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[ 2025/03/16 02:06 | ]
続々 科学的宗教論
存在するものは

仏のいのちの現れであり、

それらは互いに行き来して自在。

そして、

空気中の酸素と窒素と二酸化炭素のように、

混ざり合い交流している。

人間もそうであり、地球上の生き物もそういう関係です。

それらが仏であるならば、

言葉声字は仏の言葉声字であり、

その活動行為も仏のそれのはずです。

宗教はそれを、瞑想や慈悲の実践などの行により体得しようとします。

実在がそのまま現象世界であり、

宇宙の働きが仏の身体言葉心であり、

それが縁起の主体であると。



『密教と現代』のなかで、村上博士は、

「仏教や密教は、世界の総ての現象を科学技術化することの不可能性を知っている。

一切を物質に還元し、科学技術化しようとする心や精神のありかたに、苦しみの根源、無知を見ようとする 。

いのちの尊厳、存在の実相とは、物質(自我と欲望)の流れから自由になること。

その自由の境地にいのちの価値を見出す」


「宗教を科学のレベルで捕らえる思考は、

かえって物質の流れにとらわれて自由の境地を失っている。

しかも、その流れの中にいのちの価値を見出そうとして苦闘すればするほど、

その価値が遠ざかっていくことに気がつかない。

その結果、即物的な結論を求めて、技術性、呪術性を強めることとなる」

そして、

観念的(抽象的)になり、現実をありのままに見ようとはしない


と書いています。


科学は、

DNAなどが自己を創出して、いのちや心の本質が表れるという立場で、

密教では、

日常の自分たちから、存在の真実を観ようとしている、

という違いが有るのかもしれない。


いずれにしても、

いのちや心は、

一時も止まらずに、

ビデオテープやDVDのように流れています。

それは、巻戻して思い出すことはできるけれど、

録画が止まることはありません。

連続している。

それが止まった瞬間、

心は勿論、悟りや幸せといった目的も生滅します。

そして、

次のコマをより良くしようとするのが向上心や慈悲心です。

 
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[ 2017/10/23 17:01 | Comments(0) | 眞天庵仏教塾・密教塾 ]
大乗のおごり?
金剛界三十七尊をシンボライズした線香護摩



燃え残った灰で吉凶を占う。

昔は祈祷を頼んだ家に伺って修法したものです。


それはさておき、

ある人から

みんなが小乗仏教の修行をして、しあわせになれば良い。

修行しない人を救うなんて、大乗仏教の驕りではないか。

といわれて、

なるほどなあ、と思いました。


そもそも、

小乗と大乗とは何が違うのでしょうか。

小乗は心の分析をするために、

眼識,耳識,鼻識,舌識,身識,意識の六識を説き、

それぞれが眼,耳,鼻,舌,身,意の認識器官に依存して,

色 (物質) ,声,香,味,触,法 を認識する、

としますが、

大乗は、

さらに阿頼耶識(あらやしき・心の種子)、未那識(まなしき・自我)

の二つを加えて八識とします。

この識というのは妄想迷い煩悩であり、

これをトレーニングによって智慧に転換させます。


『十住心論』では、

自我とは、

色・受・想・行・識の五つの存在要素(五蘊)のみが仮に和合したものにすぎない、

とする声聞(しょうもん)の教えと、

根本的な迷いを断つために、新しい業が生起するのを完全に除く縁覚(えんがく)

の二つを小乗とします。(まとめて二乗と云う)

どちらも、実体的な自我の存在を否定していますが、

声聞と縁覚とでは、その瞑想の浅深に差があります。

声聞はただ迷い苦しみの現象を除くだけですが、

縁覚はその根本を断つ。

思想と実践方法が少し違う。


『三昧耶戒序』には、

このふたつは、とてつもなく長い修行の年月がかかるので、

気楽な気持ちで求めるべきではない、とあります。

そして、

小乗は、

自己の修行に終始するだけで、

他を利益する大悲のはたらきを欠く

と考えられています。


大乗に特徴的な考えかたが、

仏性とか如来蔵で、

だれでも本来、仏の性質・本性を持っている、

ということ。 

この仏性を「トレーニングによって自由自在に発揮する」ことで、

小乗では滅するべき煩悩が残された状態でも、

苦しみに煩わされることなく、また他の衆生の苦しみをも救っていける

としています。


大乗は基本的に本覚(ほんがく・元々覚っている)で

小乗は始覚(しがく・修行によって煩悩をうち破り、悟りの智慧が現れる)

なのも違いのひとつです。

この点では、

迷い煩悩と共に苦しみが始まるとするお釈迦さんの教えと大乗は、ちょっと違うものになります。

 

