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生死涅槃 1
苦しみとは思い通りにならないこと、であり 、

その解決方法は、

ものごとの本質を明らかにすること、である。


死ぬことへの恐怖、その先の不安

これは思い通りにならない苦であり、そこから宗教は始まったといってもよい。

しかし、

死からの逃避が人生を空しくしている、

という面もあり、現代人は死を知らない。

人生でモノの豊かさを追求することに喜びを見出していれば、
 
死は、それができなくなることだから避けたいものになる。

人生の終止符・終着点を避けたいもの、にするのはどうなのだろうか。

お大師さんは、

「吾れ、永く山へ帰らん」と云い、高野山へ入り、後に入定された。

そこに苦としての死は無い。 



世間にはいろいろな死がある。

1903年、

一校生藤村操が「巌頭之感」を残して華厳の滝に投身した。

漱石はじめ多くの人がその死に驚き、

黒岩涙香は、少年哲学者と呼んで彼を絶賛した。
 
美しいとか、荘厳とか、憧れのようにもとらえられた。



映画『ジャック・サマースビー』で、

ジャックは、

周囲の応援者に任せれば裁判で無罪になる可能性が高いにもかかわらず、

自分の信念のために死刑になることを選び、誇りのために死ぬ。



落語『柳田格之進』では、

浪人ではあるが武士の誇りを捨てない実直な柳田が、

盗みの疑いをかけられたとき、

身の潔白を示すために、武士の本心を見せるために腹を切ろうとする。

しかし 、

そんなことをしたら、金を盗んだからそれを償うために腹を切った

と世間に思われる、と娘に言われ、自害を止める。

見かたによって死が変わるのである。


捨身や自己犠牲の死も少なくはない。

また、

意志的な死については『自死の日本史』(モーリス・パンゲ著)に詳しい。



さて、

死罪は昔からあり、今の日本には死刑制度がある。

多くの人がこの制度に賛成し 、

死刑を望む、という声はマスコミからよく聞こえる。

どうしてだろうか。


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[ 2018/07/27 09:52 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]

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