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分別
前回の記事で、

盲目とは 

①目が見えないこと

②物事の分別のつかないこと。盲目の恋、なんてね。

と書きましたが、

この「分別がつかないこと」

今では良くないことのように使われますが、本来の意味は違います。

分別は仏教語で、サンスクリット語ヴィカルパ(vikalpa)の訳語。

凡夫の智慧

正しくない推量的な認識、間違った判断

のこと。


ですから、

分別は悟りの障害。分別によって邪な世界が作り出されるからです。

例えば、

異性を見る我と、見られる異性を分け、

この我と、相手を我が物として「自己中心的に」固執します。

それが手に入らない、失いたくない、思い通りにならない、

などと苦悩が生まれます。

他と比べて劣っていたり少なかったり、

疑ったり慢心したり

好きだ嫌いだと、言葉によって固執の世界を虚構することで分別が生まれます。

何かに執著するから、

実際には無い妄想の上に分別が起きます。



それに対して、

無分別は分別がないこと、思慮を欠くこと、

とされていますが、本来は、
 
サンスクリット語のニルヴィカルパ・ジュニャナーナ(nirvikalpa-jñāna)の訳語。無分別智

主客の対立を越えた真実の認識

つまり、悟りの智慧

思考判断以前の直感で、知覚を規定する概念。


言葉は時代によって変化しますが、

仏教では無分別でいることが重要、という立場です。


例えば、

盲腸や脾臓や胃を切除して無くなっても、僕らは生きることができます。

だからと言って、

盲腸や脾臓や胃が必要ではない、元から不要なもの、というわけではない。

同じように、
 
僕がいなくなっても宇宙は存在しますが、僕が元から不要な存在、いなくても良い、

というわけではない。

盲腸は肉食の排毒に関係し、脾臓と胃は血液の浄化とつながり、不安を取り除き、同情心を育みます。

僕も、

僕が知らないところで何かの役に立っているはずです。

これからも、役に立つことがあるでしょう。

 要不要などと分別しないほうがいい。



____________________________

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[ 2016/05/26 17:10 | Comments(0) | 眞天庵仏教塾・密教塾 ]

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