ところで、

『般若心経秘鍵』は、

弘法大師著作の中でも、のびのびと制限制約無く、リズムよく自由に書かれているので、

読んで楽しいものですが、

この中にも小乗大乗について書かれています。


縁覚 は、

師につかず、そよぐ風や揺れる花を縁として無常を観じ、

長い時間を経て根本的な迷いの種子を除く。

声聞 は、

苦を滅する道理を覚るために、不浄観などの瞑想をする。


大乗仏教のそれぞれを解説すると、

普賢菩薩の法門である華厳の教えは、

存在と存在が互いに溶け合い 、

存在と真理、真理と真理も互いに溶け合うと悟り、

文殊菩薩の法門である三論では、

不生不滅不断不常不一不異不去不来によって戯論を断ち、

絶対空を身証しようとする。

弥勒の法門・法相では、
 
眼に映る境界(耳鼻舌身意)が固定的に有るとする執著を破る。

とあります。


いずれにしても、

小乗大乗の違いは、

人の資質によって段階があるということで、

病に応じて薬があるように、

心のレベルに応じて教えがあります。

大切なのは、

薬の能書きを読むだけでは効果なく、

飲んで初めて効くように、

小乗でも大乗でも、修行して初めて意味があります。

それは、

表面だけではなく、本質を見通す眼を持つトレーニング です。


『秘鍵』には、

般若心経にある最初の「是大神呪」は声聞の真言、

「是大明呪」は縁覚の真言、「是無上呪」は大乗の真言、

「是無等等呪」は密教の真言であり、


「羯諦」は声聞、次の「羯諦」は縁覚、

「波羅羯諦」は大乗の修行の結果を指し、

「波羅僧羯諦」は、密教の修行の結果を明らかにし、

「菩提薩婆訶」は、総ての教えの究極的なさとりに入る意義を説明している

とあります。


大乗も小乗も、

人による、ということです。

[ 2017/10/25 13:27 | Comments(0) | 眞天庵仏教塾・密教塾 ]
不調を観察する。
認知症が進んだ父に、

お父さんは食べ物で嫌いなものはあるの?

と聞いたら、

肉は嫌だねえ、やっぱり魚がいいよ。

と答える。

じゃあ、お昼ごはんは何にしようか?

と尋ねたら、

カツ丼!

と云った会話が懐かしい。


先日、

お食事の件で、お嫌いなものはありますか?

とある料理屋さんから聞かれ、

お肉やお魚は食べませんので、精進にしてください。

と答えた。

出されたお膳は、海老と卵の料理だった。

世の中いろいろな認識があるのだなあ。


それはさておき、

普段から健康相談食養相談に答えている立場なのに、

歳なのか飲み過ぎなのかストレスなのか、

自分の身体がすっきりしない。

ちょっとした不調の時は、

バッティングセンターでひたすら打つ

ボウリング場へ行ってひたすら投げる

サウナで、ひたすら汗をかく

山や畑で、ひたすら草刈をする

という方法を選ぶのだけれど、

今回は何かちょっと様子が違う。


血清カルシウムイオン濃度が低下すると、

身体がずいぶんと不調になる。

カルシウムとリンは逆相関関係にあり、

ビタミンKはカルシウムイオン濃度を高める。


ということで、

リンが少なく、カルシウムとビタモンKの多いものを探してみたら、

もっとも高い値なのが熊笹。

カルシウムとリンの比率が15:1 


それから水浴

これもカルシウムイオンを増やして、副交感神経を優位にする。

http://ci.nii.ac.jp/els/contents110001912117.pdf?id=ART0002089721

http://ci.nii.ac.jp/naid/130005014931 


机仕事中は昆布をしゃぶる。

これには陰性なカリウムが多いけれど、

陽性なナトリウムも多い。

そして脂肪が無く繊維が多いので、排毒によろしい。


      Na   K   Ca  P    脂質  繊維
真昆布  2800 6100 710 200  1.2  27.1
利尻昆布 2700 5300 760 240  2   31
鶏卵     140   130   51 180   10         0


さあ、ずいぶんとすっきりしたので、

畑仕事に出よう。


[ 2017/10/26 10:52 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
心蓮華
きり絵画家の冗快さんから、

僧侶の掌中に仏様が納まる儀式のことを教えてちょうだい、

とお便りがあり、

入出仏(遷座)作法のことですね、

と説明しました。




本尊仏を仮置場所に移動する際の作法です。

自心中に仏の座である蓮華座を観想し、

そこに本尊を載せます。 

心臓は正中にありますが、そこには白蓮華が開き、

その上に大日如来が坐り、五つの智慧を象徴する五色の光に包まれている。

僕らはそのように、

慈悲の働きかけの座につき、智慧の光に包まれているという象徴。


そうして、

袈裟で包んだ仏様と移動するのですが、

僕は恋人と一緒に歩くような気持ちになります。

 

