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お葬式
子どもに持たせるのは弁当で、お父さんのはお弁当、と向田邦子が書いていたけれど、葬式とお葬式も違うような気がする。

僕らの葬儀では、故人ご遺体に戒律と戒名を授け、出家の作法をする。僕らが得度してお坊さんになる儀式と同じ。


ご遺体にそんなことをして何の意味があるのか?

と聞かれた僧侶の答えはさまざまだろうけれど、ビジネスでやっているとしたら、それは葬式というショーかパフォーマンスかもしれない。

まあ、それはそれで意味があるけれど。


ここ数ヶ月の間に義父母の葬儀が続いて、息子二人に手伝わせて拝んだ。

入院介護のためだけにこの地に来て、知り合いもいないので、家族だけで湯灌納棺葬儀火葬し、春になったら故人が希望していた富士山麓に埋葬する予定。


お父さんは人が死ぬ瞬間を見たことがあるの?

と息子が聞く。

呼吸と鼓動の停止、瞳孔反射の消失が肉体的な死だけれど、人は人生において何度か死ぬ。

他人から忘れられるような社会的な死もある。

人生の目的を失うような哲学的な死もある。

少しづつ死に近づいている様子を見ながら、その死のまわりにいる人を見ながら、人生の幕を下ろすのがどの瞬間であるのかを考える。

故人の生死は、今の自分とどのような関係があるのか。

そして、生死も因果の法則のなかにある。


そう思う機会がお葬式。
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[ 2013/01/25 09:43 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]

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