアイスコーヒーのボタンを押したら、

濃いコーヒーがカップの半分くらい出てきた。

作り直して構いませんよ、

とお店のお姉さんが新しいカップをくれたけれど、

濃くて少ないから、得した気分になって、それを飲む。


宴会ではお酌をする人がいる。

お酌には問題が多い。

お酒でもビールでも、

飲み干していないグラスや盃に足したものは、ひどくまずい。

グラスにいっぱい入っているのに、

まあまあ、などと言って、つぎ足す隙間を作らせる。

自分のペースで飲めない、

不味いものを無理やりという、パワハラの世界である。


若い頃は、

お酒もたくさん飲める人が偉いと思っていたけれど、

今は、ちょっと飲むくらいが上品に感じる。


座禅瞑想や法事の読経も、長いほうが良いと、

若い頃は思っていた。

今は、そんなことは無い、ということを知っている。


火を焚いて拝む護摩では、

乳木、段木という護摩木のほかに、

散香、塗香、切花、ケシの実、ごま、薬種、丸香なども、

供物として焼きます。

それをネズミに荒らされた。

彼らが気に入ったものは、ケシの実と薬種。

漢方薬ですね、

身体に良いものを選んだのかしら。

まあ、他のものは食べるとまずいどころか、

殺菌力防腐効果の高いものだけれど。


ネズミは獲物があればあるだけかじる。

少量で我慢、ということは無いみたい。



それらを片付けて修法していたら、

何か気配がする。

田舎の山寺だから、いろいろなものがいる。

鳥の声が聞こえても、

迷いがなければ「聞こえるだけ」だけれど、

それを鳥の声、と認識したら、煩悩になる。 


何でもかんでも、原因があり、

それは縁と条件によって変化する。

つまり、 

そのものに自性は無い。

自性の無いものは、

生じることも滅することもない。

そして、 

その根源にスポットを当てて瞑想すると、

明朗のみになる。 

そこには、

量の多少や長短が無い。

大きくて小さい

短くて長い

そのような時、

妄信が止む。


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[ 2018/04/03 06:27 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]

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