瞑想には、

自分の外に対象を置いて、それを観想するものと、

自分の中に対象を引き入れるものがあります。

真言密教では、

浄厳さんの 『別行次第秘記,』にみられるように、

後者に重きがあります。

仏像もお堂も心の中にある。


先の五つの智慧は、

鏡の如きありのままを映し、

へだてなく、

見極めで、

自他の役に立つような行為の智。


本来清らかな(修行して清らかになるのではなく、

その素質がある)心のシンボルが、

泥に染まらずに咲く蓮華です。


心に蓮華があると思えば、

何となく涼やかでやさしい気持ちになります。

[ 2017/10/27 09:59 | Comments(0) | 眞天庵仏教塾・密教塾 ]
対立は相補
与党と野党 、保守と革新

のように、対立するものは相補的な関係にあるべきものです。

そうして、ともに発展向上する。

経営者と労働者、先生と生徒、教師と親、夫婦・男女、

ついでに タイガースとジャイアンツ

もそうだろうな。


そういうものが何だか壊れている、そういう時代なのかしら。

対立は互いに相手を補うものであるのに、

それができないとトラブル戦争破滅がある。



ところで、

食養では、陰陽と酸アルカリが対立し相補関係になります。

酸性はエネルギーになり、

アルカリ性は酸化を防ぐ。
 
陰陽は全体のバランスを調える。

例えば、 

陽性で酸性な穀物や動物性食品は、

陰性でアルカリの野菜、果物、ハーブ、お茶が相補的存在になる。


陰性で酸性の化学薬品、砂糖、アルコール、豆類は、

陽性でアルカリの古漬け、醤油、味噌、梅干しなどがバランスを取る。


これを間違えると、

保守と保守の組み合わせのようになって、うまくいかない。


[ 2017/10/29 06:26 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
書評の楽しみ
『本が好き、悪口言うのはもっと好き』(高島俊男著)に、

「書評十番勝負」があり、『狐の書評』が載っていた。

読んでみるとすこぶる面白い。



狐さんは山村修。

『狐の書評』(本の雑誌社)
『水曜日は狐の書評 日刊ゲンダイ匿名コラム』(ちくま文庫)
『遅読のすすめ』(新潮社)
『〈狐〉が選んだ入門書』(ちくま新書)

など本についての著作は多い。

狐さんはドラマの刑事みたいに本を探る。

本は忙しい時に読む ちょこちょこ読むのがよろしい。
 
時間がたっぷりある時は、読書ではなくモノを考える、思惟するのがいい 

と云う。


池澤夏樹の『読書癖』全4巻 みすず書房

もいい。

これは少し高貴な香りがする。

著者は、

読書は趣味や仕事でなく、

性癖だと云う。



書評は文字数が限られているから、無駄を徹底的にそぐ

だから

美しい文章になる。

さらに、

出だしと終わりの文は印象的な言葉が選ばれる。


その他の書評に、

高島俊男の近刊、 

『本はおもしろければ良い』連合出版

web版にも書評があります。
http://okotobasaishin.blog.fc2.com/blog-category-2.html 


宮脇俊三の書評も、文章が鋭い。

『乗る旅・読む旅』
『終着駅』

『終着駅は始発駅』の巻末には、
「私が選んだ鉄道旅行の本100冊」がある。



[ 2017/10/30 08:24 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
お米雑談
新米の季節ですが、

日本人はお米を食べなくなった、というのはよく聞く話。

今年3月の農水省資料によると、

お米のひとり当たりの年間消費量は、昭和37年度をピークに一貫して減少傾向にある。

具体的には、37年度には118㎏の米を消費していたのが、

平成25年度には、その半分程度の57㎏にまで減少している。
http://www.maff.go.jp/j/seisan/keikaku/soukatu/kome_antei_torihiki/pdf/sankou1_150310.pdf

一日1合 お茶碗に軽く2杯 くらいですね。

我が家で、3人の子が食べ盛りだったころは、毎月40キロくらい食べていた。

一人一日2~3合くらいかな。


先日、法事後の会食で、

宴会料理のコースは、八寸や突出しから始まり、酢の物、煮物、焼き物、揚げ物、蒸し物などが続いて、

汁とご飯は一番最後。

これは懐石でも同じ、日本料理の作法ですが、

息子らはそれでは我慢できない。最初からご飯が欲しい。

お米が無ければ生きていけない人間に育ててしまった。

でも、これには利点がある。

なんといってもお米は安い。

なぜなら連作障害が無く、生産性が高い。

カロリーが高いから満足感は充分。

炊くのに水分をたっぷり使うから、

身体を冷やさない水分を摂れる。

お菜には陽性な塩気があるから、

主食は水分の多い陰性なものがいい。

淡味だから、いろいろなお菜に合う。

何より

脳内神経細胞を維持するエネルギーは炭水化物から得られるので、

頭が良くなる(可能性が高い)


陽性な動物は陰性な植物を食べるけれど、

そのなかでももっとも陰性なヒトは、陰性なイネ科(禾本科)の実が合うのかもしれない。


世の中は、

病気やトラブルを誘引するものを売って利益をあげ、

それらを治し改善するものを売ってさらに利益を上げる、

という理想的な経済的システムが出来上がっているけれど、


お米はそういうシステムと関係しているだろうか。




[ 2017/10/31 11:30 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
なぜだろう?
信仰の世界には

なぜそうなったのか、

いつから行なわれているのか、

が分からないものが少なくありません。

 
その始まりは、

純粋な信仰からのものもあり、

誤解や意図的な誤りもある。

土着の思想信仰から生まれ、融合されたものもある。

宗教ビジネスや為政者の都合で作られたものもあり、

権威や名誉を守るために続いているものもあります。


単純に信じていれば害が無く、心を安らかにするものもありますが、

そうでなく、不安や悩みを誘うものもある。

信は証を伴うべきもので、

目的とそこへたどり着くまでの方法を信じることは重要ですが、

なぜそうなのか、本当だろうか

と疑うことも大切です。そうしないと真実にはたどり着かない。



さいたま市の霊園で法事をつとめたら、

その会場の本尊が十三仏の掛け軸でした。


https://www.butsudanya.co.jp/shop_jyusanbutsu.html
(仏壇屋 滝田商店の十三仏掛け軸)

