煮物は人間にとって最良の料理です。世界中の人が煮物を食べる。
そして、うまくて良質の、心身によろしい煮物を作ることが、人生の大切な仕事のひとつ。
煮物は素材が一番ですが、旬のもの中心がいい。
それから、
上手に出汁を引く
砂糖と化学調味料は使わない。
天然醸造の調味料にする。
あとは、切りかたを工夫し、火の調子を見ればうまくなります。
ビールジョッキくらいの容器に、昆布6センチ、干しシイタケ3枚を水と入れてひと晩置き、出汁を引きます。
鍋に出汁を入れて温め、塩少々入れてレンコン、えのき、大根を煮ます。
油抜きしたがんもどきとタケノコ、人参を加え、醤油を少し入れて煮ます。
材料に火が通ったら醤油を加えて味を調え、割りばしにぐるぐると巻きつけたワカメを入れて煮込みます。
ワカメが柔らかくなったら火からおろして器にとります。
鍋に水を3センチほど入れて火にかけ、塩ひとつまみとヒラタケを裂いて入れてます。
レンコンを加えて数分煮て、
キャベツを入れて数分
大根を入れて数分、もやしを入れて数分、人参を加えて数分。
とにかく手元にある野菜を煮る。
火が通ったらワカメを入れ、醤油で調え、ごま油を少したらします。
湯葉はシメジ、高野豆腐と醤油味で炊いておきます。
これ、ラーメンなんですが、煮物です。
どんな煮物炊きものを食べているかで、人生は変わるだろうな。
※眞天庵仏教塾・密教塾
http:// shinten an.syoy u.net/% E7%9C%9 E%E5%A4 %A9%E5% BA%B5%E 4%BB%8F %E6%95% 99%E5%A 1%BE%E3 %83%BB% E5%AF%8 6%E6%95 %99%E5% A1%BE/
※穀菜食の舎会員ページ
「肉食の考察と病気の原因」
https:/ /groups .google .com/fo rum/?hl =ja#!to pic/shi ntenan/ ars-nyw XTYk
そして、うまくて良質の、心身によろしい煮物を作ることが、人生の大切な仕事のひとつ。
煮物は素材が一番ですが、旬のもの中心がいい。
それから、
上手に出汁を引く
砂糖と化学調味料は使わない。
天然醸造の調味料にする。
あとは、切りかたを工夫し、火の調子を見ればうまくなります。
ビールジョッキくらいの容器に、昆布6センチ、干しシイタケ3枚を水と入れてひと晩置き、出汁を引きます。
鍋に出汁を入れて温め、塩少々入れてレンコン、えのき、大根を煮ます。
油抜きしたがんもどきとタケノコ、人参を加え、醤油を少し入れて煮ます。
材料に火が通ったら醤油を加えて味を調え、割りばしにぐるぐると巻きつけたワカメを入れて煮込みます。
ワカメが柔らかくなったら火からおろして器にとります。
鍋に水を3センチほど入れて火にかけ、塩ひとつまみとヒラタケを裂いて入れてます。
レンコンを加えて数分煮て、
キャベツを入れて数分
大根を入れて数分、もやしを入れて数分、人参を加えて数分。
とにかく手元にある野菜を煮る。
火が通ったらワカメを入れ、醤油で調え、ごま油を少したらします。
湯葉はシメジ、高野豆腐と醤油味で炊いておきます。
これ、ラーメンなんですが、煮物です。
どんな煮物炊きものを食べているかで、人生は変わるだろうな。
※眞天庵仏教塾・密教塾
http://
※穀菜食の舎会員ページ
「肉食の考察と病気の原因」
https:/
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縁起は、仏教の基本的な思想のひとつですが、
「原因に縁って結果が起きる」ということです。
お釈迦さまが、人生の苦しみをよくよく考えた時に、
「此れ(煩悩)があれば彼れ(苦しみ)があり、此れがなければ彼れがない、
此れが生ずれば彼れが生じ、此れが滅すれば彼れが滅す」
のように「煩悩」と「苦」の因果関係を説明したのが縁起の基本です。
その後、大乗仏教では、
目に見えるものも、見えない真実真理のようなものもすべて
相互依存性によって生じる、
という立場になります。
つまり、あらゆるものは(感情も意識も)何かに依存して起こる。
何にも依存しないで生じるものな無い。
「長いもの」は「短いもの」があるから存在し、
「種子」と「芽」、「悟り」と「迷い」も、
お互いに依存しあっている、どちらかのみ生じることは無い。
右があるから左があり、右だけでは存在しない。
この縁起、
時間的には
これ生ずるが故にかれ生ず
これ滅するが故にかれ滅す
と表され、
空間的論理的には
これあればかれあり
これなければかれなし
と表されます。
空の理論を大成した龍樹(ナーガールジュナ)は、
過去・現在・未来の時間や原因が結果を生むという因果性さえも、相依性(縁起)として解釈します。
過去に依存しなければ、現在と未来の成立することはあり得ない。
それ故に現在の時と未来の時とは自立的に存在しない。
過去がなければ現在や未来はなく、現在がなければ過去や未来もなく、未来がなければ過去や現在もない。
つまり、過去・現在・未来は相互依存している、
というわけです。
お釈迦さまのさとりとは、
この縁起の法則を知り、それによって無常、無我、空を体得したことです。
あるものが他のものとの関係において成立する
それ自体独立した性質のものとして存在しないのだから、それという実体は無い。
だって、それがなければ存在できないのだから。
あなたがあるから僕がいる
つまり、あなたがいなければ僕はいない。
ならば、僕というものは、あなた無しでは、僕一人だけでは存在しない。
また、 仏教には阿頼耶識縁起という思想もあります。
私たちは眼、耳、鼻、舌、皮膚によって、視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚を使い、見て、聞いて、嗅いで、触っていろいろなことを観じます。
それは意識を作り、また意識によって作られます。
その意識は自我によって生み出され(人によって見たものがきれいとかそうでもないとか違いますから、それを決めているのは自我です)
その自我は阿頼耶識から生みだされます。
そこは、全くフォーマットされていないDVDのようなもので、何かが入ってくるたびに録画録音され、何かの縁で再生されます。
焼き肉屋さんに入ると服が肉臭くなるように、五感が何かに触れるたびに、阿頼耶識には何かが香りづけられ、それがまた、何かの言動として生まれます。
その阿頼耶識が自我や意識を生み出し、それによって、見る聞くなどの感覚も生まれる
阿頼耶識の中に蓄えられているものが一切を生み出す。
阿頼耶識によってすべてのものが生み出される、という阿頼耶識縁起。
密教では
地 水 火 風 空 識の六大によってあらゆるものが生じたり滅したりすると考えています。
大はサンスクリット語マハーブータの訳語
粗大な原質、という意味です。
古代インドでは宇宙の構成要素として地 水 火を説き、
古典的インド唯物論では地水火風を説きました。
大乗仏教になると物質の場としての宇宙空間=空を加えて五大としました。
地大:大地のように固く、一切を生み出すもの
水大:水のように流れ、一切の熱悩を取り去るもの
火大:火のように明るさと熱があり、無知の煩悩迷いを焼くもの
風大:風のように吹き流れ、迷いの塵を吹き飛ばすもの
空大:空のように障りが無く広がり、一切の執着や差別から離れているもの
そして、それを悟るのが識大
この六つであらゆるものが作られています。
この六大は、たがいに入り混じって無礙、しかもつねに統一されています。
六大とは、物理的・生理的に把握されるものの本性であるのみならず、真実の世界における実体でもあります。
だから、
仏も我も、好きな人も嫌いな人も、魔物も怪物も、煩悩も悟りも、みな同じ六大から生まれる。
六大が無ければそれらも無い。
六大は、それらの中にあって、僕の中の六大と仏の六大は交流しています。あなたの六大と宇宙の六大も交流している。
呼吸の息や、そこに含まれる酸素や炭素と同じように。
野菜に含まれるナトリウムやカリウムと同じように。
故に、六大はすべてのものの本体。
どこにでもある。
だから、すべて平等、差別無し。
「原因に縁って結果が起きる」ということです。
お釈迦さまが、人生の苦しみをよくよく考えた時に、
「此れ(煩悩)があれば彼れ(苦しみ)があり、此れがなければ彼れがない、
此れが生ずれば彼れが生じ、此れが滅すれば彼れが滅す」
のように「煩悩」と「苦」の因果関係を説明したのが縁起の基本です。
その後、大乗仏教では、
目に見えるものも、見えない真実真理のようなものもすべて
相互依存性によって生じる、
という立場になります。
つまり、あらゆるものは(感情も意識も)何かに依存して起こる。
何にも依存しないで生じるものな無い。
「長いもの」は「短いもの」があるから存在し、
「種子」と「芽」、「悟り」と「迷い」も、
お互いに依存しあっている、どちらかのみ生じることは無い。
右があるから左があり、右だけでは存在しない。
この縁起、
時間的には
これ生ずるが故にかれ生ず
これ滅するが故にかれ滅す
と表され、
空間的論理的には
これあればかれあり
これなければかれなし
と表されます。
空の理論を大成した龍樹(ナーガールジュナ)は、
過去・現在・未来の時間や原因が結果を生むという因果性さえも、相依性(縁起)として解釈します。
過去に依存しなければ、現在と未来の成立することはあり得ない。
それ故に現在の時と未来の時とは自立的に存在しない。
過去がなければ現在や未来はなく、現在がなければ過去や未来もなく、未来がなければ過去や現在もない。
つまり、過去・現在・未来は相互依存している、
というわけです。
お釈迦さまのさとりとは、
この縁起の法則を知り、それによって無常、無我、空を体得したことです。
あるものが他のものとの関係において成立する
それ自体独立した性質のものとして存在しないのだから、それという実体は無い。
だって、それがなければ存在できないのだから。
あなたがあるから僕がいる
つまり、あなたがいなければ僕はいない。
ならば、僕というものは、あなた無しでは、僕一人だけでは存在しない。
また、 仏教には阿頼耶識縁起という思想もあります。
私たちは眼、耳、鼻、舌、皮膚によって、視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚を使い、見て、聞いて、嗅いで、触っていろいろなことを観じます。
それは意識を作り、また意識によって作られます。
その意識は自我によって生み出され(人によって見たものがきれいとかそうでもないとか違いますから、それを決めているのは自我です)
その自我は阿頼耶識から生みだされます。
そこは、全くフォーマットされていないDVDのようなもので、何かが入ってくるたびに録画録音され、何かの縁で再生されます。
焼き肉屋さんに入ると服が肉臭くなるように、五感が何かに触れるたびに、阿頼耶識には何かが香りづけられ、それがまた、何かの言動として生まれます。
その阿頼耶識が自我や意識を生み出し、それによって、見る聞くなどの感覚も生まれる
阿頼耶識の中に蓄えられているものが一切を生み出す。
阿頼耶識によってすべてのものが生み出される、という阿頼耶識縁起。
密教では
地 水 火 風 空 識の六大によってあらゆるものが生じたり滅したりすると考えています。
大はサンスクリット語マハーブータの訳語
粗大な原質、という意味です。
古代インドでは宇宙の構成要素として地 水 火を説き、
古典的インド唯物論では地水火風を説きました。
大乗仏教になると物質の場としての宇宙空間=空を加えて五大としました。
地大:大地のように固く、一切を生み出すもの
水大:水のように流れ、一切の熱悩を取り去るもの
火大:火のように明るさと熱があり、無知の煩悩迷いを焼くもの
風大:風のように吹き流れ、迷いの塵を吹き飛ばすもの
空大:空のように障りが無く広がり、一切の執着や差別から離れているもの
そして、それを悟るのが識大
この六つであらゆるものが作られています。
この六大は、たがいに入り混じって無礙、しかもつねに統一されています。
六大とは、物理的・生理的に把握されるものの本性であるのみならず、真実の世界における実体でもあります。
だから、
仏も我も、好きな人も嫌いな人も、魔物も怪物も、煩悩も悟りも、みな同じ六大から生まれる。
六大が無ければそれらも無い。
六大は、それらの中にあって、僕の中の六大と仏の六大は交流しています。あなたの六大と宇宙の六大も交流している。
呼吸の息や、そこに含まれる酸素や炭素と同じように。
野菜に含まれるナトリウムやカリウムと同じように。
故に、六大はすべてのものの本体。
どこにでもある。
だから、すべて平等、差別無し。
お彼岸でございます。
迷いのこちら側世界を此岸、悟りの岸を彼岸と言います。
般若心経にある「波羅蜜多(はらみた)」は到彼岸と訳され、私たちが修行して悟りの岸に到る、ということです。
お先にどうぞ、という気持ち
慈愛の行いをするよう心に戒めを持つ
いつも微笑んで耐え忍ぶ
淡々とやるべきことを繰り返す
心を静かにする
迷わないで、勉強して考える
というのが菩薩の修行です。
暑さ寒さも彼岸までと言うように、時候も変わるころです。
みなさま、どうぞお身体お大事にお過ごしください。
合掌。
サツマイモは秋に収穫して、2~3ヶ月貯蔵すると余分な水分が逃げて甘味が増します。
去年のさつまいもはこの春くらいまでがおいしい。
お米を洗ってザルに上げ、水を切ってから鍋に入れて水を入れ、乱切りのさつまいもをお米の上に載せて塩を振り、しばらく置いてから火にかけます。
沸騰したら弱火で15分。
炊き上がったら天地を返し、濡れ布巾をかけておきます。
お米の量が少ない時は水は多めに。
七合以上の時は水は少なめに。
今回は、お米一升、水八合半、サツマイモ1本、塩少々
ごぼうは四つ割りにして皮付きのまま水にもさらさず、鍋に入れて火にかけます。
焦げ付きそうになったら酢か梅酢を振り入れながら炒め、蓋をして蒸し焼きにします。
こうしてアクを甘味に変えます。
玉ねぎと人参を加えて塩を振り、柔らかくなったら醤油で調えます。
さつまいもをスライスしてごま油で焼き、ネギを加えて蒸し焼きします。
刻み葱を醤油に漬けてネギ醤油を作り、生湯葉に載せます。
巻き湯葉とシイタケを薄い塩味で炊き、人参を載せて火を通します。
ザルにネギを入れて鍋の中に入れて蒸し、柔らかくなったら取り出します。
醤油で調え、塩ゆでしたブロッコリーと共に盛ります。
___________________________________
※穀菜食の舎会員ページ
料理12か月「美人の基本」
http://shintenan.syoyu.net/%E6%96%99%E7%90%8612%E3%81%8B%E6%9C%88/%EF%BC%93%E6%9C%88%E3%83%BB%E7%BE%8E%E4%BA%BA%E3%81%AE%E5%9F%BA%E6%9C%AC
去年のさつまいもはこの春くらいまでがおいしい。
お米を洗ってザルに上げ、水を切ってから鍋に入れて水を入れ、乱切りのさつまいもをお米の上に載せて塩を振り、しばらく置いてから火にかけます。
沸騰したら弱火で15分。
炊き上がったら天地を返し、濡れ布巾をかけておきます。
お米の量が少ない時は水は多めに。
七合以上の時は水は少なめに。
今回は、お米一升、水八合半、サツマイモ1本、塩少々
ごぼうは四つ割りにして皮付きのまま水にもさらさず、鍋に入れて火にかけます。
焦げ付きそうになったら酢か梅酢を振り入れながら炒め、蓋をして蒸し焼きにします。
こうしてアクを甘味に変えます。
玉ねぎと人参を加えて塩を振り、柔らかくなったら醤油で調えます。
さつまいもをスライスしてごま油で焼き、ネギを加えて蒸し焼きします。
