忍者ブログ


14-1、悟りへのプロセス
悟りとは何か、を説明する時、

「悟り」そのものを身体としているのが大日如来である、

という言いかたをします。

また、

密教ではその悟りを「一切智々(いっさいちち)」とも言いますが、

それは、

完全な生きかた、よりよき人生の出発点は、悟りを求める心であり、

悟りを求める心を、他人を救おうとする行為によって育て、

悟りを求める心や他人を救う行為が、その人の生活そのものになった時、完成された境地が現れる

この究竟までに達した時、一切智々がわれわれのものになる。

と『大日経』に説かれています。


悟ったのちも、慈愛を持って常に他を救いたいと願い、行動する。

これが大日如来の境地です。

一切智々のはたらきによって、すべての人を差別することなく救う。


勿論それは僕らの心の中にあります。

「仏法遥かにあらず、己心を捨てていずくにか求めん」(般若心経秘鍵)

「自分の可能性を信じて修行すれば即身成仏できる」(大日経)

大日如来は風のように説法しているので、心の窓を開け、風を入れればいい。

戒めを護ろうとすれば、窓の鍵は開きます。


僕らは、生きるためにやむを得ず戒を犯しますが、

そのことを常に心に置き、

自分ひとりで生きているのではなく、他によって生かされて行かされていることを実感できるようにするのが宗教で、そのためには懺悔反省が必要になります。


一切智々は僕らの身体と心で表現されています。

僕らの肉体には骨や筋肉といった固いものがあり、

それは大地のように固く大きく、あらゆるものがそこから始まり成長し、帰ってきます。

そこから、

一切のものが生まれます。病気も健康も、幸せも不幸も、喜びも悲しみも、忍耐と恐怖も

他から来ることはありません。
 
だから、僕らのなかにあらゆるものの出発点と帰着点があります。

同じように、

僕らのなかにある、血や体液のような水分は、雨のようにすべてを潤して熱を取り去り、

呼吸などの、風のような流れは、迷いの塵を吹き飛ばします。

僕らの中にあるものをひとつづつ観察して、それがどこからきてどこへいくのか、どのように広がり、かつ縮むのか、それなどのような性質なのか

と考察することで一切智々に近づきます。





PR


[ 2015/07/04 06:09 | Comments(0) | 眞天庵仏教塾・密教塾 ]

コメントを投稿する






<< はは、暢気だねえ。  |  ホーム  |  ナポリタンと乳粥 >>