降下剤の働きは陰性であり、副作用の症状は陽性。
高血圧の降圧剤と食べ物
https://groups.google.com/forum/?hl=ja#!topic/inyoukenkyu/NqhSNal_CU4
学校では先生が、会社では上司が、家庭では親が言ったから、
著名な人や評判の良い人や信用している人の発言だから、
という理由で信じ、場合によっては信じた人の将来を決めることになる。
撤回できるということは、信用するに足りない人たち、ということなのだろうな。
庶民の間では、
一度発言したことが一生ついてまわり、人格を決められてしまうこともある。
あの時、言ったじゃないの!、と。
二世三世でも、政治には素人でも、選挙という関門を通り抜けるのだから、
努力もしないで世襲するよりはマシかもしれないけれど、
政治家の生命線は、洞察して話をする能力だと思うなあ。
それはさておき、
手相の生命線は消化器の状態が現れます。
短くなるのは陽性
陰性にすれば長くなる。
消化器が不調になれば、生命線に向かって横線が増える。これを障碍線と云う。
縦線は陽性で、横線は陰性の結果です。
だから、
きれいな陰性にすれば生命線は伸び、
お腹の調子がよくなれば横線は消えます。
手相の線で大切なのは、長さや太さよりも色艶。
桜色なら体調が良く、
陽性過多なら黒っぽくなり、
陰性過多なら白くなる。
それから、
親指根本の丘は大腸の状態、
小指舌の丘は小腸の状態、
ここも色艶がよければ、体調がよろしい。
いずれも、
陽性過多なら水分、夏野菜、酸味、辛味をたくさん摂り、運動して発汗し、
陰性過多ならご飯、味噌汁、漬物、おこげをゆっくり食べて、お腹と足を温める。
発言を撤回するようなセンセの生命線は、
どのようになっているのだろうか。
それぞれ役割と配置が決まっています。
(善通寺「密教マンダラ展」図録より)
マンダラは「悟らざる者に開示」したもので、
凡人に分かりやすいように、悟りの世界、宇宙(の真如)の本体、姿、働きを図画で表しています。
多くの仏の中心が大日如来。これが実相。
顔がひとつ、手足は二本ずつ、きれいな服を着て、冠をかぶり宝石で飾られた、僕らと同じ姿です。
あなたも大日如来が変身した姿と考えてよろしい。
他の仏は大日の役割を分担しています。
多くの仏があって大日がある。大日があって多くの仏がある。
宇宙には、
多くの星、大気、水、元素があって、ひとつの宇宙になている。
地球は、
多くのいのちが集まって、ひとつの地球になっている。
僕らの身体には、
多くの細胞のいのちが集まって、僕というひとつの命を作っている。
どれもが、代謝して循環して変化しています。
だから、
僕らの身体もマンダラです。
このマンダラを観想します。
この身は宇宙であり、曼荼羅。
仏が充満して、すべてが仏(細胞、眷属)
存在は仏である。
他のいのちも同じだから、
僕の中にマンダラがあると同時に、
他のいのちで構成されたマンダラの中に僕がいる。
まず、
リラックスした姿勢で坐ります。
両ヒザの上かヘソの前に、掌を上に向けて置きます。
こうすることでリラックスする。
呼吸は鼻だけで行います。口を閉じて。
呼気の時にお腹を引っ込め、数秒止息する練習をすると、
集中力と内臓を鍛えるのに効果的です。
ゆっくりとした呼吸に慣れたら、
身中に多くのいのちがあり、それが自分の命になっていると観想します。
マンダラのように、宇宙のように、海の中のように、地球全体のようである、
とイメージしてもよいでしょう。
自分の中に宇宙があり(きらいな人も嫌なことも、そこにあります)
宇宙の中に自分がいる。
自分以外のいのちも同じです。
家族、地域社会もみんなでひとつ。
3分間程度瞑想したら、身体をなでるよう動かして深呼吸をし、坐を立ちます。
以上。
自分以外の「いのち」について考えることを慈悲といいます。
この瞑想を続けることで、
注意力や集中力が身につき、
慈悲の心が育ち、穏やかになります。
そして、ストレスから開放され、心身のバランスが良くなるので、さまざまな病気の予防につながるでしょう。
大切なことは、毎日続けること。
