忍者ブログ


生死涅槃 2
死にたいと願う者はいないけれども

自分が造った行いによって

おのづと命の限界を

定めているのである
(『教王経開題』)


始めあれば終わりあり 生ある者は死あり

合会は離るることあり 良に以あるかな
(『性霊集』8)

前者は、

日常のありかたが寿命を決めており、

後者は、

人間は死ぬ、と云うことを認識すべき、

ということであろう。


僕らは、

家族を筆頭に、
 
友達、同郷、同窓などの集団に親しみを強く持つ。

同じ出身地、同じ学校、同じ興味、同じファン、同じ宗派だから特別、

というように。

もし、

同じ人間

という気持ちを持っていれば、みんな特別になるから、

害することも害されることも無くなる。

難しいけれど。



『戒序』には、

一切衆生をみること

なおし自身および四恩(父母、衆生、国王、三宝の恩)のごとし

この故に

あえてその身命を殺害せず

とある。


この、自分に引き比べて考えることを慈悲という。

その慈悲から生まれる優しさは他者の苦しみを抜き、

思いやりは楽を与える。

これも難しいことであるから、

気を抜かず慈悲に関心を持たなければ宗教は成り立たず、自心は解脱できない。 


解脱は自心の開放、つまり『自分』とか『特別』という執著から離れた途端、

生死涅槃(迷いと悟り)は無別になり、

心は自在で堅固になる

と『不動字輪観』にある。




PR


[ 2018/07/28 11:20 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]

コメントを投稿する






<< 現代的陰陽の実際  |  ホーム  |  生死涅槃 1 >>