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秘仏考
秘仏は、

信仰上などの理由で非公開、厨子の扉が閉じられたままの仏像。


なぜ、秘仏にするのだろうか。

考えられるのは、

貴重なものだから大切に保存する、ということ。

秘仏は保存状態がよいから、結果的に国宝指定などを受けているものが多い。

それから、

ありがたい、畏れ多い、などの理由で、滅多に見せない。

これは神道的な思想。

人間が見てはいけない、見たら大変なことになる。

そして、

秘密にすると、喜ばれる、尊ばれるという風潮もある。

さらに、

その秘仏を時々「特別」に公開することで、

仏教に親しむきっかけを作れ、興行的にも成功する可能性が高い。


以上、仏教的に意味のあることとは思えない。


当山本尊も秘仏。

寺伝では60年に一度ご開扉とあるけれど、その由来は今のところ不明。

1979年(昭和54)に近隣の札所寺院とともに、ご開帳をしている。

そして、

17年後の1996年(平成8)にも、同じように地域の寺院合同でご開帳。
 
特に決まりは無いといっていい。

 

秘仏十一面観音(『飯伊百観音ガイドブックの表紙から)


お前立本尊


寺に伝わる本尊のお札(江戸時代ころ)



そもそも仏像とは何だろうか。

『御請来目録』には、

「密蔵深玄にして翰墨に載せがたし、さらに図画を仮りて悟らざるに開示す」

とある。

教えと云うものは難しく、文章では表せないから、

絵などで目から教える。


仏像は報身といって、

修行を積んだ結果を表現したもの。

だから、それは目標になる。


また、

本尊とは自心の源底にある清浄な種子を、

仏像の形に表現したもの。

密教では、識大、一切智々、本不生際などと云う。


要するに、悟りの、目的地のシンボルですね。



拝む時、

その対象は自分の心の中にいます。

それは大日如来でも観音様でも、ご先祖様でも同じ。

拝んでいるうちに、自分とそれが同体になる。


密教で、本尊の供養法を修法する場合、

拝む人と本尊が溶け合うように、

自分が本尊に入り、本尊が自分に入ることを観想する。

これを、ヨーガとか相応とか入我我入という。

これによって、

自分は思っているよりも、もっと大きなものなんだ、

だから、より良く生きよう、

とするきっかけになる。


なので、

拝む時には厨子の戸を開け、

大切なお客様をお迎えして対座するように、

本尊を見たほうがいい。


 
求聞持法や阿字観などでは、

拝む時には、本尊を目の前にして交流し、

それ以外は布などをかけて隠すことになっている。


秘仏にしても拝めないことはないけれど、

ちょっとどうなのかなあ、

とかんじている次第。




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[ 2018/08/01 12:55 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]

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