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理論から実証へ
『Newton』最新号(2018.10)の特集は、
 
「死とは何か」

現状では、

生きている人間の都合で、死を決めているだけであり、

ここから先が死だ、

という境界線を引くことは、まだむづかしい

とのこと。


植物状態の人に意識がある(可能性がある)

というレポートもあった。

宗教的な三昧のとき、

ほぼ意識は無いといっていい。

根本的な種子(阿頼耶識)のみがあるのだけれど。

しかし、

睡眠や無意識と三昧は違う。
 
三昧には、緊張が在る。



複雑系物理化学の学会から帰ってきた息子に

何かスゴイ発表はあった?

と聞いたら、

今は酸素原子が目に見えるようになった、という。

以前でも、金とか銀とか大きい原子は見えたけれど、

酸素ような小さな原子が見えるというのはすごい。

もちろん、顕微鏡でですが。


見えるということは、動きがわかるということで、

そうすると、

酸素と水素が結合して水になる瞬間が見える、

ということである。

それはすごいなあ。


こういうことが分かってくると

存在の分析はどうなるのだろうか。

仏教の目的である悟りは、存在とは何かを知ることであり、

その本体は不可得としている。

不可得を体験することで、絶対自由の心になる。

そうすると、

自分が生きる道が求められ(それは本来清浄なものである)

他を救う大悲の働きが生じる。



死や原子が理論ではなく、実証としてわかるようになれば、

今は宗教的体験によってしか得られない不可得の境地も、

存在とは何か(自分とは、心とは、苦しみとは)も、

もっとわかりやすくなるのかもしれない。



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[ 2018/09/10 10:24 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]

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