勉強すれば成績が上がり、
練習すれば上手になるように、
心のトレーニングも続けることで調います。
心は自由で奔放、自分勝手なので、
それを制御するための単純な繰り返しは、心の純化にとても有効です。
http://
本能的情動的に生きていれば、自然の制約を受けているので心は何もしなくてOK。
心が動くと、それは自由なので、自我が生じます。
自己を認識して、
私、私のもの
などが生まれ、
自己があれば他者ができます。
そこから愛も憎しみも生まれる。
自己と他者があれば、
そこにコミュニケーションが生まれ、言葉が発生します。
自由があり言葉がある、という人間の特徴ですね。
本能的な行動でも、
食事や生きるための攻撃、生殖行動などのコミュニーケーションはありますが、
自由意志がある場合、
もっと複雑な関係が生まれます。そこで言葉が必要になる。
言葉によって抽象的概念的なものを持ち、
論理的思考を持ちます。
それが心の内容を伝える。
その言葉は、
すべて如来の説法である、
というのが密教の立場です。
人の言葉はもちろん、
風の音、カエルの鳴き声、みな仏の説法。
耳に届くものだけではなく、
匂いも味も景色もそう。
密教では、
悟りの境涯は言葉で説明することができ、
仏は自ら説法しているな
という立場です。
ドイツ語やフランス語を知らなければ、話されてもわからないけれど、
勉強して慣れれば理解できます。
同じように、
仏の言葉も修練すれば理解できる。
嫌いな人の言葉も、悟りへ導く言葉である。
というようなことは知識では理解できますが、
そのレベルではあまり意味がない。
『声字実相義』には、
それ如来の説法は必ず文字による。
文字の所在は六塵(色・声・香・味・触・法)その体なり。
六塵の本は法仏の三密これなり。
いわゆる声字実相とはすなわちこれ法仏平等の三密、衆生本有の曼荼なり
とあり、
さらに、
五大(存在)にみな響あり 十界に言語を具す
六塵ことごとく文字なり 法身はこれ実相なり
つまり、
知らなければただの石ころが、知っていれば宝石であるようなもので、
知っていれば、感じるものが如来の説法として受け止められます。
それを知識だけではなく、心身にしみこませる方法のひとつが、
念誦。
真言を念誦することで、
一切の事物、意識の対象がマンダラや一大経典であり、
仏(真如)の本質と姿と働きである、
と体得できます。
身近に大切でありがたい存在がある。それがなければ生きていけないような存在。
でも、大切でありがたいという知識ではあまり意味はない。
その人の名を呼ぶことで、
その人の真実が身体にしみこむように。
長いもをスライスして酢で洗い、
塩と粉ワサビを振って和え、
お皿に盛ってオクラを載せる。
混ぜればネバネバ。
納豆もよく練ってネバネバになるほどうまい、豆の香りが立つ。
こういう類はネバがうまいので、
それだけあれば、イモやオクラや豆は無くてもいい。
ネバだけでいい。
ネバと醤油で、ご飯を何杯でも食べることができる。
このネバは無から生じたのではない。
ネバになる要素から、ちょっとしたきっかけで生じたもの。
僕らの中から仏が出てくるのと同じである。
これを食べてもネバの本性がなくなるわけではなく、
体内で変化して何かになる。
つまり、
ネバに始まりや終わりは無く、
本来不生不滅である。
不生不滅なものはあらゆるものを超越し、
存在そのものが真実である、
という証拠。
東海林さだおが「納豆 ネバこそ命」で、
ネバー ギブ アップ
と云っているのは正しい。
____________________________________
※陰陽研究塾の過去トピックは下記の通りです。
https://groups.google.com/
・カルシウムサプリメントの問題点
・リチウム製剤と躁鬱病
・高血圧の降圧剤を代替する食べ物
・ディスカッション コレステロール降下剤を代替する食べ物
・元気な日中と安らかな夜のための食事
・安倍首相を望診してみる
・痔の治しかた
・PM2.5と黄砂について
・夏のお餅
・心臓が左ではなく正中にある理由
・脳と食事
