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[ 2024/04/27 09:42 | ]
物思い
何日かに一度、乾物を料理してその記事を書きためています。 
http://sorayakan.blog.fc2.com/ 



乾燥じゃが芋、乾燥山芋、しめじ、炒り玄米、リブレフラワー

陰性な雨の日は陽性な乾物にするとバランスがよく、陰性なお菓子が好きな子は、陽性で繊維の多い乾物をお菜の一つに加えるとよろしいでしょう。 



それはさておき、

おまえは何を考えているんだ。 


と怒られることがありますが、 

そんなこと言われてもねえ、 

いろんなことを考えていますよね、誰でも。 


僕は長い念誦や瞑想の時に、しばしば物思いにふけることがあります。 

あの人は元気でいるだろうか 

彼女の病気は治っただろうか 

あの子は立ち直っただろうか 


拝みながら思うのだから、如来加持力が働いて、彼等にもお蔭があるはずです。 


田中千秋先生の講話に「念誦功徳」というものがあります。昭和37年、僕が生まれた年のもの。


「行の利益には目に見えるものと、そうでないものがる。 

商売が栄え、病気が治るというようなのは目にも見え計算もできる。 

昔も今も、こういうことに熱心な人は多い。 

しかし、こういうことだけを考えるのが仏法ではない。 

目には見えないが、人間の純度を高め、良心を磨きあげようとするのがむしろ行の本領である。 

私たちの身近は次第に機械化されてきた。 

それゆえに、

答が簡単に出、物事が簡単に思い通りになり、ききめがすぐ現前しないと気に入らない、イライラするということになるであろう。 


しかし、機械と人間はちがうのである。 

人間は複雑な感情を持っているから、電気機械のように簡単に思い通りにはならないのである。

このことを深くわきまえるということは、きわめて大事なことであると思う。 

みんなが良心的になり、みんなが純化し、人間関係が潤うてくるということは、今日に救いがある。 

念誦の効き目や働きはこんなところにあると思うのである。」(途中略 原文のままではありません)



だれでもできることのひとつに、念じ拝むことがあります。その人たちが正しく平安であれ、と。

それはとても効き目のあることだと、僕は思っています。






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[ 2014/05/22 16:45 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]

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