仏さまのオールスターみたいですが、

初七日の本尊に不動明王、

二七日がお釈迦さま、

三七、四七、五七、六七と続いて、

七七(四十九)日がお薬師さん、

更に、

百か日、一周忌、三回忌、七回忌、十三回忌と続き、

三十三回忌が虚空蔵菩薩。

全部で13回の年忌、つまり法事の本尊として十三仏。


これを掛けるのはよくあることで、それはそれで良いのですが、

なぜ初七日がお不動さんで、三十三回忌が虚空蔵さんなのか、

なぜ、四十九日までは七日おきなのか、

なぜ、この順番なのか、


理由は無いのですね。

いつの間にか何となく決まった、

いつのまにかそういう習慣になった。

もちろん、日本の習慣です。


十三の仏はそれぞれ密教の重要な尊格で、

儀軌や経典に出典がありますが、

なぜ、この十三尊が選ばれたのか、  

どのように決めたのか

は不明です。


中国で造られた『仏説預修十王生七経』と、

日本でまとまった『仏説地蔵菩薩発心因縁十王経』

を起源とする説が多いですが、

七日おきに区切る根拠は無く、

当然ながら、インド仏教には無い思想で、

したがって、悟りや成仏、成菩提といった仏教教理とも関係ないでしょう。


中国では、

三回忌までの法事は、遺族の服喪期間で、死者に関することではありません。

十王に相当するのは三回忌までですから、

それ以降は両経典でも確認できない。

ちなみに、

故人を中有七七日まで追善供養することは、

『大灌頂経』や『梵網経』に見られます。

なので、

百か日、一周忌、三回忌は中国の風習や『十王経』によるもので、

七回忌以降は日本の風習で、起源はあきらかでない。


いずれにしても、

仏教が関わらなくても祖先崇拝は自然の感情ですから、

毎日拝むのがよろしい。


『弘法大師逆修日記事』

という十三仏信仰を権威付けするために作られたものや、

十三仏の配列は浄土系の僧によって作られた、

などの研究論文があります。

教理の無い民間信仰が広まる様子が、少しづつ解明されるようで、

とても面白い。


最近、読んだのは、

『現代密教 23』十三仏信仰の意義 宮坂宥洪

『地蔵十王経』考 印度學佛教學研究 Vol. 51清水邦彦 

『 十三仏について(上)』 金沢文庫研究 通号 234

『十三仏信仰の儀軌としての『弘法大師逆修日記事』渡辺章悟  曹洞宗研究員研究紀要 21

『十三仏信仰と十三塚』佐野賢治  神奈川大学日本常民文化研究所調査報告 第十集









[ 2017/11/01 12:29 | Comments(0) | 眞天庵仏教塾・密教塾 ]
話せば罪障消滅
落語の『地獄八景亡者戯』にこんな話があります。


幇間の一八(いっぱち)は、

地獄へ行く道中、若旦那と思い出話をしているうちに、

娑婆で若旦那のお金をごまかしたことがばれてしまう。

若旦那は、
 
もうええ、オマエだけ罪人として地獄へ落とすのはしのびない、
 
閻魔さんの前でこれがバレたらえらいことになるがな。

みんなオマエに改めてくれてやる。

しかし、これでいいねん、

懺悔といって、しゃべってしまう

とその身の罪は滅びるとされている。

すると一八は、

そうでっか、

では、もうひとつ、と言って、

カメラや時計を盗んだことも告白する。


懺悔、歴史的には「さんげ」と読みます。

仏前で告白して許しを乞うこと。

サンスクリット語デーシャナー deśanā の訳語。 


仏教の修法の目的は滅罪と悟りで、

菩提のために滅罪を祈る。

先ず滅罪のために懺悔します。生きることは罪を重ねることだから。


ポピュラーなのが「懺悔文」で、これは『華厳経』普賢行願品の一節。

我昔所造諸悪業 皆由無始貪瞋癡 従身語意之所生 一切我今皆懺悔

(昔より造り続けてきた諸々の悪業は、

 貪りと怒りと無知によるもの

 この身、この口、この心から生じるそれらを

 すべて懺悔します)



真言宗の修法では、五悔とか唱礼と呼ばれるものを必ず読誦します。

その二段目が「至心懺悔」という懺悔の文。

無始輪廻諸有中 身口意業所生罪 如佛菩薩所懺悔 我今陳懺亦如是

(今までの罪業を、諸仏菩薩とともに懺悔します)

これも『華厳経』 「普賢行願品」 に説かれる普賢菩薩の十種の大願のひとつですが、

これらを唱えれば懺悔したことになり、罪は滅ぶ。

 
唱えるだけではダメだ、
 
というわけではない。

仏に礼拝して懺悔するから、その姿勢・心が滅罪になります。

そうしなければそうならない。

だから、

唱えなければ、しゃべらなければ、

黙って隠しておけば、

罪は滅びない。

この懺悔は浄菩提心(本来僕らが持っている清らかな心の証)だから。


ですから、

懺悔することで、仏に近づく、

自ら救われ、仏の福智の善根功徳を

心から喜ぶようになります 。

つまり、

謝ることで最大の恩恵を受けるのは自分自身です。


社会の法律は守るべきで、破れば罰がある。

法律外のことは、

自分で懺悔する。 

そこでは、

気がつかないことが罰であり、

懺悔できるのが功徳。

 