刻み葱を醤油に漬けてネギ醤油を作り、生湯葉に載せます。
巻き湯葉とシイタケを薄い塩味で炊き、人参を載せて火を通します。
ザルにネギを入れて鍋の中に入れて蒸し、柔らかくなったら取り出します。
醤油で調え、塩ゆでしたブロッコリーと共に盛ります。
___________________________________
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料理12か月「美人の基本」
http://shintenan.syoyu.net/%E6%96%99%E7%90%8612%E3%81%8B%E6%9C%88/%EF%BC%93%E6%9C%88%E3%83%BB%E7%BE%8E%E4%BA%BA%E3%81%AE%E5%9F%BA%E6%9C%AC
心には色々なレベルがあって、僕の心もいつも同じではなく、常にコロコロと変化しています。
例えば、
1、食欲と性欲だけの状態。自我にとらわれ、自分や自分のものにいつも執着している。
2、自分の食べ物持ち物を誰かに分けてあげるような、少しだけ道徳や倫理を知る心。
3、天国や神などを知り、現世で良いことをすればそういうところへ行けると信じ、戒めを護り、来世の安楽を願う心。
4、「自分」というものには実体がないことを悟る心。
5、全てのことには原因があり、縁と条件によって起きていると悟り、迷いを取り除く心。
6、縁にとらわれず、慈悲の心を全ての人に起こし、他を救おうとする心。
7、「自分のもの」というのも錯覚であり、自分の心に起こることも実体は無い、と悟る心。
8、人の本性は汚れに染まらないと観想し、全ての人の心が清浄であると知る心。
9、あらゆるもの、あらゆる事象に中に、一切のものが含まれる、何もかもがお互いに関連し合って起きている、と悟る心。
10、自分の心の源底を知り、ありのままに自分の身体の数量を悟る心。
4~10は仏教各派における思想の違いですが、いずれにしても僕らの心にはいろいろな悟りと迷いが連続して生じており、固定した「これが僕の心だ」というものは無いんです。
そして、4~10の仏教的な心において最も大切なものが、「慈悲」と「心のトレーニング」です。
心のトレーニングにも多くの種類がありますが、基本は、
心を静かにすること。
その心に映るものを冷静に観察すること。
のふたつです。
もし、慈悲と心のトレーニングが無いと、1~3の心のままで、
自分の安らぎや満足のためには、自分の欲望(たとえそれが悟りや幸せでも)のためには、神を願いながら人を殺す、ということになりかねません。
他への慈しみと、自らの心をより高い境地へ引き上げようとする努力が無ければ、
妄想による存在が脳内に繰り広げられ、限りない要望が引き起こされます。
それが迷いになり、殺し合い、犯罪、邪心、自分勝手な神の世界を作ります。
ですから、慈愛の行いを心がけ、心をコントロールするようなトレーニングに励み、
妄想が引き起こす迷いの世界を消すことが、世界を平和にするための宗教的解決法です。
仏教では、
あらゆる存在は空(実体は無く、錯角、妄想、思い違い、自分の思う通りにしたいという欲望にすぎない)であり、執着するものは何もない
と考えています。
人を殺すのは怖れがあり、臆病だからです。ビクビクしているから攻撃する。
これは腎臓の弱り 、動物性蛋白質と化学的添加物・砂糖の過剰。
人を殺めるのは怒り、我慢できない心。我慢することができないから攻撃する。
これは肝臓の弱り、脂肪と化学物質の過剰。
ところで、
僕は19歳の時に足を悪くして、大学近くの三畳一間に間切り下宿していました。
当時70歳父方の祖母が、
一日おきに来てくれて、ご飯を作り掃除をして洗濯物を持って帰る。
翌々日にきれいな洗濯物を持って来て、またご飯を作ってくれる。
電車に乗って20分、駅から歩いて30分の道。
いつも作ってくれたのが、野菜を煮込んだ味噌汁で、最後に卵を一個落として、半煮えになったもの。
上級生になって、僕は母方祖父母の家に居候していました。
祖父はガンの闘病生活で、ビワの葉灸やら漢方やら。食事は玄米でした。
遅く起き出してくる僕のために、炊飯ジャーの中には玄米ご飯の片隅に、ひとり分の白米がありました。
味噌汁は、祖父の療養メニューなのか、小魚たくさん、ネギたくさん、季節の野菜もたくさん入った煮物。
それを、僕はおいしいとも言わず思わず食べたような気がする。
ここに、自他共に慈悲深く優しくなれる言葉があります。
おいしいね
と
ありがとう
例えば、
1、食欲と性欲だけの状態。自我にとらわれ、自分や自分のものにいつも執着している。
2、自分の食べ物持ち物を誰かに分けてあげるような、少しだけ道徳や倫理を知る心。
3、天国や神などを知り、現世で良いことをすればそういうところへ行けると信じ、戒めを護り、来世の安楽を願う心。
4、「自分」というものには実体がないことを悟る心。
5、全てのことには原因があり、縁と条件によって起きていると悟り、迷いを取り除く心。
6、縁にとらわれず、慈悲の心を全ての人に起こし、他を救おうとする心。
7、「自分のもの」というのも錯覚であり、自分の心に起こることも実体は無い、と悟る心。
8、人の本性は汚れに染まらないと観想し、全ての人の心が清浄であると知る心。
9、あらゆるもの、あらゆる事象に中に、一切のものが含まれる、何もかもがお互いに関連し合って起きている、と悟る心。
10、自分の心の源底を知り、ありのままに自分の身体の数量を悟る心。
4~10は仏教各派における思想の違いですが、いずれにしても僕らの心にはいろいろな悟りと迷いが連続して生じており、固定した「これが僕の心だ」というものは無いんです。
そして、4~10の仏教的な心において最も大切なものが、「慈悲」と「心のトレーニング」です。
心のトレーニングにも多くの種類がありますが、基本は、
心を静かにすること。
その心に映るものを冷静に観察すること。
のふたつです。
もし、慈悲と心のトレーニングが無いと、1~3の心のままで、
自分の安らぎや満足のためには、自分の欲望(たとえそれが悟りや幸せでも)のためには、神を願いながら人を殺す、ということになりかねません。
他への慈しみと、自らの心をより高い境地へ引き上げようとする努力が無ければ、
妄想による存在が脳内に繰り広げられ、限りない要望が引き起こされます。
それが迷いになり、殺し合い、犯罪、邪心、自分勝手な神の世界を作ります。
ですから、慈愛の行いを心がけ、心をコントロールするようなトレーニングに励み、
妄想が引き起こす迷いの世界を消すことが、世界を平和にするための宗教的解決法です。
仏教では、
あらゆる存在は空(実体は無く、錯角、妄想、思い違い、自分の思う通りにしたいという欲望にすぎない)であり、執着するものは何もない
と考えています。
人を殺すのは怖れがあり、臆病だからです。ビクビクしているから攻撃する。
これは腎臓の弱り 、動物性蛋白質と化学的添加物・砂糖の過剰。
人を殺めるのは怒り、我慢できない心。我慢することができないから攻撃する。
これは肝臓の弱り、脂肪と化学物質の過剰。
ところで、
僕は19歳の時に足を悪くして、大学近くの三畳一間に間切り下宿していました。
当時70歳父方の祖母が、
一日おきに来てくれて、ご飯を作り掃除をして洗濯物を持って帰る。
翌々日にきれいな洗濯物を持って来て、またご飯を作ってくれる。
電車に乗って20分、駅から歩いて30分の道。
いつも作ってくれたのが、野菜を煮込んだ味噌汁で、最後に卵を一個落として、半煮えになったもの。
上級生になって、僕は母方祖父母の家に居候していました。
祖父はガンの闘病生活で、ビワの葉灸やら漢方やら。食事は玄米でした。
遅く起き出してくる僕のために、炊飯ジャーの中には玄米ご飯の片隅に、ひとり分の白米がありました。
味噌汁は、祖父の療養メニューなのか、小魚たくさん、ネギたくさん、季節の野菜もたくさん入った煮物。
それを、僕はおいしいとも言わず思わず食べたような気がする。
ここに、自他共に慈悲深く優しくなれる言葉があります。
おいしいね
と
ありがとう
仏さまとは我が本心のことですが、それは迷いの霧に包まれて見えないことが多いものでございます。
さて、
仏教は修行の宗教であり、その修行方法には、
・ひとり静かに本尊を前にして瞑想する。
・普段の生活の中で、常に仏を見るようにする。
のふたつがあります。
仏教修行の基本は瞑想行ですが、これにも、
・堂内室内で仏さまとただ二人っきり。その仏を凝視して心を集中させるようなもの。
・世間のどこでも、いつでも仏をみるようにするもの 。
のふたつがあります。
ですから、
お仏壇の前や道場で、心静かにひとりで拝む
食事中、移動中、トレイ、お風呂、生活している時間いつでもどこでも拝む
というふたつを行うのがよろしい。
そのためにはまず、身の回りを調え、身体を調えるといい。
修行で目指すものは心浄ですが、それには身浄が前提です。
ですから、身の回り、食事などの生活を調えることはとても大切です。身体と心は一如ですから、身体を作る食べ物に工夫があるのは当然です。
泥棒をしながら拝むこともできますが、不徳から離れたほうが本物の祈りになります。そうでないと乱れ、濁る。
仏を含め、自然界のさまざまの力は、こちらが非力でも手を差し伸べてくれ、不心得な者も助けますが、
名医がいても養生すべく、仏の力が大きくても折り目正しく生きるべきです。
人には知ると知らざるとに関わらず、悩みや不幸が起こる必然が「生きる」ということの中に内在しています。
ですから、
その原因を自心を知ることでたどり、解決することができます。
『大日経』には 、
菩提心(迷いから目覚める心)を原因として
すべてに対する慈悲を根として
実際的な修行方法を以って、人間として果たすべき最高の行為とする。
とあります。
おなじく『大日経』第六受方便学處品には
父母妻子眷属に囲まれて、天人の妙楽を受けながら何らの支障も無く密教生活をする。
その時に直面することにはそれを生かし、それに取り巻く人と協力し、持ちつ持たれつ、よりかかり助けて、その場を生かして生活する。
と生活しながらの修行が書かれています。
眞天庵版「仏前勤行次第 仏さまの拝みかた(食時作法、初心者用瞑想法附」)
ホームページ:
http:// shinten an.hana gasumi. net/
http://shintenan.hanagasumi.net/%E5%8B%A4%E8%A1%8C%E6%AC%A1%E7%AC%AC.pdf
に載せました。どうぞご利用ください。
さて、
仏教は修行の宗教であり、その修行方法には、
・ひとり静かに本尊を前にして瞑想する。
・普段の生活の中で、常に仏を見るようにする。
のふたつがあります。
仏教修行の基本は瞑想行ですが、これにも、
・堂内室内で仏さまとただ二人っきり。その仏を凝視して心を集中させるようなもの。
・世間のどこでも、いつでも仏をみるようにするもの 。
のふたつがあります。
ですから、
お仏壇の前や道場で、心静かにひとりで拝む
食事中、移動中、トレイ、お風呂、生活している時間いつでもどこでも拝む
というふたつを行うのがよろしい。
そのためにはまず、身の回りを調え、身体を調えるといい。
修行で目指すものは心浄ですが、それには身浄が前提です。
ですから、身の回り、食事などの生活を調えることはとても大切です。身体と心は一如ですから、身体を作る食べ物に工夫があるのは当然です。
泥棒をしながら拝むこともできますが、不徳から離れたほうが本物の祈りになります。そうでないと乱れ、濁る。
仏を含め、自然界のさまざまの力は、こちらが非力でも手を差し伸べてくれ、不心得な者も助けますが、
名医がいても養生すべく、仏の力が大きくても折り目正しく生きるべきです。
人には知ると知らざるとに関わらず、悩みや不幸が起こる必然が「生きる」ということの中に内在しています。
ですから、
その原因を自心を知ることでたどり、解決することができます。
『大日経』には 、
菩提心(迷いから目覚める心)を原因として
すべてに対する慈悲を根として
実際的な修行方法を以って、人間として果たすべき最高の行為とする。
とあります。
おなじく『大日経』第六受方便学處品には
父母妻子眷属に囲まれて、天人の妙楽を受けながら何らの支障も無く密教生活をする。
その時に直面することにはそれを生かし、それに取り巻く人と協力し、持ちつ持たれつ、よりかかり助けて、その場を生かして生活する。
と生活しながらの修行が書かれています。
眞天庵版「仏前勤行次第 仏さまの拝みかた(食時作法、初心者用瞑想法附」)
ホームページ:
http://
http://shintenan.hanagasumi.net/%E5%8B%A4%E8%A1%8C%E6%AC%A1%E7%AC%AC.pdf
に載せました。どうぞご利用ください。
春爛漫でございます。
妻が炊いたカンピョウとシイタケが冷蔵庫にあったので、
人参を足して炊き、もち米に載せておこわにします。
もち米は吸水性がとても良いので、さっと洗ってざるに上げ、水を切って炊飯器へ。
お米が顔を出すか出さないかくらいの水分量で炊けば、うまいおこわになります。
もち米は消化がいまひとつないので、しかもこの時期は肌も喉も渇くので、具は水分を身体に保ちやすい乾物にするとよろしい。
そして、もち米料理には消化促進のために、野菜が多い汁を添えます。
野菜を炒めて煮込み、炒り玄米でとろみをつけてカレーにします。
それを野菜にかけるのが野菜カレー。カレーライスではない。
このようにして野菜をたくさん食べましょう。これでお腹いっぱいにするくらいでないと野菜は足りない。
もやし、レンコン、大根、キャベツ、ニンジンを油揚げと炒め、塩と純正な醤油で調え、水溶きの吉野葛を引いて餡にします。
好みででコショウ、生姜、ニンニクなどを使えばよろしい。
それを麺に乗せて皿うどん。
香辛料・辛味は脂肪と陽性毒を溶かし、殺菌力もあり、消化によろしいですが、
五辛といって、伝統的な精進料理では使わないとしているところもあります。
これらは強い陰性があるので、陽性な肉魚の害を溶かします。従って野菜ばかりの精進料理には必要ない、
また、その臭気が生臭ものである、説法に向かない、
という理由から。
それよりも、陰性が強いので性欲を刺激するから、と僕は考えています。
牛蒡と人参で、春らしく太めに切ってキンピラ
菜の花を添えて。
南国のグリンピースを塩ゆでして豆ごはん。
季節の豆料理は肝腎の滋養になります。
フキは塩ゆでしてから皮をむき、薄味の昆布だしに浸します。
油揚げと筍を炒め、人参を加えて濃いめの醤油味で蒸し煮。
フキと盛りつけます。
精進というのはサンスクリット語「ヴィーリヤ(virya)」の訳語で、
日常的(ひと時も休まず淡々と)に努力することです。
これは、仏教の修行カリミュラムのひとつですから、精進料理と言えば、仏教の料理、修行の料理ということになります。
精進料理は悟りのために作り、悟るために食べます。
この料理を作るのはこれが最後かもしれない、食べるのはこれが最後かもしれない、
悟りの最後のチャンスかもしれない。
だから、最高の最上のものを作って、悟りに近づこうというのが精進料理です。
ああ、
今日は楽しかったね、充実したね、やれることはやったね
そういう毎日が精進。
________________________________
※4月8日
大阪府吹田市PINO
http:// salon-p ino.com /
にて、
お花まつりの料理と、運動していてもバテない料理
を作ります
どうぞ、お越しください。
________________________________
※穀菜食の舎会員ページ
「最近の質問から」
・便秘と冷え性の治しかた
・塩分はどのくらい?
