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心を全開にする。
お彼岸でございます。

ご存じの通り、迷いの此岸に対し、悟りの岸をもって彼岸とします。

その岸は、はるか遠いところにあるのではなく、自分の心の中にある。


その辺のことをお大師さんは

自分のものでありながら、その実体を知りがたいのが自分の心である。(『十住心論』第九)

自分の心のありかたによって、世界はたちまちにその姿を変えるものである(『心経秘鍵』)

水と波が同じものから生じているように、悟りも迷いもひとりの中に同居しているのである。(『宗秘論』)

と言っています。


ともあれ、

お彼岸は大同元(806)年から続く日本古来の習慣であります。


お彼岸に限りませんが、仏前に供えるものに決まりはありません。

大切なのは、

お先にどうぞ、という気持ちでお供えすること。


ご飯、お茶、コーヒー、お菓子・・・

お先におどうぞ

と。


多くの世界では、

勉強と実践が足らないと

これをしてはいけない

と言う傾向が強いようですが、ある特定の空間ではある程度の作法があります。

例えば、

観音さまやお不動さん、お大師さんなどのご本尊さまには、生の野菜や果物をそのまま供えます。

そして、毎日の供物として、炊いたご飯を僕らが食べる前に供える。


対して、精霊ご先祖さまには、煮物椀物漬け物等、僕らが食べるものと同じものを供えます。

でもこれも、こうでなければダメよ、というものではありません。

特殊な事情で無い限り、作法通りでなくても構わない。



モノを供える事は、それに対する心構えとして大切ですが、心を供えることはもっと大切です。

水を供えることは布施の心を持つことにつながります。

水があらゆる命をはぐくむように、他人のために何かをしたい、という布施の心が供養になります。

花を見ると心が和み、微笑みます。

花を供えることも良い供養ですが、微笑むことはもっと供養になります。


お線香が燃えるように、淡々と自分の役割を勤めること。

ご飯を食べて安心するように、静かな心になること。

灯明に火をつけるとパッと明るくなるように、勉強して智慧を磨き、心の暗闇を無くすこと。

これらは最高の供養になります。



自然の中では、自然そのものも僕たちも、ある原因ときっかけが結果を生み、その結果がまた原因となって次のきっかけを招いて新しい結果を育てます。

それが仏教の基本的な立場、因果の法則です。

そして自然はいつも開放的でどんな変化にも適切に対応しています。

僕らも自然の仲間だから同じです。


心をを柔軟にして、

食べてはいけない、食べなくてはいけない、なんて物事を分けずに、

そのどちらでもない、どうでもいいものが僕らを自由に幸せにしてくれることを知って、心を全開にしましょう。



仏壇はお寺と同じです。

お寺は修行するところだから、仏壇の前も修行する場所です。


ですから、報恩感謝とともに、修行の心を持っていれば何をお願いしても構いません。

悟りを願って修行するように、故人先祖に感謝しながら、自他の幸福も祈ります。

どんな気持でも、自分の心を全開にして拝みます。

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[ 2013/09/22 16:56 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]

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