友だちのために特区でごまかして便宜を図ったり

ご意向忖度圧力を意図したりしても、

懺悔すればその罪は何とかなるでしょう。

云わないから、その罪は滅びない。


仏前に懺悔文を唱える(仏に懺悔する)ことと、

自分の側にいる人に謝ることは、

同じことです。その人も仏の現われですから。

あの時ウソをついた

インチキをしてしまった

つい間違えてしまた

と言えばいいだけ。云えないことが多いけれど。


『大日経開題』には、
 
懺悔の力をもって速やかに不善の網を絶ち、諸人授戒の功徳をもって
早く菩提の路に趣かん

懺悔によって、

修行する気持ちが起きる、という広大な功徳を成就する

ということです。



ごめんさい、には、

ずいぶんと力がある。



[ 2017/11/02 07:44 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
焼きそばを味わう

焼きそばには、

こうして欲しい、と思うことがいくつかある。

キャベツはふんだんに、肉は少なく。

ソースの味付けは濃く。

一度に大量を作る。

紅生姜の量は、

甲子園球場外野ビジター応援席の割合程度。

僕らは、

野球場で相手チームの応援席を観て、

紅生姜状態と感じる。




料理には、それにあった器がある。

焼きそばに合うのは、

 ポリスチレン性フードパック蓋つき。



東海林さだお著『いかめしの丸かじり』にも、

「ソース焼きそばの器、それはもう「屋台で入れてくれるプラスチックのパッカン式容器」に決まっているじゃありませんか。あれが一番似合う。
 だから家庭でソース焼きそばを作ってみんなでテーブルを囲んで食べる場合、あれに盛って食べるのが正しい食べ方です。あ、そのとき、パッカン式容器のフタを閉じて、輪ゴムをかけるのを忘れないように。」


とある。


これを芝生の上やベンチで、割り箸で食べる。

漆の塗箸は合わない。


青い空、

子らの声、

さわやかな風、

草や土の匂い、

そういうところで食べるのがうまい。



小山高専工陵祭で毎年出店している「寮生焼きそば」は、

作りかたも味も、なかなかよろしい。



[ 2017/11/05 13:47 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
心を味わう
過去の行為や他者との関係性においてのみ、

心は存在しますが、

それは思っているだけで、実体は無いから、

幻や焔や蜃気楼のようなものだけれど、

よく良く観察してみると、

そこにはすべてがあります。


例えば、

自分の身体の中に心があると仮定します。脳内でも胸の内でもどこでも良い。

実体がないから、大きさも無いのだけれど、

その心(想像)を大きくします。

どんどんどんどん拡げる。

宇宙いっぱいになる。

そうすると、

鳥瞰するように、いろいろなものが見えます。

空想で良いのですよ。

細かく観てみると、

日本があり、近所の知っている風景があり、自宅があり、

その中に自分もいます。


その自分をよくよく見てみると、

その自分は今の宇宙を鳥瞰しているから、

自分の中にも宇宙全体がある。


すべてのものには、

その本体と姿と働きがあるから、

その心が観ている中にもある。

見えている(感じている)だけではないのですね。

それらが

ただの景色風景ではなく、

仏の、悟りの象徴だとしたら、

仏が変身した姿、悟りが伴っている働きだとしたら、

心の中にそういうものがある、ということになります。

もちろん、

これは自分だけが見える世界で、

他の誰も見ることはできない。



でも、おそらく、

自分が知らないものも、その中にあるでしょう。

見えない、聞こえないものは、無いのではなく気がつかないだけだから。


そうして、 

全体が一であり、一が全体である、ということがわかります。

そこは平等無差別、
 
仕切りが無く、無障碍、無執著。


心に映らないこと(モノ)はなく、
 
すべてがそこにあります。


 

[ 2017/11/06 09:19 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
望診法の世界 3 耳

望診法では、先ずはじめに全体を観ます。


身体全体の姿勢、大きさ、声話しかた、匂いなど。

それから気になる部分を見ます。

顔も同じで、

まず顔全体の色艶、大きさなどを観ます。

次に気になる部分を観ますが、

例えば耳は腎臓の様子をみます。

腎臓は排毒を促す器官ですが、もっとも影響するのはたんぱく質の量です。

たんぱく質は酸味やキノコ類で溶けます。

腎臓は塩気に敏感で、

健康なら勇気があり、不調なら怖れに弱いので、他を批難攻撃するようになります。

左右の腎臓は左右の耳に対応しています。


陽性な食生活では陽性な右の腎臓が小さくなり、

陰性な生活では、陰性な左の腎臓が大きくなります。耳も同じです。

陽性が強ければ、腎臓は硬くなり

排毒が滞り、欝などの陽性症状につながります。

耳は陰性なら広がり、陽性なら締まります。

耳の上部、中間部、下部は、

それぞれ、

たんぱく質、でんぷん、ミネラルの摂取状態が現れます。

陽性なら耳の位置は高くなります。

このように、

内臓の陰陽、感情の陰陽などを観察し、


大地に根付くかどうか


怒りと忍耐力


排毒の力


寿命

などを判断し、

その改善方法を教えます。



※参考文献

『望診法テキスト 宇宙を診る』 1500円
『望診法講義録 人相編 附 密教ヨーガ』 2160円
『望診法講義録 手相編 附 六大陰陽五行色体表解説』2160円(穀菜食の舎会員は1080円) すべて 眞天庵 刊