・炭水化物は必要?
・タンパク質は?
・水分はどのくらい?
・朝食は食べたほうが良い?
https:/ /groups .google .com/fo rum/?hl =ja#!to pic/shi ntenan/ KY3Hgyu ojAA
妻が炊いたカンピョウとシイタケが冷蔵庫にあったので、
人参を足して炊き、もち米に載せておこわにします。
もち米は吸水性がとても良いので、さっと洗ってざるに上げ、水を切って炊飯器へ。
お米が顔を出すか出さないかくらいの水分量で炊けば、うまいおこわになります。
もち米は消化がいまひとつないので、しかもこの時期は肌も喉も渇くので、具は水分を身体に保ちやすい乾物にするとよろしい。
そして、もち米料理には消化促進のために、野菜が多い汁を添えます。
野菜を炒めて煮込み、炒り玄米でとろみをつけてカレーにします。
それを野菜にかけるのが野菜カレー。カレーライスではない。
このようにして野菜をたくさん食べましょう。これでお腹いっぱいにするくらいでないと野菜は足りない。
もやし、レンコン、大根、キャベツ、ニンジンを油揚げと炒め、塩と純正な醤油で調え、水溶きの吉野葛を引いて餡にします。
好みででコショウ、生姜、ニンニクなどを使えばよろしい。
それを麺に乗せて皿うどん。
香辛料・辛味は脂肪と陽性毒を溶かし、殺菌力もあり、消化によろしいですが、
五辛といって、伝統的な精進料理では使わないとしているところもあります。
これらは強い陰性があるので、陽性な肉魚の害を溶かします。従って野菜ばかりの精進料理には必要ない、
また、その臭気が生臭ものである、説法に向かない、
という理由から。
それよりも、陰性が強いので性欲を刺激するから、と僕は考えています。
牛蒡と人参で、春らしく太めに切ってキンピラ
菜の花を添えて。
南国のグリンピースを塩ゆでして豆ごはん。
季節の豆料理は肝腎の滋養になります。
フキは塩ゆでしてから皮をむき、薄味の昆布だしに浸します。
油揚げと筍を炒め、人参を加えて濃いめの醤油味で蒸し煮。
フキと盛りつけます。
精進というのはサンスクリット語「ヴィーリヤ(virya)」の訳語で、
日常的(ひと時も休まず淡々と)に努力することです。
これは、仏教の修行カリミュラムのひとつですから、精進料理と言えば、仏教の料理、修行の料理ということになります。
精進料理は悟りのために作り、悟るために食べます。
この料理を作るのはこれが最後かもしれない、食べるのはこれが最後かもしれない、
悟りの最後のチャンスかもしれない。
だから、最高の最上のものを作って、悟りに近づこうというのが精進料理です。
ああ、
今日は楽しかったね、充実したね、やれることはやったね
そういう毎日が精進。
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※4月8日
大阪府吹田市PINO
http://
にて、
お花まつりの料理と、運動していてもバテない料理
を作ります
どうぞ、お越しください。
________________________________
※穀菜食の舎会員ページ
「最近の質問から」
・便秘と冷え性の治しかた
・塩分はどのくらい?
・炭水化物は必要?
・タンパク質は?
・水分はどのくらい?
・朝食は食べたほうが良い?
https:/
牛乳を飲むと骨が丈夫になるよ。
お砂糖は脳の栄養になるんだよ。
高血圧は塩分を控えると良いんだよ
砂糖よりハチミツのほうが身体にいいよ。
炭水化物は太るよ。
玄米は身体にいいよ。
五本指ソックスは健康にいいよ。
今年はジャイアンツが優勝するよ。
人は死ぬと霊魂になって輪廻転生するんだよ。
人生は現世だけではなくて、前世や後世があるんだよ。
占いは信じたほうがいいよ。
チンチン電車が走るのも、東京タワーが高いのも、みんなキミのせいだよ。
本日はエイプリルフール、当地は花曇りでございます。これはホント。
お砂糖は脳の栄養になるんだよ。
高血圧は塩分を控えると良いんだよ
砂糖よりハチミツのほうが身体にいいよ。
炭水化物は太るよ。
玄米は身体にいいよ。
五本指ソックスは健康にいいよ。
今年はジャイアンツが優勝するよ。
人は死ぬと霊魂になって輪廻転生するんだよ。
人生は現世だけではなくて、前世や後世があるんだよ。
占いは信じたほうがいいよ。
チンチン電車が走るのも、東京タワーが高いのも、みんなキミのせいだよ。
本日はエイプリルフール、当地は花曇りでございます。これはホント。
巻煎焼き
けんちん汁が半人前残っていたので、
その具を叩いて細かくし、色が変わったキャベツの古い葉もみじん切りにして混ぜ、
塩こしょうして少々置きます。
地粉とグルテン粉を同量混ぜて丸め、多めのごま油で蒸し焼きにします。
これはお腹を温めながら陽性を溶かし、不安を取り除く。
湯葉と若布
生ワカメをその半分量の水と醤油少々で、柔らかく炊きます。
鍋の半分に寄せて、空いた所に生湯葉を入れ、薄口しょうゆを振って蒸し煮します。
これは婦人科系や痔の薬になり、穏やかな気持ちになります。
じゃがいもの煮物
油揚げを短冊に切り、生姜醤油に一晩漬けます。
洗って切った白滝をから炒りし、漬けた油揚げと玉ねぎを炒め、香りが立ったら塩少々、ジャガイモ、ニンジン、エリンギの順に加え、昆布出汁を材料の半分程度まで入れます。
沸騰したらフタを少し開けて、弱火で柔らかくなるまで煮込みます。
醤油を少しづつ差しながら、味をしみ込ませます。
これは胃の薬、肉食の毒を良く溶かします。
野菜ラーメン
鍋にたっぷりの水を入れ、しいたけを塩少々で煮ます。蓋はしないで中火。
キャベツはフライパンで強火にかけます。炒めないでそのまま火にかければいい。
フタはしないで強火。
焦げ目がついたら塩コショウ
シイタケの鍋にエノキ、大根、人参、フノリ、レタスの順に2分づつ煮込み、醤油とコショウで調え、ニラと麺を入れて煮ます。
丼にごま油をたらし、スープを張って混ぜ、麺とスープを入れて、キャベツを盛ります。
これは魔法が身につきます。
けんちん汁が半人前残っていたので、
その具を叩いて細かくし、色が変わったキャベツの古い葉もみじん切りにして混ぜ、
塩こしょうして少々置きます。
地粉とグルテン粉を同量混ぜて丸め、多めのごま油で蒸し焼きにします。
これはお腹を温めながら陽性を溶かし、不安を取り除く。
湯葉と若布
生ワカメをその半分量の水と醤油少々で、柔らかく炊きます。
鍋の半分に寄せて、空いた所に生湯葉を入れ、薄口しょうゆを振って蒸し煮します。
これは婦人科系や痔の薬になり、穏やかな気持ちになります。
じゃがいもの煮物
油揚げを短冊に切り、生姜醤油に一晩漬けます。
洗って切った白滝をから炒りし、漬けた油揚げと玉ねぎを炒め、香りが立ったら塩少々、ジャガイモ、ニンジン、エリンギの順に加え、昆布出汁を材料の半分程度まで入れます。
沸騰したらフタを少し開けて、弱火で柔らかくなるまで煮込みます。
醤油を少しづつ差しながら、味をしみ込ませます。
これは胃の薬、肉食の毒を良く溶かします。
野菜ラーメン
鍋にたっぷりの水を入れ、しいたけを塩少々で煮ます。蓋はしないで中火。
キャベツはフライパンで強火にかけます。炒めないでそのまま火にかければいい。
フタはしないで強火。
焦げ目がついたら塩コショウ
シイタケの鍋にエノキ、大根、人参、フノリ、レタスの順に2分づつ煮込み、醤油とコショウで調え、ニラと麺を入れて煮ます。
丼にごま油をたらし、スープを張って混ぜ、麺とスープを入れて、キャベツを盛ります。
これは魔法が身につきます。
もし、果てしない暗闇に迷い込んだような不安や虚無感がのしかかり、
まったくの絶望のきわみに置かれたとしても、
それは自分だけが特別な立場にいるのではなく、
世界中の誰もが経験することで、
過去には戦争や災害や飢饉などで、もっともっと悲惨な立場の人がいたはずです。
つらいこと、苦しいことは、ごく当たり前のことです。
あらゆることは変化します。固定したものなどありません。
自分も変わります。日々身体も心も変わる。
時代も環境も、一時も同じではない。
ですから、
世界中で自分だけが、いつも常に不幸で不満いっぱいということは無く、そう思うだけです。
事実は事実ですが、それを固定した実体と錯覚する瞬間に、目の前の出来事は幻や砂上の楼閣となります。
落胆することはありません。それはただそれだけのことで、またそれは変わるのです。
ところで、
人はみなゆっくり自殺しているようなものです。
まじめに精進していれば、健康と長寿が得られるのに、
お酒を飲んだり不自然なものを食べ散らかしたり、
夜遊び夜更かし不規則な生活をしたり、不平不満をもって良くないストレスをためたり、
と、自らの心身を弱め、寿命を縮めています。
ですから、自殺しても、その死は事故死病死などと同じです。
自殺だから地獄に堕ちる、成仏しない、などということはありません。みな、同じ死です。
生の反対側にすぎません。
どんな死にかたでも、同じように供養・尊敬し、心を込めて祈るべきです。
密教は、今すぐにこの身体のままで悟れる
という立場です。
この肉体があるからこそ、修行して悟ることができる。
この肉体があるからこそ、優しい言葉をかけ、誰かに手を差し伸べることができる。
僕らは生きていれば、人を救える。
そうして、慈愛の言葉と行動があれば、自分自身が安らかになり、心が解放されます。
これは現世においてのみです。
世の中に変わらないものはありません。
だから、不滅の霊魂などというものも無い。
神もなく、魂も無い。終わりも始まりも無い。
避けがたいものを受け入れる智慧が得られた状態を悟りと言いますが、
それには自ら考えて判断することが重要で、死んでも嫌なものから解放されるとは言えない。幻想がまた、始まるだけです。
そもそも、苦しみの無い世界があるわけではなく、それは自分で作るものです。
苦しみは「思う通りにならない」という執着のことですが、
これから逃れる方法は、死ではなく「目覚め」です。
目が覚めたことをブッダ、悟りと言います。
お釈迦さまは亡くなる直前、弟子たちに、
怠りなく目を覚ましているように
とおっしゃいました。
陰陽で見ると、
誕生が最も陽性で死が一番陰性ですから、死にたいと思うのは陽性過多、と考えられます。
__________________________________
望診法のうち、手相編講義録を出版準備中ですが、web版を眞天庵ホームページからご覧になれるようにしました。
http:// shinten an.hana gasumi. net/
・内容
指と内臓の関係
内臓と心の関係
爪について
手相の線の見かた
皮膚の症状と改善法
脳の鍛えかた
体調不良の改善法
感情船(循環器系)をきれいにするメニュー
など。
パスワード発行料 500円(穀菜食の舎会員に限ります)
眞天庵・穀菜食の舎 須永 晃仁
メール:gbqmk185@ybb.ne.jp
まったくの絶望のきわみに置かれたとしても、
それは自分だけが特別な立場にいるのではなく、
世界中の誰もが経験することで、
過去には戦争や災害や飢饉などで、もっともっと悲惨な立場の人がいたはずです。
つらいこと、苦しいことは、ごく当たり前のことです。
あらゆることは変化します。固定したものなどありません。
自分も変わります。日々身体も心も変わる。
時代も環境も、一時も同じではない。
ですから、
世界中で自分だけが、いつも常に不幸で不満いっぱいということは無く、そう思うだけです。
事実は事実ですが、それを固定した実体と錯覚する瞬間に、目の前の出来事は幻や砂上の楼閣となります。
落胆することはありません。それはただそれだけのことで、またそれは変わるのです。
ところで、
人はみなゆっくり自殺しているようなものです。
まじめに精進していれば、健康と長寿が得られるのに、
お酒を飲んだり不自然なものを食べ散らかしたり、
夜遊び夜更かし不規則な生活をしたり、不平不満をもって良くないストレスをためたり、
と、自らの心身を弱め、寿命を縮めています。
ですから、自殺しても、その死は事故死病死などと同じです。
自殺だから地獄に堕ちる、成仏しない、などということはありません。みな、同じ死です。
生の反対側にすぎません。
どんな死にかたでも、同じように供養・尊敬し、心を込めて祈るべきです。
密教は、今すぐにこの身体のままで悟れる
という立場です。
この肉体があるからこそ、修行して悟ることができる。
この肉体があるからこそ、優しい言葉をかけ、誰かに手を差し伸べることができる。
僕らは生きていれば、人を救える。
そうして、慈愛の言葉と行動があれば、自分自身が安らかになり、心が解放されます。
これは現世においてのみです。
世の中に変わらないものはありません。
だから、不滅の霊魂などというものも無い。
神もなく、魂も無い。終わりも始まりも無い。
避けがたいものを受け入れる智慧が得られた状態を悟りと言いますが、
それには自ら考えて判断することが重要で、死んでも嫌なものから解放されるとは言えない。幻想がまた、始まるだけです。
そもそも、苦しみの無い世界があるわけではなく、それは自分で作るものです。
苦しみは「思う通りにならない」という執着のことですが、
これから逃れる方法は、死ではなく「目覚め」です。
目が覚めたことをブッダ、悟りと言います。
お釈迦さまは亡くなる直前、弟子たちに、
怠りなく目を覚ましているように
とおっしゃいました。
陰陽で見ると、
誕生が最も陽性で死が一番陰性ですから、死にたいと思うのは陽性過多、と考えられます。
__________________________________
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[ 2015/04/04 18:27 | 米ぞうの家 ]