・タバコと甲状腺の関係
・心臓の違和感
・ひじきに含まれる砒素について
・遺伝と病気について
・タバコの陰陽
・病気になる食卓
・心病の治しかた
・極度の貧血、精神病について
・五本指ソックスと認知症の関係
・アトピー、うつ、ガン、認知症の関係
・冬の症状
・インフルエンザに罹るか罹らないかの違い
・睡眠の陰陽
・牛乳がどのように身体に影響するか陰陽で考える
・果物とスィーツ
・病気・健康という妄想
・現代医学が治せる範囲
・結石とピロリ菌の関係
・頭が良い、悪いの違い:脳に関する陰陽的考察
・水素、その他栄養素の陰陽
・発生学から考える内蔵と心の関係
・陰性なものの排毒について
・陰陽の比率を5:1としているのは正しいのだろうか。
・野菜をどれくらい食べれば良いのだろうか
・ビール、発泡酒、ノンアルコールビールの陰陽
・身病の治しかた
・心病の治しかた
・家族友人の様子を手相から知る
・柔らかい食べ物と固い食べ物の違い
・玄米の陰陽
・動物性たんぱく質と植物性たんぱく質の陰陽
・ガンになる組み合わせ
・仲直りの料理 初夏版
・乾燥野菜の陰陽について
・スムージーとスーパードライに共通する問題点
・死相について
・精神を安定させる食事メニュー
・漢字の話
・大事に至らない子育てのコツ
・ガンについて:食養から見た原因と手当てのメニュー
東京が最も暑く、東京の人が最も肌が汚い。
シミや吹き出物が多いですね、老若男女みんな。
田舎では長袖長ズボンでマスクもして、
日焼けや虫を避けるために、肌を隠して仕事をするけれど、
都会は電車でもビルの中でも、みんな薄着で肌が見えるから、汚いのがよくわかる。
皮膚が汚いのは一般的に腎臓の機能低下で、タンパク質の摂りすぎか、怖れが強い 。
望診法では肌のシミや吹き出物の色と形態で陰陽を判断し、
それがある場所の臓器を手当てします。
陰陽に間違いがなければ治すことも簡単。
例えば、
婦人科系に何かあれば人中や頬骨にニキビができ、
便秘なら眉周辺
糖尿なら後頭部
もっとも多いのは、
額や頬に肝斑が出ている。
肝臓が悪いのは、脂肪と薬物と化学物質の過剰 & 運動と発汗の不足です。
そして、イライラしているうちは汚いままでしょう。
それから、
都会の若者は足が長いですね。
足より胴が短いなら、腸も短いはずです。
僕らおっさんのように胴長短足は腸が長いけれど、
彼らは短い。
ということは食べ物、生活法も僕らと違うべきである。
腸に合った生活をしてる人が健康幸運で、そうでない人がそうでないのだろうな。
自宅より図書館のほうが勉強しやすいし、
喧騒の中より静かな道場のほうが修行に向いている。
話しやすい場所、食べてうまい場所、
心が平安になる場所もある。
達人はどこでも関係なくその力を発揮できるけれど、
凡人には場所の力が大きい。
今月8日は長野県飯田市立石寺で、
地元の長石寺・岩堀秀明住職、中津川の仏師・木村光秀僧正にお手伝いいだき施餓鬼の法会。
立石寺については以前書きましたが、
http://shintenan.syoyu.net/%E7%9C%9E%E5%A4%A9%E5%BA%B5%E4%BB%8F%E6%95%99%E5%A1%BE%E3%83%BB%E5%AF%86%E6%95%99%E5%A1%BE/%E7%AB%8B%E7%9F%B3%E5%AF%BA%E6%9C%AC%E5%A0%82%E8%AB%B8%E5%B0%8A%E6%84%9A%E8%A6%8B
日本むかし話に出てくるような美しい山村にあります。
古い本堂と育ちすぎたくらいの古木。
長い時間が作った何かがたくさんある。
自分が幸せになることと、他人の苦しみを抜いて救うことは、
自分の心を知ることで同時に達成できます。
具体的には、
自我への執着と、「もの」への執着を断絶すること。
これによって、
不安と悩みが無くなり、知るべきものを知ることができます。
普段の生活では、とても難しいけれど、
場所の力を借りて体得できるでしょう。
諸行は無常なので、
古いお堂はいつか壊れたり建て直され、
大きな木も枯れたり切られたりするかもしれない。
