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真言(マントラ)カード


お経や真言や陀羅尼は、

内容を理解して、正しく唱えなければ意味がありません。

そうでないなら、何でもよくなってしまう。

恋人の名前を間違って呼んだら、ちょっとねえ。

まあ、それはそれでもいいけれど。

そして、

お経や真言は、お堂の中でのみ唱えるのではなく、

日常の中で唱え、生きかたと合致させるのがいい。


ところで、

梵字や真言を印刷したTシャツが売られていますが、

真言を身につけているようで、おもしろい。

使い捨てカイロのように、背中やお腹に貼れればもっとおもしろい。

という思いから、

持ち歩けるような、真言(マントラ)カードを作りました。

バッグやカバンではなく、ポケットに入れて持ち歩いてください。

先着20名に差し上げます。

赤か青、ご希望の色をご連絡ください。



おまじないとしては、とてもクオリティが高いはず。

※2019.2.13追記

別デザイン、作りました。


 
さて、

大乗仏教には、

言葉を否定するような面があります。

なぜなら、

言葉の対象は、言葉の意味に他ならないから。

たとえば、

月を観る時 、月そのものを観ているのではなく、

多くの場合、「月」という言葉の意味を見ています。

言葉の意味を本物の「月」に与えている。

すると、月は常住で普遍的なものになってしまい、それは事実では無い。

事実というのは、

多くの原因や条件によって生じ、

他のものと相対的にのみ存在し、無常であり、複合的なものです。


しかし、密教は言葉を重要視します。

世界は仏の現れ(マンダラ)であり、

あなたも僕も動物植物鉱物みな、仏の象徴です。

だから、

僕らの働きは仏の働きであり、

世の中の音は全て仏の声、音のマンダラ。


密教の修行は、

象徴と象徴されるものの一致を目指します。

簡単に云えば、

似ているものは同じものである

という境界。

仏の言葉である真言を唱え、身につければ仏になる。

ですから、

真言などの音声は、

合理的な言葉では無いけれど、

修行によってその意味を発見するもので、

言葉というより「行為」になります。

声字は実相、

つまり、

仏を、悟りを、真如を表現する方法のひとつが言葉。


今回、真言カードに書いたのは十一面観音の真言。

読みかたは 、

om   mahākāruņika         svāhā
おん まかーきゃーろに(でぃ)きゃ すばーはー 

意味は、

大悲を持てるものよ

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[ 2019/02/08 08:08 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]

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