春は肝臓の季節。
解毒作用が活発になり、毛穴も開いて排毒が盛んになりますが、陰性が弱いと締まりすぎて便秘になりやすい。
同じ理由で締まりすぎて冷え性が治りにくい。
ぐんぐん伸びる陰性な春の野菜をたくさん食べましょう。
これは山形ちば吉さんのおそば。
http:// tibakic hi.com/ ?page_i d=1927
良質のお蕎麦は良質な陽性で、採りたての菜の花を添え、キノコとネギで陰性なお出汁にするとバランスがとれ、味もより深まります。
さて、
Windowsには音声認識機能があるので、マイクに向かって話せば、メモ帳やワードに文章が綴られるのですが、慣れないと難しい。
コンピュータに音声を学習させる
こまめに音声辞書の登録をする
などをしたほうがいいみたい。
昨夜の作業では、
僕が
「陽性というのは縮む力です」
と話せば、windowsは
「要請というのは傷口からです」
と書く。
まあ、これくらいはしょうがないかな。
でも、
「右と左も比較の問題で、場所が変われば右が左になります」
と言ったら、
「キャンパスでスティックを割られた望診法だけ」
もう何が何だかわからないし、後で校正するのも困難。
普段の生活でも聞き間違いはありますね。
春休みは次男と一緒に、何度も銭湯に行きました。
今はいろいろな種類の温泉銭湯があります。
仕事の電話で、
あと数パーセントは行きたいね
と言われたのを、
あとでスーパー銭湯へ行きたいね。
と聞き間違えました。
今の銭湯は重油を燃料にしている所が多いのだろうけれど、昔ながらの薪を燃やしている所もあります。
赤い陽性な火だとちょっと違う 。
陽性な赤い火なら、陰性な拡がる力の湯になるのかな。
陽性は要請ではなく、陰性は院生ではない、とパソコンに教えました。
____________________________________
『手相編講義録』を出版準備中ですが、web版を眞天庵ホームページからご覧になれるようにしました。
http:// shinten an.hana gasumi. net/
・内容
指と内臓の関係
内臓と心の関係
爪について
手相の線の見かた
皮膚の症状と改善法
脳の鍛えかた
体調不良の改善法
生命線(消化器系)をきれいにするメニュー
頭脳線(神経系) をきれいにするメニュー
感情船(循環器系)をきれいにするメニュー
など。
パスワード発行料 500円(穀菜食の舎会員に限ります)
眞天庵・穀菜食の舎 須永 晃仁
メール:gbqmk185@ybb.ne.jp
解毒作用が活発になり、毛穴も開いて排毒が盛んになりますが、陰性が弱いと締まりすぎて便秘になりやすい。
同じ理由で締まりすぎて冷え性が治りにくい。
ぐんぐん伸びる陰性な春の野菜をたくさん食べましょう。
これは山形ちば吉さんのおそば。
http://
良質のお蕎麦は良質な陽性で、採りたての菜の花を添え、キノコとネギで陰性なお出汁にするとバランスがとれ、味もより深まります。
さて、
Windowsには音声認識機能があるので、マイクに向かって話せば、メモ帳やワードに文章が綴られるのですが、慣れないと難しい。
コンピュータに音声を学習させる
こまめに音声辞書の登録をする
などをしたほうがいいみたい。
昨夜の作業では、
僕が
「陽性というのは縮む力です」
と話せば、windowsは
「要請というのは傷口からです」
と書く。
まあ、これくらいはしょうがないかな。
でも、
「右と左も比較の問題で、場所が変われば右が左になります」
と言ったら、
「キャンパスでスティックを割られた望診法だけ」
もう何が何だかわからないし、後で校正するのも困難。
普段の生活でも聞き間違いはありますね。
春休みは次男と一緒に、何度も銭湯に行きました。
今はいろいろな種類の温泉銭湯があります。
仕事の電話で、
あと数パーセントは行きたいね
と言われたのを、
あとでスーパー銭湯へ行きたいね。
と聞き間違えました。
今の銭湯は重油を燃料にしている所が多いのだろうけれど、昔ながらの薪を燃やしている所もあります。
赤い陽性な火だとちょっと違う 。
陽性な赤い火なら、陰性な拡がる力の湯になるのかな。
陽性は要請ではなく、陰性は院生ではない、とパソコンに教えました。
____________________________________
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・内容
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内臓と心の関係
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させていただく、たくさんの人、~達、食べれる・・・、
これらと同じくらい違和感のある言葉が、
「ダシが決め手」
それじゃあ、下品な化学調味料みたい。
それはさておき、
山形ちば吉さんの自然栽培十割そばを、せっかくだから最高においしく食べようと、
http:// tibakic hi.com/ ?page_i d=1927
ちょっと手をかけてそばつゆを作りました。
そばつゆとは、かえしを出汁で割ったもの。
かえしは砂糖とみりんで作るところが多いけれど、それではダメ。
砂糖の味は強すぎて、すべての素材の味が台無しになる。味も下品で身体に悪い。
だから、芋ときのこで作る。
出汁は昆布と干しシイタケ
旨味は相乗効果があるので、アミノ酸や核酸のうまみが重なるように出汁を引きます。
昆布のグルタミン酸としいたけのグアニル酸など。
淡味と後味という最高の味を引き出したいので、魚の出汁ではダメ。
そばの香りと味が台無しになってしまう。第一、生臭いし身体に悪い。
分量と作りかたは企業秘密なのでお教えできませんが、それぞれのご家庭で、陰陽を考えて最適なおつゆを作ってください。
十割そばをゆでる場合、
たっぷりのお湯で100グラム程度づつゆでるのがいい。
大きな鍋が無い時は、ゆでてから蓋をして蒸します。
とにかく、
家庭料理では、おそばもうどんも、チャーハンも餃子も、一人前づつ作れば、より上手においしく仕上がります。
で、翌日、この究極のそばつゆで湯葉を炊いたら、これがまたすばらしい。
良質のおそばなら、
水で洗うだけでたぐるか、
ゆでたそば湯に、天然醸造のしょうゆ、わさび、ねぎ
それだけで食べてもうまいな。
おそばの膳には、大根やカブの炊き合わせが似合う。
ともあれ、ちば吉さんのおそばは、おいしゅうございます。
これらと同じくらい違和感のある言葉が、
「ダシが決め手」
それじゃあ、下品な化学調味料みたい。
それはさておき、
山形ちば吉さんの自然栽培十割そばを、せっかくだから最高においしく食べようと、
http://
ちょっと手をかけてそばつゆを作りました。
そばつゆとは、かえしを出汁で割ったもの。
かえしは砂糖とみりんで作るところが多いけれど、それではダメ。
砂糖の味は強すぎて、すべての素材の味が台無しになる。味も下品で身体に悪い。
だから、芋ときのこで作る。
出汁は昆布と干しシイタケ
旨味は相乗効果があるので、アミノ酸や核酸のうまみが重なるように出汁を引きます。
昆布のグルタミン酸としいたけのグアニル酸など。
淡味と後味という最高の味を引き出したいので、魚の出汁ではダメ。
そばの香りと味が台無しになってしまう。第一、生臭いし身体に悪い。
分量と作りかたは企業秘密なのでお教えできませんが、それぞれのご家庭で、陰陽を考えて最適なおつゆを作ってください。
十割そばをゆでる場合、
たっぷりのお湯で100グラム程度づつゆでるのがいい。
大きな鍋が無い時は、ゆでてから蓋をして蒸します。
とにかく、
家庭料理では、おそばもうどんも、チャーハンも餃子も、一人前づつ作れば、より上手においしく仕上がります。
で、翌日、この究極のそばつゆで湯葉を炊いたら、これがまたすばらしい。
良質のおそばなら、
水で洗うだけでたぐるか、
ゆでたそば湯に、天然醸造のしょうゆ、わさび、ねぎ
それだけで食べてもうまいな。
おそばの膳には、大根やカブの炊き合わせが似合う。
ともあれ、ちば吉さんのおそばは、おいしゅうございます。
出張が続くと、どうも頭の形が悪くなります。
柔らかいベッドで寝ていれば背骨が曲がり、鼻筋も曲がる。
そうすると、便秘になりやすい。
粘土を丸める時と同じで、固いところで寝れば後頭部もきれいに丸くなります。
後頭部は消化器系の様子が現われるので、胃腸が丈夫なら後頭部の形もよろしい。
柔らかベッドで寝ていれば、胃腸も弱くなり、胃腸が弱いと意志が弱くなる。
そういうつながりがあります。
それはさておき、
から揚げは下品な食べ物だと思っていたけれど、娘が食べたいと言うので作りました。
乾燥南瓜、乾燥人参で出汁を引き、塩と醤油で調え、グルテン粉をまとめて15分ゆでます。
冷めてからそぎ切りにして、吉野葛をまぶして揚げる。
まあ、こんなものかな。
乾燥野菜の出汁は独特の風味があってうまいのでカレ-にします。
揚げて残った油に、
生姜とニンニクのみじん切りを入れ、
古い味噌を入れて油煮します。
弱火で少々焦げるくらいになったら、油味噌の出来上がり。
これは保存がきいて、魔法のようにいろいろ使えます。
柔らかいベッドで寝ていれば背骨が曲がり、鼻筋も曲がる。
そうすると、便秘になりやすい。
粘土を丸める時と同じで、固いところで寝れば後頭部もきれいに丸くなります。
後頭部は消化器系の様子が現われるので、胃腸が丈夫なら後頭部の形もよろしい。
柔らかベッドで寝ていれば、胃腸も弱くなり、胃腸が弱いと意志が弱くなる。
そういうつながりがあります。
それはさておき、
から揚げは下品な食べ物だと思っていたけれど、娘が食べたいと言うので作りました。
乾燥南瓜、乾燥人参で出汁を引き、塩と醤油で調え、グルテン粉をまとめて15分ゆでます。
冷めてからそぎ切りにして、吉野葛をまぶして揚げる。
まあ、こんなものかな。
乾燥野菜の出汁は独特の風味があってうまいのでカレ-にします。
揚げて残った油に、
生姜とニンニクのみじん切りを入れ、
古い味噌を入れて油煮します。
弱火で少々焦げるくらいになったら、油味噌の出来上がり。
これは保存がきいて、魔法のようにいろいろ使えます。
中学生のころに親しんだ本のひとつが、F・モウワット著『犬になりたくなかった犬』
『船になりたくなかった船』という作品もある。
この本に登場する駄犬・マットは、猫からバカにされないように、狭い塀の上を歩いたり梯子を登ったりして、飼い主家族とともに冒険生活をする楽しい話。
時が過ぎ、マットがいなくなった時、
主人公の子は
それから僕の人生は、長いトンネルに入った
と言い、彼にとって、ひとつの時代が終わります。
桜が散って春が過ぎ、
長年飼っていた犬が死んで、桜樹下に埋葬し、引導を渡して真言を唱えました。
しばらくして、雨が降り始めた。
死ぬ直前
何も食べなくなった犬に、
これなら食べるわよ
と、母はスーパーで一番高価なロースハムを買って食べさせていました。
亭主には一番安いプレスハムを食べさせながら。
晩年、散歩に出て、向かい側から他の犬が来ると、プッと尻尾を向けて帰ろうとしました。
犬が嫌いになったのか、臆病なのか、何かを思ったのか。
思えば小学生の頃から、我が家では犬を飼っていました。
その間、何度も犬の死に遇い、そのたびに、
はたして犬はしあわせだったのだろうか、
と思いました。
鎖につながれて、食べ物は恵んでもらい、自由なんて無いじゃないか、と。
可愛がるなんて、こちらの勝手な思い込みじゃないか、と。
僕は慈愛を持って接していたのだろうか。
よくよく考えてみれば、
今いる家族に、友人知己縁者に、
僕は慈愛を持って接しているのだろうか、
と問われれば忸怩慚愧共にあります。
慈愛が無ければ大人として失格であり、人としての基本ができていない、ということである。
子どもらが巣立つと、親の手間は随分と減ります。
犬が死ねば、散歩やエサの手間も無くなる。
迷惑や世話や手間がかかることは面倒なことだけれど、それが無くなると随分とさみしいものです。
人には迷惑をかけないようにしたいと思うけれど、僕自身は誰かから適度に迷惑をかけてもらいたい。
手間や迷惑はそこそこ嬉しいものでもあります。
あらゆるものは大地から生まれ、大地や空に帰ります。僕らを作っている要素がそこで形を変える。
だから、そこは不生不滅で、万物の所依です。
そして雨が降って熱悩を去り、
風が吹いて煩悩の塵を除去します。
上には、差別の境目が無い、何事にもとらわれないような、大空が広がっています。
『船になりたくなかった船』という作品もある。
この本に登場する駄犬・マットは、猫からバカにされないように、狭い塀の上を歩いたり梯子を登ったりして、飼い主家族とともに冒険生活をする楽しい話。
時が過ぎ、マットがいなくなった時、
主人公の子は
それから僕の人生は、長いトンネルに入った
と言い、彼にとって、ひとつの時代が終わります。
桜が散って春が過ぎ、
長年飼っていた犬が死んで、桜樹下に埋葬し、引導を渡して真言を唱えました。
しばらくして、雨が降り始めた。
死ぬ直前
何も食べなくなった犬に、
これなら食べるわよ
と、母はスーパーで一番高価なロースハムを買って食べさせていました。
亭主には一番安いプレスハムを食べさせながら。
晩年、散歩に出て、向かい側から他の犬が来ると、プッと尻尾を向けて帰ろうとしました。
犬が嫌いになったのか、臆病なのか、何かを思ったのか。
思えば小学生の頃から、我が家では犬を飼っていました。