それによって場所のお蔭も変るだろうな。
一昨日は15時半過ぎから雷と豪雨が1時間以上続いて、
尺玉が近くで上がっているようだった。
変電所に落雷して、
16時過ぎから21時まで停電。
九州の被災地に比べれば、たいしたことは無いけれど、蒸し暑かった。
夕飯時だから、みなさん工夫したみたい。
雨が上がり、暑いので外へ出ると、
親戚の家にお風呂を借りに行く高校生や、
ロウソク貸して、というおばさんと会う。
さて、
停電時には、
机仕事ならローソクで良いけれど、
動いたり料理するにはヘッドランプ。
両手が使えるので便利。角度を変えられるから、手元を照らせる。
玄関や階段の下には、電池式のセンサーライト。
特に、子どもや年寄りがいるなら必須にしよう。
今回失敗したのは、
携帯電話の充電器に余裕が無かったこと。普段から満タンにしておこう。
停電時、パソコンで仕事中だったので、
いきなり電源が落ちてびっくりした。
普段、定期的にバックアップをとることも大事。
福島で被災して以来、
運転したら帰宅前にガソリンを満タンにする習慣になっている。
あの時、
ガソリンが無くて、とても困ったから。
その他、普段とおなじだけれど、
蚊取り線香、貯め置きの水、地方局のラジオ放送は役に立ちます。
いざという時は、
田舎なので立ちションや薪で火をおこすことができるけれど、
都会はもっと工夫がいるのだろうな。
温かさと塩気とたんぱく質の陽性が胃の蠕動を促すから。
何でも具になる味噌汁だけれど、
なめこ、シメジ、エノキ、ネギ、サトイモ、豆腐など、
ヌルヌルしたり、ヌルヌルにできるものがうまい。
それらは陰性なので、陽性な味噌に合う、ということ。
ヌルヌルはアクの一種であり、成分はマグネシウム。
マグネシウムは身体に必要な元素だけれど、
陰陽で見れば中間の元素。
そして、
マグネシウムとカルシウムは、
陽性なナトリウムと陰性なカリウムの関係と同じ働きをする。
でも、その陰陽差は小さいから、判断が難しいかな。
マグネシウムは体内でアルカリを作る元素で、カルシウムとリンとに深く関わる。
また、
マグネシウムは色欲と関係がありそうで、
精子を放出させるためにはマグネシウムが必要。要するに強精剤ですな。
だから、
助平はヌルヌルを好むかもしれない。
体内では、
マグネシウムが増えるとリンも増加する。
リンとカルシウムは逆相関関係なので、
リンが増えればカルシウムが減り、身体は酸性化する。
(カルシウムと比べて、リンの比率が高いほど身体を酸性にするけれど、
もちろん、酸アルカリで酸性になるということではない)
このリンとカルシムは両方とも陰性なので、これだけでは健康につながらない。
陽性なナトリウム、炭素、水素が必要(つまり、塩気、カロリー(火)、水)
なので、
ヌルヌルが多いと身体が酸化して力が出るけれど、
カルシウムと一緒に摂らなければ細胞が老化する。
玄米菜食者に肌が汚れて身体が硬い(つまり老化している)傾向があるのは、
玄米にはマグネシウムが多く、
副食にカルシウムが少ないからだろうな。
いずれにしても、
マグネシウムの多いもの(アクのあるもの)はうまいのである。
自然科学はもちろん、
政治や経済も、文学や芸術も。
それを体制側の都合で、
何年もの間、学者を葬り続けてきた国に未来はない。
かの国でも日本でもどこでも、
学問をする学生、学者を僕は心から応援しています。
身体も心も、
何もかもが
なぜ存在しているのかを分析してみると、
すべてが本来不生不滅であることがわかります。
例えば、
モノが何で構成されているかと探してみれば、
元素である。
その元素は素粒子からできており、
その素粒子は、と探ると何か大本が見つかる、ということにはならない。
密教では、
真空妙有と云い、
万法の根源は本来有るものである、
とします。
もし、
何か根本的な大本になる存在があるとしたら、
それが縁から生じたと云えないし、
神が創造したなどの、自然に生まれた、とも言えない。
それらの意見は遍計所執(へんげしょしゅう)と云って、
概念的に実体があるように妄想されたものです。
このように、