ご希望の方はご連絡ください。送料がかかります。


[ 2017/11/07 11:51 | Comments(0) | 望診法の世界 ]
サウナの排毒力

陰陽研究塾の記事 61   



●サウナの排毒力
https://groups.google.com/forum/?hl=ja#!topic/inyoukenkyu/MZUrE4elKqA








[ 2017/11/08 15:17 | Comments(0) | 陰陽研究塾 ]
砂糖、酒、肉食とガンの怪しい関係
本文を読むにはこちらからパスワードを入力してください。

[ 2017/11/09 08:42 | Comments(0) | 穀菜食の舎 ]
「望診法講座」のお知らせ

私たちの体は「食べ物」によってできています。何をどう食べるかによって体質も変わります。 
食べ物は血液となり、脳にとどき、性格や生活も変わります。 
身体に関わるお仕事なら、知っておきたい大事な知恵です。


この講座では、手、顔、足などを手相や人相のように見ます。 
内臓や心の状態は身体の表面、特に手・足・顔・皮膚などの末端に現れますので、 


それを見て身体の中の様子を察するのが望診法。自分や家族、クライアントの症状の理解が深まり、日常生活や食生活のアドバイスに役立ちます。


★こんな内容も取り上げます★ 
・食材だけでなく、元素にも陰陽がある 
・O157などの菌やウィルスの形にも陰陽があり、それに応じた手当て食がある 
・白目の色、耳の形、湿疹の出る場所、吹き出物、目の周りの色つや、ほうれい線でわかる性格 
・足の甲での望診 
・足先から脳にかけてのつながり(神経反射) 
・病気の症状、名前の画数による病例 
などを予定しています。


奥深い理論を、豊富な事例でご紹介いただきます。 
聞きたい事項、症状があれば是非お申込時にお書き添えください。


ノートがメモで真っ黒になること請け合い! 
ランチは、こちらで軽食(炒り玄米粥)をご用意いたします。


【日時】 
2017年1月14日(日) 
 9時~12時 :人相の見方 
 13時~17時 :手相その他の見方


【参加費】16,200円(税込)+テキスト代2000円=合計18,200円(事前振込) 
※過去に望診法を受講された方は8640円で再受講いただけます。 
※半日のみの参加も可能です。参加費半日8640円+テキスト2000円 
※1/11までのキャンセルはキャンセル料2160円(事前送付のテキスト代のみ頂きます)、 
 1/12以降のキャンセルはキャンセル料8640円いただきます。


【お振込み先】 
ゆうちょ銀行 10990-24209461 
 他銀行からのお振込みの場合 
 ゆうちょ銀行:店名ゼロキュウハチ支店 普通 2420946 
名義:特定非営利活動法人 Umiのいえ (トクヒ)ウミノイエ


★初受講の方はお申込時に住所をお書き添えください。 
お振込み確認後、テキストを送付しますので、ご一読ください。


テキストは先生著作の「宇宙を診る」「陰陽検定問題集1」です。 
お持ちの方はお申込み時にお知らせください。


【持ち物】筆記用具、事前送付のテキスト


【講師】須永 晃仁(すなが こうにん)和尚


精進料理、陰陽の世界を伝える「穀菜食の舎」主宰。高野山真言宗眞天庵住職。陰陽研究塾顧問。妻・一女・二男あり。 
自らの育児経験や、望診相談でたくさんの症例に 関する手当てを実践。 
各個人に合った具体的なアドバイスには定評があります。 
著書「子どもたちの子どもたちの子どもたちへ」「須永家のお弁当レシピ」「おいしい料理」(博進堂) 
「望診法テキスト 宇宙を診る」「陰陽検定問題集Ⅰ」


【定員】12名 
【持ち物】筆記用具

※お申し込みは下記へ
https://coubic.com/wanooteate/264909






[ 2017/11/10 06:48 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
陰陽検定問題集Ⅰ 解答例 (簡易版)
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[ 2017/11/11 05:58 | Comments(0) | 陰陽研究塾 ]
知性と感性
カレー味のみそ汁はうまい、
 