その間、何度も犬の死に遇い、そのたびに、
はたして犬はしあわせだったのだろうか、
と思いました。
鎖につながれて、食べ物は恵んでもらい、自由なんて無いじゃないか、と。
可愛がるなんて、こちらの勝手な思い込みじゃないか、と。
僕は慈愛を持って接していたのだろうか。
よくよく考えてみれば、
今いる家族に、友人知己縁者に、
僕は慈愛を持って接しているのだろうか、
と問われれば忸怩慚愧共にあります。
慈愛が無ければ大人として失格であり、人としての基本ができていない、ということである。
子どもらが巣立つと、親の手間は随分と減ります。
犬が死ねば、散歩やエサの手間も無くなる。
迷惑や世話や手間がかかることは面倒なことだけれど、それが無くなると随分とさみしいものです。
人には迷惑をかけないようにしたいと思うけれど、僕自身は誰かから適度に迷惑をかけてもらいたい。
手間や迷惑はそこそこ嬉しいものでもあります。
あらゆるものは大地から生まれ、大地や空に帰ります。僕らを作っている要素がそこで形を変える。
だから、そこは不生不滅で、万物の所依です。
そして雨が降って熱悩を去り、
風が吹いて煩悩の塵を除去します。
上には、差別の境目が無い、何事にもとらわれないような、大空が広がっています。
どの宗教でも、祈りの始まりは懺悔です。
本来仏である自分なのに、神仏は自分の心の中におわしますのに、
普段の自分は何と恥多きことであるか、清らかに生きることの何と難しいことか。
まずは懺悔してから始まります。
多くの宗派で、お勤めの最初に唱えるのが『華厳経』(普賢行願品)にある
「懺悔文」(真言宗では「さんげもん」と読みます)
我昔所造諸悪業(がしゃくしょぞうしょあくごう)
皆由無始貪瞋癡(かいゆうむしとんじんち)
従身語意之所生(じゅうしんごいししょしょう)[2]
一切我今皆懺悔(いっさいがこんかいさんげ)
和文にすると、
我れ昔より造る所のもろもろの悪業は
皆、無始の貪瞋癡(とんじんち)による、
身語意より生ずる所なり、
一切 我今、みな懺悔したてまつる
真言密教では覚鑁上人が著した『密厳院発露懺悔文』(みつごんいんほつろさんげもん)も唱えることが多い。
少し長いですが引きます。
「我等懺悔す 無始よりこのかた妄想にまとはれて衆罪を造る
身口意の業 常に顛倒して 誤って無量不善の業を犯す
珍財を慳悋して施を行ぜず
こころに任せて放逸にして戒を持せず
しばしば怒りを起して忍辱(にんにく)ならず
多く懈怠を生じて精進ならず
心意散乱して坐禅せず
実相に違背して慧を修せず
恒に是の如くの六度の行を退して 還って流転三途の業を作る
名を比丘に仮って伽藍を穢し
形を沙門に比して信施を受く
受くる所の戒品は忘れて持せず
学すべき律義は廃して好むこと無し
諸佛の厭悪したもう所を慚じず
菩薩の苦悩する所を畏れず
遊戯笑語して徒らに年を送り 諂誑詐欺(てんのうさぎ)して空しく日を過ぐ
善友に随がはずして癡人に親しみ
善根を勤めずして悪行を営む
利養を得んと欲して自徳を讃じ
名聞を欲して他愚を誹る
勝徳の者を見ては嫉妬をいだき
卑賤の人を見ては驕慢を生じ
富饒の所を聞いては希望を起し
貧乏の類を聞いては常に厭離す
ことさらに殺し誤って殺す有情の命
あらわに取り密かに盗る他人の財
触れても触れずしても非梵行を犯す
口四意三 たがいに相続し
佛を観念する時は攀縁(へんねん)を発し
経を読誦する時は文句をあやまる
若し善根を作せば有相に住し 還って輪廻生死の因と成る
行住坐臥 知ると知らざると犯す所の是の如くの無量の罪
今三宝に對して皆 発露し奉る
慈悲哀愍して消除せしめ賜え
ないし法界の諸の衆生 三業所作の此の如くの罪
我皆 相代って尽く懺悔し奉る
更に亦 その報いを受けしめざれ
以上。
仏法は心を調え、清め澄ましめることを眼目としますが、そのためにはまず身の回りを調え、また身を調えることがで大切です。
そして、心からの祈りを願う人にとり、戒律は戒法は大切なことです。
その、戒律戒めのまえに懺悔が必要です。
謝らなければ何事も始まらない。
ただし、恩師・田中先生は、
「あまり懺悔を重んじていると、本性の広大清浄尊厳を限定するような結果になるおそれがある」(『田中千秋著作講話集』真言密教の観行について)
とも言っています。
大乗仏教においては、
仏道:悟りを目指すものは、その願いを成就させるという誓いを立てます。
菩薩があらゆる存在を救う、願いと誓いを立て、その願いが叶うまでは自分が涅槃・悟りの静寂な世界には赴かない
というのが大乗の特徴です。
まず、悟りを求める心(菩提心)を発し、その次に誓願を立てますが、顕教と密教には少しの違いがあります。
顕教では「四弘誓願」(しぐせいがん)として
衆生は無辺なり誓願して度せん (すべての人を救うことを誓う)
煩悩は無尽なり誓願して断ぜん (すべての煩悩を断つことを誓う)
法門は無量なり誓願して学ばん (すべての教えを学ぶことを誓う)
仏道は無上なり誓願して証せん (仏道は無上だけれど、その道を成就することを誓う)
と唱えます。
密教では「五大願」を立てます。
衆生は無辺なり誓願して度せん (すべての人を救うことを誓う)
福智は無辺なり誓願して集めん (すべての智慧を集めることを誓う)
法門は無辺なり誓願して学ばん (すべての教えを学ぶことを誓う)
如来は無辺なり誓願して仕えん (すべての仏に仕えることを誓う)
菩提は無上なり誓願して証せん (悟りは無上だけれど、体得することを誓う)
顕経は、煩悩をひとつひとつ断じ尽して仏道成就しようする立場。
密教は、この世のものはすべて、煩悩でさえも存在の意義があり、みな福智の財産であり、
その煩悩を転換して、そのエネルギーを使って、悟りへと進む、という立場。
顕教は煩悩の現実に対して否定的であり、
密教は極めて肯定的
という特徴があります。
____________________________________
【修行してみる】
○礼拝行
懺悔文を唱えながら礼拝します。
最もていねいなのは五体投地。
1、直立して合掌
2、右ひざ、左ひざの順に折り、正座する
3、右ひじ、左ひじ、額の順に床につける
4、額、左ひじ、右ひじの順に本に戻し正座、合掌
5、左足、右足の順に伸ばして立ちあがる。
以上をワンセットにして、一礼一唱しながら、108回礼拝します。
毎日続け、1万回になるまで続けます。
五体投地ができない場合は、合掌して頭を垂れながら、懺悔文を唱え、1万回になるまで続けます。
本来仏である自分なのに、神仏は自分の心の中におわしますのに、
普段の自分は何と恥多きことであるか、清らかに生きることの何と難しいことか。
まずは懺悔してから始まります。
多くの宗派で、お勤めの最初に唱えるのが『華厳経』(普賢行願品)にある
「懺悔文」(真言宗では「さんげもん」と読みます)
我昔所造諸悪業(がしゃくしょぞうしょあくごう)
皆由無始貪瞋癡(かいゆうむしとんじんち)
従身語意之所生(じゅうしんごいししょしょう)[2]
一切我今皆懺悔(いっさいがこんかいさんげ)
和文にすると、
我れ昔より造る所のもろもろの悪業は
皆、無始の貪瞋癡(とんじんち)による、
身語意より生ずる所なり、
一切 我今、みな懺悔したてまつる
真言密教では覚鑁上人が著した『密厳院発露懺悔文』(みつごんいんほつろさんげもん)も唱えることが多い。
少し長いですが引きます。
「我等懺悔す 無始よりこのかた妄想にまとはれて衆罪を造る
身口意の業 常に顛倒して 誤って無量不善の業を犯す
珍財を慳悋して施を行ぜず
こころに任せて放逸にして戒を持せず
しばしば怒りを起して忍辱(にんにく)ならず
多く懈怠を生じて精進ならず
心意散乱して坐禅せず
実相に違背して慧を修せず
恒に是の如くの六度の行を退して 還って流転三途の業を作る
名を比丘に仮って伽藍を穢し
形を沙門に比して信施を受く
受くる所の戒品は忘れて持せず
学すべき律義は廃して好むこと無し
諸佛の厭悪したもう所を慚じず
菩薩の苦悩する所を畏れず
遊戯笑語して徒らに年を送り 諂誑詐欺(てんのうさぎ)して空しく日を過ぐ
善友に随がはずして癡人に親しみ
善根を勤めずして悪行を営む
利養を得んと欲して自徳を讃じ
名聞を欲して他愚を誹る
勝徳の者を見ては嫉妬をいだき
卑賤の人を見ては驕慢を生じ
富饒の所を聞いては希望を起し
貧乏の類を聞いては常に厭離す
ことさらに殺し誤って殺す有情の命
あらわに取り密かに盗る他人の財
触れても触れずしても非梵行を犯す
口四意三 たがいに相続し
佛を観念する時は攀縁(へんねん)を発し
経を読誦する時は文句をあやまる
若し善根を作せば有相に住し 還って輪廻生死の因と成る
行住坐臥 知ると知らざると犯す所の是の如くの無量の罪
今三宝に對して皆 発露し奉る
慈悲哀愍して消除せしめ賜え
ないし法界の諸の衆生 三業所作の此の如くの罪
我皆 相代って尽く懺悔し奉る
更に亦 その報いを受けしめざれ
以上。
仏法は心を調え、清め澄ましめることを眼目としますが、そのためにはまず身の回りを調え、また身を調えることがで大切です。
そして、心からの祈りを願う人にとり、戒律は戒法は大切なことです。
その、戒律戒めのまえに懺悔が必要です。
謝らなければ何事も始まらない。
ただし、恩師・田中先生は、
「あまり懺悔を重んじていると、本性の広大清浄尊厳を限定するような結果になるおそれがある」(『田中千秋著作講話集』真言密教の観行について)
とも言っています。
大乗仏教においては、
仏道:悟りを目指すものは、その願いを成就させるという誓いを立てます。
菩薩があらゆる存在を救う、願いと誓いを立て、その願いが叶うまでは自分が涅槃・悟りの静寂な世界には赴かない
というのが大乗の特徴です。
まず、悟りを求める心(菩提心)を発し、その次に誓願を立てますが、顕教と密教には少しの違いがあります。
顕教では「四弘誓願」(しぐせいがん)として
衆生は無辺なり誓願して度せん (すべての人を救うことを誓う)
煩悩は無尽なり誓願して断ぜん (すべての煩悩を断つことを誓う)
法門は無量なり誓願して学ばん (すべての教えを学ぶことを誓う)
仏道は無上なり誓願して証せん (仏道は無上だけれど、その道を成就することを誓う)
と唱えます。
密教では「五大願」を立てます。
衆生は無辺なり誓願して度せん (すべての人を救うことを誓う)
福智は無辺なり誓願して集めん (すべての智慧を集めることを誓う)
法門は無辺なり誓願して学ばん (すべての教えを学ぶことを誓う)
如来は無辺なり誓願して仕えん (すべての仏に仕えることを誓う)
菩提は無上なり誓願して証せん (悟りは無上だけれど、体得することを誓う)
顕経は、煩悩をひとつひとつ断じ尽して仏道成就しようする立場。
密教は、この世のものはすべて、煩悩でさえも存在の意義があり、みな福智の財産であり、
その煩悩を転換して、そのエネルギーを使って、悟りへと進む、という立場。
顕教は煩悩の現実に対して否定的であり、
密教は極めて肯定的
という特徴があります。
____________________________________
【修行してみる】
○礼拝行
懺悔文を唱えながら礼拝します。
最もていねいなのは五体投地。
1、直立して合掌
2、右ひざ、左ひざの順に折り、正座する
3、右ひじ、左ひじ、額の順に床につける
4、額、左ひじ、右ひじの順に本に戻し正座、合掌
5、左足、右足の順に伸ばして立ちあがる。
以上をワンセットにして、一礼一唱しながら、108回礼拝します。
毎日続け、1万回になるまで続けます。
五体投地ができない場合は、合掌して頭を垂れながら、懺悔文を唱え、1万回になるまで続けます。
新学期新生活の季節ですね。
例えば、
自動車教習所で運転免許が取れますが、それは運転してもよろしい、というだけで、
運転がうまい、ということではない。
卒業後、何年もかけ毎日運転して、上手になります。
同じように、仏教も料理も、修行道場や料理教室に行ったから上手になるわけではなく、
そこで教わったことを毎日の生活で繰り返し、実践する人が、優秀な僧侶や料理人になります。
新しいことが始まる春、
いろいろ上手なことを増やして、楽しい人生にしましょう。
さて、始まりがあれば終わりもあります。
先の土曜日は福島・郡山の東山霊園、日曜日は千葉・萩の郷霊園で拝みました。
郡山では、
高齢の御夫婦が相次いで亡くなり、お子さんがいないので御親戚の方々と葬儀法事をしていましたが、
今回家を取り壊し、仏壇とお墓もしまうことになりました。
このように、後継ぎがいないなどの理由で、仏壇終い、墓じまいということが最近は多い。
仏壇にある位牌やご本尊は僕が持ち帰り、当庵で供養してお焚き上げします。
仏壇そのものは行政の処理場で処分できます。
お墓の遺骨は、共同納骨堂や縁者の墓地に移したり、散骨という方法もある。
墓石の処理は業者に依頼。
故人の供養は、葬儀をした寺の過去長に記載がありますから、寺のお勤めで毎月命日にご回向します。
これらは亡くなった後のことですが、亡くなる前のこともあります。
特に老人や重篤な病人のこと。
以前、
T病院の老人病棟へ、僧形で何度かお見舞いに行き、お年寄りのかたがたと四方山話をしました。
なんでもいいから、何か話をしに来てくれ
というお誘いを受けてのことでした。
ほとんどが末期がんの患者さん。
そういう人の中には、意志的な死を考える人もいます。
現世の苦しみから逃げるのではなく、
あまりみっともないことにならないうちに、お先に失礼します。
人生楽しかった、ありがとう、ごきげんよう
というような意志的な死。
終着駅に着いて、自らの力で下車したい。
太宰はこういう死を「グッド・バイ」と言いました。