存在を肯定して、生まれたものでも滅するものでもない、
という思惟は、
自分の心を知ろうと勉強修行し、
自分以外の心にも寄り添うようにして、
自他の心の平安を求めようと実生活で工夫することで得られる智慧です。
これは、 実のごとく自分の心を知ることになる。
それを、仏教では悟りと云います。
どんな思想も宗教も、
過去の歴史も、
すべて本来有るものです。
抹殺してはいけない。
_____________________________
僕もあなたも、草も石ころも、
存在は真如です。
宇宙法界は地水火風空識の入れ物で、
地水火風空は識を表現するもの
というのが密教の考えかた。
『大日経』具縁品には、
我覚本不生 出過語言道 諸過得解脱 遠離於因縁 知空等虚空
とある。
8月のお盆は長野と徳島で拝みます。
暑いですが、暑いだけのことですから、毎日楽しく過ごしましょう。
さて、
田舎の小さな寺とご縁ができて、関係者といろいろ話をしています。
山村で檀家は少ない。
少し前に、
檀家のお子さん夫婦が創価学会に入信して、
お父さんたちもそれに従ったので檀家を離れた、
とのこと。
まあ、信仰は自由ですからかまわないけれど、この寺は檀家になるのも辞めるのも、出入り自由。
ああ、そうですか、という感じ。
僕は今までのご縁で、御祈祷ご回向を続けている人がいますが、
何人かがその寺の檀家に入れてくれ、と云ってくれます。
はいはい、どうぞ、
という感じ。
檀家とは檀那(旦那)の家で
旦那とはサンスクリット語・ダーナ(dāna)で、意味は施しをする人。
布施ですね。
旦那さんとは施しをする人。
現代日本は資本主義で、何でも値段と質を自由に選べます。
安いところから買う、
とか、
クオリティが高いから使う
など、自分で選ぶ。
檀家制度もそのようにすれば良いのですが、そうもいかない事情がいろいろあるようです。
お釈迦さんもお大師さんも、
その人柄が素晴らしいからファンが集まり、応援してくれました。
お寺やお坊さんも、
制度的なものではなく、心の交流でお付き合いする関係があります。
人が集まり、みんなで勉強修行して、
悟りを求めて楽しく暮らせるようなファンクラブ的関係。
でも、
ファンクラブなら、
会員限定サイン入りグッズとか、
握手会とか、
外に何が必要になるのかな。
暑いときは水分補給が大切ですが、
陰性なカリウムとカルシウムが多い、
葉野菜(青い野菜、青い豆類)
夏野菜(トマト、キュウリ、ズッキーニ、ナス)
をたくさんとれば、身体が冷め、(脳内の)血液が薄くなって血行が良くなり
いろいろなトラブルの予防になります。
朝は陰性なもの(水分が多い汁・スープなど)
夜は陽性なもの(塩気の効いたもの)
にすると、自律神経が安定して、過ごしやすくなります。
(昼に活発になる交感神経は陰性なもので、
リラックスさせる副交感神経は陽性なもので刺激されます)
日中は十分に発汗して脱塩しましょう。
暑いですが、みなさまお大事にぽ過ごし下さい。
さて、
穀菜食の舎と陰陽研究塾の会員向けに、毎月メールサービスをお送りしていますが、
年会費未納のかたへは、今月で配信を停止いたしますので、 ご了承ください。
来月以降も購読をご希望のかたは、年会費をお支払いください。
よろしくお願いいたします。
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(穀菜食の舎賛助会員と陰陽研究塾の年会費には、
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須永 晃仁
Ⓒ眞天庵・穀菜食の舎
ピンク・フロイド時代から、ロジャーはいつも怒っている。
怒りは救いようのない煩悩なのだけれど、
大欲があれば、それは悟りの手段に変わります。
怒りという識が、救済の方便になる。
それは個人的な煩悩ではなく、大きな怒り。
ロジャーは、
戦争や社会の不平等や政治の腐敗や、そういうものに対して怒っている。
その怒りは荘厳で美しい。
きわめて密教的な尊格である十一面観音には、暴悪大咲面があります。
怒りながら笑う顔。