具はジャガイモに限る、

と誰かが言っていたのだけれど、それが誰なのか思い出せない。


みそ汁の残りにきのこ、白菜、カレー粉とご飯。


箸休めに、冬大根をサッと塩もみ。


洋ナシをリンゴジュースと赤ワインで煮て、

バニラアイスを添える。


それはさておき、

仏教に三法印という思想があり、

諸行無常
諸法無我
涅槃寂静

の三つ。

あらゆるものは変化して実体性が無いと知れば、

執著が無くなり、心は静かで安らぎを得る。

僕も僕のモノも変化しているから、「これだ」と特定できないですからね。

無いものに執着できないから、煩悩も迷いも無い。


ここから、空・縁起・無自性という思想につながります。

無常で無我ですから、

存在としての原理が無い。

何かと何かの関連性でのみ存在している。

「僕」が在るためには「僕以外」のものが必要です。

「僕」とそれ以外の間に仕切り、枠、境目があります。


外野席と内野席には境目があるから

外野席と内野席が存在します。

もし、

その境目を無くしたら、外野席という枠をなくしたら、

内外野が一緒になって、区別が無くなります。

すべてはそのように存在しているので、

すべての枠をはずせば、何もなくなってしまいます。

これが「無」になる、ということに近い。

で、

自分とは何か、

宇宙の根源とは何か、

心とは何かを

分析しても同じことになります。

そういうものは無い。

でも、

ありますね。

ここで、

知性と感性が必要になります。

それぞれ、

智慧と慈悲、とも云います。


なぜここで慈悲という感性が必要になるかと言えば、

僕と僕以外のものは同時に存在し関係性を持っているからです。

僕以外のものを大切にしなければ、僕の存在が危うい。

僕は個別に生まれてきたのではなく、他のすべてのものと同時に全体的に生まれています。

つまり、

ひとつの原因によって一つの結果があるのではなく、

すべてのものが絡まって、すべてのものが存在します。

また、

ひとつのものを分析して、その大元が何であるかを探しても見つかりません。

なぜなら、

その大元がどうやtって発生したのかが分からないからです。

そうなると、

それは元から在る、と考えざるを得ません。そこに時間と空間という概念は無い、と。

宇宙の根源も、

宇宙の外側も、

同じことでしょう。

一度「僕」とか「外野席」という存在を解体してみる。

それから、もう一度元に戻す。

こういう知的作業と、

そこでは他を大切にする思いやりが無ければ存在できないだろうという感性が、

仏教の基本にあります。





[ 2017/11/11 07:24 | Comments(0) | 眞天庵仏教塾・密教塾 ]
道草 富士山編
いつもは直進するけれど、

たまには右か左に折れてみる。

するといつもと違う風景がある。

これが道草。

しなくてもいいことをする、

行かなくてもいいところへ行く、

なぜそうするかといえば、面白いからである。

僕の人生も道草が多く、

なかなか目的地へ着かない。


富士霊園に義父母が眠っているので、

時々お参りに行く。




富士山がきれいに見えるのは稀である。


新幹線でも、

富士川鉄橋以西で大きな姿が見られるけれど、

曇っていることが多い。

羽田から西行きの便に乗れば、

眼下に富士山を見ることができるけれど、

これも雲で隠れていることが多い。


車では、

東名高速で厚木を過ぎればどんどん大きく近づく富士山が見える。

これも晴れていれば、である。


今回は墓参りの後に、

沼津方面長泉町のIZU PHOTO MUSEUMへ行き、

「澤田教一 故郷と戦場」展

を観る。

若い頃、

尊敬する人物と云えば、ロバート・キャパと沢田教一だった。

12月25日(月)まで開催、皆さまにお勧めします。

http://www.izuphoto-museum.jp/ 

http://www.izuphoto-museum.jp/exhibition/217700371.html


一緒に行った娘から、

富士山の名物は何?

と聞かれたけれど、特に思い浮かばなかった。


周辺にうまい蕎麦屋がある。

「おもだか」は満席で人が並んでいたので、

「ふく田」で、娘は天せいろ、妻はお菜附きのもりそば、

僕はもりを二枚。

十割そばで天然わさびである。


















[ 2017/11/14 09:28 | Comments(0) | 道草 ]
子どもの嗜好を左右するもの
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[ 2017/11/15 10:07 | Comments(0) | 穀菜食の舎 ]
あ・うん
白菜が採れはじめました。

食養では、

肝臓の滋養にシイタケスープを使うことが多いですが、 

最近は白菜のほうが効くみたい。

スープでお小水、漬物の酸味でウンコにするとよろしい。

僕は不調時、

肝臓を温めて脾臓を冷やします。


それはさておき、

50音表の「あ」と「ん」

アルファベットの「A」と「Z」のように、

サンスクリット語では、

阿(あ)と吽(うん)は最初と最後の文字



なので、

阿吽は始まりと終わりのこと。

これを密教では、

根源と結果

求道と悟り

の象徴としています。

根源に戻れば迷い苦しみは消え(まだ迷い苦しみは無いから)、

結果は迷い苦しみを越えたもの。


真理の根源は、原初の本だから、

何かから生じたものではありません。

それは思量を越えた「本不生」というもので、

大日如来のことでもあります。

その存在の本源は、

あるがままに存在している

ということ。

これが、結果、悟りでもある。

かように、

スタートとゴールは同じことを表しているのかもしれない。


覚鑁さんの『阿字観』には、

阿字の本源は迷いを斬り

吽字の息は虚空に普く満ちている

とありますが、

スタートはすべてのよりどころであり、

それはゴールを構成する一部です。

 
何かを始めて、

迷いながらも進めば、

最後に、それぞれの悟りになる。





[ 2017/11/16 09:31 | Comments(0) | 眞天庵仏教塾・密教塾 ]
守ってあげたい
 ここは新潟



バスの屋根が赤い

バスの屋根は赤い

格助詞と副助詞の使いかたは難しい。


それはさておき、

努力工夫しないで、結果が思い通りにならないなら、

それはそれまでのこと、ダメなものはダメ。

楽観と悲観、必然と偶然はどちらも錯覚であり、
 
世界は無常であり非情である。



気象庁の、

「東京 年ごとの値 詳細(気温・蒸気圧・湿度)」
 http://www.data.jma.go.jp/obd/stats/etrn/view/annually_s.php?prec_no=44&block_no=47662&year=2011&month=&day=&view=a2