自殺を進めるわけではありませんが、もし、そういう人が出てきた場合に、僕らに何かすることがあるはず。
と以前から考えています。
ところで、
仮に自殺があったとしても、それは自殺以外の死と違いはありません。自殺だから極楽へ行けない、などということは無い。
人はみなゆっくり自殺しているようなものです。
まじめに精進していれば、健康と長寿が得られるのに、
お酒を飲んだり不自然なものを食べ散らかしたり、
夜遊び夜更かし不規則な生活をしたり、不平不満をもって良くないストレスをためたり、
と、自らの心身を弱め、寿命を縮めています。
ですから、自殺しても、その死は事故死病死などと同じです。
みな、同じ死。
そして、
これらの生死を超えることを、悟りと言います。
_____________________________
○眞天庵仏教塾・密教塾「懺悔と誓願」
http:// shinten an.syoy u.net/% E7%9C%9 E%E5%A4 %A9%E5% BA%B5%E 4%BB%8F %E6%95% 99%E5%A 1%BE%E3 %83%BB% E5%AF%8 6%E6%95 %99%E5% A1%BE/
○料理12か月「4月の料理・美人になるメニュー」
http:// shinten an.syoy u.net/% E6%96%9 9%E7%90 %8612%E 3%81%8B %E6%9C% 88/%EF% BC%94%E 6%9C%88 %E3%81% AE%E6%9 6%99%E7 %90%86% E3%83%B B%E7%BE %8E%E4% BA%BA%E 3%81%AB %E3%81% AA%E3%8 2%8B%E3 %83%A1% E3%83%8 B%E3%83 %A5%E3% 83%BC
○穀菜食の舎「諸悪を断つ:春の症状改善方法 冷え性 便秘 認知症」
http:// shinten an.syoy u.net/% E7%A9%8 0%E8%8F %9C%E9% A3%9F%E 3%81%AE %E8%88% 8E%E4%B C%9A%E5 %93%A1% E7%94%A 8%E3%83 %9A%E3% 83%BC%E 3%82%B8 /%E8%AB %B8%E6% 82%AA%E 3%82%92 %E6%96% AD%E3%8 1%A4%EF %BC%9A% E6%98%A 5%E3%81 %AE%E7% 97%87%E 7%8A%B6 %E6%94% B9%E5%9 6%84%E6 %96%B9% E6%B3%9 5%E3%80 %80%E5% 86%B7%E 3%81%88 %E6%80% A7%E3%8 0%80%E4 %BE%BF% E7%A7%9 8%E3%80 %80%E8% AA%8D%E 7%9F%A5 %E7%97% 87
例えば、
自動車教習所で運転免許が取れますが、それは運転してもよろしい、というだけで、
運転がうまい、ということではない。
卒業後、何年もかけ毎日運転して、上手になります。
同じように、仏教も料理も、修行道場や料理教室に行ったから上手になるわけではなく、
そこで教わったことを毎日の生活で繰り返し、実践する人が、優秀な僧侶や料理人になります。
新しいことが始まる春、
いろいろ上手なことを増やして、楽しい人生にしましょう。
さて、始まりがあれば終わりもあります。
先の土曜日は福島・郡山の東山霊園、日曜日は千葉・萩の郷霊園で拝みました。
郡山では、
高齢の御夫婦が相次いで亡くなり、お子さんがいないので御親戚の方々と葬儀法事をしていましたが、
今回家を取り壊し、仏壇とお墓もしまうことになりました。
このように、後継ぎがいないなどの理由で、仏壇終い、墓じまいということが最近は多い。
仏壇にある位牌やご本尊は僕が持ち帰り、当庵で供養してお焚き上げします。
仏壇そのものは行政の処理場で処分できます。
お墓の遺骨は、共同納骨堂や縁者の墓地に移したり、散骨という方法もある。
墓石の処理は業者に依頼。
故人の供養は、葬儀をした寺の過去長に記載がありますから、寺のお勤めで毎月命日にご回向します。
これらは亡くなった後のことですが、亡くなる前のこともあります。
特に老人や重篤な病人のこと。
以前、
T病院の老人病棟へ、僧形で何度かお見舞いに行き、お年寄りのかたがたと四方山話をしました。
なんでもいいから、何か話をしに来てくれ
というお誘いを受けてのことでした。
ほとんどが末期がんの患者さん。
そういう人の中には、意志的な死を考える人もいます。
現世の苦しみから逃げるのではなく、
あまりみっともないことにならないうちに、お先に失礼します。
人生楽しかった、ありがとう、ごきげんよう
というような意志的な死。
終着駅に着いて、自らの力で下車したい。
太宰はこういう死を「グッド・バイ」と言いました。
自殺を進めるわけではありませんが、もし、そういう人が出てきた場合に、僕らに何かすることがあるはず。
と以前から考えています。
ところで、
仮に自殺があったとしても、それは自殺以外の死と違いはありません。自殺だから極楽へ行けない、などということは無い。
人はみなゆっくり自殺しているようなものです。
まじめに精進していれば、健康と長寿が得られるのに、
お酒を飲んだり不自然なものを食べ散らかしたり、
夜遊び夜更かし不規則な生活をしたり、不平不満をもって良くないストレスをためたり、
と、自らの心身を弱め、寿命を縮めています。
ですから、自殺しても、その死は事故死病死などと同じです。
みな、同じ死。
そして、
これらの生死を超えることを、悟りと言います。
_____________________________
○眞天庵仏教塾・密教塾「懺悔と誓願」
http://
○料理12か月「4月の料理・美人になるメニュー」
http://
○穀菜食の舎「諸悪を断つ:春の症状改善方法 冷え性 便秘 認知症」
http://
出張が続いて不在がちですが、出かけているといろいろ気がつくことがあります。
その土地の顔
というのがある。
宮城の顔、新潟の顔、福島の顔、栃木の顔、横浜の顔、大阪の顔、徳島の顔・・・。
昨今はどこもかしこも均一な街が増えましたが、人の顔は郷土色がでます。
おもしろいのは、栃木県人が大阪に住めば、大阪の顔になる。
大阪でも東京でも、お昼時になるとサラリーマンやOLが食事処に入ります。
外食ですね。
週5日で毎月約21回
盆正月の休みを除いて一年で約240回。
それだけの量を食べて大丈夫なものを食べているのだろうか。
お昼以外の家での食事で、お野菜いっぱい、いろいろ考えて作ったものを食べている人と、そうでもない人ではずいぶんと違う人生になるのだろうな。
ホテルの朝食会場では和洋中と豊富な料理が並びますが、パン食の人も少なくない。
パンは水分量で見れば、ご飯や麺に比べると陽性。
朝は比較的陰性な食事にして交感神経を刺激したほうが、日中活動的に過ごせます。
だから、朝はパンよりご飯が適していると思うけれど、
パンにするなら、野菜や果物やスープをたくさん摂って陰性にするといい。
パンがご飯と決定的に違うのは
ご飯はお米と水が主ですが、
パンは小麦粉と水だけではなく、いろいろなものが含まれています。
そういうものはどうなのだろうか、
とちょっと考えてもいいかな。
人がものを食べている姿を観るのは面白い。
食べる、というのは獣と同じになる瞬間だから、その人の本性が現れる。
最近は口が横に大きい人が多く、おちょぼ口は少ない。
望診法では、口で胃腸の状態を診ますが、陰性なタンパク質が多いから、胃腸が横に広がり、口も大きくなるのでしょうね。
昔と比べるとたんぱく質の摂取量が増えたのがよく分かります。
出張が多いと人と話す機会も多い。
話がうまく進む相手は、
言いたいことの7割くらいだけ言って、全部は言わない。
そうすると、相手が何かを言ってくれる。
ふんふん、そうだねえと聞く。
そうすると、何事もうまくいく。
なんでもかんでも、全部は言わないほうがいい。
たまたま在宅している時に、その日を選んでくれたかのように飼い犬が死にました。
少しづつ食べる量が減って、
好きなものも食べなくなり
運動量も減って、一寸歩いては家に帰りたくなり
寝ている時間が増え
ブラシをかけても嫌がらずじっとしている。
ついには食べることをやめて四日間、暖かい陽の下で寝ころび
吠えることも声を出すことも無くなり、
最後の晩、
あの世へ鳴らす鐘のように 弱々しい遠吠えを2回
ふかふかの柔らかい土の場所を選んで、
自分で末期の水を飲み、
身体を横たえて、眠るように死にました。
特に遺言は無く、おおよそ80歳くらい。
まだ温かく柔らかい体を、縁側の毛布の上に移動したら、
そのあまりの軽さが悲しかったけれど、
その軽さが穏やかな死なのだろうな。
土葬して翌日は雨。
桜の花びらがたくさん振りました。
これは自然の仲間からの香典。
ある種の理想の死にかた
かもしれない。
その土地の顔
というのがある。
宮城の顔、新潟の顔、福島の顔、栃木の顔、横浜の顔、大阪の顔、徳島の顔・・・。
昨今はどこもかしこも均一な街が増えましたが、人の顔は郷土色がでます。
おもしろいのは、栃木県人が大阪に住めば、大阪の顔になる。
大阪でも東京でも、お昼時になるとサラリーマンやOLが食事処に入ります。
外食ですね。
週5日で毎月約21回
盆正月の休みを除いて一年で約240回。
それだけの量を食べて大丈夫なものを食べているのだろうか。
お昼以外の家での食事で、お野菜いっぱい、いろいろ考えて作ったものを食べている人と、そうでもない人ではずいぶんと違う人生になるのだろうな。
ホテルの朝食会場では和洋中と豊富な料理が並びますが、パン食の人も少なくない。
パンは水分量で見れば、ご飯や麺に比べると陽性。
朝は比較的陰性な食事にして交感神経を刺激したほうが、日中活動的に過ごせます。
だから、朝はパンよりご飯が適していると思うけれど、
パンにするなら、野菜や果物やスープをたくさん摂って陰性にするといい。
パンがご飯と決定的に違うのは
ご飯はお米と水が主ですが、
パンは小麦粉と水だけではなく、いろいろなものが含まれています。
そういうものはどうなのだろうか、
とちょっと考えてもいいかな。
人がものを食べている姿を観るのは面白い。
食べる、というのは獣と同じになる瞬間だから、その人の本性が現れる。
最近は口が横に大きい人が多く、おちょぼ口は少ない。
望診法では、口で胃腸の状態を診ますが、陰性なタンパク質が多いから、胃腸が横に広がり、口も大きくなるのでしょうね。
昔と比べるとたんぱく質の摂取量が増えたのがよく分かります。
出張が多いと人と話す機会も多い。
話がうまく進む相手は、
言いたいことの7割くらいだけ言って、全部は言わない。
そうすると、相手が何かを言ってくれる。
ふんふん、そうだねえと聞く。
そうすると、何事もうまくいく。
なんでもかんでも、全部は言わないほうがいい。
たまたま在宅している時に、その日を選んでくれたかのように飼い犬が死にました。
少しづつ食べる量が減って、
好きなものも食べなくなり
運動量も減って、一寸歩いては家に帰りたくなり
寝ている時間が増え
ブラシをかけても嫌がらずじっとしている。
ついには食べることをやめて四日間、暖かい陽の下で寝ころび
吠えることも声を出すことも無くなり、
最後の晩、
あの世へ鳴らす鐘のように 弱々しい遠吠えを2回
ふかふかの柔らかい土の場所を選んで、
自分で末期の水を飲み、
身体を横たえて、眠るように死にました。
特に遺言は無く、おおよそ80歳くらい。
まだ温かく柔らかい体を、縁側の毛布の上に移動したら、
そのあまりの軽さが悲しかったけれど、
その軽さが穏やかな死なのだろうな。
土葬して翌日は雨。
桜の花びらがたくさん振りました。
これは自然の仲間からの香典。
ある種の理想の死にかた
かもしれない。
西遊記で有名な三蔵法師は玄奘(げんじょう)さん。
三蔵とは仏典の総称で、
1、律蔵:規則・道徳・生活様相などをまとめたもの
2、経蔵:お釈迦さまの説いた教えをまとめたもの
3、論蔵: 上記の注釈、解釈などを集めたもの
の三つがあり、その全てを修得した高僧が三蔵法師。玄奘さんの他にもいらっしゃいます。
ところで、
哲学などの学問は客観的なもので、
心とは何か
人生とは何か
などを思惟考察します。
宗教は主観的なもので 、
心を知るためにはどうするか
人生を理解するためにはどうするか
そしてどのように生きるかを実践する
ということです。
三蔵の内、
経と律は、「どうすべきか」という宗教的な部分であり、
論は 「それが何であるか」という理論的解答で、学問的なものです。
「どうすべきか」の主体は瞑想修行。
その内容は止観と言って、
1、心を止める(具体的には、ただ呼吸をするだけ)
2、その心に、観察したものを映し出す
その観察するべきものの代表が四諦、四つの真理。
1、人生には「思い通りにならない」という苦しみがあり
2、その苦しみには原因があり、
3、その原因を取り除けば苦しみは無くなり
4、その取り除く方法は八つの正しい生活法で、最も重要なのが、心の自在を得るための瞑想修行である。
ということ。
三蔵や四諦にある実践方法と解釈は、時代の変遷とともに変わりました。
仏教の中に、色々な考えかたや修行方法ができたのです。
いわゆる小乗仏教では存在の分析が徹底的に行われ、
大乗仏教では心と心の作用が説明されます。
3世紀ごろにまとめられた『華厳経』と
7~8世紀ごろに成立した『大日経』は
それまでの仏教が、此岸から彼岸を見て、つまり、迷いの俗世間の僕らから、悟りの聖なる仏の世界を見て、そちらに行くために六波羅蜜の修行をしながら煩悩を滅し、悟りに近づこうとしたのに対して、
