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嬉しい、楽しいと思ったことがない
 シャンティ国際ボランティア会https://sva.or.jp/about/

から届いたニュースレターに載っていた言葉です。

写真で見ると10歳くらいの男の子、

紛争で親を亡くし、

自分の誕生日も知らない。だから、自分の年齢もわからない。

その子が云った言葉。 


やはり10歳くらいの女の子は、

一日中ゴミを集めて、日給150円貰って生活している。

固い表情しかなかったその子が、
 
本に出会って子どもらしく、目を輝かせるようになる 。


嬉しいことは、

水を飲むこと

と答える幼い子もいる。


わずかな額を寄附することしかできないけれど、

子どもを助けることにつながるなら。


 
東日本大震災翌年5月、

僕は津波被災地・宮城県東松島東名の復興イベントに参加しました。 

全国から集ったボランティアに混ざり、

僕らはご祈祷スペースを作りました。

そこへ、

10歳の女の子が来て、願いごとを護摩木に書きました。

「友達に会いたい」

津波で流された親友に会いたいとのこと。

僕はその願いをかなえてあげることができない。

僕ができるのは、

生きている人に思いやりと優しさをもって接することくらいだろうか。


仏教は生きている人のためにある、

亡くなった人をどうこうすることはできない。

ということを、つくづく感じました。


しかし、

戦争や災害があれば、

それに立ち向かえない子どもには、

業や因果で人生を説明できない。




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[ 2019/06/26 09:07 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]

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