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子どもの発見
朝4時、いつものようにトイレに入って便座とフタを開けたら、便器の中にジャージの上着が入っていた。

世の中何が起きるかわからないものでございます。


長年タバコを吸っていたおじさんが、健康のために禁煙したのだけれど、間食のお菓子が増えて陰性毒が溜まったのか、ずいぶんとボケが進んでしまった。


健康のためにとチーズを積極的に食べていたおばさんが、その陽性毒のためにずいぶんと苦労することになった。

あれは、干した魚よりだいぶ陽性で酸性です。 


それはさておき、

時と場所をわきまえる、自分だけのルールで行動しない、というのが大人ですが、他に子どもと大人の違いは、

不安不満なことを感情的に表現するのが子ども、大人は冷静に論理的に考察し、発言します。

子どもは、自分に理解できないものがあることを知りませんが、大人は知っています。

子どもは好き嫌い、良い悪いの二元論で発言行動し、大人は多様性を理解します。




フランスの歴史学者フィリップ・アリエスの『子供の誕生』によると、


中世ヨーロッパには教育という概念も、子ども時代という概念もなかった。

7~8歳になれば、徒弟修業に出され、大人と同等に扱われた。

言葉のコミュニケーションがとれない7~8歳以前の子どもは、動物と同じ扱いだった。

17世紀になって、近代学校教育制度は大人とは異なる、子どもというものを編み出した。

同年齢の子どもを同一のクラスに編成し、寄宿舎制度を設け、子どもを外部から遮断した。




高島俊男『同期の桜』(文春文庫)で、

唱歌と童謡の違いを述べた中に、「子どもの発見」が書かれている。要約すると、


子どもは近代になって発見された。日本では明治20年代。

それまでは、

子どもは人になる途中段階の未熟なもの、未完成なものである。

その間、何が人として大事であるかなどの倫理道徳を教える。


ところが、そうではなく、

子どもは大人に対して独立した、そのままで価値を持つ存在である。

という思想が流行するようになった。


さらには、

子どもは、人の中でもっとも高貴な美しいものである。

それが堕落して薄汚れたものが大人である。

子どものほうが大人より上等である。

という考えかたも現れた。





東西古今に関わらず、これらの意見は子どもがそう思っているのではなく、大人が勝手に思うもの。

なぜなら、大人はその美しい子どもには、もう戻れないから、そう思いたいのだろうか。



子どもは成長し、いつしか力強い大人になり、僕らは老いて弱くなる。

それが生き物の当然の姿で、

世代が交代し、生き物はそうして生き延びてゆく。




昨今は子どもが増殖しているのかな。


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[ 2013/11/01 17:48 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]

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