彼岸から俗世間を、悟りの立場から迷いの立場を見ています。
ここへ来るにはどのような過程を通ったのか、を思い出す修行方法です。
彼方に清らかな世界を思いながら、
こちらの迷いの世界から、悟りの世界に届くように唱えるお経があり、
自分の内側から発せらて、自分を包むように唱えられる真言があります。
いずれにしても、仏教は悟りを目指しているのですが、その障害になる非仏教的な考えかたがあります。
『小マールキャ経』などに、
お釈迦さまが、弟子たちから聞かれても答えなかった十無記が書かれています。
無記は「どちらとも決めない」ということ。
それは、
(1)この世は永遠か
(2)この世は永遠でないか
(3)この世は有限か
(4)この世は無限か
(5)魂と身体は同じか
(6)魂と身体は別物か
(7)如来は死後存在しないか
(8)如来は死後存在するか
(9)如来は死後存在し、かつ存在しないのか
(10)如来は死後存在せず、かつしないでもないか
まとめて言えば、
○世界はどのようなものか
○霊魂と肉体の関係
○魂(霊魂)の存続
については答えない、意味が無い質問、という立場です。
このような具体的論理的に説明ができない問題は、悟り、修行、心の安定、煩悩の止滅にまったく役に立たないから、お釈迦さまは答えなかったのです。
どちらと答えても際限ない議論に陥る問題に関わることは修行者の利益にならない、ということ。問題自体がナンセンスだ、と。
中阿含経の巻六十には、
こういう問題に関わることは「智におもむかず、覚におもむかず、涅槃におもむかず」
とあります。
それよりも、
四諦のように、確かに利益のあることをお釈迦さまは説いたのです。
お釈迦さまは答えなかっただけですが、後に大乗仏教になると、
「空」と「縁起」という考えかたで、十無記がなぜ無意味で答える必要が無いかを論証しました。
「空」と「縁起」については、別に記します。
三蔵とは仏典の総称で、
1、律蔵:規則・道徳・生活様相などをまとめたもの
2、経蔵:お釈迦さまの説いた教えをまとめたもの
3、論蔵: 上記の注釈、解釈などを集めたもの
の三つがあり、その全てを修得した高僧が三蔵法師。玄奘さんの他にもいらっしゃいます。
ところで、
哲学などの学問は客観的なもので、
心とは何か
人生とは何か
などを思惟考察します。
宗教は主観的なもので 、
心を知るためにはどうするか
人生を理解するためにはどうするか
そしてどのように生きるかを実践する
ということです。
三蔵の内、
経と律は、「どうすべきか」という宗教的な部分であり、
論は 「それが何であるか」という理論的解答で、学問的なものです。
「どうすべきか」の主体は瞑想修行。
その内容は止観と言って、
1、心を止める(具体的には、ただ呼吸をするだけ)
2、その心に、観察したものを映し出す
その観察するべきものの代表が四諦、四つの真理。
1、人生には「思い通りにならない」という苦しみがあり
2、その苦しみには原因があり、
3、その原因を取り除けば苦しみは無くなり
4、その取り除く方法は八つの正しい生活法で、最も重要なのが、心の自在を得るための瞑想修行である。
ということ。
三蔵や四諦にある実践方法と解釈は、時代の変遷とともに変わりました。
仏教の中に、色々な考えかたや修行方法ができたのです。
いわゆる小乗仏教では存在の分析が徹底的に行われ、
大乗仏教では心と心の作用が説明されます。
3世紀ごろにまとめられた『華厳経』と
7~8世紀ごろに成立した『大日経』は
それまでの仏教が、此岸から彼岸を見て、つまり、迷いの俗世間の僕らから、悟りの聖なる仏の世界を見て、そちらに行くために六波羅蜜の修行をしながら煩悩を滅し、悟りに近づこうとしたのに対して、
彼岸から俗世間を、悟りの立場から迷いの立場を見ています。
ここへ来るにはどのような過程を通ったのか、を思い出す修行方法です。
彼方に清らかな世界を思いながら、
こちらの迷いの世界から、悟りの世界に届くように唱えるお経があり、
自分の内側から発せらて、自分を包むように唱えられる真言があります。
いずれにしても、仏教は悟りを目指しているのですが、その障害になる非仏教的な考えかたがあります。
『小マールキャ経』などに、
お釈迦さまが、弟子たちから聞かれても答えなかった十無記が書かれています。
無記は「どちらとも決めない」ということ。
それは、
(1)この世は永遠か
(2)この世は永遠でないか
(3)この世は有限か
(4)この世は無限か
(5)魂と身体は同じか
(6)魂と身体は別物か
(7)如来は死後存在しないか
(8)如来は死後存在するか
(9)如来は死後存在し、かつ存在しないのか
(10)如来は死後存在せず、かつしないでもないか
まとめて言えば、
○世界はどのようなものか
○霊魂と肉体の関係
○魂(霊魂)の存続
については答えない、意味が無い質問、という立場です。
このような具体的論理的に説明ができない問題は、悟り、修行、心の安定、煩悩の止滅にまったく役に立たないから、お釈迦さまは答えなかったのです。
どちらと答えても際限ない議論に陥る問題に関わることは修行者の利益にならない、ということ。問題自体がナンセンスだ、と。
中阿含経の巻六十には、
こういう問題に関わることは「智におもむかず、覚におもむかず、涅槃におもむかず」
とあります。
それよりも、
四諦のように、確かに利益のあることをお釈迦さまは説いたのです。
お釈迦さまは答えなかっただけですが、後に大乗仏教になると、
「空」と「縁起」という考えかたで、十無記がなぜ無意味で答える必要が無いかを論証しました。
「空」と「縁起」については、別に記します。
生湯葉を買ったら、その包みに
「冷暗所で保管してください」
とある。
冷暗所
字面を見るだけでなんだか不気味。
暗くてじめじめしていて、拷問、お仕置き、折檻などの言葉が思い浮かぶ。
とてもそこでは勉強も仕事も読書も音楽鑑賞も楽しい語らいもできそうにない。
素顔では入れない、ムチや木馬があるようなところではないだろうか。
先ほど、
近所にいる甥っ子が、僕の仕事部屋に遊びに来て、
おじさんの部屋って、暗くて寒いね
と言う。
ああ、ここだったのか。
____________________________
※「眞天庵仏教塾・密教塾」
http:// shinten an.syoy u.net/h oge/Old Entry/1 ?search =&date= 0&categ ory=7&o pen_flg =0&cm_n um=0&
※穀菜食の舎会員ページ
「春から初夏の、心を平安にするメニュー」
野菜の酢揚げ盛り合わせ、ひじきごぼう、究極のお粥、ジャガイモ高野とじ、
ワラビとタケノコの下処理、貝の料理
https:/ /groups .google .com/fo rum/?hl =ja#!to pic/shi ntenan/ fb_jAUD 2UZE
「冷暗所で保管してください」
とある。
冷暗所
字面を見るだけでなんだか不気味。
暗くてじめじめしていて、拷問、お仕置き、折檻などの言葉が思い浮かぶ。
とてもそこでは勉強も仕事も読書も音楽鑑賞も楽しい語らいもできそうにない。
素顔では入れない、ムチや木馬があるようなところではないだろうか。
先ほど、
近所にいる甥っ子が、僕の仕事部屋に遊びに来て、
おじさんの部屋って、暗くて寒いね
と言う。
ああ、ここだったのか。
____________________________
※「眞天庵仏教塾・密教塾」
http://
※穀菜食の舎会員ページ
「春から初夏の、心を平安にするメニュー」
野菜の酢揚げ盛り合わせ、ひじきごぼう、究極のお粥、ジャガイモ高野とじ、
ワラビとタケノコの下処理、貝の料理
https:/
拝むことと、わずかな寄付をすることくらいしかできないのですが、
ネパールの地震による物故者の菩提と、不明者の御無事を祈念しております。
毎朝仏壇や神棚に手を合わせ、ご先祖さまの菩提と、自他の無事を祈る人は多いでしょう。
何よりも、
お先にどうぞ
と祈る。
そうして、自分の生活が始まる。
それが祈り、宗教の出発点であり、究極の姿でもあります。
不安な人が平安になるように、
心が安定するように拝む。
誰か縁者がしあわせになれば、何よりも自分の心が平和になる。
そういうものですから、毎日拝みます。
さて、
哲学や宗教では、
肉体と精神
モノと心
は別なものと考えるグループと、
それは一如である
と考えるグループがあります。
基本的に大乗仏教は同じものと考えており、
特に華厳の蓮華蔵世界と密教世界では、モノと心は同じレベル、これを色心不二と言います。
例えば、華厳経の世界を表している東大寺大仏殿や
今年開創1200年を迎えて記念法会が続く、密教世界を表現した高野山金剛峰寺の大塔や
金堂は、
仏の世界そのものであり、僕たちはそこにいるだけで、仏と一体になれるような工夫があります。
そこは現世が即ち浄土であり、今の姿形が即ち仏である、ということを示しています。
密教の三密行は、
自分の身体、言葉、心が、仏のそれらと同じである
と観想するトレーニング方法ですが、
それは、
自分はすでに仏である、仏と同じである、
という前提でなければ、その自覚が無ければできない修行方法です。
ですから、肉体と精神、モノと心、自分と仏は同じもの
と考えています。
大乗仏教では、
瞑想修行による自分の悟りと、他の救済を同時に目指します。
例えば、
仏像には、立像と坐像があり、
立像は、仏がこちらへ救済に来てくれるお姿。
坐像は坐禅瞑想する形です。
前者は利他を、後者は自利を表します。
また、
仏像が結ぶ手の形・印(いん)にも
坐禅するときにお腹の前に置く定印は瞑想の印
掌をこちらに向けて開いているのは来迎印という救済の形。
つまり、
仏が迎えに来る
という姿と、
我が仏をこの世へ迎える
という形があり、
それは固定したものではなく、僕らの心の状態によって変化します。
拝んでくれる人、気にかけてくれる人、宇宙自然の力
そういうものが我を助け、
自分が努力精進する力
それが自他を救う智慧と慈悲を自分の心に迎えます。
ネパールの地震による物故者の菩提と、不明者の御無事を祈念しております。
毎朝仏壇や神棚に手を合わせ、ご先祖さまの菩提と、自他の無事を祈る人は多いでしょう。
何よりも、
お先にどうぞ
と祈る。
そうして、自分の生活が始まる。
それが祈り、宗教の出発点であり、究極の姿でもあります。
不安な人が平安になるように、
心が安定するように拝む。
誰か縁者がしあわせになれば、何よりも自分の心が平和になる。
そういうものですから、毎日拝みます。
さて、
哲学や宗教では、
肉体と精神
モノと心
は別なものと考えるグループと、
それは一如である
と考えるグループがあります。
基本的に大乗仏教は同じものと考えており、
特に華厳の蓮華蔵世界と密教世界では、モノと心は同じレベル、これを色心不二と言います。
例えば、華厳経の世界を表している東大寺大仏殿や
今年開創1200年を迎えて記念法会が続く、密教世界を表現した高野山金剛峰寺の大塔や
金堂は、
仏の世界そのものであり、僕たちはそこにいるだけで、仏と一体になれるような工夫があります。
そこは現世が即ち浄土であり、今の姿形が即ち仏である、ということを示しています。
密教の三密行は、
自分の身体、言葉、心が、仏のそれらと同じである
と観想するトレーニング方法ですが、
それは、
自分はすでに仏である、仏と同じである、
という前提でなければ、その自覚が無ければできない修行方法です。
ですから、肉体と精神、モノと心、自分と仏は同じもの
と考えています。
大乗仏教では、
瞑想修行による自分の悟りと、他の救済を同時に目指します。
例えば、
仏像には、立像と坐像があり、
立像は、仏がこちらへ救済に来てくれるお姿。
坐像は坐禅瞑想する形です。
前者は利他を、後者は自利を表します。
また、
仏像が結ぶ手の形・印(いん)にも
坐禅するときにお腹の前に置く定印は瞑想の印
掌をこちらに向けて開いているのは来迎印という救済の形。
つまり、
仏が迎えに来る
という姿と、
我が仏をこの世へ迎える
という形があり、
それは固定したものではなく、僕らの心の状態によって変化します。
拝んでくれる人、気にかけてくれる人、宇宙自然の力
そういうものが我を助け、
自分が努力精進する力
それが自他を救う智慧と慈悲を自分の心に迎えます。
家でトンカツと焼き鳥を作った時の、陰陽バランスの良い付け合わせとサイドデッシュを教えてちょうだい
と質問がありまして。
陽性なものには陰性なものですから簡単。手をかけずに陰性な生がいい。
カラシ、レモン、キャベツ、ポテトサラダ、パセリ
きのこ・ネギ・玉ねぎ・もやしの塩コショウスープ 、豆腐とナメコの味噌汁で薬味は山椒
リンゴのデザート
化学的添加物や農薬を使ったものは、そうでないものより陰性ですから、より陽性を消す力があるかもしれない。
それらにある好ましくないものは、クエン酸を含むもので排毒できます。
鶏肉はブタより陽性なので、より陰性にすればいい。
これは、チキンライスをトマトソースで炒める理由と同じ。
トマト、ネギ、しいたけ、とうがらし、わさび
豆腐とネギのスープ
かんきつ類のデザート
どちらも青菜のお浸しをたっぷり添えるといい。
タンパク質は比較的陰性な物質ですが、大豆などと違い、お肉のタンパクは陽性な塩気と仲良しなので、その陽性で排毒しにくい。
そこで、青菜の陰性も使います。
基本的に動物性食品は脂肪とたんぱく質が多いので、
脂肪を溶かす辛味と、たんぱく質を溶かす酸味を添えればいい。
水いぼと帯状疱疹の両症状がある場合、同じ食養でいいの?