を見ると、

年々湿度が下がっています。

つまり、

世界は陽性になっている、ということ。
 
土が無い、緑が無い、乾燥した陽性。

その中で、

陽性な生活をしていればトラブルになり、

陰性にすれば健康安全平安になる。

気候も無常であり非情である。


そういうことを悟れば、

自他を守る平和な心になる。

悟りとは、

自他の本質にたいする印象(impression)です。



[ 2017/11/18 08:33 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
葬儀費用の内緒話
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[ 2017/11/20 08:06 | Comments(0) | 眞天庵仏教塾・密教塾 ]
夜明け
日の出前に起きて外を眺めると、

まだ暗い街に、

街灯やお店の照明

ビルの黒い陰

車や列車のヘッドライトとテールランプ

その向こうに、

朝焼けの黄色オレンジ赤

青くなってきた大空




海の向こうに朝日が上れば、

空と雲と太陽と海と岩と、

黒白金銀赤橙黄青群青などの色。


世界は、宝物が詰まった蔵のようなもので、

ひとつひとつの宝物のなかにも、

世界があります。

様々な色、形、音、匂いは、

その宝物の表現。

密教ではそれを法界とも我とも大日如来とも云い、

それぞれが悟りや本来清浄な心のシンボル。


昔々、

インドのアショカ王が仏塔を建立し、

お釈迦さまの遺骨を納めて仏教宣揚のシンボルとし、

生き物を慈しみ

真実を語り

やさしさと思いやりと忍耐の行いを勤め、

困っている人を助ける、

という思いで仏教を広めました。


その塔をサンスクリット語でストゥーパ(stūpa)と云い、

「卒塔婆」と音訳され、塔婆や塔と略されます。


ストゥーパにはお釈迦さんの遺骨が納められ、

もうひとつ、

チャイトヤ(caitya)は遺骨の無い塔。

『法華経』には明確に区別されているのだけれど、

随分昔から、この二つは混同されている。


板のお塔婆は、上部が五輪の形に刻んであります。

上から、

宝珠、半月、三角、円、方形

それぞれ、

空、風、火、水、地

の象徴。

そこに、

それぞれを表す梵字を書きます。

これは、

慈悲の世界、胎蔵大日如来を現しています。

裏には

智慧の世界、金剛界大日如来のシンボルである梵字を書く。




つまり、

お塔婆は大日如来ですから、

これが法界(宝物が詰まった宇宙)であり、我でもある。

なので、

本来ストゥーパではなくチャイトヤなのだろうけれど、

内部にマンダラが描かれ、仏像が配置されている塔も同じで、

瞑想修行の対象です。


いずれにしても、

卒塔婆も仏塔も、悟りや本来清浄な心のシンボル。


我即塔婆、我即大日、我即法界 、私は即ち宇宙や世界そのもの

と観じて、

心の夜が明けます。






[ 2017/11/21 11:59 | Comments(0) | 眞天庵仏教塾・密教塾 ]
望診法の世界 4

食事や生活環境によって心身の様子が変わり、

それが手相人相などに現れる。

それを観るのが望診法ですが、

どのような相になるかの原因は、普段の生活にあります。


すべての事象に原因があるので、

それを探すことはできるけれど、

自分ひとりで探すと、言い訳を探し当ててしまうことが多い。

それよりも、

今、何をするべきか、

相を変えたいのなら、どうしたら良いのか、

を考えるのも望診法です。


日本の各お祖師さまの像をみると、

礼拝対象ですから、威厳を備えた表現になっていますが、

いくつかの共通点があります。


目は澄んで眼球が真ん中。

これは肝臓の機能が優れ、怒りが無く、忍耐力がある。


目と眉の間(田宅)が広い。

これは、人望などの財産がある相。


鼻は大きくどっしりとして、

肺と心臓が丈夫、つまり呼吸が調っているから、常に安心感がある。


法令線もきれいに描かれ、

これは足腰が強い、つまり自分の仕事を全うしている、ということ。

口は小さく、唇はふくよか。

これは胃腸が丈夫なので不安が無い。

現代人は、

横に拡がる陰性なたんぱく質が多いので、口が大きい。

顎は豊満で、寛大さを現します。

耳はいわゆる福耳で、

これは腎臓が丈夫ということ。

腎臓が丈夫なら怖れ無く勇気がある。

頬骨が張っているのは陽性。

これは、

耳と口の相と一緒に観ます。


頭の形は前頭部が神経系、智慧の有無

頭頂部は循環器系、情緒

後頭部は消化器系で意志力が現れます。

当たり前のことですが、

お祖師さまのお頭はとてもきれい。






[ 2017/11/22 13:37 | Comments(0) | 望診法の世界 ]



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