降灰は「コーカイ」なのに、テレビではみなコーハイと言っているなあ。
灰燼に帰す、の灰なのにねえ。
それはさておき、
次男の担任は微生物が専門。先日、研究室を見学しました。
室内には生き物がいっぱい、見えないけれどね。
大腸菌や乳酸菌など著名菌の他に、危険なヤツもいるらしい
で、
氷点下90数度で保存されていたり、
冷凍保存では停電になると死んでしまうので、ドライイーストのように乾燥して保存されている菌もいる。
極低温でもカラカラの乾燥でも、死んでいるわけではない。
代謝を止めているだけ。
温度を上げれば、水分を与えれば、生き返る 。
すごいですねえ。
生と死がどういうことなのか、
が、僕らとは全く違う。
そもそも、僕らの生死だってはっきりしていない。
僕らはいつ生まれたのか?
受精の前、後、お母さんの身体から頭が出た時、足が出た時、へその緒を切った時・・・。
死はもっとわからない。
瞳孔が開いた時、呼吸が止まった時、心肺が停止した時・・・・。
宗教的な死もあり、社会的な死もある。
法律上の死はあるけれど、脳死なんてきわどいものも作っている。
『秘蔵宝鑰』 には、
生れ生れ生れ生れて生の始めに暗く、死に死に死に死んで死の終りに冥(くら)し。
とあり、
だからこそ、迷っている人は自分が迷っていることを知らない
と言います。
誰もが知っているように、
生と死は別々ではなくワンセット。
僕らの体内では、常に細胞が生死を繰り返して、「僕」という概念を引き継ぎながら、僕を存在させています。
そのような、それぞれ独立してではない、関係性をもっている現象を「空」と言います。
生と死は空であり、お互いが必要。
生は死との、死は生との関係性の中にあるもの。
「空」は仏の教えをすべて論じていない不完全な教えである、
というのが真言密教の立場ですが、
生も死も、それがあるという事実に真理を見ようとします。
つまり、
生も死も、迷いも悟りも区別はなく、どちらも仏の表象。
生と死が流れる全体性の中に僕らは生きている、
ということかな。
いずれにしても、
微生物はすばらしい。
灰燼に帰す、の灰なのにねえ。
それはさておき、
次男の担任は微生物が専門。先日、研究室を見学しました。
室内には生き物がいっぱい、見えないけれどね。
大腸菌や乳酸菌など著名菌の他に、危険なヤツもいるらしい
で、
氷点下90数度で保存されていたり、
冷凍保存では停電になると死んでしまうので、ドライイーストのように乾燥して保存されている菌もいる。
極低温でもカラカラの乾燥でも、死んでいるわけではない。
代謝を止めているだけ。
温度を上げれば、水分を与えれば、生き返る 。
すごいですねえ。
生と死がどういうことなのか、
が、僕らとは全く違う。
そもそも、僕らの生死だってはっきりしていない。
僕らはいつ生まれたのか?
受精の前、後、お母さんの身体から頭が出た時、足が出た時、へその緒を切った時・・・。
死はもっとわからない。
瞳孔が開いた時、呼吸が止まった時、心肺が停止した時・・・・。
宗教的な死もあり、社会的な死もある。
法律上の死はあるけれど、脳死なんてきわどいものも作っている。
『秘蔵宝鑰』 には、
生れ生れ生れ生れて生の始めに暗く、死に死に死に死んで死の終りに冥(くら)し。
とあり、
だからこそ、迷っている人は自分が迷っていることを知らない
と言います。
誰もが知っているように、
生と死は別々ではなくワンセット。
僕らの体内では、常に細胞が生死を繰り返して、「僕」という概念を引き継ぎながら、僕を存在させています。
そのような、それぞれ独立してではない、関係性をもっている現象を「空」と言います。
生と死は空であり、お互いが必要。
生は死との、死は生との関係性の中にあるもの。
「空」は仏の教えをすべて論じていない不完全な教えである、
というのが真言密教の立場ですが、
生も死も、それがあるという事実に真理を見ようとします。
つまり、
生も死も、迷いも悟りも区別はなく、どちらも仏の表象。
生と死が流れる全体性の中に僕らは生きている、
ということかな。
いずれにしても、
微生物はすばらしい。
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[ 2016/10/08 09:37 | 米ぞうの家 ]