怒りがあっても、それにとらわれない、余裕がある怒り。
『理趣経』には、
微笑而怒頻眉猛視
金剛忿怒大咲心
など、
微笑しながら怒る、という表現があります。
この怒りは善悪を超越しているから、
困った心を怒りによって悟りへ引きづりこむ力がある。
真っ暗な怒りではなく、光明のある怒り。
自分の好き嫌いではなく、
苦しんでいる人を救いたいと願う怒り。
でもねえ、
毎日暑いから、
怒るのは面倒くさい。
それに、
怒るのは陽性過多です。
それを消せばいい。
陽性な夏に、陽性な症状が出るなら、
それは、ずいぶんバランスが悪いのだろうな。
高野とゴボウを素揚げして残り油を無くし、生姜と煮込む。
ビシソワーズを作りすぎたので、カレーに変身させる。
このようなリサイクル料理は 、
迷いを智慧に、
煩悩を覚りに変えることと似ている。
心をリサイクルするのが転迷開悟のひとつ。
それはさておき、
昔の戦争は領土領地を広げるためだったのに、最近はただの人殺しになっていますね。
そんな戦争を、たぶん儲かるからか、やりたい人がいて、
平和な世の中を願う人もいる。
これは、
商売繁盛や合格祈願などと似ています。
こちらが儲かれば、どこかで儲からない人がいて、
僕が合格すれば、誰かが不合格になる。
ということは、
他人の失敗や損失を願うことになります。
全員がお金持ちにはなれず、
全員が合格できないように、
戦争を無くして平和になることは難しい。
なぜなら、
これらは両立不可能、且つ二者択一不可避だから。
これは津田真一博士が、
『大日経』と『金剛頂経』の関係について使う言葉です。
こういう類の願いは、
そのためにうーんと努力して、
かなわなければそれまでのこと、
と思うべきかもしれない。
でも、
自分の心身に関する願いは、努力工夫すれば必ずかないます。
宗教、特に仏教は身病と心病を治すもので、
初期仏教では、
「身心の一切について無常の事実を知り、自分の心身を厭う思いを起こし、心身のうえに起こす喜や貪の心を価値のないものと斥ける」
などの修行によって病を治すとしています。
身病については、律蔵の経典や『金光明最勝王経』に見られ、
心病の治しかたは、
『三昧耶戒序』や『十住心論』に詳しい。
仏教が得意とするのは、
栄養学、薬物学、断食を含む食事療法、精神身体医学などと、
ヨーガ経典にもとづく坐法、調息、保息、凝念、静慮、自律訓練法
ですが、
特に、心病の根本原因は根源的な無知なので、
それを消せば、心の平和を得ることができます。
具体的には、
自分にとって最良の道を求める瞑想
やさしさと思いやりを育てる慈悲の瞑想
自分の心を実の如く知る瞑想
の三つ。
心の平和がかなえば、苦しみ、迷い、悩みといった心の病気は改善し、
常に楽観的積極的で明るい思考になり、
もし、ひとりでも多くの人がそうなれば、
戦争がなくなり、世界が平和になる可能性はあります。
舌は先端が心臓、小腸とつながっている。手の小指と同じですね。
その奥が胃、だからそこで甘味を感じる。
そのまた奥が腎臓で、咽喉に近いところが食道
両側が肝臓。
内臓が陰性になれば舌は白く、陽性なら赤くなります。
さらに、
夏は自我が刺激される時期です。
自我は自他を差別する煩悩ですが、
あらゆるものを隔てなく平等に観るトレーニングによって、智慧に転換されます。
それはさておき、
昨日も裏の山で竹刈りをしましたが、
都会の人に話すと、実際とは違うイメージを持つみたい。
裏(うら)は隣(となり)のことです。
裏の家と云えば、隣の家。
山は森のこと。
mountain ではなく、 forest またはwoods
これって、栃木弁なのかしら。
「オニムシ」はクワガタ虫のことで、
「らいさま」が雷なのは、当地の方言だろうけれど。
こちらで雷が多いことは以前に書きましたが、
神さまのひとつと思われているのかもしれない。
暑くなると、特にお年寄りは、
あぁー、こわい、こわい。
とよく言います。
これは、
疲れた
という意味。
若い人も使うのが「だいじ」
何か具合が悪そうな友達や、トラブルに遭ったときに、
だいじ?
と聞きます。
大丈夫?