という質問がありまして、
食養から見れば同じ手当てです。
オウバク末を使う場合は、ごま油で練ってから患部に塗ります。
陰性な症状なら、手当の飲み物は陽性な梅醤番茶
陽性な症状なら、陰性な大根湯かシイタケスープ
この三つがあれば、ほとんどの手当てに対応できます。
なんていう話を講座でしますが、手ぶらで外出している時は梅干しも醤油もシイタケも大根も無い。
そういう時はコンビニですね。
例えば、街中で陰性過多の症状が出て、何か陽性な手当てをしたいときは、
コンビニで味噌を買う。
熱湯をもらって容器に味噌湯を作って飲む、それでいい。
添加物などの品質が心配なら、それは比較的陰性なので、ライターでも何でもいいから火で焦がして陽性にすればいい。
ネギと乾燥ワカメがあれば、それを加えてインスタント味噌汁に。陰陽両方に対応できます。
陽性症状の時も同じ。
100パーセントのリンゴジュースかミカンジュースを買って飲む。それだけ。
リンゴは大根の、ミカンはシイタケの代わりになります。グレープフルーツでもいい。
それらに酸味が少なく効果に疑問があれば、100パーセントのレモン汁などを入れればいい。
また、
陰陽は水分の多少で変わりますから、品質の期待できないジュースでも、水で割ればより陰性になるので効果が変わります。
腎臓系なら、水にお酢を垂らしたものでも、〇〇レモンでもいい。
肝臓系なら、生姜やニンニクや塩コショウ入りのお湯でもいい。
ウンコが出ていないなら、
左側なら右足先を柔らかくする運動をすれば、取りあえずコンビニにたどり着くまでになんとかなるでしょう。
梅醤と大根とシイタケがあれば安心
というレベルでも良いけれど、
陰陽を知っていれば大丈夫
というレベルのほうが便利で簡単で、迷い不安が無い。
さて、
これから僕が向かうところは何も無い、コンビニも無い。
だから、何かの時には臨機応変に考えなければならないので楽しみ。
________________________________________
【穀菜食の舎 ご案内】
○正会員:年会費 20.000円
(ご家族1名が会員で家族全員有効)
年会費は分割でもお支払可能です。
特典 1、望診法、食養手当法の個人相談が受けられます。
2、穀菜食の舎、陰陽研究塾主催の講座参加費割引
3、料理講座修了者に精進料理教授・食養料理講師認定書を発行。
4、季節の料理や食養手当法などの情報を毎月メールで配信
(郵送の場合は送料2.400円/年)
5、FacebookとLINEの会員ページで随時質問相談できます。
6、穀菜食の舎ブログ閲覧可
○賛助会員:年会費 100.000円
穀菜食の舎運営にご支援いただけるかた。
________________
※個人相談質問は会員に限ります。
________________
○入会方法
ホームページをご覧ください。
http://shintenan.hanagasumi.net/
と質問がありまして。
陽性なものには陰性なものですから簡単。手をかけずに陰性な生がいい。
カラシ、レモン、キャベツ、ポテトサラダ、パセリ
きのこ・ネギ・玉ねぎ・もやしの塩コショウスープ 、豆腐とナメコの味噌汁で薬味は山椒
リンゴのデザート
化学的添加物や農薬を使ったものは、そうでないものより陰性ですから、より陽性を消す力があるかもしれない。
それらにある好ましくないものは、クエン酸を含むもので排毒できます。
鶏肉はブタより陽性なので、より陰性にすればいい。
これは、チキンライスをトマトソースで炒める理由と同じ。
トマト、ネギ、しいたけ、とうがらし、わさび
豆腐とネギのスープ
かんきつ類のデザート
どちらも青菜のお浸しをたっぷり添えるといい。
タンパク質は比較的陰性な物質ですが、大豆などと違い、お肉のタンパクは陽性な塩気と仲良しなので、その陽性で排毒しにくい。
そこで、青菜の陰性も使います。
基本的に動物性食品は脂肪とたんぱく質が多いので、
脂肪を溶かす辛味と、たんぱく質を溶かす酸味を添えればいい。
水いぼと帯状疱疹の両症状がある場合、同じ食養でいいの?
という質問がありまして、
食養から見れば同じ手当てです。
オウバク末を使う場合は、ごま油で練ってから患部に塗ります。
陰性な症状なら、手当の飲み物は陽性な梅醤番茶
陽性な症状なら、陰性な大根湯かシイタケスープ
この三つがあれば、ほとんどの手当てに対応できます。
なんていう話を講座でしますが、手ぶらで外出している時は梅干しも醤油もシイタケも大根も無い。
そういう時はコンビニですね。
例えば、街中で陰性過多の症状が出て、何か陽性な手当てをしたいときは、
コンビニで味噌を買う。
熱湯をもらって容器に味噌湯を作って飲む、それでいい。
添加物などの品質が心配なら、それは比較的陰性なので、ライターでも何でもいいから火で焦がして陽性にすればいい。
ネギと乾燥ワカメがあれば、それを加えてインスタント味噌汁に。陰陽両方に対応できます。
陽性症状の時も同じ。
100パーセントのリンゴジュースかミカンジュースを買って飲む。それだけ。
リンゴは大根の、ミカンはシイタケの代わりになります。グレープフルーツでもいい。
それらに酸味が少なく効果に疑問があれば、100パーセントのレモン汁などを入れればいい。
また、
陰陽は水分の多少で変わりますから、品質の期待できないジュースでも、水で割ればより陰性になるので効果が変わります。
腎臓系なら、水にお酢を垂らしたものでも、〇〇レモンでもいい。
肝臓系なら、生姜やニンニクや塩コショウ入りのお湯でもいい。
ウンコが出ていないなら、
左側なら右足先を柔らかくする運動をすれば、取りあえずコンビニにたどり着くまでになんとかなるでしょう。
梅醤と大根とシイタケがあれば安心
というレベルでも良いけれど、
陰陽を知っていれば大丈夫
というレベルのほうが便利で簡単で、迷い不安が無い。
さて、
これから僕が向かうところは何も無い、コンビニも無い。
だから、何かの時には臨機応変に考えなければならないので楽しみ。
________________________________________
【穀菜食の舎 ご案内】
○正会員:年会費 20.000円
(ご家族1名が会員で家族全員有効)
年会費は分割でもお支払可能です。
特典 1、望診法、食養手当法の個人相談が受けられます。
2、穀菜食の舎、陰陽研究塾主催の講座参加費割引
3、料理講座修了者に精進料理教授・食養料理講師認定書を発行。
4、季節の料理や食養手当法などの情報を毎月メールで配信
(郵送の場合は送料2.400円/年)
5、FacebookとLINEの会員ページで随時質問相談できます。
6、穀菜食の舎ブログ閲覧可
○賛助会員:年会費 100.000円
穀菜食の舎運営にご支援いただけるかた。
________________
※個人相談質問は会員に限ります。
________________
○入会方法
ホームページをご覧ください。
http://shintenan.hanagasumi.net/
本日はお不動さんの縁日でございまして、
小さな護摩を修法して皆様のご祈願と、被災地の安全をを祈念いたしました。
どうぞ、皆さまも平安をお祈りください。
さて、
料理は自由自在で臨機応変、そして目につくものを生かします。
その家庭の台所に合う方法で
その家族の嗜好体調に合う料理。
素材の下処理も、その時その場所の都合が良いように仕上げます。
旬のタケノコは陽性な直火で陰性なアクを焼き消すのが一番いい。
200度で40~60分。たき火や炭火ならもっといい。
ヌカや唐辛子でアク抜きをするのは、陰性と陰性を合わせて陽性にするテクニックですが、
タケノコに山椒を添えるのも、陰性な味を重ねて陽性な風味を引き出すため。
高野豆腐は野菜スープや味噌汁の残りで戻します。陽性な塩気があれば、キュッとしまって崩れない。
これを揚げ物にすれば、精力改善、あちら方面にもよろしい
その残り油で
タケノコ、炒り玄米、古い味噌と油味噌にします。
これはあらゆる陰性毒を消します。
フキは塩ゆでしてから皮をむき、薄味の昆布出汁に浸します。これ以上火は入れない。
香り良く美しく、フキの味が良い。
陰性なフキを陰性に料理して、炊いたお揚げの油(含まれるビタミンEは脂溶性なので陽性)と合えばバランスがとれます。
____________________________________
※ 不動明王護摩供
5月17日 12時半から
徳島県鳴門市撫養町木津 不動院
(JR鳴門線 金比羅前駅下車 金毘羅神社がある山の頂上)
徒歩でしか上がれない山のお堂で、護摩を修法します。
どうぞ、御修行、お参りにお越しください。
____________________________________
※精進料理教室の予定(それぞれリンク先にお問い合わせください)
・吹田市
「PINO]
http:// salon-p ino.com /
・箕面市
「ふたば整骨院」
http:// futaba- seikotu in.jimd o.com/
・福島県郡山市
「サンアイ」
http:// macrobi oticweb .com/in dex.cgi ?actmod e=ShopD etail&s hopid=9 3
・福島県いわき市
「平コノイエ」
http:// r.gnavi .co.jp/ 1b4btp1 b0000/
・横浜
「ここちえのき」
http:// cocochi enoki.b logspot .jp/sea rch/lab el/%E9% A0%88%E 6%B0%B8 %E5%92% 8C%E5%B 0%9A
・門前仲町
「おなかま」
https:/ /www.fa cebook. com/eve nts/811 6524289 08846/8 1867639 8206449 /
小さな護摩を修法して皆様のご祈願と、被災地の安全をを祈念いたしました。
どうぞ、皆さまも平安をお祈りください。
さて、
料理は自由自在で臨機応変、そして目につくものを生かします。
その家庭の台所に合う方法で
その家族の嗜好体調に合う料理。
素材の下処理も、その時その場所の都合が良いように仕上げます。
旬のタケノコは陽性な直火で陰性なアクを焼き消すのが一番いい。
200度で40~60分。たき火や炭火ならもっといい。
ヌカや唐辛子でアク抜きをするのは、陰性と陰性を合わせて陽性にするテクニックですが、
タケノコに山椒を添えるのも、陰性な味を重ねて陽性な風味を引き出すため。
高野豆腐は野菜スープや味噌汁の残りで戻します。陽性な塩気があれば、キュッとしまって崩れない。
これを揚げ物にすれば、精力改善、あちら方面にもよろしい
その残り油で
タケノコ、炒り玄米、古い味噌と油味噌にします。
これはあらゆる陰性毒を消します。
フキは塩ゆでしてから皮をむき、薄味の昆布出汁に浸します。これ以上火は入れない。
香り良く美しく、フキの味が良い。
陰性なフキを陰性に料理して、炊いたお揚げの油(含まれるビタミンEは脂溶性なので陽性)と合えばバランスがとれます。
____________________________________
※ 不動明王護摩供
5月17日 12時半から
徳島県鳴門市撫養町木津 不動院
(JR鳴門線 金比羅前駅下車 金毘羅神社がある山の頂上)
徒歩でしか上がれない山のお堂で、護摩を修法します。
どうぞ、御修行、お参りにお越しください。
____________________________________
※精進料理教室の予定(それぞれリンク先にお問い合わせください)
・吹田市
「PINO]
http://
・箕面市
「ふたば整骨院」
http://
・福島県郡山市
「サンアイ」
http://
・福島県いわき市
「平コノイエ」
http://
・横浜
「ここちえのき」
http://
・門前仲町
「おなかま」
https:/