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脳談義
油が余ったので利休茄子




昔読んだ本に

坊さんは数珠を擦るが、

それによって掌のツボを刺激するから健康的である、

というようなことが書いてあり、

へえー、と思った。数珠を擦るのは、あまり品の良いものでは無い。

それよりも、

掌と指ををうんと反らすことができれば、動脈が硬化していない証拠であり、

親指の力が強くれば、肺が強いということだから死なない。

手首の骨が癒着していると脳が硬化して働きが悪くなるけれど、

打撃線をよく叩けば、手頚の八個の骨が癒着せず、自由に動くようになる。

すると、

物事の判断見通しがよくなる。

さらに、

足先と足首が固いと、脳の血行が渋滞しトラブルを招くから、柔らかくするとよろしい。  


 
この脳には、あらゆるものが含まれている。

過去現在未来総ての時間

全宇宙の全空間が入っている。

あの世、来世、霊魂、死後の世界、先祖、ウルトラマン、仮面ライダー、

地獄餓鬼畜生天国極楽、

それらは総て脳の中にある。

脳の中には亡くなった人がいて、供養すれば成仏する

などという理屈も脳内にある。

悟りも迷いも、好きも嫌いも脳の中にあり、

僕らが認識する限りにおいて、

脳の外には何も無い。


興奮するか落ち着くか

楽しくなるか不安になるか

安心するか悲しいか

勇気があるか、恐れおののくか
 
耐えるか、キレるか

これらも脳の中でのことであり、

脳内を流れる血の質で変わる。

その質は、

血を作る食べ物を始め、

呼吸、睡眠、精神状態、運動、休憩、

対人関係、自然環境によって変化し、

それによって、

無我になれるか、執著するか

と分かれる。 


言葉遣いひとつでも、

脳の血の性質が決定される。

そして、

僕の脳内にあるイメージは僕流のものだから、他人には分からない。

何とか言葉で調整することは出来ても、

あなたのイメージとはおそらく違う。

たとえば、

1000年前の飯田市立石寺門前で、

若い男女が手を合わせて祈っている、

その風景は、

僕の脳に在るのと、あなたのとではずいぶんと違う。

そして、

僕以外に見えないものだから、事実かどうかは何も証明できない。

多くの場合、

脳内で想像し、創造して、それを方便にしている。

証明できない世界をコトバで言いくるめているのが現実である。


そのとき

嘘か本当か、
 
思いやりがあるか、損得勘定か

それらは顔や手に現れる。


縁起の大本が脳にあるといって良く、

脳の中にあるからこそ議論し、その意味を追求することができる。

無いものの話をすることはできないのだから。 


できることなら、


その脳内イメージで、

生きる力、勇気と希望が生まれれば素敵である。

そして、

事実ではなく、脳内の世界なのだから、

冷静に理論的バックボーンを調えなければならない。




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[ 2018/07/18 09:24 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]

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