ということです。「大事」ではない。
棚経でご自宅へ伺うと、
「こわい」と「だいじ」をよく聞きます。
朝日3丁目で降り、郡山保健所方面へ向かって歩き、
左にJAが見えた所で、右側の長屋のひとつにあるのが「奈良木」
てんぷら屋さんです。
息子ふたりを連れて行くときは、
電話をしてカウンター席を予約する。
そうしないと、息子らが何回もおかわりするので、ご飯がなくなってしまう。
ここがうまいのは、すべての温度がちょうど良いから。
ご飯が、いちばんおいしい温度になっている。
味噌汁(しじみ汁)も、いちばんうまい温度で出される。
もちろん、
最初のお茶も、ビールもお燗も。
季節に応じておいしい温度で出てくる。
テンプラの種は豊富で、
野菜は自家農園の採りたて。だから、旬のものがうまい。
油消しに、
大根おろし、自家製のなますとヌカ漬け。これらもお代わりをする、うまいから。
都会の有名店でも、
この油消しが足りない店がほとんどである。
天つゆの他、カウンターには醤油、塩、岩塩が置いてある。
「これは塩で食べてください」
なんて失礼なことは何も言わない。
どう食べてもうまいように、
大将は黙々と揚げる。
そして、
頻繁に油を濾して入れ替える。常に透明できれいな油で揚げている。
酒の種類も豊富で、会津や東北の一級品を揃えており、
どの酒も、注文どおり燗をしてくれる。
これは冷やです、お燗はできません、などと失礼なことは言わない。
お金をもらう、というのはこういうレベルのことなのだろうな。
息子らは揚げたてを自分好みで食べ、ご飯をお代わりする。
うまいものを食べるのは楽しい。
僕は38年前、高校3年生の夏休み、
一ヶ月ほど南米べネズエラのマラカイという町の空手道場にホームステイをしていた。
大将もそのころ、隣のカラカス市でテンプラを揚げていたらしい。
大小便や呼吸でも排毒されますが、
汗は陽性(新しい塩気)を排泄します、古いものはお小水で。
さらに、
汗は便で出にくい化学的な物質も排泄します。
そして、
陰性なカリウムの多い夏野菜や麦、果物を「たくさん」摂ることで、
排毒は促されます。
だから、汗やおしっこを制限してはいけないし、
陽性なものが多いと、それが阻害されてしまいます。
陰性なものが多くて、陽性が少ないほど、涼しい夏になる。
食べ物で陰陽のバランスをとるなら、
ゆで卵1個でトマト(大)1個
焼肉100グラムなら、玉ねぎ1個+ジャガイモ1個
マグロ赤身100gに大根100gくらい。
もちろん、水分、香辛料、フルーツなどの陰性と合わせれば、もっと少なくてもいい。
それはさておき、
早起きして涼しいうちに用事をすれば気分が良い。
真如(仏)は、
自然界のすべてで表現されているから、
鳥の声も風の音も仏の説法。
涼しい朝なら、
それをゆっくり聞く余裕が生まれます。
自分自身も、等流法身(とうるほっしん)という仏です。
仏にともなる身、ということ。
それを認識する方法のひとつは、
昨日のこと、昨夜みた夢のこと、今日の予定などを、
よくよく考えること。
いろいろなことを考え思う心の集合体が自分です。
そして、
自分の心で思い感じることを、それぞれの段階において確認します。
ああ、あれでよかった、
または、
次はもっと良くしよう、ちょっと改善しよう
などと。
都合の悪いことや嫌なことも、無かったことにしないで、全部の心をチェックします。
すると、
現在与えられている人生が、必須のものとわかります。
できるならば、
その人生を完全に生きようと、
または、
人生の目的が自他の平安のためにある
などと、自分の存在を自覚できるようになれば、
心はずいぶんと清々しくなります。
『菩提心論』に「月の十六分」段があります。
「すべての生物無生物の心の中には、
一分(ごくわずか)の清らかな性質がある。
この一分がだんだん発展すれば円満な月の形になる。
だから、
その初めの一分の中に、既に自分の悟りと他人を救う道が備わっている。
月のように、もし太陽と出会った晦日には、その日光のために明るさが現れないけれど、
新しい月の一日から日々に光を加え、十五日に至って円満で迷いの無いものとなる」
月が雲に隠れることがあるように、
光り輝く心も、迷い悩み怒り貪り慢心などで隠れています。
これは、
心は本来生まれつき清浄である、
という自性清浄の立場(仏教すべてがそうでは無い)ですが、
それは、現実には汚れている、ということです。
で、
その汚れを取り除こうとするのか、雲を払って月を見ようとするのか。
