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法味
仏教では、

真理や真実、悟りの境界など聖なるものと、

存在するもの、一切の対象、あなたも僕も何もかも、

という俗なるものを

同じ「法 (dharma:ダルマ)」という言葉で表す。


ご飯を食べた後、
 
ああ、おいしかった、

と、心が落ち着く満足感のような、

坐禅瞑想中の三昧、心の静かさを

法味と云う。
 
大自然の中で、

深呼吸して、心身さわやかになり、大自然と一体になったような感 じ。

本来、そういうものを味わうべき儀式や読経を意味することもある。


先日、ある会合で、

講師が参加者に質問した。

葬儀や法事でのお経は、誰に唱えているのか、と。

故人に向けて唱えている、という人と、

参列者(生きている人)に向けて、という人、

その両方と答えた人がいた。

参加者は坊さんである。

僕は、

へえー、と思った。


その話を母にしたら、

お経には死んだ人向けと、生きている人向けの二種類があるんじゃないの?

という。

そうだっけ? 


色即是空 空即是色

無眼耳鼻舌身意 無色声香味触法

などと唱えるのは、故人に対してだろうか。

そもそも、故人に対して唱えるとは、

どういうことなのだろうか。

身体が無くなっても、仏性は残っているのだろうか。

仏性は実有なのか、空性なのか、

いろいろ問題はある。



もし僕が死んで、死後の様子を体験できるのなら、

内容が伴わない坊さんの読経はいらない、聴きたくない、迷惑。

話のうまい坊さんの法話は聴いてもいいかな。

噂話でなく事実を聴けるなら、ありがたい。

それよりも、

家族友人縁者が、
 
健康で、

みんな仲良く

やりたいことがあれば、それに向かって進み

楽しく生きて欲しい 。

そうすれば嬉しくて、安心して、成仏するだろうな。

そうではないから、心配で成仏できないかな。 

故人のため、故人の供養とは、

そういうことではないだろうか。

経典には、

心身を調え、自他を救い、

ともにより良く生きて、

安心して平安になる実践方法が説かれている。

それを体得するのが法味。



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[ 2018/09/02 14:11 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]

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