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正しい食事
若い頃や新婚時代に繰り返した断食後、

震災原発事故での被災後

昨年体調不良が戻った後、

そういうときの食事は、何か特別だったような気がします。

普段は、

旬のものを楽しく食べるのがよろしいと思っていますが、

基本的に、

家族揃って食べるものは何でもうまい。



食時作法に正食偈(しょうじきげ)があります。

「若飯食時 当願衆生 禅悦為食 法喜充満」
(にゃくぼんじきじ とうがんしゅじょう ぜんねついじき ほうきじゅうまん)

食事をいただく時は、

衆生と共に、

禅定(心をしずめる)の悦びを食とし、

真理による歓喜の心が充満しますように

という意味。


この「正食」は、

正(まさ)に食する、

ということ。


また、

五正食というものがあります。

その内容は経典によって違いますが、

飯、麦豆飯、麨(はったい粉)、肉、餅 (『寄帰伝』)

飯、麨、糒(ほしい)、魚、肉 (『十誦律』)

粳米飯、穄米飯(きび)、粟米飯、赤粳米飯、麦飯 (『善見律』)

飯、麨、乾飯、魚、肉 (『四分律』)

などとあり、

正食とは主食のこと。

穀物以外に肉魚があるのは、その地方の特長でしょう。 



『集異門足論』第二には、

考え無しに食べ、食べねば力が出ぬと食べ、おごりたかぶる心を起こすために食べ、

顔色を良くし、皮膚を潤滑ならしめんとて食べ、

世間の人に見目良しと云われたいために食べるのは、

食の意味も分からず、ただ食べるだけという愚かな食べかたである。


この身を保ち、飢渇を取り除き、

節食の苦しみを断ち、

飽食による苦しみを起こさず、

身体を衰えないように、心に余計な執著を受けないために、

行動に差しさわりがないように、

修行に必要な限度に食事を取る、

これが、食を知ること、と書かれています。

 


中川善教先生の『有情食』には、


正しい食によって心が正しくなり、

食は有情(衆生)を存立せしむる根元であるから、

これを捨てることは生きる義務を有する人間に許されることではない。

節度ある人間として、殊に信施に生きる沙門として、

食を受けるにあたって、慇懃なる慎みを以って対せねばならぬ。
 


まことにあらゆる執著より離脱することをその要諦とする仏教は、

我執を離れたる生活をその目的とし、

教の立前として無我の心地の上に生活することを要請する。

その観点に立つ時、

現身を保持し、生きるために欠くことのできぬものとは云いながら、

食に執著し食に溺れることは、輪廻の根元となるであろうし、

真の人間形成の上にも害多きことである。 


人は食に馴れ食の意義を軽く見過ぎていないか。

人の生命を司るものは食であるが、人を作るのも食である。

須らくは人は食に敬虔なる感謝を致し、常に正食を摂ることを心すべきである。


とあります。


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[ 2019/06/02 07:00 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]

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