煩悩を取り除くのはとてもむずかしい。
それよりも、
煩悩の向こう側にある光を見ることは比較的簡単です。煩悩迷いはどうでもいい。
だから、
雲(煩悩)に関心を持つのではなく、
その向こうにある月(光り輝く心)に興味を持てばよい。
恩師・田中先生は、
密教は月を見るより、月に坐る教えである、
と云っていました。
月(僕らが本来持っている仏の性質)に坐る
そうすれば雲(煩悩)は邪魔にならない。
そのために、
僕らには仏性があるという希望を持つ、
それが現れなくても投げ出さない。
そして、
相手の仏性をも信じる。
蓋をしないことがポイント。陰性なえぐみが抜ける。
朝に陰性な野菜のカレーを食べれば、交感神経が刺激されて、日中の動きがよくなります。
それはさておき、
仏教の目指すものは「さとり」であって、これは仏教の何から何まですべてを覆うものです。
日々の生活も「さとり」を伴うものであるはず。
この目的である「さとり」は自分の心を知ることですが、
大乗仏教や密教では、その心が本来(生まれつき)清浄である、
という前提があります。
僕らが唱える『理趣経』の本文も、
「一切法の清浄句の門を説きたもう」
で始まります。
一切の現象だから、心も清浄。
心の本性が清浄であるかどうかについては、仏教内部でもいろいろ意見があるのですが、
本性清浄である、という立場で考えます。
自性清浄はサンスクリット語で、prakŗti-prabhāsvara(プラクリティ プラバースワラ)
英訳ではoriginally pure
このプラバースワラには、光り輝くもの、という意味があります。
心の中を探っていくと、
世の中の存在をどんどん否定してゆくと、
最終的に出てくるものがある。それが根源的な光。
これは、
自分のために心をコントロールして、他人のために必要なことをする。
それは、柔らかい、軽い、適用に堪える、壊れない心です。
「比丘たちよ、この心は光り輝いている。ただ、外来のもろもろの煩悩によって汚れている」(パーリ増支部)
にも当てはまります。
これは、
自分のために心をコントロールして、他人のために必要なことをする。
それは、柔らかい、軽い、適用に堪える、壊れない心です。
大乗仏教になると、
心も空であるから、染まることも執著することも無く、不生不滅である。
だから、自性清浄であり、
すべての存在は仏の性質を有していて(仏性)
仏が住む居が心である(如来蔵)
そして、
修行して仏になる(悟りを得る)のではなく、
もともと生まれつき仏(悟っている)である、という本覚思想になります。
僕らは仏なのだから、清浄に決まっている。
この、清浄がゆえに自他を救い、
それに気がつくための修行方法が、密教にはいくつか伝えられています。
なので、魔法のスープ夏味。
えのき、トマト、いんげん、ピーマン、なす、玉ねぎ、ジャガイモ、人参、油揚げ、とうもろこしに月桂樹の葉を入れて煮込み、塩、コショウで調える。
ポイントは小さく切ること(これで陰性な野菜から陽性な味が出る)
そして、順番に加えること。
それはさておき、
密教では「さとり」を「即身成仏」という言葉で表します。
ずっと先ではなく、
如来の真実を知れば、今すぐに自分の身体のままで成仏(迷いを悟りに)できる、
ということ。
そのためのカリキュラムはいくつかありますが、
覚鑁上人の『秘釈』には、
「真言宗の即身成仏、その証、いずくにかある。
謹惶して弟子、五臓の三摩地観に入る。忽然として出家の頭上において五智の宝冠を現じ、肉身の五体において、五智の光明を放つ。その時に当たって一人席を起ち、万民、礼を作す。諸宗、旗を靡かし衣を送る。故に五臓の三摩地は秘が中の秘なり。座を立たずして三摩地現前の説、唯弥々仰信すべし」
とあります。(『興教大師 撰述集』上196頁)
これによれば、
お大師さんが即身成仏の証をみせたのは、五臓三摩地観という修法。
この観法は、
『大日経』巻第七持誦法則品第四にある、
「五字を布して、自身に曼荼羅を観ずる」に、
中国古来の五行説を加えたもの。
これをスマートにしたものが、
現代の真言僧が日々修法する字輪観。
色と形と梵字を瞑想し、自身が法界(宇宙)大日如来であると知り、
迷いを覚りに転換します。
一般のかた向けには、
阿字観もしくは五字厳身観という瞑想法があります。
静かで穏やかで、
思いやりとやさしさに満ち、
散らばった悩みが、ひとつの智慧にまとまり、
執著から開放され、希望にあふれた心になります。
健康にもよろしい。